丑の願いは、青に煌めく   作:おこそつのぬほふもむよゆらわ

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プロローグ分けます。
今日の投稿はプロローグのみです。



プロローグ①

第十三回十二大戦、その最終局面において、丑(うし)の戦士・憂志井(うしい)は、生まれて初めてではないにせよ、久方ぶりに「これはかなりまずい」と率直に思っていた。

 

辺り一帯は、もう戦場というより残骸だった。崩れたビル、裂けた舗装、ひっくり返った車両、砕け散った窓硝子、乾き始めた血痕、そしてつい先ほどまで人間だったものの名残が、夜の街に無秩序に散らばっている。十二人の戦士が、ただ一つだけ願いを叶える権利を賭けて殺し合う――それが十二年に一度だけ開かれる十二大戦であり、第十三回となる今回もまた、その仕組み自体は前回までと何ひとつ変わらなかったが、ただ一つ決定的に違っていたのは、卯(う)の戦士が持つ「死体作り(ネクロマンチスト)」によって、倒れた戦士の多くが退場するどころか、死後なお戦力として盤上へ戻されていたことだった。

 

現在、憂志井の前に立っているのは卯の戦士本人と、その傀儡となった六体の死体、合わせて七。うち一体は首が不自然に傾き、別の一体は腹部の大半を失い、もう一体は片腕しか残っていないのだが、それでも彼らは動き、走り、襲いかかり、痛みも恐怖も疲労も知らないという一点において、生者だった頃よりむしろ厄介だった。

 

「六体に本人を加えて七、か。少々、分が悪いな」

 

憂志井は低く呟き、右手のサーベル――牛歩剣をわずかに下げた。

 

瓦礫の向こうで、卯の戦士が笑っている。あれを笑顔と呼ぶには、あまりにも無邪気で、あまりにも空虚で、だからこそ不気味だった。

 

「うれしいなあ。みんな、なかよしだよ」

 

憂志井は答えず、一歩だけ後ろへ下がった。

 

その動きに呼応するように、六体の死体が一斉に踏み込む。

 

最初に来たのは午(うま)の死体だった。生前から怪力を誇った巨躯が、死してなお速度を失わずに突っ込んでくる。憂志井は真正面から受けず、半歩だけ軸をずらし、突進の勢いを殺さずに牛歩剣の柄頭を顎下へ叩き込み、そのまま首筋へ刃を走らせたが、当然止まらない。死人に頸動脈も呼吸も意味はない。だから一度斬って終わりではなく、斬り上げ、頸椎そのものを断つ。頭部が地面を転がるより早く背後から辰の死体が迫り、憂志井は振り向かず足音だけで位置を測り、逆手に持ち替えた牛歩剣を後方へ突き出した。切っ先は胸部を貫いたが、それでも死体は止まらず肩を掴んでくる。憂志井は自分から身体を沈め、関節を外しかけながら拘束を抜け、そのまま足を払って倒し、頭部を踏み砕いた。

 

「死人相手は面倒なんだがね」

 

息を吐きながら、憂志井はそう零す。

 

嫌いなのだ、こういう相手は。

 

殺すこと自体が嫌なのではない。救えないことが嫌なのだ。生きている相手なら、まだ話せるかもしれないし、逃げるかもしれないし、降伏するかもしれない。だが死者はもう終わっている。何をしても戻らず、どれだけ斬っても救えない。憂志井にとって、それは最も苦手な相手だった。

 

次に寅(とら)の死体が飛び込んでくる。腕を落とし、返しで膝を砕き、倒れたところへ牛歩剣を突き立てる。頭蓋を貫通させ地面へ縫い付けた直後、今度は巳(み)の死体が這うように足首へ食らいつこうとした。憂志井は剣を抜く暇もなく踵で顎を蹴り上げ、そのまま首を踏み、腰の短刀を抜いて眼窩へ深く差し込む。

 

「どうしたの?」

 

卯の戦士が楽しそうに首を傾げる。

 

「疲れた?」

 

「当然だろう。私は不死身ではないんだがね」

 

そう答えた声は平静だったが、呼吸は荒い。右腕は痺れ、左脇腹には浅い裂傷が走り、右腿には深い刺し傷があり、肋骨も二本ほど折れているだろう。視界の端も少し暗い。出血量も無視できない。

 

それでも立つ。

 

牛歩剣(サーベル)を拾う。

 

まだ動ける。

 

動けるが、勝てるかどうかは別だ。

 

憂志井は己の力量を過大評価しない。現在の体力、出血量、敵の数、敵の損耗、卯本人の能力、地形、残された武器、逃走経路、それらを頭の中に一つずつ並べていき、結論を出す。

 

「……長引けば不利だな」

 

卯の戦士が笑う。

 

「じゃあ、おともだちになる?」

 

「それは遠慮しておこう」

 

「どうして?」

 

「君と友人になること自体は別に構わないんだがね。死体になることが前提なのは、少々趣味が悪い」

 

卯の戦士は本気で意味が分からないという顔をした。

 

「でも、死んだらずっといっしょだよ」

 

「それが問題だ。友人というものは、離れることができるから友人でいられる。喧嘩もするし、別れることもあるし、二度と会わないことだってある。それでも、一緒にいたい時に一緒にいるから意味があるんだろう」

 

「わかんない」

 

「そうだろうな」

 

憂志井は少しだけ笑った。

 

「私も四歳の頃なら、分からなかったかもしれない」

 

その言葉とともに、十二年前の記憶が一瞬だけ蘇る。

 

瓦礫。

 

火。

 

泣くことすら忘れていた幼い自分。

 

そこで失井(うしい)と言う丑の戦士に出会った。

 

救われた。

 

拾われた。

 

失井は恐ろしく強く、恐ろしく静かで、子供の扱いなど知らないような顔をしながら、それでも水を渡し、飯を作り、汚れた服を洗い、怪我を手当てし、夜には眠れる場所を用意した。

 

戦い方より先に包丁の持ち方を教わり、剣の振り方より先に服の繕い方を教わり、敵を殺す方法より先に米の炊き方を教わった。

 

数か月。

 

たったそれだけだった。

 

それでも、その数か月がその後の十二年を決めた。

 

失井が第十二回の十二大戦で死んだあと、憂志井はほとんど一人で生きてきた。戦場から戦場へ、国から国へ、名前も知らない街から地図にも載らない村へ渡り歩き、そのたび誰かが死んだ。兵士も、民間人も、子供も、老人も、味方も、敵も死んだ。

 

救おうとした。

 

だが、救えなかった者の方が多かった。

 

圧倒的に。

 

だから強くなった。

 

剣を振った。

 

身体を鍛えた。

 

銃を覚えた。

 

毒を覚えた。

 

爆弾を覚えた。

 

逃げ方も、隠れ方も、殺し方も覚えた。

 

救うために。

 

ただ、そのために。

 

そして気づけば第十三回十二大戦の丑として選ばれ、たった一つの願いを叶える権利を賭ける側に立っていた。

 

願いは迷わなかった。

 

救いたい。

 

誰を、と聞かれても答えられない。

 

何人を、と問われても分からない。

 

過去の誰かかもしれないし、未来で出会う誰かかもしれない。

 

ただ、次に手を伸ばした時くらいは、届いてほしかった。

 

「ねえ」

 

卯の声で現実へ引き戻される。

 

「なに考えてるの?」

 

「大したことじゃない」

 

憂志井は視線を巡らせる。

 

残っている死体は四体。

 

卯本人を含めて五。

 

こちらは一人。

 

体力は三割程度。

 

あと十分も保たないだろう。

 

逃走は可能か。

 

おそらく可能。

 

だが、それをすれば卯が生き残る。

 

そして卯は十二大戦を制し、願いを叶える。

 

世界中のみんなと友だちになる。

 

言葉だけ聞けば、随分と可愛らしく、平和な願いに聞こえる。

 

だが卯にとっての友人とは死者だ。

 

殺し、死体にし、傀儡にし、永遠に自分のそばへ置く。

 

それが友情。

 

もしその願いが文字通り叶えば、世界中の人間が死ぬ。

 

「それは困るのだがね」

 

憂志井は小さく呟く。

 

逃げる選択肢が消えた。

 

勝ち切るのは難しい。

 

逃げることもできない。

 

なら、残るのは一つだけ。

 

憂志井は瓦礫の隙間へ視線を落とした。

 

未(ひつじ)の戦士が最後まで抱えていた鞄がある。

 

中身は知っている。

 

爆薬。

 

それも、この一帯を吹き飛ばすには十分すぎる量。

 

未は慎重な男だった。

 

慎重すぎたからこそ、最後まで使わなかった。

 

憂志井は数秒、その鞄を見つめた。

 

「……これは嫌なんだがね」

 

誰にも聞こえないほど小さな声だった。

 

「本当に、嫌だ」

 

死ぬのは怖い。

 

とても怖い。

 

死にたくない。

 

自殺願望など持っていないし、自己犠牲を美しいとも思っていない。

 

生きられるなら、生きたい。

 

十二大戦が終わったら、暖かい飯を食べたい。

 

風呂にも入りたい。

 

洗濯もしたい。

 

破れた服も直したい。

 

一度くらい、平和な場所で何日も何もせず過ごしてみたい。

 

友人も作ってみたい。

 

恋愛だって。

 

したことはないが。

 

いつかは。

 

それに、願いだって叶えていない。

 

救いたい。

 

まだ何も救っていない。

 

このまま死ねば、結局何のためにここまで来たのか分からない。

 

「怖い、か」

 

憂志井は正直に言った。

 

膝がわずかに震えている。

 

指先が冷たい。

 

心臓がうるさい。

 

「やりたくないんだがね」

 

自分で自分がおかしくなりそうだった。

 

あれほど戦場を渡り歩き、何百回も死にかけ、それでも結局、死ぬのは怖い。

 

やはり自分は凡人だ。

 

失井ならどうしただろう。

 

迷わなかっただろうか。

 

もっと上手くやっただろうか。

 

もっと簡単に卯を斬っただろうか。

 

「……まだ遠いな」

 

憂志井は苦笑した。

 

失井には。

 

まだ遠い。

 

そう思っている自分が、すでにあの男を超えていることなど、この時の憂志井は知る由もない。

 

「ねえ」

 

卯がまた声をかける。

 

「どうしたの?」

 

「少し、死にたくないということについて考えていた」

 

「じゃあ、ぼくが殺してあげる」

 

「だから、それでは意味がないんだがね」

 

憂志井はため息をつき、牛歩剣を鞘へ戻した。

 

卯の笑顔がわずかに変わる。

 

憂志井はゆっくり歩き始める。

 

爆弾の鞄へ。

 

死体たちが動く。

 

「止まってくれると助かるんだがね」

 

もちろん止まらない。

 

憂志井は駆けた。

 

一体目を斬り、二体目を蹴り、三体目に腕を掴まれ、肩が外れかける。

 

「痛いな、これは」

 

珍しく顔を歪めながら自分で肩を押し戻し、そのまま死体の腕を逆方向へ折る。

 

四体目。

 

胸を貫かれる。

 

浅い。

 

まだ動ける。

 

牛歩剣を振る。

 

首が飛ぶ。

 

そして鞄へ辿り着く。

 

憂志井は爆弾を掴んだ。

 

卯もようやく意味を理解したらしい。

 

「それ、なあに?」

 

「未の置き土産だ」

 

「爆弾?」

 

「ああ」

 

「みんな死んじゃう?」

 

「そうなるだろうな」

 

卯は少し考えたあと、嬉しそうに笑った。

 

「じゃあ、みんなおともだち?」

 

憂志井は一瞬、言葉を失った。

 

「……君という奴は」

 

呆れたように、それでも少しだけ悲しそうに笑う。

 

「最後までそうなんだな」

 

卯は首を傾げる。

 

憂志井は爆弾を抱えた。

 

起爆装置。

 

安全装置。

 

構造は分かる。

 

未の戦い方も見ていた。

 

解除方法も、起爆方法も知っている。

 

指をかける。

 

震える。

 

怖い。

 

本当に怖い。

 

手が止まる。

 

「失井」

 

誰にも聞こえない声だった。

 

「私は、正しいことをしているのだろうか」

 

返事はない。

 

当然だ。

 

あの男は十二年前に死んでいる。

 

憂志井は目を閉じる。

 

正しいことをしようとする。

 

次に、正しいことをする。

 

それだけ。

 

なら。

 

卯を止める。

 

世界中の人間を死体にさせない。

 

それは正しい。

 

少なくとも、自分にとっては。

 

「そういうことだ」

 

目を開く。

 

恐怖は消えていない。

 

消える必要もない。

 

怖いままでいい。

 

死にたくないままでいい。

 

それでもやる。

 

それが自分だ。

 

卯が歩いてくる。

 

「ねえ」

 

「何だ」

 

「ぼくと、おともだちにならない?」

 

憂志井は少しだけ考えた。

 

「生きたままでいいなら、考えてもよかった」

 

「だめ」

 

「そうか」

 

「死んで」

 

「それも断る」

 

「でも爆発したら死ぬよ?」

 

「ああ」

 

憂志井は笑った。

 

「そこが困ったところなんだがね」

 

起爆装置へ指を置く。

 

「死にたくないの?」

 

「ああ」

 

「こわい?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、どうして?」

 

随分と単純な質問だった。

 

だから、単純に答える。

 

「君の願いを叶えるわけにはいかないからだ」

 

「なんで?」

 

「生きたい者まで殺すのは、正しくない」

 

「正しい?」

 

「ああ」

 

「正しいって、なに?」

 

憂志井は一瞬だけ、失井の顔を思い出した。

 

「まず、正しいことをしようとする」

 

卯は聞いている。

 

「次に、正しいことをする」

 

それだけだ。

 

卯は最後まで理解できなかったらしい。

 

首を傾げていた。

 

憂志井はそれを見て、少しだけ残念そうに笑う。

 

できれば、いつか話してみたかった。

 

殺し合いではない場所で。

 

生きたまま。

 

食卓を囲んで。

 

友人というものが何なのか。

 

教えられたかもしれない。

 

あるいは、無理だったかもしれない。

 

それでも、試してみたかった。

 

「救えなくて、すまない」

 

憂志井は言った。

 

卯が瞬きをする。

 

「だが、これ以上誰かを殺させるわけにはいかない」

 

指に力を込める。

 

そして。

 

押した。

 

一瞬だった。

 

白。

 

音。

 

熱。

 

痛み。

 

それらが同時に憂志井を包み、世界が消える。

 

最後に思ったのは、痛い、熱い、怖い、死にたくないという、何とも情けなく、何とも人間らしい感情だった。

 

そのあとに、もう一つだけ浮かぶ。

 

救いたかった。

 

もっと。

 

もっと、誰かを。

 

失井。

 

私は、正しいことをできただろうか。

 

答えは聞こえない。

 

第十三回十二大戦。

 

丑の戦士・憂志井。

 

卯の戦士と、その傀儡六体を巻き込み、爆死。

 

享年十六。

 

――そのはずだった。




十二大戦の二次創作10件もないので、作りました。
十二大戦知らなくても大丈夫です。
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