今日の投稿はプロローグのみです。
第十三回十二大戦、その最終局面において、
辺り一帯は、もう戦場というより残骸だった。崩れたビル、裂けた舗装、ひっくり返った車両、砕け散った窓硝子、乾き始めた血痕、そしてつい先ほどまで人間だったものの名残が、夜の街に無秩序に散らばっている。十二人の戦士が、ただ一つだけ願いを叶える権利を賭けて殺し合う――それが十二年に一度だけ開かれる十二大戦であり、第十三回となる今回もまた、その仕組み自体は前回までと何ひとつ変わらなかったが、ただ一つ決定的に違っていたのは、
現在、憂志井の前に立っているのは卯の戦士本人と、その傀儡となった六体の死体、合わせて七。うち一体は首が不自然に傾き、別の一体は腹部の大半を失い、もう一体は片腕しか残っていないのだが、それでも彼らは動き、走り、襲いかかり、痛みも恐怖も疲労も知らないという一点において、生者だった頃よりむしろ厄介だった。
「六体に本人を加えて七、か。少々、分が悪いな」
憂志井は低く呟き、右手のサーベル――牛歩剣をわずかに下げた。
瓦礫の向こうで、卯の戦士が笑っている。あれを笑顔と呼ぶには、あまりにも無邪気で、あまりにも空虚で、だからこそ不気味だった。
「うれしいなあ。みんな、なかよしだよ」
憂志井は答えず、一歩だけ後ろへ下がった。
その動きに呼応するように、六体の死体が一斉に踏み込む。
最初に来たのは
「死人相手は面倒なんだがね」
息を吐きながら、憂志井はそう零す。
嫌いなのだ、こういう相手は。
殺すこと自体が嫌なのではない。救えないことが嫌なのだ。生きている相手なら、まだ話せるかもしれないし、逃げるかもしれないし、降伏するかもしれない。だが死者はもう終わっている。何をしても戻らず、どれだけ斬っても救えない。憂志井にとって、それは最も苦手な相手だった。
次に
「どうしたの?」
卯の戦士が楽しそうに首を傾げる。
「疲れた?」
「当然だろう。私は不死身ではないんだがね」
そう答えた声は平静だったが、呼吸は荒い。右腕は痺れ、左脇腹には浅い裂傷が走り、右腿には深い刺し傷があり、肋骨も二本ほど折れているだろう。視界の端も少し暗い。出血量も無視できない。
それでも立つ。
まだ動ける。
動けるが、勝てるかどうかは別だ。
憂志井は己の力量を過大評価しない。現在の体力、出血量、敵の数、敵の損耗、卯本人の能力、地形、残された武器、逃走経路、それらを頭の中に一つずつ並べていき、結論を出す。
「……長引けば不利だな」
卯の戦士が笑う。
「じゃあ、おともだちになる?」
「それは遠慮しておこう」
「どうして?」
「君と友人になること自体は別に構わないんだがね。死体になることが前提なのは、少々趣味が悪い」
卯の戦士は本気で意味が分からないという顔をした。
「でも、死んだらずっといっしょだよ」
「それが問題だ。友人というものは、離れることができるから友人でいられる。喧嘩もするし、別れることもあるし、二度と会わないことだってある。それでも、一緒にいたい時に一緒にいるから意味があるんだろう」
「わかんない」
「そうだろうな」
憂志井は少しだけ笑った。
「私も四歳の頃なら、分からなかったかもしれない」
その言葉とともに、十二年前の記憶が一瞬だけ蘇る。
瓦礫。
火。
泣くことすら忘れていた幼い自分。
そこで
救われた。
拾われた。
失井は恐ろしく強く、恐ろしく静かで、子供の扱いなど知らないような顔をしながら、それでも水を渡し、飯を作り、汚れた服を洗い、怪我を手当てし、夜には眠れる場所を用意した。
戦い方より先に包丁の持ち方を教わり、剣の振り方より先に服の繕い方を教わり、敵を殺す方法より先に米の炊き方を教わった。
数か月。
たったそれだけだった。
それでも、その数か月がその後の十二年を決めた。
失井が第十二回の十二大戦で死んだあと、憂志井はほとんど一人で生きてきた。戦場から戦場へ、国から国へ、名前も知らない街から地図にも載らない村へ渡り歩き、そのたび誰かが死んだ。兵士も、民間人も、子供も、老人も、味方も、敵も死んだ。
救おうとした。
だが、救えなかった者の方が多かった。
圧倒的に。
だから強くなった。
剣を振った。
身体を鍛えた。
銃を覚えた。
毒を覚えた。
爆弾を覚えた。
逃げ方も、隠れ方も、殺し方も覚えた。
救うために。
ただ、そのために。
そして気づけば第十三回十二大戦の丑として選ばれ、たった一つの願いを叶える権利を賭ける側に立っていた。
願いは迷わなかった。
救いたい。
誰を、と聞かれても答えられない。
何人を、と問われても分からない。
過去の誰かかもしれないし、未来で出会う誰かかもしれない。
ただ、次に手を伸ばした時くらいは、届いてほしかった。
「ねえ」
卯の声で現実へ引き戻される。
「なに考えてるの?」
「大したことじゃない」
憂志井は視線を巡らせる。
残っている死体は四体。
卯本人を含めて五。
こちらは一人。
体力は三割程度。
あと十分も保たないだろう。
逃走は可能か。
おそらく可能。
だが、それをすれば卯が生き残る。
そして卯は十二大戦を制し、願いを叶える。
世界中のみんなと友だちになる。
言葉だけ聞けば、随分と可愛らしく、平和な願いに聞こえる。
だが卯にとっての友人とは死者だ。
殺し、死体にし、傀儡にし、永遠に自分のそばへ置く。
それが友情。
もしその願いが文字通り叶えば、世界中の人間が死ぬ。
「それは困るのだがね」
憂志井は小さく呟く。
逃げる選択肢が消えた。
勝ち切るのは難しい。
逃げることもできない。
なら、残るのは一つだけ。
憂志井は瓦礫の隙間へ視線を落とした。
中身は知っている。
爆薬。
それも、この一帯を吹き飛ばすには十分すぎる量。
未は慎重な男だった。
慎重すぎたからこそ、最後まで使わなかった。
憂志井は数秒、その鞄を見つめた。
「……これは嫌なんだがね」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
「本当に、嫌だ」
死ぬのは怖い。
とても怖い。
死にたくない。
自殺願望など持っていないし、自己犠牲を美しいとも思っていない。
生きられるなら、生きたい。
十二大戦が終わったら、暖かい飯を食べたい。
風呂にも入りたい。
洗濯もしたい。
破れた服も直したい。
一度くらい、平和な場所で何日も何もせず過ごしてみたい。
友人も作ってみたい。
恋愛だって。
したことはないが。
いつかは。
それに、願いだって叶えていない。
救いたい。
まだ何も救っていない。
このまま死ねば、結局何のためにここまで来たのか分からない。
「怖い、か」
憂志井は正直に言った。
膝がわずかに震えている。
指先が冷たい。
心臓がうるさい。
「やりたくないんだがね」
自分で自分がおかしくなりそうだった。
あれほど戦場を渡り歩き、何百回も死にかけ、それでも結局、死ぬのは怖い。
やはり自分は凡人だ。
失井ならどうしただろう。
迷わなかっただろうか。
もっと上手くやっただろうか。
もっと簡単に卯を斬っただろうか。
「……まだ遠いな」
憂志井は苦笑した。
失井には。
まだ遠い。
そう思っている自分が、すでにあの男を超えていることなど、この時の憂志井は知る由もない。
「ねえ」
卯がまた声をかける。
「どうしたの?」
「少し、死にたくないということについて考えていた」
「じゃあ、ぼくが殺してあげる」
「だから、それでは意味がないんだがね」
憂志井はため息をつき、牛歩剣を鞘へ戻した。
卯の笑顔がわずかに変わる。
憂志井はゆっくり歩き始める。
爆弾の鞄へ。
死体たちが動く。
「止まってくれると助かるんだがね」
もちろん止まらない。
憂志井は駆けた。
一体目を斬り、二体目を蹴り、三体目に腕を掴まれ、肩が外れかける。
「痛いな、これは」
珍しく顔を歪めながら自分で肩を押し戻し、そのまま死体の腕を逆方向へ折る。
四体目。
胸を貫かれる。
浅い。
まだ動ける。
牛歩剣を振る。
首が飛ぶ。
そして鞄へ辿り着く。
憂志井は爆弾を掴んだ。
卯もようやく意味を理解したらしい。
「それ、なあに?」
「未の置き土産だ」
「爆弾?」
「ああ」
「みんな死んじゃう?」
「そうなるだろうな」
卯は少し考えたあと、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、みんなおともだち?」
憂志井は一瞬、言葉を失った。
「……君という奴は」
呆れたように、それでも少しだけ悲しそうに笑う。
「最後までそうなんだな」
卯は首を傾げる。
憂志井は爆弾を抱えた。
起爆装置。
安全装置。
構造は分かる。
未の戦い方も見ていた。
解除方法も、起爆方法も知っている。
指をかける。
震える。
怖い。
本当に怖い。
手が止まる。
「失井」
誰にも聞こえない声だった。
「私は、正しいことをしているのだろうか」
返事はない。
当然だ。
あの男は十二年前に死んでいる。
憂志井は目を閉じる。
正しいことをしようとする。
次に、正しいことをする。
それだけ。
なら。
卯を止める。
世界中の人間を死体にさせない。
それは正しい。
少なくとも、自分にとっては。
「そういうことだ」
目を開く。
恐怖は消えていない。
消える必要もない。
怖いままでいい。
死にたくないままでいい。
それでもやる。
それが自分だ。
卯が歩いてくる。
「ねえ」
「何だ」
「ぼくと、おともだちにならない?」
憂志井は少しだけ考えた。
「生きたままでいいなら、考えてもよかった」
「だめ」
「そうか」
「死んで」
「それも断る」
「でも爆発したら死ぬよ?」
「ああ」
憂志井は笑った。
「そこが困ったところなんだがね」
起爆装置へ指を置く。
「死にたくないの?」
「ああ」
「こわい?」
「ああ」
「じゃあ、どうして?」
随分と単純な質問だった。
だから、単純に答える。
「君の願いを叶えるわけにはいかないからだ」
「なんで?」
「生きたい者まで殺すのは、正しくない」
「正しい?」
「ああ」
「正しいって、なに?」
憂志井は一瞬だけ、失井の顔を思い出した。
「まず、正しいことをしようとする」
卯は聞いている。
「次に、正しいことをする」
それだけだ。
卯は最後まで理解できなかったらしい。
首を傾げていた。
憂志井はそれを見て、少しだけ残念そうに笑う。
できれば、いつか話してみたかった。
殺し合いではない場所で。
生きたまま。
食卓を囲んで。
友人というものが何なのか。
教えられたかもしれない。
あるいは、無理だったかもしれない。
それでも、試してみたかった。
「救えなくて、すまない」
憂志井は言った。
卯が瞬きをする。
「だが、これ以上誰かを殺させるわけにはいかない」
指に力を込める。
そして。
押した。
一瞬だった。
白。
音。
熱。
痛み。
それらが同時に憂志井を包み、世界が消える。
最後に思ったのは、痛い、熱い、怖い、死にたくないという、何とも情けなく、何とも人間らしい感情だった。
そのあとに、もう一つだけ浮かぶ。
救いたかった。
もっと。
もっと、誰かを。
失井。
私は、正しいことをできただろうか。
答えは聞こえない。
第十三回十二大戦。
丑の戦士・憂志井。
卯の戦士と、その傀儡六体を巻き込み、爆死。
享年十六。
――そのはずだった。
十二大戦の二次創作10件もないので、作りました。
十二大戦知らなくても大丈夫です。