鬼滅の薬   作:マイナーチョコ

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第12話:成長

季節は巡り、蝶屋敷の庭を彩る木々は、青々とした真夏の装いから、燃えるような紅葉へとその姿を変えていた。

吹き抜ける風には確かな秋の冷たさが混じり、高く澄み渡った空には鰯雲がどこまでも広がっている。

 

ズドォォォンッ!!

 

そんな風情ある秋の静寂を打ち破るように、うら若き乙女が放ったとは思えないすさまじい重低音が、蝶屋敷の裏庭に響き渡った。

 

「シッ……!」

桜餅色の髪を揺らし、鋭い呼気と共に踏み込んだ甘露寺蜜璃の拳が、空気を圧縮するような勢いで放たれる。常人の八倍もの密度を持つ特異な筋肉から繰り出されるその一撃は、まともに喰らえば大岩すら粉砕するほどの破壊力を秘めていた。

 

「いい踏み込みだ。だが、少し大振りになってるぞ」

だが、その必殺の拳を、マヤは分厚い掌でバシッと的確に受け止め、そのまま流すようにしていなした。

凄まじい衝撃がマヤの腕から足腰へと伝わり、地面の土が抉れるが、マヤの体勢は僅かにも崩れない。

 

「くっ……もう一丁ぉっ!!」

蜜璃が体勢を立て直し、流れるような連撃を放つ。

夏の終わりに蝶屋敷へやってきた当初、マヤの『密着指導』にいちいち顔を真っ赤にして茹でダコのようになっていた蜜璃だったが、今ではその照れを乗り越え、純粋な武の理合いとして彼の動きを吸収し始めていた。

 

マヤと蜜璃。二人の間には、教える者と教わる者としての、確かな『師弟』のような信頼関係が築かれつつある。

 

「よし、そこまで」

数分間の濃密な組み手の後、マヤがポンと手を叩いて合図を出した。

「ふぅーっ……! ありがとうございました、マヤさん!」

蜜璃が額の汗を拭い、清々しい笑顔で深く頭を下げる。その胸元が大きく上下に揺れるが、マヤは真っ直ぐに彼女の目を見て頷いた。

 

「お疲れ様です、二人とも。そろそろ休憩にしましょうか」

縁側から、胡蝶しのぶの涼やかな声が響く。彼女の隣には、お盆にお茶と山盛りの茶菓子を用意したカナエが微笑んで座っていた。

 

「わぁい! 休憩ですね!」

蜜璃は本当はもう少しマヤと体を動かしていたかったが、大好きな甘味と、何よりマヤが縁側へ向かうのを見て、嬉しそうに小走りで後を追った。

 

マヤが縁側にどっかりと腰を下ろすと、すかさずしのぶが冷たく絞った手ぬぐいを渡し、カナエが温かいほうじ茶を差し出す。

「おう、サンキューな」

マヤが手ぬぐいで顔の汗をガシガシと拭う。その無骨だがどこか色気のある仕草を、カナエとしのぶがチラチラと、しかし確かな熱を帯びた視線で見つめている。

 

(……あれ?)

隣でお茶を受け取った蜜璃は、その微かな空気の変化に気づき、小首を傾げた。

(いつからだろう……? 前はもう少し、二人のマヤさんを見る目が『お姉さん』や『お医者さん』って感じだったのに……今はなんだか……)

 

蜜璃がそんな疑問を抱いているとは露知らず、マヤはほうじ茶を一口すすると、真剣な顔つきで蜜璃に向き直った。

 

「みつり、随分いい感じに拳で打てるようになったな。元々の筋力が規格外だから、そのパワーを乗せた打撃なら、下弦の鬼くらいなら一撃で吹っ飛ばせる技術になってるぞ」

「本当ですか!? 嬉しいですっ!」

蜜璃が両手で頬を押さえて喜ぶ。

 

「ああ。実戦でのイメージとしては、まずお前のあの特殊な『しなる刀』で遠距離から牽制する。鬼が刀を躱そうとした隙に一気に距離を詰めて、拳を内臓に叩き込む。打撃で強烈に怯ませて、動きが止まったところに刃を叩き込んで頸を刎ねるイメージだ。打撃と斬撃の組み合わせは、鬼にとっても予測しづらいはずだ」

 

マヤの理にかなった戦術解説に、縁側にいた全員が感心したように息を呑んだ。

「凄いです……。刀に意識を集中させておいてからの、拳で怯ませて刎ねる……。これなら、上弦の鬼相手でも行けそうな気がします!」

蜜璃が目をキラキラさせて拳を握りしめるが、マヤは静かに首を横に振った。

 

「いや、上弦相手にはまだやめたほうがいいな。あのクラスになると、未知の血鬼術が多すぎる。カナエを襲ってたあの『氷野郎』は、氷の防壁みたいなのを展開してやがったしな」

「氷の防壁……」

「ああ。俺は力任せに防壁ごと粉砕できたが、普通なら、生身の拳をぶつければこっちの骨が砕けるか、凍傷で腕が使い物にならなくなる。あれは相性ってやつだ。純粋な格闘タイプの鬼が相手なら今の戦法はかなり効くが、物理攻撃を反射したり、毒を持っていたりする相手には致命傷になる。使い分ける冷静さがいるぞ」

 

「なるほど……。打撃に頼りすぎず、相手を見極めて使い分けてみます!」

「おう、その意気だ」

 

「はいはい、武術の熱いお話はそこまでにして。マヤさん、お餅も置いておきますね。蜜璃ちゃんはいっぱい食べてね」

しのぶが、きな粉がたっぷりかかったお餅の皿を二人の間に置いた。

「わぁっ! いただきます!」

 

蜜璃が幸せそうにお餅を頬張っていると、庭の隅のほうから、木刀を振るう鋭い風切り音が聞こえてきた。

見れば、カナヲが一人、黙々と剣の型を反復練習している。その動きは、以前のような機械的なものではなく、どこかマヤの体術の『いなし』を取り入れたような、柔らかくも鋭い軌道を描いていた。

 

「カナヲも、少しずつ剣の稽古を本格的にやってるんですよ、マヤさん」

カナエが目を細めて、妹の成長を嬉しそうに語る。

 

「そうなのか。カナヲ偉いぞ、鬼殺隊に入るつもりなんだろ?」

マヤが縁側から声をかけると、カナヲはピタリと動きを止め、小走りでこちらへやってきた。

「……はい。そのつもりです。姉さま方の戦い方も見させてもらっていますし……マヤの動きも、すごく勉強になってる」

 

カナヲが、自分の意思で、はっきりとそう言葉を紡いだ。

その事実に、しのぶの目が微かに見開かれる。

(カナヲが、自発的に何でもやるようになってきている。これも……マヤさんや、明るい蜜璃ちゃんがこの屋敷に与えてくれた影響ね)

 

「そうかい、そうかい」

マヤは嬉しそうに笑い、カナヲの頭をポンポンと大きな手で撫でた。

「強い奴の動きをじっくり見るってのは、自分でがむしゃらに稽古するより、何倍も勉強になる瞬間があるからな。カナヲの剣士としての力量が、俺も楽しみだよ」

 

マヤに頭を撫でられ、カナヲの白い頬が、ぽっと薄紅色に染まった。

「カナヲちゃんは、結構筋がいいですからね! 私も教えがいがありますよ。私の武器は少し特殊なので、基礎の体の使い方を教えるくらいですけどね」

蜜璃もニコニコとカナヲを褒める。

 

「その基礎を、柱である姉さんや蜜璃ちゃんから教えてもらって、あとはマヤさんの理外の動きを見ているんですもの。カナヲはとてもいい剣士になれそうね」

カナエが優しく微笑むと、マヤはカナヲの目を真っ直ぐに見て言った。

 

「カナヲは、まず『自分という何か一個』を持つといい。いろんな師匠がいる中で、すべてを真似るんじゃなく、『これが自分に一番合う』って芯を見つけるんだ。そうすりゃ、誰も敵わねえ剣士になるぞ」

「……はい。なんとなくですが……頑張ってみます」

 

カナヲの口元に、自然で、ひどく美しい笑顔が咲いた。

それを見た縁側の全員が、まるで春の花を見たかのように温かい笑顔になる。

 

「もう少し、稽古してきます。全集中で……もう少しで、一番大きいヒョウタンが割れそうなんです。今も少しですが、四六時中、全集中ができるようになってきたので。……行ってまいります」

ペコリと頭を下げて庭へ戻っていくカナヲの背中を、全員が「いってらっしゃい」と見送った。

 

「カナヲも、昔とだいぶ変わったな。すげーいい笑顔だ」

マヤがしみじみと呟く。

「そうですね……」

「ええ……本当に」

カナエとしのぶの声には、万感の思いが込められていた。

 

「あの年齢で、全集中の呼吸・常中がもう完成系に近いなんて。将来は間違いなく柱候補ですね!」

蜜璃が感嘆の声を上げる。

「そうですね。カナヲ自身もそれを目指しているようなので、最終選別の試験ももう行けそうなのですが……マヤさんが、駄目だと仰って」

 

カナエの言葉に、蜜璃が驚いてマヤを見た。

「え? 止めてるんですか? あんなに凄いのに……」

 

マヤはほうじ茶の湯呑みを両手で包み込みながら、ぽつりと語った。

「ん〜。力が強いからって、カナヲの心がもう戦場に出る準備ができてるかっていうと、まだだなってな。剣士としての才能はすでにあって、鬼殺隊になってもすぐ活躍できるだろう。……けどな」

マヤは、庭でひたむきに木刀を振るう少女の小さな背中を見つめた。

 

「今はよ、まだ『子供』の相手をさせてほしいなってな。俺のワガママだよ」

「ワガママ……ですか?」

「鬼殺隊に入って死線を潜るようになれば、遊んでる余裕なんてなくなるだろ? カナヲにはよ、まずは普通の女の子として、腹抱えて笑ったり、遊んだりする楽しさや喜びを知ってほしいんだよ。戦うための道具じゃない、一人の人間としての土台を、今のうちにしっかりと作ってやりたいんだ」

 

秋風が、マヤの言葉を優しく撫でるように縁側を吹き抜けていく。

ただ強さを求めるのではなく、その子の『人生』そのものを案じ、守ろうとする底知れない愛情。

 

「マヤさん……そうね。やっと、自分の意思で笑顔が出せるようになったんですもの。……ありがとう」

しのぶが、目頭を熱くしてマヤを見つめる。

「ふふふ。ありがとう、マヤさん」

カナエもまた、慈愛に満ちた目でマヤの横顔を見つめていた。

 

その瞬間。

蜜璃の『恋柱』としての鋭すぎる直感が、再び警鐘を鳴らした。

 

「なんか……二人とも、マヤさんとの間の空気が、決定的に変わってませんか!?」

蜜璃は、お餅を咀嚼するのも忘れて、二人とマヤを交互に見比べた。

まるで、すでに家族として、あるいはそれ以上の深い絆で結ばれた男女特有の、甘く、しかし確固たる信頼の空気。

 

だが、マヤ本人はその空気に全く気づいていない。

「? いつも通りだろ。ま〜、だからよ、みつりも時間が空いたらカナヲと遊んでやってくれな。……そうだ、今度みんなで、街へ買い物でも行くかね」

 

「あ、買い物といえば!」

カナエがポンと手を打った。

「マヤさんの新しい陣羽織が、仕立て屋からできあがっているんです。前のは、その……人間の血がべっとりついてしまってから、いくら洗っても落ちなくて。なんだか申し訳なくて、新しいものを新調しておいたの。デザインは同じ、アゲハ蝶の陣羽織です」

 

「おお、マジか。あの時からもう結構経つのに、わざわざ仕立ててくれてたのか。すまないな、ありがとう」

マヤが嬉しそうに笑う。

 

(さすがマヤさん……見事なまでに鈍感でよかった……上手く話を逸らせてるわ)

しのぶが密かに安堵の息を吐く。

 

「カナヲちゃんと一緒に遊ぶのもいいですね! 今度、みんなで仕立て屋さんにそれを取りに行きましょうよ!」

蜜璃が提案する。

「夜に行けば、珠世も一緒に外に出られるしな? そろそろ、日が落ちるのが早くて暗い時間が長くなる時期だからな。」

マヤのその提案に、全員が賛同した。

 

「それはいいわね。珠世さんもずっと地下に籠りきりだし、息抜きが必要だわ。誘ってみんなで行きましょう」

カナエが笑顔で頷く。

(よかった……。蜜璃ちゃんに私たちの気持ちが勘付かれたかと思ったけれど、上手く流れたわね……)

 

「よし、ちょっと俺はカナヲの型を見てくるわ」

マヤが立ち上がり、庭で稽古を続けるカナヲの元へ歩いていく。

 

マヤの大きな背中が遠ざかり、縁側に三人の女性だけが残された、その直後だった。

秋の涼しい風とは裏腹に、縁側の空気が、唐突にピリリと引き締まった。

 

「……で」

 

蜜璃が、残っていたお茶をグッと飲み干し、真剣な、しかしどこか獲物を狙うような『恋柱』の瞳で、カナエとしのぶを真っ直ぐに見据えた。

 

「カナエさん、しのぶさん。何かマヤさんと……いえ、マヤさんとお二人の間に、何かありましたよね?」

 

ドッキンッ!!

姉妹の心臓が、見事に同時に跳ね上がった。

 

「えっ……? な、なんのことかしら、蜜璃ちゃん?」

カナエが引きつった笑顔で誤魔化そうとする。

「そ、そうですよ。いつも通りの、平和な蝶屋敷の風景じゃないですか」

しのぶも冷や汗を流しながら目を泳がせた。

 

「誤魔化せませんよ!」

蜜璃がズイッと身を乗り出す。

「マヤさんとのこういう深い話題をしている時、お二人とも『呼吸』が乱れてますよ? 全集中の呼吸の乱れじゃありません。恋の呼吸を使う私には分かります……。心臓の音も、体温の上がり方も、前と全然違います!」

 

ゴゴゴゴゴ……という幻の音が、蜜璃の背後に見えた気がした。

流石は恋柱。他人の恋の波動を察知する能力においては、鬼殺隊の誰よりも、いや日本中の誰よりも鋭敏なのだ。

 

「二人とも……ついに実ったということで、いいのかな?」

蜜璃の追及に、カナエとしのぶは観念したように顔を見合わせた。

 

「……実ったというか、なんというか、ですね……」

しのぶが、顔を真っ赤にしながらモジモジと指を絡ませる。

「えと、えと……! 私たちの想いは、しっかりと伝えてあります! 行動で、バッチリと!」

カナエも両手で頬を押さえながら、先日の『キスの嵐』を思い出して湯気を上げる。

 

「あれ!?」

だが、二人は同時にある重大な事実に気がつき、ハッと顔を見合わせた。

 

「「私たち、マヤさんから返事聞いてない!!」」

 

「……???」

蜜璃がポカンと口を開ける。

 

「勢いで、その……口付けまでしてしまったんですけど……」

しのぶが顔から火を吹きそうになりながら白状する。

「マヤさん、放心しちゃってて……そのまま逃げるように私たちが仕事に出ちゃったから、明確な答えをもらってないのよ……っ!」

 

それを聞いて、蜜璃は目を丸くした後、ポンッと手を叩いた。

「へぇ〜! 二人はもう、そこまで進んでいたんですね! でも、答えを聞いてないと? うーん、でも大丈夫じゃないかな? マヤさんだし。言葉で答えなくても、さっきのカナヲちゃんへの言葉みたいに、行動でちゃんと大切にしてくれてるのを示してくれてるじゃないですか」

 

「……それは、そうなんだけど……」

「そう言われると、確かに……」

カナエとしのぶが、蜜璃の言葉に少しだけ救われたように胸を撫で下ろした。だが。

 

「私はまだ、なんていうか、お二人みたいにそこまでは進んでないですけど……なんか、まだ……ん〜〜……っ」

蜜璃が、突然ボンッと音を立てるように顔を真っ赤に染めた。

 

「私も、その場でなら勢いでいけたかもしれないですけど……! 単独で、自分から口付けなんて……想像しただけで……っ! うらやましいですっ!」

両手で顔をパタパタと仰ぎながら身悶えする蜜璃。

 

「そうですね……。私は、あの日上弦の弐から助けられて、背負われた時からずっと想いがあったと思います。しのぶは、完全に勢いでしたけど、必死で可愛かったですよ?」

カナエがふんわりと笑いながら妹をからかう。

「……はい……。姉さんが先って思ってたんですけど……あの時は、お館様の件や珠世さんの件もあって、感情が爆発しちゃって……」

しのぶが耳まで真っ赤にして俯く。

 

「いいのよ、しのぶ。誰が先とかは関係ないわ。だって、同じ人を想う気持ちは本物ですもの」

「そうですね……! だってマヤさん、素敵ですもんね。強いし、優しいし、ごはんもすっごく美味しいですし!」

 

蜜璃がうんうんと力強く頷き、それから、コホンと一つ咳払いをして、二人の姉妹を真っ直ぐに見据えて、とんでもない宣言を放った。

 

「マヤさんがまだ答えを出していないなら、私にもまだチャンスはあるってことですよね! だから……みんなで夜のお買い物に行った時、私、マヤさんと手をつなぎたいです! ……いいですよね!?」

 

「「……えっ」」

 

しのぶとカナエが、絶句した。

恋柱という称号は伊達ではない。己の欲求と恋心にどこまでも素直で、一直線。その凄まじい突破力と愛の重さに、流石の胡蝶姉妹も戦慄を覚えた。

 

((……これが、恋柱一直線になるのね。……!))

 

紅葉が美しく舞い散る秋の庭で。

暖かい家族の会話に包まれるのであった。

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