鬼滅の薬   作:マイナーチョコ

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第12話:蝶屋敷の四ヶ月と、音柱の来訪

 

無限列車での死闘から数日後。

秋が深まり、木枯らしが吹き始めた蝶屋敷の庭に、今日も騒がしい声が響き渡っていた。

 

「うむ! 今日も飯がうまい! さすがは蝶屋敷の食事だ!」

「煉獄さんっ! まだ左脇腹の傷が完全に塞がっていないんですから、急に立ち上がって大声を出さないでください! 傷が開きますよ!」

 

病室から響く炎柱・煉獄杏寿郎の快活な声と、それを必死に制止する神崎アオイの怒声。

死の淵から生還した煉獄は、搬送されてからわずか数日で驚異的な回復力を見せ、すでにベッドの上であぐらをかいて牛鍋弁当を平らげていた。

 

「はははっ、すまないアオイ少女! だが、俺の体は戦いを求めてうずうずしている! 早くマヤ殿や甘露寺殿と手合わせがしたくてたまらんのだ!」

「絶対安静です! しのぶ様にお薬を増やしてもらいますからね!」

 

その賑やかなやり取りを、隣のベッドから炭治郎、善逸、伊之助の三人が、全身を包帯で巻かれた状態で見守っていた。

「……煉獄さん、本当に無事でよかったなぁ」

炭治郎が、安堵の涙を浮かべながら天井を見上げる。

上弦の参という、次元の違う絶望的な強者。あの極限の死地において、煉獄は己の肉体を盾にせず、マヤから教わった『いなし』の理合いを本能で体現し、見事に死の運命を回避したのだ。

 

「全くだぜ……。あんなバケモノ相手に生き残るなんて、柱ってのは本当にとんでもねえな……」

善逸も深く息を吐き出し、伊之助は「ギョロギョロ目玉、すげえぜ……俺も負けてられねえ……」と布団の中で拳を握りしめていた。

 

「お前らも、よく生きて帰ってきたな」

ふと、病室の襖が開き、アゲハ蝶の陣羽織を羽織ったマヤが顔を出した。その手には、薪割りのための巨大な斧が握られている。

「マヤさん!」

炭治郎たちが一斉に顔を輝かせた。

 

「杏寿郎。あまりアオイたちを困らせるなよ。お前のその傷、あと数ミリ深かったら内臓がいかれてたんだからな。……今はしっかり休むのが、お前の仕事だ」

マヤが落ち着いた大人の声でたしなめると、煉獄は「うむ! マヤ殿がそう言うのなら、大人しくしていよう!」と素直に頷き、布団を被った。

 

「さて、と。俺は裏庭の冬支度があるから行くぞ。お前らも、しっかり飯食って治せよ」

マヤが踵を返して廊下を歩き出すと、パタパタという軽い足音と共に、桜餅色の髪を揺らした蜜璃が背後から勢いよく抱きついた。

 

「マヤさぁん! お疲れ様ですぅ! 私も薪割り手伝いますっ!」

「お、蜜璃。いいのか? 非番なら休んでてもいいんだぞ」

マヤは斧を持ったまま、空いているもう片方の腕で極めて自然に蜜璃の腰を抱き寄せ、その柔らかい髪に軽く口付けを落とした。

「えへへぇ……マヤさんと一緒にいたいですから!」

 

そこへ、洗濯物の籠を抱えたカナエが通りかかり、ふわりと微笑んだ。

「ふふ、蜜璃ちゃんは本当にマヤくんのことが大好きね。マヤくん、力仕事が終わったら、縁側でお茶にしましょうね」

「ああ、頼むよカナエ」

マヤがカナエの頬を優しく撫でると、カナエは愛おしそうに目を細めてマヤの太い腕にすり寄った。

 

病室の中からその光景を覗き見ていた善逸が、シーツをギリギリと噛み締めながら血の涙を流していた。

「なんで……なんで死線を越えて帰ってきたのに、またあの空間を見せつけられなきゃならねえんだよォォォッ! 大正の甲斐性、恐るべしィィィッ!!」

「善逸、静かにしろって! 傷が開くぞ!」

 

***

 

それから、季節は厳しい冬を越え、雪解けの春を迎えるまでの四ヶ月間。

蝶屋敷では、傷の癒えた炭治郎たちと煉獄による、地獄のような特訓の日々が続いていた。

 

「そこだっ!!」

道場に、木刀が激しく打ち据えられる音が響く。

炭治郎、善逸、伊之助の三人がかりで打ち込む剣撃を、煉獄は木刀一本で、淀みなく受け流していく。

 

「まだまだ動きが硬いぞ、竈門少年! 攻撃の瞬間に息が止まっている! 常に全身に酸素を巡らせ、流れるように動くのだ!」

死線を超えた煉獄の動きは、以前とは比べ物にならないほど洗練されていた。マヤの指導と猗窩座戦の経験を経て、彼の『炎の呼吸』には、攻撃の激しさに加えて、風のように相手の力を逃がす『いなし』の理合いが完全に融合していた。

 

「くっ……すごい……! 煉獄さんの太刀筋が、前よりずっと柔らかくて……でも、重い!」

炭治郎は息を弾ませながらも、その圧倒的な背中から一つでも多くのことを吸収しようと、必死に食らいついていく。

道場の隅では、カナヲが静かに彼らの動きを見つめ、「……炭治郎、少し踏み込みが深すぎる」と的確なアドバイスを飛ばしていた。

 

「よし、今日はここまで!」

縁側で腕を組んで見ていたマヤが声をかけると、三人は床にへたり込み、煉獄は爽やかな汗を拭って「うむ! 良い汗をかいた!」と笑った。

 

「杏寿郎、体の具合はどうだ?」

マヤが手ぬぐいを投げ渡しながら問う。

「完璧だ! 左脇腹の違和感も全くない! しのぶ殿の治療と、貴方から教わった生存の理合いのおかげだ! 今なら、上弦ともさらに良い戦いができる自信がある!」

その迷いのない炎の瞳に、マヤは満足げに頷いた。

 

(……ああ。お前たちは、確実に強くなっている)

マヤは道場で大の字になって息を切らす炭治郎たちを見つめた。

地下の隔離施設では、悲鳴嶼の元で累と陽子が完全に人間の食事に慣れ、穏やかな心を取り戻しつつある。そして珠世としのぶは、猗窩座の血を使った『人間帰りの薬・完成版』の開発も最終段階に入っていた。

 

(俺の守るべき日常は、今、確実にここにある。だが……)

マヤは、東の空を見上げた。鬼の始祖、鬼舞辻無惨。奴が生きている限り、この平穏が永遠に続くことはない。

 

***

 

そして、桜の蕾が膨らみ始めたある日のこと。

蝶屋敷の静寂は、突如として破られた。

 

「おいおいおい! 地味に過ごしてんじゃねえぞ、お前ら! 派手に行くぜ!」

中庭に、宝石を散りばめた額当てと、筋骨隆々の巨体を揺らして、音柱・宇髄天元が現れたのだ。

 

「キャァァァッ! 何するんですか、離してください!」

宇髄は、アオイとなほを小脇に抱え込み、そのまま屋敷の外へ連れ出そうとしていた。

「俺の任務に、女の手が必要なんだよ! こいつらは俺が連れて行く!」

 

「アオイさんたちを離せェェェッ!!」

道場から飛び出してきた炭治郎が、猛然と宇髄に頭突きを見舞おうと飛びかかる。しかし、宇髄はヒラリとそれを躱した。

「痛っ……! なんだアンタ! 蝶屋敷の女の子たちを無理やり連れて行くなんて、許さないぞ!」

「あぁ? 俺は柱だぞ! 任務のための徴用だ!」

 

一触即発の空気が流れた、その時。

 

「……天元。俺の大事な家族(アオイたち)に、ずいぶんと派手な真似をしてくれるじゃねえか」

 

低い、地鳴りのような声と共に、洗濯物の籠を片手で持ったマヤが姿を現した。

その圧倒的な質量と、怒りを孕んだ静かなプレッシャーに、宇髄でさえ一瞬、ヒッと息を呑んで後ずさった。

 

「マ、マヤの旦那……! いや、こりゃあ俺の嫁たちが任務先で連絡が途絶えちまって、どうしても女の潜入要員が必要で……!」

宇髄はマヤの武力と、お館様からの信頼を知っている。決して逆らってはいけない相手だと本能で理解していた。

 

「なら、俺たちが行きます!」

炭治郎が、アオイを庇うように前に出た。善逸と伊之助も、その両脇に並び立つ。

「俺たちなら、戦えます! アオイさんたちの代わりに、俺たちを連れて行ってください!」

「はぁ!? お前ら男だろうが! 俺が行くのは『遊郭』だぞ!」

 

「女装くらい、気合いでなんとかします!」

炭治郎の真っ直ぐすぎる瞳に、宇髄は毒気を抜かれたようにため息をついた。

「……チッ、分かったよ。使えなかったら即刻置いていくからな!」

 

宇髄がアオイたちを解放すると、炭治郎たちはホッと胸を撫で下ろした。

マヤは洗濯籠を置き、炭治郎たちの元へ歩み寄った。

 

「……遊郭か。女が消えるなら、間違いなく鬼の仕業だ。しかも、天元の嫁たちの足取りが掴めねえとなると……ただの鬼じゃねえな」

マヤの言葉に、場に緊張感が走る。

「上弦が、いるかもしれないってことですか……?」

炭治郎がゴクリと喉を鳴らす。

 

「ああ。……だが、お前らならやれる」

マヤは大きな手で、炭治郎の頭をポンと叩いた。

「この四ヶ月、杏寿郎の背中を見て、死ぬ気で鍛え上げてきたんだ。自信を持て」

 

「マヤさん……!」

「俺も、裏から医療班として同行する。……だが、俺は戦いには手を出さねえ。天元、お前がこいつらをしっかり率いて、ド派手に勝ってこい」

 

「……へっ、言われなくてもそのつもりだぜ!」

宇髄が不敵に笑い、日輪刀の柄を鳴らした。

 

蝶屋敷で培った四ヶ月の絆と力を胸に秘め、炭治郎たちは、夜の闇に浮かぶ欲望の街『吉原遊郭』へと向けて、新たな一歩を踏み出した。

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