鬼滅の薬   作:マイナーチョコ

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第17話:医学の到達

柔らかな春の陽光が差し込む蝶屋敷の病室。

刀鍛冶の里での激闘から帰還した竈門炭治郎は、布団の上に正座し、静かに自身の額に浮かび上がった炎のような『痣』に触れていた。

 

「……体温は三十九度を超え、心拍数も二百以上に跳ね上がっています。異常な数値です」

白衣姿のしのぶが、聴診器を外し、手元のカルテに数値を書き込みながら言った。

 

その場にはマヤ、カナエ、そして珠世も立ち会っていた。

炭治郎の額に現れた不可思議な紋様。それについて、産屋敷耀哉から一つの古い伝承がもたらされていた。

『過去、その痣が発現した者は、例外なく二十五歳を迎える前に命を落とした』という、寿命の前借りの宣告である。

 

「俺は、死ぬことは怖くありません。禰豆子を人間に戻し、無惨を倒せるなら、二十五歳で死ぬとしても悔いはないです」

炭治郎は、真っ直ぐな瞳でマヤたちを見上げた。その言葉に一切の嘘や迷いはない。

 

だが、マヤは大きなため息をつき、炭治郎の頭にポンと手を乗せた。

「少年。覚悟を決めるのは立派だがな、少し急ぎすぎだ」

「え……?」

 

「呪いなどではありませんよ、炭治郎君」

珠世が、静かな、しかし確信に満ちた声で前に出た。

「これは、急激な体温上昇と心拍数の増加に伴う『細胞の異常活性』……いわば身体の強制的なブースト状態です。身体能力や洞察力は飛躍的に向上しますが、同時に細胞への過負荷と破壊が進み、結果として寿命を燃やし尽くしてしまう。……つまり、これは呪いではなく『症状(病気)』に過ぎません」

 

「病気……? でも、例外なく死ぬと……」

炭治郎が戸惑うと、珠世は静かに首を横に振った。

 

「いいえ。例外はあります。……私は、生きてその眼で見たのですから」

珠世の瞳に、遠い戦国時代の記憶が蘇る。

「四百年以上前……無惨を絶望の淵まで追い詰め、その肉体を細切れに斬り裂いた『始まりの呼吸』の剣士。あの方の額にも、貴方と同じ痣がありました。……ですが、あの方はその痣を持ったまま、八十歳を超えるまで生き抜いたのです」

 

「八十歳……! 痣が出ても、生きられるんですか!?」

「ええ。彼の存在が何よりの証明です」

珠世は力強く頷いた。当時の彼女は、無惨がその剣士に追い詰められ、支配の呪いが弱まった隙を突いて逃げ出した生き証人である。

「つまり、細胞の破壊を上回る生命力、あるいは負荷を抑制する手段さえあれば、二十五歳で死ぬという法則は覆る。……しのぶさん、アレを」

 

「はい」

しのぶが、アタッシュケースの中から、淡い緑色の液体が入った注射器を取り出した。

「ここ数年、私たちはずっと鬼の『細胞修復』と『老化防止』のメカニズムを研究し、人間帰りの薬を作ってきました。その膨大な基礎データと知識を反転させ、細胞の過剰な負荷を抑え込むよう調合したのがこの薬です。……名付けて、『痣による細胞負荷の抑制薬』ですね」

 

マヤがニヤリと笑う。

「悲劇の伝承だか何だか知らないが、現代の医学を舐めるなよ。……俺たちはもう、誰一人欠けさせるつもりはねえんだ」

炭治郎は、目の前の大人たちが用意してくれた「未来を生きるための処方箋」に、ただただ胸を熱くして深く頭を下げた。

 

***

 

その日の深夜。蝶屋敷の地下深くにある極秘の研究室。

薬品の匂いが立ち込める薄暗い空間で、珠世としのぶは、顕微鏡と無数の試験管に囲まれながら、最終確認を終えようとしていた。

 

「旦那様。……ついに、完成しましたよ」

珠世が、一本の禍々しくも美しい、深い紫色の液体が入った小瓶を掲げた。

 

マヤは腕を組み、その小瓶を静かに見つめた。

「これが、対無惨用の……」

「はい」

しのぶが、疲労の色を滲ませながらも誇らしげに微笑む。

「『鬼滅の薬』です。痣の研究で得た細胞活性のメカニズムを完全に反転させ、これまで作り上げた人間化血清のノウハウをすべて統合した、六つの効能を持つ複合毒です」

 

しのぶは指を折りながら、その絶望的な効能を読み上げた。

「第一に、細胞の不活性。第二に、細胞の修復不能。第三に、老化。第四に、異常な発熱と発汗。第五に、藤の毒。そして第六に……人間化です」

「素晴らしいな。……だが、無惨はこれまでの鬼とは格が違う。即座に分解されないか?」

 

「そこが、この薬の最大の肝ですわ」

珠世が妖しく微笑む。

「あえて『遅行性』に調整してあります。無惨の体内に入った直後は、ただの微弱な毒としてしか認識されず、彼は『大した毒ではない』と高を括るはず。……ですが、その間に第一の効能である『細胞の不活性』が静かに牙を剥きます」

「細胞が不活性化すれば、無惨の最大の武器である『他者への支配の呪い』を維持する力が強制的に弱まります。上弦たちへのコントロールが外れる……それが最初の狙いです」

 

しのぶの説明に、マヤは深く頷いた。

「完璧だ。無惨の分断戦術を無効化し、盤面をひっくり返す最大の鍵になる。……よくやってくれた、珠世、しのぶ」

マヤが二人の肩を優しく抱き寄せると、天才医師たちは安堵の笑みを浮かべてマヤの広い胸に身を預けた。

 

***

 

翌朝。マヤの自室。

障子越しに春の風が吹き込む部屋に、しのぶ、カナエ、蜜璃、そして珠世の四人の妻たちが集められていた。

机の上には、先ほどの禍々しい毒とは対極にある、透き通るような金色の液体が入った四本の小瓶が置かれている。

 

「マヤさん、これは……?」

蜜璃が不思議そうに小瓶を見つめる。

 

「薬の研究の過程でできた、副産物だ」

マヤが穏やかな声で口を開いた。

「珠世の血清に残っていた『鬼の老化防止』の成分と、耀哉から貰った血清……産屋敷の血脈が本来持っている『強い生命力』。この二つを掛け合わせた結果、奇跡的なバランスで出来上がった薬らしい」

 

「それは、もしや……不老不死の薬、ですか?」

カナエが驚きに目を見開く。

 

「いや、不死じゃない。心臓の脈も打つし、怪我をすれば血も流れる。ただ……細胞が、極端に『ゆっくりと老いる』ようになる薬だ。若く健康な時間が、普通の人間よりもずっと長く続くらしい」

マヤはそこで言葉を区切り、真剣な眼差しで四人の妻たちを見渡した。

 

「強要はしない。だが……俺は、お前たちと一緒に長く生きていきたい。戦いが終わった後の、平和で何もない時代を……この薬を打って、俺と一緒に、ゆっくりと年を取りながら見守っていってくれないか」

 

その不器用で、しかし底知れぬ愛情に満ちたプロポーズのような言葉に、部屋は静寂に包まれた。

やがて、カナエがぽろぽろと涙をこぼし、マヤの大きな手に自身の両手を重ねた。

「……嬉しい。私、マヤさんと一緒に、おばあちゃんになるまでずっと笑っていたいです」

「私もですっ! マヤさんと、美味しいものを長くいーっぱい食べたいです!」

蜜璃が泣き笑いの顔でマヤの背中に抱きつく。

「はぁ……マヤはずるい人ですね。そんな風に言われたら、断れるはずないじゃないですか」

しのぶも目を潤ませながら、マヤの肩に頭を乗せた。

 

「私は……すでに長い時を生きてきました。ですが、貴方と共に歩むこれからの未来が、何よりも愛おしく思えます。……頂きますね、旦那様」

珠世が美しく微笑み、小瓶を手に取る。

大黒柱と四人の妻たちは、死線を越えた先に待つ永遠のような日常を共に生きるという、固い約束を交わしたのだった。

 

***

 

――同時刻。

上下左右の概念が狂った無限城の最深部で、鬼舞辻無惨は苛立ちに爪を噛み、自身の指から血を滴らせていた。

 

「……何故だ。何故、こうも計算が狂う」

 

無惨の焦燥は限界に達していた。

数年前。氷の扇を操る上弦の弐が退けられて以降、鬼殺隊の力は明らかに異常なほどの飛躍を遂げている。柱たちの練度は底上げされ、一切の隙がない。

上弦の陸が討たれ、ついには伍の玉壺、肆の半天狗までもが立て続けに消滅した。

おまけに、あの竈門禰豆子という小娘は、鬼でありながら太陽を克服するという奇跡まで起こしてしまった。

 

(産屋敷……! あの病弱な男が、これほどの手駒を揃え、私を追い詰めるとでもいうのか……!?)

 

だが、無惨の心の奥底に最も暗い影を落とし、彼の冷静な判断力を奪っている要因は、産屋敷耀哉でも鬼殺隊の剣士たちでもなかった。

彼の脳裏にフラッシュバックするのは、かつて自分と直接対峙し、「互いに手を出さずフェアにやり合おう」と告げた、あの漆黒の巨漢――マヤの姿であった。

 

(あの男……底が知れぬ。どれほどの力を隠し持ち、何を企んでいる?)

未知への恐怖。自分が把握しきれない『規格外の存在』が、産屋敷の背後に控えているという事実が、無惨の精神を完全なパラノイア(偏執病)へと追い込んでいた。

 

「……これ以上待てば、手遅れになるやもしれん」

無惨の赤い瞳が、暗い狂気を孕んでギラリと光る。

「鳴女。……産屋敷の居所は掴めているな」

 

『……はい。すでに』

空間の彼方から、鳴女の淡々とした声が響く。

 

「ならば、私自身が直接出向く。忌まわしき産屋敷一族の長を自らの手で葬り、あの小娘を喰らって完全なる不老不死を手に入れる。……準備をしろ」

焦燥と恐怖に駆られた始祖は、自らの破滅へと繋がる最後の一歩を、ついに踏み出そうとしていた。

 

***

 

 

 

数日後の蝶屋敷、広大な道場。

お館様からの緊急の呼び出しにより、あの雪降る夜から誰一人欠けることなく生存している『柱』全員が、この場所に集結していた。そこに、怪我の治療を終えた炭治郎の姿もある。

 

「皆さんに緊急で集まってもらったのは、他でもありません」

しのぶが、大量の小瓶が入ったケースを開いた。

「今後、炭治郎君と同じように、激しい戦闘の末に『痣』が発現する可能性があります。これは、その痣による異常発熱と細胞の過負荷を抑え込み、命を守るための抑制薬です。……万が一の時のため、柱の皆様全員に一本ずつ支給しておきます。ちなみに、私と姉さん、そして蜜璃の分はすでに確保してありますからご心配なく」

 

「南無阿弥陀仏……。なんという慈悲か。大正の医学と、お前たちの尽力に心から感謝する……」

悲鳴嶼行冥が涙を流しながら数珠を擦り、太い指でそっと小瓶を受け取る。

不死川実弥、伊黒小芭内、冨岡義勇たちも、無言で、しかし確かな信頼の眼差しでその命の薬を懐へとしまった。

 

「うむ! これは素晴らしいな!!」

煉獄杏寿郎が、受け取った小瓶を高く掲げて快活に笑った。

「己の命を燃やし尽くす覚悟は常にできているが、この命が続く限り、一人でも多くの民を鬼から救えるのだ! 胡蝶、珠世殿、ありがたく使わせてもらうぞ!」

 

「派手な薬を作ったじゃねえか。寿命の心配がねぇなら、遠慮なくド派手に暴れられるってわけだ」

宇髄天元もニヤリと笑って小瓶を懐にしまい、時透無一郎は「ありがとう、しのぶさん」と静かに受け取って空を見上げた。

 

誰一人欠けていない、最高戦力。

鬼殺隊の歴史において、これほどまでに強固で、希望に満ちた盤面が揃ったことはかつてなかった。

 

「それじゃあ、まずは俺からですね!」

炭治郎が腕を捲る。しのぶが手際よく抑制薬を注射すると、炭治郎の体から立ち昇っていた異常な熱気が、スッと引き潮のように治まっていった。

「あ……すごい! 身体の軽さや力強さはそのままで、心臓の苦しさだけが完全に消えました!」

炭治郎が目を輝かせて拳を握り込む。

 

「これなら、いつでも全開で戦えるな」

マヤが道場の入り口から腕を組み、力強く笑いかけた。

「さぁ、準備は万端だ。……あとは、あいつがしびれを切らして飛び込んでくるのを待つだけだぜ」

 

大正の空に、開戦の足音が静かに、しかし確実に響き始めていた。

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