沈黙の魔女 ――数式が指した、ひとつの影:バーニー転生者の平穏なモブ戦略 作:イッチニッチ
七賢人選考会におけるモニカ・エヴァレットへの質疑が一通り終了した。
しかし、モニカは大勢の知らない大人や高位魔術師に囲まれている状況への恐怖がまだ強く、バーニーの制服の裾を両手で固く握りしめたまま、どうしても離れようとしない。
「よく分かったわぁ、モニカちゃん。あなたの面接はこれで終了よ。お疲れ様」
中央に座るメアリー・ハーヴェイが、のんびりとしたお姉さん口調で退出を促した。モニカがホッと小さな肩を撫で下ろしたのも束の間、メアリーは眼鏡の奥の瞳を僅かに細め、その視線をバーニーへと移す。
「……だけど、そちらのお世話係ちゃんは、そのまま会場に残ってくれるかしら?」
「……え?」
バーニーは突然の残留要請に、完全に困惑して硬直した。
だが、メアリーの言葉を聞いたモニカの脳内では、全く別の等式が組み立てられていた。
(バーニーが、残される……? ということは、バーニー自身も……七賢人として、選考される、可能性が……?)
ミネルヴァの大討論会では公式に否定されてしまった「二人の共同開発」。それが、この最高峰の選考会の場で正式に評価され、彼の卓越した頭脳が認められるのではないか――。
その甘やかな発想に至った瞬間、モニカは疲労も人混みへの恐怖も一時的に忘れてしまうほど、胸を激しい喜びに満たされた。
「ば、バーニー……がんばって、ください……っ」
彼は凄い人なのだと世界に証明してほしい。そんな特大の期待が籠もった言葉を小声で伝えると、モニカはバーニーが誤解を訂正する隙すら与えず、大急ぎで会場を退出していった。
パタン、と重厚な扉が閉まる。
一人残されたバーニーが冷や汗を流しながら立ち尽くすと、壇上に並ぶ魔術師組合の重鎮たちが、一斉に冷徹な視線を彼へと向けた。
その張り詰めた空気の本質を、バーニーは瞬時に悟る。これは通常の面接などではない。バーニー・ジョーンズという不審な生徒に対する、事実上の「事情聴取」の始まりだった。
「――ジョーンズ君。単刀直入に言おう。ミネルヴァ内部から、君について不穏な報告が複数寄せられている」
重鎮の一人が、手元の資料を叩きながら険しい声で告げた。
そこに並べられていた疑惑は、バーニーにとって最悪なものばかりだった。曰く、精神的に未熟で人見知りの激しい天才少女モニカを言葉巧みに依存させ、裏から操ろうとしているのではないかというもの。さらに、無詠唱魔術の論文へ自分の名前を共同開発者として不当に入れようとし、名声を得ようとした疑いまでかけられていた。
「提出されたエヴァレット君の論文には、君の古いノートの内容が参考資料として明確に記載されている。これは、君自身が裏から関与し、歴史に名前を残そうとした証拠ではないのか?」
「ギディオン教授の研究室への所属についてもそうだ。彼女に『バーニーを除外するなら自分も入らない』と言わせ、強引に同行したな。ミネルヴァの生徒――ヒューバード・ディー君らからも、君が常に彼女の隣に割り込み、周囲を遠ざけているという不審な話が上がっている」
個々の断片的な事実が、大人たちの猜疑心によって最悪の形に繋ぎ合わされていく。そこに作り上げられたのは、「純粋な天才少女を利用して、最高峰の名誉と地位を掠め取ろうとする狡猾な少年」という最悪な人物像だった。
「我々は事前に、ラザフォード教授へも事情を確認している。しかし、彼は君を擁護するどころか、『本人に直接聞け』と突き放した。……それどころか、あやつはこうも言っていた。『あのクソガキは、俺の紫煙よりタチの悪い化けの皮を被ってやがる』とな」
(あのクソジジイ、助ける気ゼロどころか、一番最悪な燃料を投下して面白がりながら俺をここに送り込みやがったな!?)
バーニーは内心で激しい悪態をつき、血の気が引いていくのを感じていた。だが、ここで取り乱せば大人たちの思う壺だ。彼はいつもの平坦で覇気のないトーンを必死に維持しながら、真っ直ぐに面接官たちを見据えた。
「――明確に否定させていただきます。僕にはモニカを操る意図も、名声を得る意図も、一切ありません」
バーニーの声には、嘘偽りのない本心が籠もっていた。
「無詠唱魔術の論文に僕のノートの内容が記載されている件についても、今、この場で初めて知りました。彼女が勝手に書いたことであり、僕が求めたものではありません。研究室への所属にしてもそうです。僕はむしろ、ただの平凡な学生として、目立たずに静かに卒業したかった。彼女に強引に引きずり込まれたせいで、僕の平穏な学生生活は完全に崩壊したんです」
バーニーは、頑なに自身の「平穏への執着」を隠さず、言葉にしてぶちまけた。
「彼女は魔術以外、信じられないほど生活能力が低いんです。だから僕は、余計なトラブルに巻き込まれたくない一心で、飯を食わせ、衣服を整え、身の回りの世話を焼いていただけです。その結果として、どういうわけか、彼女から強烈すぎる感情を向けられて困惑しているのは僕の方なんです。名誉や地位なんて、逆立ちしたって欲しくありません」
地位が上がれば目立つ。目立てば原作の破滅ルートが起動する。だからこそ一切の欲はない――その、あまりにも必死で、名声を得ようとしている人物とは到底思えないバーニーの頑なな姿勢に、面接官たちは逆に深い困惑に陥った。
その沈黙を破ったのは、中央に座る〈星詠みの魔女〉だった。
メアリー・ハーヴェイは、バーニーの発言に含まれる一切の矛盾のなさを、その老練な洞察力で冷静に分析していた。
「……ふふ、面白いわねぇ。もしバーニーちゃんが、本当にモニカちゃんを利用して名声を得たい悪党なのだとしたら、話が合わないのよ。そんなに狡猾な子なら、大討論会の場でも、今回の選考会でも、全力で自分の名前を前面に出してアピールするはずだもの。……ところが実際のあなたは、自分の存在が知られることを、まるで世界の終わりのように嫌がって逃げ回っている」
メアリーは気さくな笑顔のまま、けれど魂の底を見透かすような占星術師の瞳で、バーニーをじっと見つめた。
「バーニーちゃん。あなたが本当に求めているものは、最高位の魔術師の座でも、歴史に刻まれる名誉でもなくて……ただの『平穏』、なのかしら?」
「――」
バーニーは、明確な答えを返さなかった。
だが、その張り詰めた沈黙こそが、大人たちにとっては事実上の肯定となった。
「あらあ……本当に、世にも珍しい価値観を持った子だわぁ」
メアリーは感心したように息を漏らした。
この七賢人選考会は、モニカだけでなく、バーニー・ジョーンズという少年自身にとっても、人生の重大な転換点となった。
バーニーは単なる「天才の付き添い」ではない。極度の対人恐怖症を持つモニカの精神を、一瞬で安定させて本来の実力を引き出せる、世界で唯一の不可欠な存在。それが、七賢人選考側の共通認識として、記録に深く刻み込まれたのだ。
同時に、彼の放つ「平凡を装うための、あまりにも異常な術式のコントロール」と、モニカとの特殊すぎる依存関係もまた、最高峰の魔術師たちの注目を集める結果となった。
バーニー自身は、明日からも必死にモブとして平穏な生活へ戻ることを切に願っている。しかし、七賢人選考会という国家最高峰の公的な場で、その存在そのものが、歴史の計算式に組み込まれた新たな重要要素となっていく。
モニカ・エヴァレットという怪物を繋ぎ止める、世界でたった一つの安全な檻。
「七賢人を裏から支える少年」として、バーニー・ジョーンズの名前は、本物の怪物たちから決して無視できない存在になり始めるのだった。