沈黙の魔女 ――数式が指した、ひとつの影:バーニー転生者の平穏なモブ戦略 作:イッチニッチ
ルイスが放つ圧倒的な存在感と魔力の重圧に、モニカは短い悲鳴を上げてバーニーの背後へと隠れる。だが、ルイスはその社交的で華やかな笑顔の裏に、冷徹に見透かすような強烈な圧力を湛えたまま、視線をゆっくりと隣にいるバーニーへと向けた。
「ところで……君がジョーンズ君だね? ミネルヴァの内部から、君に関する随分と不穏な噂を聞いているよ」
ルイスの甘い声音に、バーニーの背筋が凍りつく。ルイスはギディオン教授から「ジョーンズ本人に直接聞け」と突き放されて言われていたことを明かし、明確にバーニーを「胡散臭い凡俗」と決めつけていた。内気な天才少女を精神的に依存させ、裏から操っているのではないかという危険人物への警戒。言葉には出さないが、その眼光には確かな敵意が宿っていた。
「おい、あいつが論文の共同開発者を名乗って寄生しようとした男か?」
「天才少女を自分の言いなりに依存させているらしいぞ……」
演習場に集まっていた周囲の受験者たちも、ルイスの態度と同調するようにバーニーへの疑惑と侮蔑の視線を強めていく。ミネルヴァ内部の噂話が、まるで確定した事実であるかのように扱われていた。
(……待て待て待て、なんで俺の悪い噂がこんな王都の試験会場にまで広まってんだよ!?)
バーニーは内心で激しく困惑していた。周囲の受験者が無詠唱の公式論文を読んだ際、参考資料に記載されていたバーニーの名前を見つけ、そこから身元を調べ上げたのだという。
直前に選考委員からようやく潔白を認められたばかりだったというのに、一歩外へ出れば再び「悪党」として扱われる理不尽な状況。それでもバーニーはいつもの平凡な態度を崩さず、事なかれ主義を貫いて嵐が過ぎ去るのを待とうとした。
――だが。
ルイスや周囲の受験者たちからバーニーへ向けられる、容赦のない侮蔑の言葉を目にした瞬間。
バーニーの背中で小さく震えていたモニカの様子が、劇的に変化した。
「……っ」
それまでルイスを見ただけで白目を剥きかけていたモニカから、あらゆる恐怖が綺麗に消え去っていた。
『バーニーを悪党だと言った』
『自分の世界でたった一つの、大切な人を傷つけようとしている』
冷徹極まるその事実が、モニカの天才的な頭脳の中で、明確な「怒り」へと一瞬で変換される。モニカにとって、バーニーを傷つける存在は、相手の地位や実力がどうであろうと、世界から『排除すべき敵』でしかなかった。他者の悪意に怯え続けていた少女が、生まれて初めて、自分ではなくバーニーを傷つける者に対して、猛烈な牙を剥いたのだ。
◇
今回の実技審査は、単純な一対一の模擬戦ではない。複数の候補者が、多層防御結界の張り巡らされた広大な森林の演習場へ同時投入されるバトルロイヤル形式だった。結界内は致命傷が自動的に無効化される安全措置が施されており、候補者たちは実戦形式で魔術の威力・速度・精密さを競い合う。
バーニーは森林の入口までモニカに付き添った。試験開始後は、付き添いとして外から見守ることになる。
「いいか、モニカ。俺はここでずっとお前を見ている。だから、前だけを見ろ」
「……はい。バーニーが、見ているなら……わたし、やります……っ」
バーニーの手から伝わる「義務的な介護」の温もりを支えに、モニカは静かに森の奥へと歩を進めていった。
「――実技審査、開始!」
魔術師組合のアナウンスが響き渡った、その刹那だった。
ドゴォォォォォン!!!
演習場全体が、天変地異が起きたかのような凄まじい衝撃に叩き付けられた。
合図と同時に、モニカの無詠唱魔術が一気に爆発したのだ。
音も、熱も、予兆の光すらほとんど残さない、通常の試験基準を完全に置き去りにした過剰なまでの超火力。他の受験者たちは魔術を発動するどころか、状況を認識する暇すらなく、一瞬で防御結界ごと吹き飛ばされて戦闘不能に追い込まれた。
「なっ、何だこれは……っ!?」
特等席の重鎮たちが立ち上がって驚愕する。実技試験は開始直後から、想定外の大惨事へと突入していた。
現・第二魔術兵団長であるルイス・ミラーだけは、直前のモニカの尋常ではない気配を鋭く警戒していたため、瞬時に最高峰の多層結界を展開し、辛うじて瞬殺されることだけは免れていた。
しかし、モニカの嵐は止まらない。
モニカはルイスの展開した結界構造を視認した瞬間、その魔力構造の解析を開始していた。正面から力任せに破壊するのではない。結界の固有振動数や構成している術式の隙間を瞬時に読み取り、術式そのものを内部から攻略していく。
バリィィィィン!! と、ガラスが砕け散るような轟音が響く。
ルイスが絶対の自信を誇る最高峰の結界術は、モニカによって完璧に無効化され、霧のように霧散した。
「……嘘だろ、おい……。俺の多層結界が、こんな一瞬で……ッ!」
ルイスの優雅な笑みが、初めて恐怖へと凍りつく。彼は今、目の前にいる少女が、単なる「内気な天才少女」などではなく、自分とは全く異なる次元の危険性を持つ化物であることを、魂の底から認識していた。
モニカの猛攻は苛烈さを増し、演習場全体へ凄まじい爆発と純白の魔力が連続して広がっていく。他の受験者たちは全員が消し炭のような不格好さで転がり、ルイスもまた自慢の結界をすべて粉砕された上で、無詠唱の魔術の鎖によって完全に拘束されていた。
高位魔術師たちが総出で用意した最高水準の防御結界までもが次々に悲鳴を上げて崩壊し、演習場の森そのものが音を立てて崩れ始める。実技試験の会場は、完全に制御不能な状態へと突入していた。
ルイスの端正な軍服も、爆煙と土砂によって無残に汚れていく。
「おい、誰か彼女を止めろ!! 演習場が丸ごと消し飛ぶぞ!!」
結界の外側で防衛を維持していた試験官の一人が、あまりの大惨事に顔を青ざめさせて絶叫した。
七賢人選考のための正式な実技試験は、通常の模擬戦という範囲を完全に逸脱していた。当初の目的だった「力量を測る」という段階を遥かに超え、モニカの制御不能な戦闘力そのものを、国家の重鎮たちの脳裏へ恐怖と共に証明する場へと変貌していた。
――バーニーを悪意から守ること。
――確かな安心をくれる彼が、自分の隣から離れていかないこと。
その強烈すぎる独占の感情によって、モニカは原作を遥かに超越した、あまりにも過剰な火力をこの世界へと引き出していたのだった。
森林の演習場は、完全に地獄と化していた。
爆煙と純白の魔力が吹き荒れる結界の内部へ、防衛を維持していた試験官たちが慌てて飛び込んでいく。いずれも国家最高峰の腕を持つ上級魔術師たちだったが、彼らの必死の制止すら、怒りに燃える天才少女にとっては障害物にすらならなかった。
「おい、彼女を拘束しろ! 出力を――」
「……邪魔、です……っ!」
モニカは振り返りすらしない。上級魔術師たちが放った拘束術式や無力化の魔術は、彼女が指先を僅かに動かした瞬間、その魔力構造をミリ単位で解析され、発動した瞬間にことごとく無効化されていく。それどころか、霧散した魔力を無詠唱で逆利用され、逆に試験官たちが純白の光の鎖によって次々と床へ縫い留められていった。
「嘘だろ、組合の精鋭が手も足も出ないなんて……っ」
結界の外側でそれを見ていた重鎮たちが、恐怖に顔を青ざめさせる。もはや誰も、あの暴走するモニカを止められない。このままでは演習場が丸ごと消し飛び、囚われているルイス・ミラーも不格好な炭にされかねない。
バーニーは、心の中で天を仰いで猛烈な悪態をついた。
(おい待て待て待て! この後の原作の展開だと、あいつ精霊王を召喚してただろ!? 受験者が全員死ぬぞ!! っていうか、試験官を相手に一体何をしでかしてるんだあいつはぁぁぁっ!!)
これ以上モニカが暴れれば、国家反逆と判断され自分も共犯者として処理されかねない。俺の平穏なモブ学生ライフを守るためにも、ここで逃げるわけにはいかなかった。
「……はぁ。もうどうにでもなれ」
バーニーは、普段から平凡な生徒を維持するために完璧な計算で抑え込んでいた自らの力を、今この瞬間、遺憾なく解放した。
生まれた時から前世の記憶を持ち、破滅を回避するために磨き上げてきた、過不足のなさすぎる極限の気配隠蔽。さらに、自身の魔力出力を110パーセントまで一気に引き上げ、空間の空気そのものを手懐けるような、地を這う無音の風を編み上げる。
――瞬間。
全力を出したバーニーの魔術は、あまりにも無駄がなく、世界の質量そのものに溶け込んでいた。
あらゆる魔力構造を瞬時に見切るはずのモニカの常識外れの超解析眼ですら、その「世界そのものが動いた」かのような気配のなさには、すぐには気づくことができない。空間のノイズを完全に削ぎ落としたバーニーの足音は、爆煙の嵐を滑るように進み、一瞬にして、無防備なモニカの背後へと滑り込んだ。
「……え、……?」
モニカが、自身の背後に突如として現れた「圧倒的な温かい質量」に、遅れて気づいて息を呑む。
ルイス達を消し飛ばそうと杖を掲げていた彼女の小さな手首を、バーニーの少し大きな手が、容赦なく、けれど決して痛めつけない確かな強さでパシッと掴み取った。
「そこまでにしろ、モニカ」
バーニーはいつも通りの平坦で、少し間の抜けたトーンのまま、けれど明確に彼女の暴走をいさめる声を響かせた。
「……バー、ニー……?」
「前を見ろって言ったのは、演習場を丸ごと地上げしろって意味じゃない。これ以上やったら、今日のご飯は抜きだし、果実水もお預けだ。あと、お前のせいで俺の制服まで埃まみれだぞ。どうすんだこれ」
バーニーは「これ以上、国家の重鎮たちに突っ込まれないための合理的な雑用」と内心で自分に言い訳しながら、掴んだ彼女の手を優しく下ろし、いつものように彼女の衣服についた砂埃をパッパッと手際よく払い始めた。
――瞬間。
全力を出したバーニーの魔術は、あまりにも無駄がなく、世界の質量そのものに溶け込んでいた。
あらゆる魔力構造を瞬時に見切るはずのモニカの常識外れの超解析眼ですら、その「世界そのものが動いた」かのような気配のなさには、すぐには気づくことができない。空間のノイズを完全に削ぎ落としたバーニーの足音は、爆煙の嵐を滑るように進み、一瞬にして、無防備なモニカの背後へと滑り込んだ。
「……え、……?」
モニカが、自身の背後に突如として現れた「圧倒的な温かい質量」に、遅れて気づいて息を呑む。
ルイス達を消し飛ばそうと杖を掲げていた彼女の小さな手首を、バーニーの少し大きな手が、容赦なく、けれど決して痛めつけない確かな強さでパシッと掴み取った。
「そこまでにしろ、モニカ」
バーニーはいつも通りの平坦で、少し間の抜けたトーンのまま、けれど明確に彼女の暴走をいさめる声を響かせた。
同時に、バーニーが掴んだモニカの手首から、彼の魔力が滑り込むように伝わっていく。モニカの身体から溢れ出ようとする凶悪な出力のうねりを、バーニーは肌を重ねたその一点から過不足なく包み込み、無駄のない精密な魔力制御によって瞬時に相殺してみせた。熱を帯びていたモニカの魔力波形が、バーニーの手に触れられた瞬間から、波が引くように凪いでいく。
「……バー、ニー……?」
「演習場を更地にするつもりかこれ以上やったら、今日のご飯は抜きだし、果実水もお預けだ。あと、お前のせいで俺の制服まで埃まみれだぞ。どうすんだこれ」
バーニーは「これ以上、国家の重鎮たちに突っ込まれないための合理的な雑用」と内心で自分に言い訳しながら、掴んだ彼女の手を優しく下ろし、いつものように彼女の衣服についた砂埃をパッパッと手際よく払い始めた。
――その瞬間。
演習場を滅ぼさんばかりに荒れ狂っていた純白の魔力の嵐が、嘘のように一瞬で霧散した。
バーニーに手首を掴まれ、直接その魔力を注ぎ込まれて完全に相殺されたモニカは、先ほどまでの凶悪な排除の眼光を霧消させ、急に我に返ったように「あ、う……ふぁい……っ」と頬を真っ赤に染めておどおどとした態度へと戻っていく。
誰も近づけなかった世紀の怪物を、ただの付き添い少年が、その身に直接触れて魔術をねじ伏せるという、異常極まる魔力制御と、いつもの『お世話(介護)』だけで一瞬にして調教してみせた。
魔術の鎖で縛られたまま床に転がっていた魔法兵団長ルイス・ミラーも、特等席から身を乗り出していた〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイも、そして辛うじて気を保っている試験官たちも、崩壊しかけた森の静寂の中で、あまりにも異常な二人の関係性を前に、ただただ言葉を失って絶句するしかなかった。