沈黙の魔女 ――数式が指した、ひとつの影:バーニー転生者の平穏なモブ戦略 作:イッチニッチ
爆煙が静かに晴れていく演習場で、軍服に付いた土砂を手雑にはたいていたルイス・ミラーは、ある一つの確信に震えていた。
ルイスの冷徹な品評眼は、バーニーがモニカを止めるために一瞬だけ解放した、あの圧倒的な隠密魔術と魔力制御の残響を確かに捉えていた。空間の光や空気の流れを寸分の狂いもなく利用し、自身の存在そのものを世界の境界から綺麗に薄くするような、あまりにも高度な隠密移動。さらに、あれほど狂い咲いていたモニカの暴走を真正面から受け止めながら、その術式に迷いなく干渉して無駄なく相殺してみせた、精密極まる魔力の調律。
これほどの技を、ただの『お節介な雑用係』ができるはずがない。
「……なるほど。僕の判断が間違っていたようだ。これについては、正式に謝罪させてもらうよ、ジョーンズ君」
ルイスの声音から、いつものお芝居じみた優雅さが完全に消え失せていた。向けられたのは、これまでの胡散臭い凡俗を見るような敵意ではなく、底知れない知的好奇心と強烈な関心。ルイスは、ミネルヴァ内部の嫉妬に塗れた悪い噂を鵜呑みにしてバーニーを「天才に寄生する凡俗」と見くびっていた非を素直に認めたのだ。目の前の少年は、寄生者などでは断じてない。あの制御不能な怪物の暴走を、己の力で完璧に抑え込んでみせる『バケモノの飼い主』なのだと、ルイスは正当に評価を改めた。
最高峰の魔術師であるルイスが、バーニーの実力を認め、頭を下げて謝罪した。その瞬間、バーニーの背中にしがみついていたモニカの様子が、劇的に変化した。
「あ、の……ルイス、様…………っ」
それまでルイスの姿を見ただけで白目を剥きかけていたモニカの瞳から、恐怖の色がみるみると薄れていく。彼女にとって、世界で一番大切で、世界で一番凄い人であるバーニー。そのバーニーを悪党だと言って貶めず、その凄さを正しく理解し、評価してくれた。
モニカにとって、バーニーを正しく理解し、評価してくれる人物は極めて重要な意味を持つ。そのため、最凶のお兄弟子であり、恐怖の対象でしかなかったルイス・ミラーという存在への恐怖は薄れ、代わりに信頼の芽が生まれ始めるのだった。ルイスへの恐怖は完全には消えないものの、「敵」ではなく「自分の大切な人を理解してくれる人」へと位置づけが変わる。これが、今後のモニカとルイスの強固な信頼関係につながる新しい起点となった。
◇
実技試験が終了したのち、魔術師組合本部の奥深くでは、モニカの七賢人入りを巡る最終審議が紛糾していた。
「認められん! 面接時には完全に硬直してまともに会話すらできず、あの不気味な付き添い少年を盾にしなければ発言もままならなかったのだぞ!」
「国家最高位の魔術師たる七賢人が、私的な依存関係に精神の安定を委ねているなど、あまりにも危険すぎる!」
対人恐怖を問題視する反対派の厳しい声が飛び交う。しかし、演習場を半壊させたあの規格外の火力と、ルイスの最高峰の多層結界を一瞬で解析して無効化した異常な魔術精度を目撃した賛成派は、断固として引かなかった。彼女の完全無詠唱を組合の管理外へ放置することこそが、王国にとって最大の脅威となる。何より、極限状態の暴走の中であっても、あのバーニー・ジョーンズという安全装置さえ近くにいれば、彼女は何の問題もなく最後まで最高峰の能力を発揮できるという事実が、何よりの証明だった。
「はいはい、そこまでにしなさいな、皆さん」
議論の嵐を遮ったのは、中央に座る〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイののんびりとした声音だった。
「モニカちゃんの完全無詠唱魔術は、我が王国の重要な戦力であり、最高の抑止力よぉ。だったら、話は簡単じゃないかしら? 彼女を国家レベルで保護して、その能力を活かせる環境を整えてあげること。……そうでしょう?」
メアリーの冷静な一言によって、審議の天秤は一気に傾いた。「彼女を保護する」という方針が、公式な判断材料として確定する。
そうして下された最終的な審議の結論は、奇妙な帳尻合わせの形となった。
まず、実技で二位を収め、面接でも完璧な受け答えを披露していた大本命のルイス・ミラーが、予定通り正式に七賢人〈結界の魔術師〉へと就任することが決定する。
問題は残された一枠だった。本来、七賢人の有力候補であったアドルフが、ロザリーへの襲撃・殺害未遂という大不祥事を起こして失格・捕縛されたことが急報としてもたらされたのだ。空いたその最後の席を利用し、選考関係者たちは、モニカ・エヴァレットを「補欠合格」として七賢人の一員に迎える判断を下した。
こうして、モニカは原作の歴史通りに七賢人の称号を冠することとなる。
◇
「やあ、ジョーンズ君。そういうわけで、僕とモニカ殿は同期の七賢人になったよ」
選考会がすべて終了した夕暮れの回廊で、ルイスは汚れた軍服のまま、バーニーへと親しげに笑いかけてきた。その瞳には、バーニーの隠された実力を含め、この三人の歪な関係が今後どれほど面白いものになるかという、不穏な期待が爛々と輝いている。
「あ、の……ル、ルイスさん……バーニーは、わたしの、ですから……からかわないで、ください……っ」
モニカは吃音を交えながらも、以前のような絶望的な恐怖を見せることなく、ルイスの言葉に応じた。ルイスがバーニーの凄さを理解してくれたという信頼が、彼女の心を確かに強くしていた。
だが、ルイスが「へえ、それじゃあその優秀なお世話係君を、僕の第二魔術兵団に少し貸してくれないかね?」と冗談めかして手を伸ばした、その刹那。
「……だめ、です。絶対に、嫌、です……っ!」
モニカは一瞬にしてバーニーの前に立ちはだかり、ルイスの手を無詠唱の拒絶の魔力でパシッと叩き落とした。
ルイスへの信頼と、バーニーを誰の元にも行かせたくないという狂気的な独占欲。その二つの相反する感情が、今のモニカの中で、恐ろしい精度で同時に成立していた。ルイスは「おやおや、手厳しいねぇ」と楽しげに肩をすくめる。
(……はぁ。終わった。いや、原作の歴史的には、ギリギリで生還した、のか……?)
二人の怪物たちのやり取りを背中で受け止めながら、バーニーは心の中で深く、深く頭を抱えていた。
アドルフの自滅、ルイスの就任、順当なモニカの補欠合格。前世の原作知識にある「モニカが十五歳で七賢人になる」という歴史そのものは、どうにか大きく崩れずに元の軌道へと収まってくれた。その点については、生存戦略の観点から猛烈に安堵している。
しかし、自分自身の未来については、完全に計算が破綻していた。
普通の生徒として、誰にも見つからずに静かにミネルヴァを卒業する。そんなささやかなモブ計画は、今日の事情聴取と実技試験のせいで、文字通り跡形もなく粉砕されてしまった。
隣にいる天才少女からは絶対的に必要とされ、新しく就任した七賢人ルイスからは、完璧な手抜きの術式を隠し持つ興味深い化け物として注目されている。
誰の特別にもなりたくない、事なかれ主義の転生モブの必死な願いを置き去りにして、世界を揺るがす怪物たちを裏から統率する『調教係』としてのバーニー・ジョーンズの名前は、この国家最高峰の場において、消えない形で公式に固定化されていくのだった。