沈黙の魔女 ――数式が指した、ひとつの影:バーニー転生者の平穏なモブ戦略 作:イッチニッチ
地下演習場での大惨事が収束してから数日後。魔術師組合本部の奥深くに位置する審議室では、モニカ・エヴァレットの七賢人入りに伴い、バーニー・ジョーンズの今後の扱いについての最終審議が行われていた。
議論の中心となったのは、モニカにとって不可欠な存在となっているバーニーを、今後も彼女の側に置き続けるべきか、という極めて重要な問題だった。
「認められん! 報告や先ほどの実技審査を見る限り、彼女の精神の安定はあの少年に全面的に依存している。国家最高位の魔術師が、あのような不確定要素を盾にしなければ機能しないなど、安全保障上の重大な懸念だ!」
反対派の重鎮が、机を叩いて声を荒らげる。
だが、彼らはバーニーを「何の力もない平凡な学生」と侮蔑しているわけではなかった。むしろ、その逆だ。実技試験において、暴走するモニカの肌に触れてその魔術を完璧に相殺してみせた、バーニーの異常な魔力制御能力。あれは複数の関係者が実際に目撃し、記録された動かぬ事実だった。
さらに、彼がミネルヴァにおいて普段の成績や魔術能力を意図的に抑え、「中の上」程度の実力に見せていることも、この数日間の調査ですでに把握されている。
「……つまり、あのジョーンズという少年には、明らかに隠している実力がある。しかも、それをなぜ隠しているのか、我々には一切の理由が分かっていないのだ!」
反対派にとって、バーニーはすでに凡俗などではなかった。「実力を隠している、底の知れない学生」という、非常に扱いづらい不気味な存在なのだ。
特に問題視されたのは、今回の実技試験で見せたあの神業のような魔力制御すら、バーニーの隠している実力のすべてなのか、それともさらに上の能力を隠しているのか、組合側では全く判断できないという点だった。能力の一端を曝け出さざるを得なかったにもかかわらず、当の本人は未だに「自分は目立たないただの雑用係です」と、平然と平凡な学生を振る舞おうとしている。その底の浅い仮面の不可解さも含め、組合側にはバーニーを無条件に信用することへの強い警戒が残っていた。
「そんな正体の掴めない人物に、最高位の魔術師の情緒を委ねるなど正気の沙汰ではない! 今後どのような行動を取る人物なのかを慎重に見極める必要がある。いったん二人を引き離してジョーンズについて詳細な調査を行い、エヴァレット君を彼なしでも活動できる状態へ戻すべきだ!」
反対派から一斉に上がった引き離しの声。
しかし、その意見に対して明確に異を唱えたのが、七賢人への就任が確定しているルイス・ミラーが優雅に、けれど冷徹な笑みを湛えて異を唱えた。
「……それは大きな間違いだよ、諸先生方」
反対派の怒号が響く審議室の中で、七賢人への就任が確定しているルイスは、優雅にけれど冷徹な笑みを湛えて異を唱えた。
「僕はね、ジョーンズ君がどれほどの実力を隠しているのかまでは分からないと認めるよ。けれど、今回の実技審査で実際に確認された魔力制御能力だけでも、一般的な学生として扱うには明らかに異常な水準にある。モニカ殿の暴走を直接相殺した事実も含め、彼が単なる付き添いではないことは客観的に確認されているんだ」
「だからこそだ、ミラー兵団長! 正体不明の人物だからこそ、エヴァレット君を依存させ続けるのは危険だと言っている!」
「話を最後まで聞いておくれ」
ルイスは軽く手を挙げ、反対派の言葉を遮った。その眼光は、鋭く論点を射抜いている。
「ジョーンズ君の正体を警戒することと、モニカ殿から彼を引き離すことは別問題だ。彼が何者なのかを調査する必要があるとしても、だからといって現在の安全装置を先に取り除く理由にはならない。現時点で確認されている事実だけを見れば、彼を引き離したからといって、モニカ殿の依存が解消される保証はどこにもない。むしろ、これまで彼女を安定させていた存在を失うことで、精神面だけでなく魔術の制御そのものまで失われる可能性がある」
ルイスは特等席の重鎮たちを見渡した。
「極限状態の暴走の中でも、ジョーンズ君が近くにいることでモニカ殿は世界最高峰の魔術能力を発揮しながら、最終的には制御を取り戻せている。したがって、僕たちが今問題にすべきなのは『ジョーンズ君がいること』ではなく、『彼を失った場合に何が起きるか』だよ」
ルイスの冷静かつ冷徹な論点の転換に、審議室の空気は一気に沈黙へと引きずり込まれた。さらに、本人の意思とは全く無関係に、メアリーによって強引に審議室へ連れてこられていたギディオン教授も、仕立ての悪いローブを揺らし、不機嫌そうにパイプから紫の煙を深く燻らせながら、ルイスの意見を支持した。
「ケッ、ガタガタうるせえよ。てめえら、まとめてタバコの灰にするぞ。ルイスの言う通りだ。あのチビスケからジョーンズを引っぺがしたら、確実に面倒なことになるぞ」
元王国魔法兵団の隊長は、必要以上に丁寧な説明をすることなど一切なく、ミネルヴァでのモニカの様子や実際に見てきた彼女の危うい性質をただ雑に放り出した。
さらにギディオンは、おもむろに煙を吐き出しながら、モニカが完全に暴走した場合に発生する被害について、一流の魔術師としての具体的な推測を冷徹に付け足した。
「あのチビスケの魔力量と、言葉を介さねえ完全無詠唱の性質を考えりゃあな、単純に『本人がおどおどして泣く』程度じゃ済まねえよ。発動の予兆も熱も光もねえ破壊の嵐が、この王都の中心で狂い咲くんだ。周囲の人間やこの魔術師組合の施設そのものを巻き込む、歴史上類を見ねえ大規模な魔術災害になる可能性が、余裕で叩き出せるな」
「な……な、何だと……!?」
だが、ギディオンは反対派を脅しつける一方で、バーニーを組合の表舞台へ不用意に引きずり出すことには明確に反対の立場を示した。
「だがな、おめーら凡俗が面白半分にあのクソガキに接触したり、能力を無理に暴こうとしたりするんじゃねえぞ。ジョーンズが意図的に実力を隠してやがるのは百も承知だが、俺様だってその理由まで全部理解してるわけじゃねえ。ミネルヴァでの様子を見てりゃあ、あいつ自身が目立つことを反吐が出るほど嫌がってるのは一目瞭然だ。下手に突っついて藪蛇にするんじゃねえよ」
ギディオンは、バーニーの隠された実力を高く評価しているからこそ、組合の政治に巻き込ませず余計な連中に目をつけさせないことを誰よりも重視していた。
元軍人上がりの生々しい魔術災害の推測、そしてルイスとギディオンの絶対的な警告を聞いた瞬間、審議室内の重鎮たちの顔から、血の気が一気に引いていった。王都の半壊、あるいは崩壊という最悪の結末を脳裏に思い描かされたことで、室内に決定的な疑問が生まれる。
「バーニー・ジョーンズを引き離すことが……本当に、我々にとっての『安全策』なのか……?」
排除すれば、王都が滅びかねない。
明日からも必死に「普通のモブ」として生きるつもり満々だったバーニーの預かり知らぬところで、彼の存在は、国家を災厄から繋ぎ止めるための、最も不気味で不可欠な保護対象(安全装置)として、マークされようとしていた。
白熱していた議論が一転して静まり返ったそのとき、中央の席から〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイが、穏やかでありながらも圧倒的な重みを持つ口調で告げた。
「ギディオンちゃんが口にした通り、目立つことを嫌う子を無理やり表舞台に立たせて、余計な火種を生む必要なんてないもの。彼には表向き厳しい目を光らせつつも、その存在が公の記録に載らないよう徹底的に秘匿してあげるのが一番よ。その上で、あの子の隣にずっと寄り添っていられる環境を国が裏からお膳立てしてあげるの。……そうでしょう?」
メアリーが放った理路整然としながらも抜け目のない提案に、室内の意見は一瞬にして塗り替えられた。
バーニーの実力を強引に暴いて白日の下に晒せば、彼自身の離反を招き、ひいてはモニカを制御不能な暴走へと駆り立ててしまう。それならば、バーニーを「公的な歴史から存在を隠匿し、目に見えない安全装置」として伏せ、国がその一挙手一投足を監視下に置きながら、モニカの傍らへ確実に繋ぎ止め続ける――これこそが、王国が導き出した極めて確実で、そしていびつな防衛策であった。
重鎮たちがその方針に安堵の息を漏らし、提出された無詠唱魔術の公式論文や関連記録からバーニーの痕跡をすべて抹消する手続きに入ろうとした、その時だった。
「――あぁ、待ちやがれ、おめーら」
椅子の背もたれに深く寄りかかっていたギディオンが、灰皿へ手雑にパイプを叩きつけながら、ドスの効いた声で遮った。
「ジョーンズの存在を隠蔽するのは大いに結構だがな……モニカが書いた無詠唱の公式論文に載ってる、ジョーンズの名前だけは絶対に消すんじゃねえぞ。もちろん、この措置はあのチビスケには爪の先ほども気づかれないように裏で回せ」
「な、何だと? 存在を秘匿するならば、論文の資料名からも削除するのが当然ではないか。なぜ本人が知らぬようにそんな中途半端な残し方を……」
怪訝な顔をする反対派の重鎮を、ギディオンは「これだから机の上の凡俗は」と言いげに鼻で鳴らし、冷酷な眼光で睨みつけた。
「てめえら、あのチビスケがどんな執念でその論文の深い場所にジョーンズの名前を刻み込んだか、本当に分かってねえようだな。モニカはな、自分の歴史的な偉業にバーニー・ジョーンズの記録を絶対に、何が何でも残したがってるんだよ。あの子にとってあの名前は、世界に否定された二人の繋がりを証明する唯一の聖域だ。おめーらが良かれと思って裏でその名前を消してみろ。論文を確認した瞬間に地雷をド真ん中から踏み抜くようなもんだぞ。ジョーンズへの執着がひっくり返って、今度こそ王都の真上でその眠れる怪物が完全覚醒するわ。あいつを御したきゃ、あいつが自力で作り上げた聖域(こだわり)にだけは、絶対に余計な手を出すんじゃねえよ」
ギディオンのその絶対的な忠告に、審議室は今度こそ凍りついたように静まり返った。
天才少女を刺激する最大の地雷――それを未然に防ぐため、バーニーの名前は『公式に秘匿される隠しステータス』でありながらも、モニカの強い願いの通り論文の最深部にだけは『誰にも消せない聖域』としてそのまま残されるという、奇妙極まる二重の隠蔽方針が確定したのだった。