沈黙の魔女 ――数式が指した、ひとつの影:バーニー転生者の平穏なモブ戦略 作:イッチニッチ
「目の前で理不尽に傷つく小動物を、放っておけなかっただけです……!」
ルイスの冷徹な追及に退路を断たれ、バーニーは頭をぐしゃぐしゃと掻きむしりながら、ついに自らの不器用な本質を白状した。前世の原作知識がどうだとか、破滅ルートがどうだとか、そんな頭の計算をすべて置き去りにして、身体が勝手に動いてしまったあの最初の一日の理由。ただ、理不尽に怯えて泣き崩れるモニカを見捨てられなかったという、あまりにも愚直で不器用な優しさ。
「それだけですよ! 本当にそれだけなんです! 隣の席でボタン掛け違えて今にも倒れそうな奴がいたら、事なかれ主義だろうがなんだろうが、手が動くに決まってるじゃないですか!」
必死に叫ぶ転生モブの告白を聞いた瞬間、ギディオンは呆れ果てたように盛大に煙を吐き出し、ルイスは一瞬だけ目を見開いた後、心底おかしそうに肩を揺らした。
「くふふ……なるほど。『お節介』、かね。君ほどの異常な実力者が自ら平穏をドブに捨てた理由が、そんな原始的な良心だったとはね。本当に面白い」
「ケッ、くだらねえ。そんな下らねえお優しさ(手抜き)のせいで、あのチビスケに死んでも動かねえ狂った矢印を向けられる羽目になったんだ。自業自得だボケ」
ギディオンもまた、バーニー自身の優しさが現在の状況を招いたのだと呆れながら指摘した。二人は、バーニーがモニカを利用しているのではなく、むしろ自分から面倒ごとへ踏み込んだ人間だと理解し、彼らの行動原理について二人なりの納得が生まれた。
しかし、バーニーにとって過去の理由を理解してもらったことより、現在の問題をどう解決するかの方が遥かに重要だった。彼は縋るような目で二人の怪物を見据えた。
「理由はどうでもいいんです! それより、どうすればいいか教えてくださいよ! 僕は王都へ行きたくないし、ミネルヴァで平穏を維持できるのか、何かいい意見はありませんか!?」
藁にもすがる思いで放たれたバーニーの助言の求め。しかし、二人から返ってきた答えは完全に一致していた。
「「不可能だ」」
寸の狂いもなく同時に告げられた拒絶に、バーニーの顔から血の気が引いていく。ルイスとギディオンは、バーニー自身が国家からどう認識されているのかを全く理解していないと指摘した。バーニーは依然として「自分はただの平凡な学生」と考えているが、国家側ではすでに全く別の扱いになっている。バーニーがどれほど目立たないように振る舞おうとも、モニカとの関係そのものが公的に重要視されているため、完全なモブへ戻ることは不可能だと説明される。
「君は、国がどれほど君という存在を重く見ているか、本当に理解していないね」
ルイスは紅茶のカップを静かに机へと置くと、魔術師組合本部や国家上層部がバーニーをどう認識しているかを明かした。
「現在の認識ではね、ジョーンズ君。君は単なる学生ではなく、世界最高峰の完全無詠唱魔術師であるモニカ殿を精神・魔術の両面から安定させられる、【世界で唯一の安全装置】と見なされているんだよ。国家側はモニカ殿の完全無詠唱を王国最大級の戦力・抑止力として保護したい。しかし、彼女は君が近くにいなければ、極端な緊張による機能停止や、逆に暴走へ至る危険性がある。そのため国にとっては、君をモニカ殿の隣に置き続けることそのものが、王都を守るための防衛策になっているのさ」
ルイスの冷徹な解説に、バーニーは息を呑んだ。さらにギディオンがパイプを噛み締め、ドスの効いた声で言葉を重ねる。
「それだけじゃねえぞ、ジョーンズ。モニカの安全装置としての価値だけじゃねえ、てめえ自身の能力も国家から警戒されてんだよ。異常な魔力制御、隠蔽、そして今さっき見せた索敵能力に加え、実力を意図的に隠していることもすべて把握されてる。だがな、てめえがどこまでの力を隠しているのか、なぜ凡人を装っているのかは国家側にもさっぱり分からねえ」
ギディオンは新しい紫煙を吐き出しながら、冷酷に笑った。
「その『正体不明さ』が、てめえを保護対象にすると同時に、最大級の警戒対象にしている理由だ。国側は、てめえを野放しにするのではなく、監視の目が届きやすい王都へ配置する方針を固めてる。しかも、あのチビスケのすぐ隣に置くことで、モニカの安定を確保しながら、てめえ自身も一挙手一投足を監視下に置けるからな。……これはてめえを表舞台へ出すためじゃねえ。むしろ、国家最高機密に近い存在として秘匿しながら管理するための環境なんだよ」
バーニーが望んでいた「目立たない生活」を守るための措置ではなく、国家にとって最も安全な場所へ囲い込むための措置であることが、ここで完全に明らかになった。
生存戦略の、文字通り完全な、跡形もない崩壊。バーニーは背中に冷や汗を滝のように流しながら、己のお節介がもたらしたあまりにも巨大すぎる国家規模の因果の重みに、ただただ絶望の底へ叩き落とされるのだった。
「――僕からも一つ、提案があります」
生存戦略の完全な崩壊という最悪の絶望の底で、しかしバーニー・ジョーンズの脳細胞はまだ死んでいなかった。彼は滝のように流れる冷や汗を制服の袖で拭うと、前世の記憶と持ち前の演算能力のすべてを注ぎ込み、この奈落から這い上がるための新たな解決策を組み立て始めた。
「早期卒業そのものは、もう受け入れます。……ただし、卒業後もミネルヴァの研究室付きの『研究補助員』としてここに残ることを、ギディオン教授、あなたに依頼したい」
バーニーの言葉に、ギディオンはパイプを噛み締めかけたまま片眉を跳ね上げ、ルイスは面白そうに眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「学生ではなくなるんですから、『これ以上ミネルヴァで教えることがない』という教師側の説明とも矛盾しません。生活拠点はこれまで通り、この使い慣れたミネルヴァに置く。……王都へ恒久的に移住して、モニカと四六時中、常時行動することだけは、何が何でも絶対に避けたいんです」
バーニーはギディオンに向き直り、自ら国家側への仲介と身元保証を持ち掛けた。
「教授から国家の上層部へ、『こいつは俺の研究室で預かる』と言い切ってください。僕を野放しにするのではなく、あなたの厳重な監督下に置く。それなら国家側の警戒にも、過不足なく応えられるはずです。……教授にとっても、僕の事務能力や研究面での有用性はそれなりに高いはずだ。面倒な監視対象を預かる代わりに、都合よくこき使える手足が研究室に残る。悪くない取引でしょう?」
さらにバーニーは、国家側がこの妥協案を飲まざるを得ない、極めて理路整然とした理屈を並べ立てた。
「いいですか。王都のような政治が渦巻き、有象無象の人間の多い場所より、高位の魔術師が多数集まるミネルヴァの方が、僕自身の不審な能力や魔力波形を監視しやすい。研究室という完全に閉じられた環境なら、僕の逃亡や独断行動だって瞬時に把握できる。……つまり、僕の正体が不明で監視したいと言うなら、むしろ人の多い王都へ連れて行くより、一番監視しやすいミネルヴァに置いた方が安全だ、ということです」
自分自身を、半ばミネルヴァという施設へ『保護・監視』させるための人身御供にする。それこそが、彼が絞り出した生き残るための手段だった。
バーニーを完全に自由にするわけではない。「ミネルヴァでギディオンの監督下に置く」という落とし所であれば、国家側から見ても条件が完璧に揃う。
「ハッ……! 面白い。自分から檻に入れと、そう抜かしやがったな、このクソガキ」
ギディオンは獰猛な笑みを浮かべ、机に足を放り投げた。監視対象を私物化しつつ、完璧な事務作業の要員を確保できるこの提案は、彼にとっても大いに有りだった。国家への圧力を跳ね返す大義名分としては十分すぎる。
「王都への強制移住を取り下げる余地としては、実に見事な調整だ。組合の凡俗どもも、ギディオン教授の睨みが利くと言われれば首を縦に振らざるを得ないだろうね」
ルイスもまた、バーニーの往生際の悪い、しかし完璧に計算された足掻きに感心したように拍手を送った。だが、ルイスはすぐに、最も致命的で、最も面倒な問題について確認を求めた。
「案はまとまった。……では、モニカ殿はどうするのかい? ジョーンズ君」
現在、最大の爆弾である天才少女は、自室で絶賛駄々こね中である。「バーニーが王都へ来ないなら、自分も王都へ行かない」「七賢人も絶対にやらない」と拒絶し、バーニー不在への不安から完全に感情を爆発させて、いつ完全無詠唱の魔術災害が起きてもおかしくない状態なのだ。
「モニカについても、すでに考えがあります」
バーニーは重い足取りで立ち上がると、研究室の鉄の扉へと向かった。
「案を説明するのはここまでです。……今から、あの駄々こね小動物を黙らせに行ってきます」