俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル   作:Melo13131

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第1話 二度目の教室

 最初に戻ってきたのは匂いだった。

 ワックスと埃と、湿った古い木の匂い。頬の下に硬くて冷たい天板の感触があり、七原秋也はそれが机だと気づくより先に、喉もとに触れている別の冷たさに気づいた。

 金属だ。首をぐるりと一周して、継ぎ目のないまま皮膚に貼りついている。

 七原は跳ね起きた。椅子の脚が床板を擦って甲高い音を立てた。

 指先が首輪をなぞる。重さも、幅も、顎を引いたときに喉仏へ食い込む角度も、全部覚えている。忘れられるはずがなかった。

「嘘だろ」

 声がかすれた。

 最後の記憶は、狭い寝床で聞いた典子の寝息だった。逃げて、逃げて、ようやく少しだけ眠れた夜だったはずだ。典子はどこだ。首を回しかけて、七原はそこで息を止めた。

 教室だった。黒板があり、教卓があり、窓の外は真っ暗で、蛍光灯が一本だけ瞬いている。並んだ机のあちこちで、見知らぬ人間たちが身じろぎを始めていた。

 知らない顔ばかりだった。金髪にバーテン服の男が、首輪を指でつまんで眉間に皺を寄せている。その斜め後ろでは、黒いファーつきのコートの男が、バーテン服の男の背中を面白い見世物でも見るように眺めていた。銀髪に赤いコートの若い男は、机に両足を乗せて欠伸をしている。燕尾服の老人は、目を覚ましたそのままの姿勢で背筋を伸ばし、膝に両手を置いていた。白い長袖の猫背の青年が、椅子の上に裸足でしゃがみ込んで親指の爪を噛んでいる。赤い髪の少女が腰のあたりを探り、何もない空を掴んで舌打ちした。隣の少年がその手首にそっと触れ、小声で何か言っている。

 大人もいれば、七原と同じくらいの年の制服姿もいる。どう見ても、城岩中学三年B組ではない。

 それなのに。

「七原?」

 二つ隣の席から、聞き慣れた声がした。

 三村信史が、首輪に指をかけたまま七原を見ていた。整った顔。少し眠たげな目。バスケットボールを指先で回していたときと同じ、余裕を装った口もと。

 生きている。

 七原は返事ができなかった。喉の奥で何かがせり上がり、それを飲み込むので精一杯だった。三村の顔を最後に見たとき、どんな姿だったか。思い出しかけて、無理やり蓋をした。

「おい、なんだよその顔」

 三村の眉が寄った。

「幽霊でも見たみたいな顔してるぞ。……それに、お前、なんか痩せたか?」

 バスの中で眠らされて、目が覚めたら首輪。三村にとっては、きっとそれだけの時間しか経っていない。七原には、そこから先の何日もが、まるごと積み重なっている。

「三村、お前……」

 言いかけて、七原は視線の端に引っかかったものに凍りついた。

 窓際の、いちばん後ろの席。

 オールバックに撫でつけた髪。学生服の襟をきちんと留め、両手を机の上に揃えて、真っ暗な窓の外を見ている少年がいた。

 桐山和雄だった。

 周りの誰もが首輪に触れ、辺りを見回し、声を上げているなかで、桐山だけが何もしていなかった。驚いてもいない。怯えてもいない。窓ガラスに映る自分の顔を見ているのか、その向こうの闇を見ているのか、七原には分からなかった。

 指先が震えた。七原は拳を握り、机の下に隠した。

 言えるわけがない、と思った。お前はあいつに殺される、などと。三村の顔を見たまま、そんなことを口にできるはずがなかった。

 

 教室の前の扉が、からりと開いた。

 入ってきたのは、僧衣の男だった。黒い袈裟をまとい、長い髪を後ろで半分だけ結っている。穏やかな細い目をしていた。そして、その額を、横一文字の縫い目が走っていた。

 男は散歩でもするような足取りで教卓まで歩き、両手をついた。

「おはよう。といっても、まだ夜中だけどね」

 柔らかい声だった。

「私は羂索。今夜、君たちにちょっとしたゲームをしてもらうために、ここへ集まってもらった」

 その瞬間、机が一つ宙を舞った。

 教室の中ほどの席から、詰め襟の制服を着た少年が、机を蹴り飛ばして跳んでいた。人間の脚力ではなかった。三つ分の机を一息に越え、握った拳が羂索の顔面へ一直線に伸びる。

「てめぇ——ッ!」

 拳は届かなかった。

 少年の体が、空中で見えない何かに叩き落とされた。床板が割れる音がして、少年は教卓の手前にうつ伏せで縫い止められていた。起き上がろうとする腕が、震えながら床に押しつけられている。背中に、目に見えない巨大な手が載っているようだった。

「元気だね、悠仁」

 羂索は少年を見下ろして、懐かしそうに目を細めた。

「渋谷ぶりかな。あれからまだ、ほとんど時間は経っていないはずだけど」

「五条先生を……封印しやがった野郎が……!」

 少年の声は、怒りというより、血を吐くようだった。

「話が終わるまで、そこで聞いていてもらおうか。君には特等席だ」

 羂索は少年の頭の横を通り過ぎ、教卓に戻った。少年は床に頬を押しつけられたまま、目だけで羂索を追い続けていた。

 教室の後ろでも、椅子が倒れる音がした。赤い髪の少女が立ち上がっていた。腰のあたりに伸ばした手が、また空を掴む。

「エリス、駄目だ」

 隣の少年が、少女の手首を両手で握っていた。

「今は駄目だ。剣もないし、あいつが何をしたのか、僕にも分からない」

「なんで止めるのよ、ルーデウス!」

「頼むから」

 少年の声は落ち着いていたが、手首を握る指は白くなっていた。少女は歯を食いしばり、羂索を睨みつけたまま、ゆっくりと椅子に座り直した。

 ルーデウスと呼ばれた少年は、少女の手を離さなかった。今の一撃に、魔力の流れはなかった。それなのに、あの詰め襟の少年は床に叩きつけられた。自分の知らない理屈で動く力が、この教室の真ん中に立っている。その事実が、彼の背中に冷たい汗を浮かせていた。

 

「さて、ルールの説明をしようか」

 羂索は何事もなかったように続けた。

「この島で、最後の一人になるまで殺し合ってもらう。生き残った一人だけが、島から出られる。優勝者は元の世界へ帰そう。それから、望みを一つ叶えてあげる」

 ざわめきが広がった。羂索は気にする様子もなく、自分の首もとを指先で叩いてみせた。

「君たちの首についているのは、私の結界と繋がった首輪だ。無理に外そうとしたり、壊そうとしたりすると——」

 ぴ、と甲高い電子音が鳴った。

 音の出どころは、バーテン服の男の首輪だった。男は両手の指を首輪の内側にねじ込み、引きちぎろうとしていた。首輪の側面で、小さな赤い光が瞬いている。ぴ、ぴ、と音の間隔が詰まっていく。

「爆発するよ、平和島くん」

 羂索がのんびりと言った。

「それ以上引っ張ると、君の首から上がなくなる」

「やめときなよ、シズちゃん」

 ファーのコートの男が、楽しげに声をかけた。

「首がなくなったら、さすがのシズちゃんでも困るでしょ? ああ、でも困る頭もなくなるのか」

「……いーざーやーくんよぉ」

 バーテン服の男の額に、太い血管が浮き上がった。首輪を握る指に、さらに力がこもる。赤い光の点滅が速まり、電子音がほとんど途切れなくなった。教室中の視線が、その一点に集まった。

 指が離れた。

 電子音が止んだ。男は荒い息をつき、首輪から手を下ろして、ファーのコートの男を振り返った。

「てめぇは後で殺す」

「楽しみにしてるよ」

「うん、いい反応だ」

 羂索は満足そうに頷いた。

「とはいえ、口で言われただけじゃ信じきれない人もいるだろうね。だから、見本を用意しておいた」

 羂索は扉のほうへ顔を向けた。

「入っておいで」

 廊下から、足音がした。

 よろめくような、頼りない足音だった。扉の陰から、学生服の少年が一人、背中を突き飛ばされたようにつんのめって入ってきた。少年の後ろには誰もいなかった。少なくとも、七原の目には何も見えなかった。

 床に押しつけられたままの詰め襟の少年だけが、その何もない空間を睨みつけ、「呪霊……」と呻いた。

 学生服の少年は、目をこすりながら顔を上げた。まだ半分眠っているような、ぼんやりした顔だった。首には、皆と同じ首輪が巻かれていた。

「……あれ?」

 少年は教室を見回し、七原の顔で視線を止めた。

「秋也? 三村も。なんだよここ、俺、バスで寝てて……」

 七原の頭から、音が消えた。

 国信慶時。ノブ。

 同じ施設で育った、いちばん古い友達。

 一度目の教室で、ノブは殺された。七原の目の前で、何もできないまま。

「紹介しよう。城岩中学三年B組、国信慶時くん」

 羂索が、ノブの肩に親しげに手を置いた。

「彼は参加者じゃない。今夜は、見本になってもらう」

「やめろ!」

 七原は椅子を蹴って立ち上がっていた。

 腕を強く引かれた。三村だった。三村は七原の腕を掴んだまま、自分も腰を浮かせ、羂索とノブを交互に見ていた。その顔から、さっきまでの余裕が消えていた。

「動いた人から順に爆発させるよ」

 羂索の声は、少しも大きくなかった。

「私は構わない。見本が二つになるだけだ」

 教室が凍りついた。

 七原は動けなかった。三村の指が、腕に食い込んでいた。

 ノブの首輪が、ぴ、と鳴った。

 ノブは自分の首に手をやり、それから、ようやく何かを理解したように、七原を見た。

「しゅうや——」

 電子音が一つの長い音に繋がった。

 くぐもった破裂音がした。

 ノブの首の片側が、内側から裂けるように弾けた。血が霧のように噴き、最前列の机と床に倒れた詰め襟の少年の顔に、ばたばたと降りかかった。ノブの体は膝から崩れ、糸が切れたように前へ倒れた。首が、ありえない角度に折れていた。床に広がっていく赤い水たまりの中で、ノブの指先が一度だけ跳ね、それきり動かなくなった。

 誰かが短く息を呑んだ。誰かが椅子を鳴らした。悲鳴を上げた者はいなかった。

 詰め襟の少年は、ノブの顔を、ほんの数十センチの距離から見ていた。見えない重みに押さえつけられたまま、目を逸らすこともできずに。少年の喉から、獣のような、言葉にならない声が漏れた。

 七原は立ったまま、その光景を見ていた。

 二度目だった。

 ノブが死ぬのを見るのは、これで二度目だった。

 膝から力が抜け、七原は椅子に落ちるように座り込んだ。三村はまだ七原の腕を掴んでいた。その手が細かく震えていることに、七原はようやく気づいた。

 

 教室のあちこちで、それぞれの顔がそれぞれの形に固まっていた。

 ツインテールの少女が「あんた……っ!」と叫びかけ、隣の少年に肩を押さえられていた。少年の顔は真っ青だったが、目は羂索から離れなかった。短い髪の無表情な少女は、瞬きひとつせず、倒れた死体を見ていた。

 赤毛に髭の男が、低く口笛を吹いた。

「いい花火じゃねえか」

 口もとに傷のある大柄な男は、つまらなそうに欠伸を噛み殺した。赤いコートの若い男は、机から足を下ろしていた。軽口の一つも出てこないらしく、口もとだけが、何かを堪えるように歪んでいた。

 学生服の小柄な少年が、にこにこと笑ったまま、ぽつりと言った。

『うわあ、ひどいなあ』

 ファーのコートの男は、死体をほとんど見ていなかった。見ていたのは、死体を見ている人間たちの顔のほうだった。

 金髪を逆立てた尖った耳の男は、目を細めて羂索の手もとを見ていた。白い髪の、ひょろりとした男も、同じところを見ていた。

 ——ボタンも、リモコンも押してない。

 白い髪の男、斑目貘は、口には出さずにそう数えていた。

 ——指一本動かさずに爆発させた。なら、あの首輪を鳴らしてるのは、機械じゃなくて、あいつそのものだ。

 椅子の上にしゃがみ込んだ白い長袖の青年は、死体ではなく、床に散らばった首輪の破片を見ていた。

「これで分かってもらえたかな」

 羂索は、ノブの肩に置いていた手を袈裟で拭った。

「ああ、彼は数に入らないよ。君たちは、まだ二十四人だ」

 詰め襟の少年の背中から、重みが消えたらしい。少年はノブの血を顔に浴びたまま、両手をついてゆっくりと身を起こした。羂索に飛びかかりはしなかった。ただ、膝をついたまま、ノブの見開かれた目を、そっと手のひらで閉じた。

「……ごめん」

 誰に向けたのか分からない声だった。

 

「続けよう」

 羂索は指を折りながら、淡々とルールを並べた。

 首輪が爆発するのは、無理に外そうとしたとき。禁止エリアに入ったとき。二十四時間、誰も死ななかったとき——この場合は全員分がまとめて爆発する。それから、羂索がそうしたいと思ったとき。

 島は十掛ける十の升目に区切られていること。六時間ごとに、羂索が放送で死者の名前を読み上げること。放送のたびに禁止エリアを三つ発表し、それぞれ一時間後、三時間後、五時間後から有効になること。一度禁止になった升目は、二度と戻らないこと。持ち込んだ武器や装備はすべて預かったこと。デイパックには水と食料と地図と名簿、それから一つずつ、何かが入っていること。

 七原は、聞き覚えのある言葉が一つずつ並んでいくのを、机の下で拳を握ったまま聞いていた。何もかもが同じだった。坂持の間延びした声が、この男の柔らかい声に入れ替わっただけだった。

 

「一つ、よろしいですか」

 椅子の上にしゃがみ込んだ白い長袖の青年が、親指の爪を噛みながら手を挙げていた。

「どうぞ」

「優勝者の帰還と、望みの成就。それが履行される保証は、何ですか」

「ないよ」

 羂索はあっさりと答えた。青年の大きな黒い目が、わずかに見開かれた。

「……正直ですね」

「嘘をつく理由がないからね。信じない自由もある。ただ、信じなくても首輪は爆発する」

 青年は爪を噛んだまま、しばらく羂索を見つめていた。それから視線を横に滑らせ、数席離れた場所に座る、整った顔立ちの若い男を一瞥した。男は青ざめ、口もとを手で覆っていた。人の死を初めて目の当たりにした、善良な大学生そのものの顔だった。

 ——竜崎まで、ここに。

 表情は一ミリも崩さず、夜神月は胸の内で呟いた。

 ——ノートはない。リュークもいない。ならば、俺が使える武器は、この頭と、この顔だけだ。

 ——それにしても、醜い殺し方だ。

「私からも、お尋ねしてよろしいでしょうか」

 燕尾服の老人が、背筋を伸ばしたまま口を開いた。

「この勝負の立会人は、どなたが務めるのでしょう」

「私だよ。公平に見届けると約束する」

「……左様でございますか」

 老人はそれ以上何も言わなかった。ただ、床に横たわる少年の亡骸へ一度だけ視線を落とし、その目がほんの少しだけ冷えたのを、斑目貘だけが面白そうに見ていた。

 教室の前方、黒髪の制服の少年は、羂索の顔から一度も目を離さずにいた。

 絶対遵守の力は、相手と目を合わせさえすれば届く。この男に「首輪を解除しろ」と命じれば、それで終わる。問題は、この男がまだ一度も、こちらを正面から見ていないことだった。

「ああ、それと」

 羂索は、黒板のほうを向いたまま言った。

「ルルーシュくん。私の目を探すのは、やめておこうか」

 少年の肩が、ほんのわずかに強張った。

「君の左目のことは知っているよ。君たちのことは、全員、よく調べてあるんだ」

 ルルーシュ・ランペルージは、机の下で爪が掌に食い込むほど指を握り込んだ。顔には何も出さなかった。出さないことだけが、今できる唯一の抵抗だった。

 

「では、出発してもらおう」

 羂索は教卓の脇に積まれたデイパックの山を示した。

「呼ばれた順に一人ずつ、二分おきにデイパックを受け取って出ていくこと。順番はくじで決めてある。最後の一人が出た二十分後、この廃校のあるエリアは禁止エリアになる。——一番、斑目貘くん」

 白い髪の男が立ち上がった。デイパックを肩にかけ、床の血だまりをひょいとまたいで、扉の前で振り返る。

「ねえ、アンタ」

「何かな」

「胴元が自分の口で『保証はない』って言っちゃう賭場、俺、初めて見たよ」

「気に入らないかい」

「いや? 嫌いじゃない」

 男は笑った。人懐っこい、少年のような笑みだった。その目だけが、少しも笑っていなかった。

「そのぶん、勝ったときの取り立てが楽しみだからさ」

 斑目貘は、暗い廊下へ消えていった。

「二番、エリス・ボレアス・グレイラットくん」

 赤い髪の少女は、隣の少年の手を振りほどいて立ち上がった。デイパックを乱暴に掴み、扉の前でルーデウスを振り返る。

「外で待ってるから」

「待つのは自由だよ」

 羂索が口を挟んだ。

「ただ、彼の番はだいぶ先だ。それまで一人で、この暗い島の真ん中に立っていることになるけどね」

「エリス、僕を待たなくていい。どこか安全な場所に——」

「待ってるって言ってるでしょ!」

 少女は叫ぶように言い、振り返らずに出ていった。ルーデウスは閉じた扉を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 三番のルルーシュが、誰とも目を合わせずに出ていった。四番の男は、立ち上がりざまに教室をぐるりと見回し、赤いコートの男と、口もとに傷のある大柄な男のところで、嬉しそうに目を留めた。

「いいなあ。強そうなのが、ごろごろいる」

 五番の短い髪の少女が立ち上がると、ツインテールの少女が身を乗り出した。

「レキ、無茶しないのよ」

「はい」

 少女はそれだけ答えて、音もなく出ていった。六番の、口もとに傷のある大柄な男は、面倒くさそうに首を鳴らして立ち上がった。

「なあ。望みってのは、金でもいいのか」

「もちろん」

「そりゃいい」

 男は、足もとの死体に一瞥もくれずに出ていった。

 七番、スーツの男が、無言で出ていった。

 八番で、白い長袖の青年が椅子から降りた。靴のかかとを踏んだまま歩き、デイパックを指先でつまみ上げる。扉の前で、ふと振り返った。

「では、また。夜神くん」

「ああ。気をつけて、竜崎」

 整った顔の若い男は、心から案じているような声で答えた。

 九番の少年が立ち上がると、ツインテールの少女が何か言いかけ、少年が「すぐ会える」と短く返した。少年は、出ていく前に一度だけ、教卓の羂索をまっすぐに見た。

 

「十番、七原秋也くん」

 七原は立ち上がった。膝が笑いそうになるのを、奥歯を噛んで押さえつけた。

 三村の席の横を通る。三村が顔を上げた。何か言おうとしている。七原は足を止め、身を屈めた。

 お前はあいつに殺される。そう言えば、三村は信じるだろうか。信じたとして、それが何になるだろう。

「三村」

 結局、口から出たのはそれだけだった。

「桐山には、絶対に近づくな」

 三村の目が細くなった。

「……桐山? なんで今、桐山なんだ」

 七原は答えなかった。答えられなかった。三村の目が、窓際のいちばん後ろの席へ、ほんの一瞬だけ動いた。

 桐山は、窓の外を見ていた。聞こえたのか、聞こえなかったのか、その横顔からは何も読み取れなかった。

 七原はデイパックを掴んだ。扉の手前に、ノブが倒れていた。詰め襟の少年に閉じられた目は、もう何も見ていなかった。

 七原は一瞬だけそこに立ち止まった。何か言おうとして、何も出てこなかった。

 廊下は暗く、足音がやけに大きく響いた。昇降口を抜けると、夜の空気が肌に冷たかった。

 二度目だ、と七原は思った。

 一度目、自分は何も知らなかった。誰が乗って、誰が乗らないのか。誰を信じて、誰を疑えばいいのか。何も分からないまま走り回り、何人もの友達が死んでいくのを見た。

 今度は違う。知っていることがある。

 そして、そのことを誰にも言えない。

 七原は闇に向かって走り出した。

 

   *

 

 一時六分。

 教室には、羂索と、床に横たわる少年の亡骸しか残っていなかった。

 十一番の赤いコートの男は、ノブの前で一瞬だけ足を止め、何も言わずに出ていった。十四番の学生服の少年は、扉の前でくるりと振り返り、にこにこと笑いながら言った。

『あーあ、また負けちゃいそうだなあ。でも大丈夫。どうせ誰が死んだって、僕は悪くない』

 十五番の桐山和雄は、呼ばれると同時に立ち上がり、デイパックを受け取って、足もとの死体を避けるでもなく踏むでもなく、ただ真っすぐに歩いて出ていった。三村信史は、その背中が廊下の闇に溶けるまで、瞬きもせずに見送っていた。

 十六番の虎杖悠仁は、顔の血を拭いもしないまま、扉の前で立ち止まった。

「お前は、俺が殺す」

「楽しみにしているよ、悠仁」

 十八番の、金髪を逆立てた男は、ケケケと喉を鳴らして笑い、「その糞首輪の仕掛け、全部バラしてやるからな、糞坊主」と言い捨てた。

 十九番で呼ばれた三村は、デイパックを受け取ると、ノブの傍らにしゃがみ込み、飛び散った首輪の破片を一つ、黙って拾い上げてポケットに入れた。羂索はそれを見ていたが、何も言わなかった。

 二十二番の平和島静雄は、出ていく直前に振り返り、最後まで残る男を睨みつけた。

「逃げんなよ」

「どうしようかなあ」

 そして二十四番。ファーのコートの男は、空になった教室をぐるりと見回し、デイパックを肩にかけて、心底嬉しそうに笑った。

「いやあ、いいね。こんなにいろんな人間が、いっぺんに見られるなんて」

 男は扉に手をかけ、ふと羂索を振り返った。

「ところで。あんたも人間?」

「さあ、どうだろう」

 折原臨也は肩をすくめ、夜の中へ出ていった。

 羂索は窓辺に歩み寄り、冷たい風に目を細めた。島のどこかで、二十四の首輪が、二十四の鼓動を静かに数えている。

「さて」

 縫い目のある額を指でなぞり、羂索は微笑んだ。

「始めようか」

 

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