俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル 作:Melo13131
エリス・ボレアス・グレイラットは、自分に腹を立てていた。
もう八時間近く、ずっと腹を立てている。腹を立てていないと、足が止まりそうだった。
あの夜、教室を出て、校門の外で待つとルーデウスに言った。言ったとおり、校門の脇の暗がりに立って待っていた。二分ごとに誰かが出てくる。そのたびに、ルーデウスかどうかを確かめる。違えば、そいつがこちらに何かしてこないかを見張る。それだけのはずだった。
ところが、校舎の向こうの暗がりで、何かが動いた。
人影だった。大きな影が、闇の中でじっと息を殺して、校舎のほうを見ていた。出てくる誰かを待ち伏せしている気配だった。エリスの背中の毛が逆立った。次に出てくるのはルーデウスかもしれない。待ち伏せしている奴がいるなら、ルーデウスが出てくる前に片づけておかなければならない。
エリスは、剣を持っていないことも忘れて、その影のほうへ走った。
影は、エリスが近づく前に動いた。エリスに気づいたのか、それとも最初からエリスには興味がなかったのか、闇の奥へと滑るように消えていった。追いかけた。木の根に足を取られ、茂みを掻き分け、気がつくと校舎がどちらにあるのかもわからなくなっていた。ようやく校門に戻ったとき、門の前には誰もいなかった。ルーデウスが出てくるはずの時刻は、とうに過ぎていた。
それから、ずっと探している。
呼べば、聞こえるかもしれない。だが大声を出せば、ルーデウスより先に、ルーデウスを殺そうとする誰かが来るかもしれない。だから呼べなかった。山を登り、森を抜け、また山を下りた。途中で夜が明け、放送が流れた。
死んだのは、金剛阿含という男だけだった。
エリスはその場に膝をつきそうになるほど安堵し、そして、安堵した自分にまた腹を立てた。まだ生きている。それだけだ。生きていて、どこかで一人で、自分を探している。
デイパックの中身は、夜明け前に確かめた。水と、パンと、読みにくい地図と、黒い金属の塊。握るところがあって、先に穴が空いていて、小さな引き金がついている。弩の仲間だろうと見当をつけて、試しに木の幹へ向けて引き金を引いてみた。何も起きなかった。横についていた小さな突起を動かしてから、もう一度引いた。
耳が割れるような音がして、手首が跳ね上がり、木の幹に穴が空いていた。
エリスはしばらく、その穴を睨んでいた。魔術ではない。詠唱もなければ、魔力の流れもない。それでいて、目で追えない速さで、何かが飛び出した。この島には、こういうものがあるのだ。
剣が欲しかった。こんな、どこへ飛ぶのか自分でもよくわからないものではなく。
八時三十分を過ぎた頃、エリスは喉の渇きに耐えかねて、地図に「貯水池」とある方角へ向かった。水場には人が集まる。人が集まれば、ルーデウスもいるかもしれない。
森が途切れ、視界が開けた。
灰色の水面が、朝の光を鈍く跳ね返していた。コンクリートで固めた土手が、池をぐるりと囲んでいる。エリスは木の陰で足を止め、あたりを見回した。
水際に、人が倒れていた。
ドレッドヘアの男だった。うつ伏せになっていて、頭の片側が、見てはいけない形に潰れていた。流れた血は、もう黒く乾いている。すぐ脇に、口の開いたデイパックが転がっていた。
金剛阿含。放送で呼ばれた名前だと、エリスは直感した。
そして、その死体から十数歩離れた土手の上に、男が一人、腰を下ろしていた。
大柄な男だった。黒い半袖のシャツから伸びる腕は、太い縄をより合わせたような筋肉で覆われている。口の端に古い傷痕があった。男はパンを齧りながら、膝の上で開いた小さな手帳を、つまらなそうにめくっていた。
その男の肩に、一本の杖が立てかけられていた。
エリスの呼吸が止まった。
青い宝玉を先端に抱いた、長い杖。何度も見た。何度も、ルーデウスの手の中で見た。あの人が、魔術を撃つときに握るもの。あの人の杖だ。
「……それ」
声が、勝手に出ていた。
男が顔を上げた。エリスを見て、ほんの少し眉を上げただけで、パンを齧るのをやめなかった。
「あ?」
「その杖。どこで手に入れたの」
エリスは木の陰から歩み出た。ホルスターなどというものは持っていない。ベルトに挟んでいた黒い金属の塊を、右手で抜き出していた。
「どこでって」
男は、肩の杖をちらりと見た。
「支給品だよ。袋開けたら入ってた」
「嘘よ」
「嘘ついてどうすんだ」
「それはルーデウスの杖よ!」
叫んでから、エリスは自分の声の大きさに気づいた。構わなかった。
「ルーデウスはどこ。あんた、ルーデウスに何をしたの」
男は、ようやく手帳を閉じた。パンの最後のひとかけらを口に放り込み、ゆっくりと咀嚼して、飲み込んだ。
「知らねえよ、そんな奴」
面倒くさそうに言いながら、男は立ち上がった。杖を片手で掴み、肩に担ぐ。立ち上がると、ますます大きく見えた。
「ルーデウス・グレイラット、だったか。名簿に載ってたな。まだ放送で呼ばれてねえだろ。生きてんじゃねえの」
「だったら、なんであんたがその杖を持ってるのよ!」
「だから支給品だって」
男は、エリスの手の中の黒い塊に目をやった。その目つきが、ほんのわずかに変わった。
「お前こそ、いいもん持ってるな」
エリスは引き金を引いた。
一発目が出たとき、男はもう、そこにいなかった。
エリスが狙いをつけ、指に力を込めようとしたその瞬間に、男は右へ一歩ずれていた。弾は、男がさっきまで座っていたコンクリートを削った。二発目。男は今度は左へずれた。三発目を撃とうとしたとき、男はもう、エリスとの距離を半分まで詰めていた。
速い。
エリスの体が、頭より先に理解した。この男は、弾を見て避けているのではない。エリスの肩が動く前、指が動く前、目が動く前に、どこへ撃つかを読んで、そこからいなくなっている。
剣士の動き方だった。いや、剣士よりもっと、獣に近い。
エリスは金属の塊を投げ捨てた。どうせ当たらない。当たらないものを握っていても、手がふさがるだけだ。足もとに転がっていた枯れ枝を、左手で掬い上げる。長さは腕一本ぶん、太さは手首ほど。剣には程遠い。
だが、握った瞬間に、体の芯に火が通った。
剣神流は、速さの剣だ。相手より先に届く。それだけを突き詰めた剣だ。剣がなくても、その理屈は変わらない。
男が、杖を振りかぶった。
エリスは踏み込んだ。男の懐の内側、杖の間合いのさらに内側へ。枝を、男の右肩の付け根へ叩き込む。骨の継ぎ目。そこを打てば、腕が上がらなくなる。
手応えがあった。
乾いた音がして、枝が真ん中から折れた。男の肩が、ほんのわずかに沈んだ。男が、初めて目を見開いた。
「へえ」
男の口の端が、吊り上がった。
次の瞬間、エリスの左腕に、杖が叩きつけられていた。
受けたのは、半分は反射だった。頭を狙った一撃を、とっさに左の前腕で逸らした。逸らしたつもりだった。骨の砕ける音が、自分の体の内側から聞こえた。腕が、肘と手首の間で、ありえない方向へ曲がった。
痛みが来る前に、二撃目が来た。脇腹。杖の石突きが、肋骨の間にめり込んだ。息が、肺から全部押し出された。エリスの体は土手のコンクリートの上を転がり、水際まで滑って止まった。
視界が白く明滅した。
起き上がれ。エリスは自分に命じた。起き上がれ。起き上がらなければ、次で頭を割られる。あの男の脇に転がっている死体と、同じ形にされる。
右手でコンクリートを掴み、膝を立てた。左腕はぶらりと垂れ下がって、動かなかった。息を吸うたびに、脇腹の奥で何かが軋んだ。
男は、追ってこなかった。
エリスが投げ捨てた黒い金属の塊を、男は身を屈めて拾い上げていた。手の中で一度くるりと回し、慣れた手つきで何かを確かめている。エリスが、あれほど時間をかけて使い方を探ったものを、男はひと目で理解していた。
「ベレッタか。弾は、残り……まあいい」
男は、銃口をエリスに向けた。
「悪くなかったぜ。棒っきれ一本で、俺の肩にいいの入れたのは褒めてやる。剣があったら、もうちょい楽しめたかもな」
肩の付け根を、男は空いた手で軽く揉んだ。痛がっている様子はなかった。
「けど、剣はねえ。運がなかったな」
エリスは、男の目を見た。
迷いのない目だった。殺すことに、何の感情も乗せていない目。仕事をする人間の目だった。
死ぬ、とエリスは思った。
剣王、エリス・グレイラット。剣を持たずに、名前も知らない男に、水際で撃たれて死ぬ。
昔の自分なら、それでも向かっていっただろう。折れた腕を振り回して、歯で噛みついてでも、最後まで戦っただろう。それが誇りだと思っていた。
だが今の自分には、帰る家がある。
ルーデウスが待っている。家では、家族が待っている。あの人を一人にして、こんなところで死ぬわけにはいかない。
エリスは、背後の水面へ、仰向けに身を投げた。
銃声が二度、立て続けに鳴った。
一発目は、エリスの頭があったはずの空間を貫いた。二発目は、水に沈みかけたエリスの右の太腿を、外側から抉った。熱い鉄の棒を押しつけられたような痛みが走り、水の中で、エリスは口から大量の泡を吐いた。
それでも、沈んだ。
灰色の水の中は、何も見えなかった。上も下もわからない。左腕は動かない。右脚は、焼けるように痛む。エリスは、右腕一本と左脚一本で水を掻いた。息が続く限り、土手から離れる方向へ。どちらが土手から離れる方向なのかもわからないまま、ただ、さっき背中を向けていた方向へ。
肺が焼けはじめた。視界の端が暗くなっていく。
ルーデウス。
水面に顔を出したとき、エリスは池の対岸近く、葦の茂みの陰にいた。咳き込み、水を吐き、葦の根を掴んで体を引き寄せる。振り返ると、はるか向こうの土手の上に、あの男の影が小さく見えた。
男は、こちらを見ていた。
見ていたが、銃を構えてはいなかった。杖を肩に担ぎ直し、しばらくのあいだ、葦の茂みのあたりを眺めていた。それから、興味をなくしたように背を向けた。
撃ってこない理由は、エリスにはわからなかった。この距離では当たらないと判断したのか。弾がもったいないのか。それとも、放っておいても死ぬと思われたのか。
どれでもいい、とエリスは思った。生きている。
這うようにして岸に上がり、森の中へ転がり込んだ。太腿の傷からは、血が止まらずに流れていた。エリスは歯を食いしばり、シャツの裾を右手と歯で引き裂いて、傷の上をきつく縛った。結び目を締めるとき、視界が一瞬真っ白になった。
左腕は、添え木になるものがなかった。胸の前に抱えるようにして、右手で押さえる。脇腹の奥で、息をするたびにまだ何かが軋んでいた。
杉の根元に背中を預けて、エリスは空を見上げた。枝の隙間から見える空は、腹立たしいほどに晴れていた。
あの杖。あの男は、支給品だと言った。嘘をついている顔ではなかった。だとしたら、ルーデウスは杖を持っていない。杖を持たずに、この島のどこかを歩いている。
あの男のような奴が、あと何人いるのだろう。
「……ルーデウス」
初めて、声に出して名前を呼んだ。小さな声だった。誰にも届かない声だった。
エリスは目を閉じ、それから、無理やり開けた。ここで眠ったら、二度と起きられない気がした。
腹を立てろ、と自分に言い聞かせた。腹を立てていれば、足は止まらない。
八時五十二分。
貯水池の土手の上で、伏黒甚爾は、ベレッタの弾倉を抜いて残りの弾を数えていた。数え終えると弾倉を戻し、銃をズボンの後ろに差し込む。それから、エリスに打たれた右肩を、もう一度だけぐるりと回した。
「剣王、ね」
名簿の、エリス・ボレアス・グレイラットの名前を指でなぞる。出発のとき、羂索がそう呼んでいた気がした。
「刃物持たせたら、面倒なことになりそうだな」
甚爾は、水面の葦の茂みをもう一度だけ眺めた。追えば殺せる。だが、池を回り込んで森に入れば、あの女がどこに潜んでいるかわからない。手負いの獣は、手負いのぶんだけ何をするかわからない。割に合わない。放っておいても、あの傷なら半日ももたないかもしれない。もったら、そのとき改めて考えればいい。
甚爾は、阿含の死体の脇に腰を下ろし、また手帳を開いた。
水場には、人が来る。待っていれば、次が来る。
残り、二十三人。