俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル 作:Melo13131
結界が震えた。
エリス・ボレアス・グレイラットは、それを耳より先に背中で感じた。もたれかかった杉の幹の奥が、低く唸るように鳴っている。湿った布地ごしに伝わってくる振動が肋骨に響き、響いたところが焼けるように痛んだ。
声が降りてきた。空の上からでも、森の奥からでもない。島を覆う見えない壁そのものが、あの額に縫い目のある男の声でしゃべっていた。
『君たちはずいぶん慎重だ。怪我をした人はそれなりにいるようだけれど、死んだのは一人きり』
エリスは奥歯を噛んだ。怪我をした人、という言い方が、自分を指さして笑っているように聞こえた。
読み上げられた名前は一つだけだった。斑目貘。知らない名前だ。
ルーデウスではない。
それだけ確かめると、肩から力が抜けた。抜けたとたん、左腕の奥で折れた骨の端どうしがこすれるような感覚があって、エリスは声を殺して体を丸めた。
『C-7の診療所。薬や包帯を当てにしている人は、五時までに用を済ませておくといい。私からの、ささやかな親切だよ』
診療所。
エリスは膝の上に広げた地図を見下ろした。貯水池の水に浸かった紙は波打ち、インクがところどころ滲んでいる。それでも島の南西寄りに「C-7」の升目と、診療所の印は読み取れた。
ここはG-3だ。指で升目をたどると、森を抜け、平地を横切り、島の反対側近くまで行かなければならない。まともな脚なら一時間もかからない距離だった。いまの脚では、日が傾く前にたどり着けるかどうかも分からない。
羂索の声は、いくつかの禁止エリアと、死んだ男への短い感想を残して、ふっと途切れた。森が元の静けさに戻った。鳥の声さえしなかった。
エリスは自分の体を、一つずつ確かめていった。
左の前腕は、肘と手首のあいだで妙な角度に曲がっている。この数時間のうちに拾った枝を添え木にして、裂いた布で縛りつけてはあるが、指先はもう自分のものではないように冷たい。
脇腹は、息を吸うたびに鋭く痛んだ。肋骨が何本か、折れているか、ひびが入っている。深く息をしないように、浅く、短く呼吸することを覚えた。
いちばん悪いのは右の太腿だった。貯水池に身を投げる直前、あの黒髪の男が撃った弾が、腿の外側を抉っていった。シャツを裂いてきつく巻きつけ、血はどうにか止めたつもりだった。だが布はとうに赤黒く固まり、その下から、まだじくじくと何かが染み出している。
寒かった。濡れた服が乾ききらないまま、少しずつ体温を奪っていく。それなのに額と頬だけが、火にかざしたように熱い。
ギレーヌなら、とエリスは思った。
ギレーヌなら、この傷を見て何と言うだろう。
たぶん、何も言わない。黙って手当てをして、それからエリスの目を見て、動けるなら動けと言う。動けないなら、動けるようになるまで息を殺していろと言う。
息を殺していられる場所ではなかった。
あの男が、まだ池の向こうにいる。
エリスは顔を上げた。杉の根のあいだから、灰色の水面がのぞいている。その向こう岸、ここから三百歩ほど先の水際に、あの男がいるはずだった。
ルーデウスの杖を、拾った棒切れのように肩に担いでいた男。三発撃って、一発もかすらなかった男。枯れ枝で一度だけ肩を打てたが、あれは当たったのではない。当てさせてもらったのだと、いまなら分かる。
あれは化け物だった。剣神や北神と同じ、理屈の外にいる種類の生き物だ。剣を持っていたとしても、勝てたかどうか分からない。素手で、この体で、向かっていく相手ではない。
それでも、とエリスは思う。
あの男は、ルーデウスの杖を持っていた。
ルーデウスは、杖なしでこの島のどこかにいる。
そのことを考えるたびに、胸の奥が傷よりも強く痛んだ。杖がなくても、ルーデウスは強い。無詠唱で岩を撃ち出し、足もとの地面を泥に変える。だが、ルーデウスは優しすぎる。何度戦っても、人を殺すことに慣れない。迷って、考えて、そのあいだに誰かが先に動いたら。
だから、自分がそばにいなければならない。ルーデウスが迷っているあいだに、自分が斬る。それが、エリスがずっと前に決めたことだった。
それに、とエリスは唇を舐めた。乾いてひび割れた唇に、血の味がした。
ルーデウスは、治癒魔術が使える。
骨はすぐにはつながらなくても、血は止めてくれる。熱も下げてくれる。そうしたら、自分はまた剣を振れる。あの背中を守れる。
会えばいい。会えば、全部どうにかなる。
会うまでは、死ねない。
診療所へ行こう、とエリスは決めた。
薬と包帯がある。怪我をした人間が集まる場所なら、ルーデウスも来るかもしれない。あの人は、そういう場所を放っておけない。
羂索の親切とやらが罠だとしても、構わなかった。罠なら踏み潰せばいい。これまでもずっと、そうしてきた。
杉の根もとに、腕ほどの太さの枯れ枝が落ちていた。エリスはそれを右手でつかみ、左足で踏みつけて、余計な小枝を折り取った。一本の杖になった。
立ち上がるのに、ひどく時間がかかった。枝に体重を預け、左足一本で地面を押し、杉の幹に肩をこすりつけるようにして、少しずつ体を起こす。右脚に重さがかかった瞬間、腿の奥で何かが裂けるような痛みが走り、視界が白く弾けた。
エリスは幹に額を押しつけて、白いものが引いていくのを待った。
膝が震えていた。それが寒さのせいなのか、血が足りないせいなのか、自分でも分からなかった。
震えるなら、震えていればいい。歩けないわけではない。
貯水池からは離れて歩いた。水際を行けば、向こう岸から丸見えになる。森の中を、南へ。地図が正しければ、南へ下ってから西へ折れれば、平地に出るはずだった。
一歩ごとに、杖の先が落ち葉を噛む音がした。その音がやけに大きく聞こえて、エリスは何度も足を止めた。
止まるたびに、足もとに目が行った。
赤い点が、落ち葉の上に点々と続いていた。自分が歩いてきた跡だった。右の腿から、布を伝って、靴の中を通って、少しずつ落ちている。
エリスは舌打ちをした。止める手立てはなかった。布を巻き直せば、また血が噴く。拭いて歩くような余裕もない。
構わない、と思った。追ってくるなら、追ってくればいい。
森の中に、踏み固められた細い道が一本、南北に通っていた。エリスはそれを横切った。道の上なら歩きやすいが、道の上は人も通る。道を渡り、反対側の藪に入って、斜面の下り口を探した。
そのときだった。
ちん、と澄んだ音がした。
金属が、何か硬いものに弾かれる音。小さくて、軽くて、この森の中にまるで似つかわしくない音だった。
エリスは藪の中で、枝にすがったまま動きを止めた。息を止めると、脇腹が悲鳴を上げた。それでも止めた。
道の北側、二十歩ほど先の分かれ道に、少年が一人立っていた。
黒い詰襟の学生服を着ている。後ろへ撫でつけた髪。整いすぎた顔立ちは、屋敷の飾り棚に並んでいた陶器の人形を思わせた。その少年が、左手の甲を目の前にかざして、じっと見つめている。
手の甲に、硬貨が一枚載っていた。
さっきの音は、指で弾いた硬貨が、宙で回っていた音だったのだと、エリスは遅れて理解した。
少年は硬貨を見つめたまま、しばらく動かなかった。それから硬貨をつまんで、学生服のポケットに落とした。
エリスの目は、少年の右肩に吸い寄せられた。
剣だった。
大きな剣だ。刃の幅が、エリスの手のひらより広い。長さは少年の腕よりもずっと長い。鍔のあたりに、髑髏めいた禍々しい飾りがついている。少年はそれを、薪でも担ぐように無造作に肩に載せていた。
刃の根もとのあたりに、乾いた黒いものがこびりついていた。
エリスは、それが何か知っていた。
剣士の目が、勝手に動いた。
持ち方は素人だった。刃の向きも、柄の握りも、剣を習った人間のものではない。あれでは振り下ろすことはできても、切り返しが遅れる。
なのに、とエリスは眉を寄せた。
あれだけ重いものを肩に載せているのに、少年の重心は少しも揺れていない。立ち方に無駄がない。硬貨をしまった手の動きにも、首の傾け方にも、余計なものが一つもなかった。
素人の持ち方なのに、素人の体ではない。
剣を習っていないのではない。まだ習う必要がなかっただけだ。そういう種類の人間が、剣の聖地にもたまにいた。一度見た型を、次の日にはもう自分のものにしてしまう人間が。
少年が、分かれ道の南側へ歩き出した。
エリスが渡ってきた道の、ほうへ。
足音は静かだった。落ち葉を踏んでいるのに、ほとんど音がしない。まっすぐ、同じ歩幅で、急がず、ためらわず、近づいてくる。
エリスは藪の陰で身を低くした。右脚が軋んだ。
通り過ぎろ、と思った。そのまま南へ行け。こっちを見るな。
少年は、道の真ん中で足を止めた。
ちょうど、エリスが横切った場所だった。
少年は、しゃがみ込んだ。
剣を肩に載せたまま、器用に膝を折り、道の上の落ち葉を一枚、指でつまみ上げる。
赤い点のついた一枚だった。
少年はそれを目の高さに持ち上げ、しばらく眺めた。それから落ち葉を捨て、顔を上げた。道の脇に続く赤い点を、一つ、二つ、三つと目で追っていく。
その目が、藪の中のエリスで止まった。
目が合った。
少年の顔には、何もなかった。
驚きも、警戒も、喜びも、怒りもない。獲物を見つけた猟師の顔でも、敵を見つけた兵士の顔でもなかった。ただ、道の先に石が落ちているのを見つけたような、そういう目だった。
エリスはこれまで、たくさんの敵の顔を見てきた。憎しみに歪んだ顔。怯えた顔。嘲る顔。狂った顔。そのどれよりも、この何もない顔が、ずっと気味が悪かった。
少年が立ち上がった。
肩から剣を下ろし、両手で柄を握る。やはり素人の握りだった。切っ先を低く下げたまま、道を外れ、藪のほうへ歩いてくる。
逃げられない、とエリスは思った。
この脚では、十歩も行かないうちに追いつかれる。隠れる場所も、もうない。
なら、やることは一つだった。
エリスは、杖にしていた枝を握り直した。
ずっと、剣が欲しかった。この島で目を覚ましてからずっと。デイパックに入っていたのは黒い鉄の筒で、あれは剣ではなかった。あの男との戦いで手にできたのは枯れ枝一本だった。剣さえあれば、と何度も思った。剣さえあれば、あの男にだって、もう少しは。
その剣が、目の前にある。
あれを奪えば、自分はまた剣士に戻れる。この脚でも、この腕でも、剣を持った剣王は、そこらの人間に負けはしない。剣を持って、ルーデウスを探しに行ける。
少年は、藪の手前で一度足を止めた。
それから、エリスの左側へ回り込もうとした。
折れた腕のほうだった。偶然なのか、見て取ったのか、エリスには分からなかった。
分からなくていい、と思った。
あと三歩。あと二歩。
少年の右足が、ちょうどいい距離の地面を踏んだ。
エリスは藪から飛び出した。
撃たれていない左足で地面を蹴り、体をひねりながら、右手の枝を横に薙いだ。狙いは少年の右の手首。剣を握る手を打ち据えて、指をほどかせる。
速かった。熱に浮かされ、血を失い、片脚を引きずった体とは思えない速さだった。剣神流の、先に斬る者の速さが、まだエリスの右腕には残っていた。ふつうの人間なら、何が起きたかも分からないまま手首を砕かれていたはずだった。
少年は、剣を半回転させた。
ただそれだけだった。握った柄を、手の中でわずかに回した。幅の広い刃の腹が、枝の軌道の上に滑り込んできた。
乾いた音がして、枝がまん中から折れた。
打ち込んだ衝撃が、そのまま右腕を逆流してきた。肘がしびれ、肩が軋み、脇腹の奥で折れた骨が鳴った。
エリスは止まらなかった。
折れた枝を捨て、そのまま少年の懐へ飛び込んだ。長い剣は、間合いの内側では役に立たない。剣を知る者なら誰でも知っていることだった。
右手が、柄を握る少年の手をつかんだ。指の隙間から、柄そのものに触れた。
冷たくて、重くて、よく手になじむ柄だった。いい剣だ、とエリスは一瞬だけ思った。こんなときなのに、剣士の体が勝手にそう思った。
「その剣、よこしなさい!」
叫んで、全身の重さを右腕に乗せた。少年の手首をひねり上げ、剣ごと体をもぎ取るように引く。
そのために、右脚を踏み込んだ。
右脚が、消えた。
そうとしか言いようがなかった。踏み込んだはずの右の腿から、力という力が抜け落ちて、膝が地面に向かって崩れていく。巻いた布の下で、何かが開く感覚があった。温かいものが、脚を伝って一気に流れ落ちた。
体が傾いた。柄を握った右手だけが、少年の手にしがみついていた。
少年の左手が動くのが見えた。
学生服の脇から抜き出された、黒い小さな箱。その先端が、エリスの脇腹に押し当てられた。
ばちん、と音がした。
世界が、白く跳ねた。
全身の筋という筋が、一度にねじ切れたような感覚だった。背骨が弓なりに反り、歯が勝手に噛み合わさり、指が、自分の意思とは関係なく開いた。柄から手が離れた。
エリスは落ち葉の上に倒れた。
倒れたことさえ、しばらく分からなかった。気がつくと、頬の下に湿った土があり、目の前に杉の根があった。手も脚も、自分のものではなかった。動けと命じても、指一本、ぴくりともしない。
脇腹が、燃えていた。
足音が、ゆっくりと回り込んできた。
エリスは、動かない首を、それでも少しだけ持ち上げた。
少年が、すぐそばに立っていた。息ひとつ乱れていない。髪の一筋も乱れていない。学生服の袖口が、枝に打たれた拍子に少しほつれているだけだった。
少年は、剣を両手で持ち上げた。
素人の構えだった。だが、あの重さの刃が、素人の構えから真っすぐ振り下ろされたら、何が起きるかはエリスにもよく分かった。
立て、とエリスは自分に命じた。
立って、転がって、嚙みついてでも。
右手の指が、ようやく少しだけ動いた。落ち葉をひとつかみ、握りしめた。それが精いっぱいだった。
少年の顔を見上げた。
やはり、何もない顔だった。自分を殺そうとしているこの人間は、自分のことを何とも思っていない。憎んでもいないし、怖がってもいないし、楽しんでもいない。
そのことが、エリスには、ひどく悔しかった。
こんなやつに。
こんな、何もないやつに。
「どき、なさいよ」
声は、ほとんど息だった。
「私は、帰るの。ルーデウスの、ところに――」
剣が落ちてきた。
重い刃は、エリスの左の肩口に食い込み、そのまま胸の奥まで沈んだ。骨の砕ける音が、自分の体の内側から聞こえた。
痛みは、思っていたほどではなかった。ただ、ひどく寒かった。さっきまで額だけが熱かったのに、その熱さえ、どこかへ流れ出していく。
視界の端が、暗くなっていった。
その暗がりの向こうに、ルーデウスの顔が見えた気がした。困ったように眉を下げて、それでも笑っている、あの顔。エリスが無茶をしたときに、いつもする顔。
ごめん、とエリスは思った。
迎えに行けなかった。
それが、最後だった。
【エリス・ボレアス・グレイラット 死亡】
【残り21人】
桐山和雄は、剣を引き抜いた。
刃が肉から抜けるとき、わずかな抵抗があった。桐山はそれを、両手に伝わる重さの変化として確かめ、それ以上のことは何も感じなかった。
足もとには、赤い髪の少女が横たわっていた。見開かれたままの目が、杉の根のあたりを見ていた。右手は、落ち葉を握りしめたまま固まっている。
桐山は、少女の脇に転がっているデイパックの口を開けた。
中は、ひどく濡れていた。パンは水を吸ってふやけ、崩れかけている。地図もインクが流れて読めない。懐中電灯は振っても点かなかった。
水の入ったボトルだけが、無事だった。桐山はそれを取り出して、自分のデイパックに移した。それ以外のものには、二度と手を触れなかった。
刃を、近くの羊歯の葉で拭った。根もとにこびりついていた古い黒いものの上に、新しい赤いものが重なっていた。それも、同じように拭った。完全には落ちなかった。桐山は、落ちなかったものをしばらく眺め、それから剣を肩に担ぎ直した。
ポケットから、百円玉を取り出した。
親指で弾いた。
ちん、と澄んだ音が、静まり返った森に響いた。
手の甲で受け止めて、見下ろす。
桐山は、硬貨をポケットに戻した。それから道へ出て、西へ向かって歩き出した。一度も振り返らなかった。
落ち葉の上に、赤い点の続きはもうなかった。
*
貯水池の向こう岸で、伏黒甚爾は、水際の岩に腰を下ろしていた。
膝の上には、自分のデイパックから出てきた長い杖が横たえてある。
対岸の森の奥から、女の叫ぶ声がかすかに届いた。言葉までは聞き取れなかった。少し遅れて、鳥が何羽か、慌ただしく梢から飛び立った。
甚爾は目を細めた。三百歩ほどの距離と、杉の幹の隙間越しでは、細かいところまでは見えない。それでも、見えるものは見えた。
赤い髪が、地面に沈んでいくところ。
その上で、大きな剣が振り上げられ、振り下ろされるところ。
剣を担いだ黒い服の人影が、道へ出て、西の森へ消えていくところ。
「刃物を持つ前に、死んだか」
甚爾は、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
半日はもたないだろうと思っていた。思っていたより、ずっと早かった。自分の手で仕留め損ねた獲物が、ほかの誰かに持っていかれた。それについて、甚爾は特に何も思わなかった。金にならない仕事の結末に、いちいち興味は持たない。
興味があるのは、別のことだった。
あの剣の振り方は素人だった。だが、振り下ろすまでの動きに、無駄が一つもなかった。
「妙なガキが混じってやがる」
甚爾は杖を肩に担いで、立ち上がった。
だが、追いはしなかった。甚爾は伸びをひとつして、また岩の上に腰を下ろした。水場は、人を呼ぶ。待っていれば、向こうから来る。
昼の森は、何事もなかったように静まり返っていた。