俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル 作:Melo13131
森の中で、神崎・H・アリアはパンを齧っていた。
歩きながらだった。立ち止まって食べる時間が惜しかった。袋から取り出したパンはぱさぱさに乾いていて、飲み込むたびに喉に引っかかる。水で流し込み、また齧る。味はほとんどしなかった。
正午の放送からは、一時間ほどが過ぎていた。
呼ばれた名前は、斑目貘ひとりだった。キンジでも、レキでもない。それを聞いた瞬間に胸の奥でほどけたものを、アリアはまだ少し恥じていた。知らない誰かが死んだことに、ほっとしてしまった。武偵として、それは褒められた感情ではない。
それでも、ほっとした。
二人とも、まだ生きている。この島のどこかで。
アリアはパンの最後のひとかけを口に押し込み、袋を丸めてデイパックに突っ込んだ。
腰のベルトには、トランシーバーが一台挟んである。チャンネルは三。もう一台は、あの男が持っている。
乃木憂助。
レキのドラグノフを抱え、背を向けた相手を撃ったと、顔色一つ変えずに言った男。飛び込んだアリアを、呆れるほどあっさりと地面に押さえつけ、それから、何もせずに離した男。
鎖骨の下が、まだ鈍く痛んだ。あのとき打ちつけた場所だった。
必ず逮捕する、とアリアは言った。言ったからには、そうする。そしてレキの銃も、必ず取り返す。
だが、それは後だった。いまは、キンジとレキを探すのが先だ。
アリアは北西へ向かっていた。島の北西には、灯台と、送電用の鉄塔がある。高いところに登って、遠くを見る。狙撃手なら、きっとそうする。レキなら、必ずそうする。
森は深かった。
杉と雑木が入り混じり、足もとには腐りかけた落ち葉が積もっている。道らしい道はなく、アリアはコンパスと木漏れ日の角度を頼りに、斜面を横切るように進んだ。
G-5あたりだろう、と見当をつけたところで、アリアは足を止めた。
声がした。
声というより、鼻歌だった。調子の外れた、聞いたこともない節回しの鼻歌が、木々のあいだを抜けてくる。のんきな、散歩でもしているような調子だった。
アリアは身を低くし、杉の幹に背をつけた。腰のトランシーバーが幹に当たらないよう、手で押さえる。
鼻歌は、近づいてきていた。
杉のあいだから、男が一人、姿を現した。
若い男だった。背はアリアよりずっと高い。もっとも、この島でアリアより背の低い人間は、たぶん一人もいない。
男は両手をぶらぶらと垂らして歩いていた。腰にも背中にも、何も差していない。武器らしいものを、何一つ持っていなかった。落ちていた枝を拾っては、振ってみて、首をかしげて捨てる。また拾っては、捨てる。
アリアは、その男の歩き方を見ていた。
のんきな歩き方だった。隙だらけに見えた。
だが、隙だらけに見えるだけだった。どこから踏み込んでも、次の一歩で届かなくなる。そういう足の運びだった。
アリアは、教室で見た顔を思い出していた。
それから、乃木から聞いた話を思い出した。
刃物がないと本気で戦わない男。乃木の鎌を欲しがり、それが海に捨てられると、代わりにドラグノフを乃木に渡して、背を向けて去っていった男。背後から撃たれて、笑っていた男。
柳の剣のソウジロウ。
レキの銃を、あの男の手に渡した張本人だった。
アリアは幹の陰から出た。
隠れて様子を見るという手もあった。だが、この男が相手では、隠れていることにたぶん意味がない。そんな気がした。
「止まりなさい」
ソウジロウは止まった。
手にしていた枝を、ぽいと放り捨てる。それから、アリアを見下ろして、まばたきをした。
「お、ちっちゃいのがいる」
「ちっちゃい言うな!」
反射的に怒鳴ってから、アリアは咳払いをした。
「あんたが、ソウジロウね」
「おう。あんたは?」
「神崎・H・アリア。武偵よ」
「ぶてい?」
ソウジロウは首をかしげた。聞いたことのない言葉を、口の中で転がしているような顔だった。
「武装探偵。悪いやつを捕まえるのが仕事。……あんたの世界には、ないのね」
「ねえなあ。捕まえるだけ? 斬らねえの?」
「斬らない。殺さない。それが武偵の決まりよ」
「へえ」
ソウジロウは、心の底から不思議そうな顔をした。それから、少しだけつまらなそうな顔になった。
「あんたに聞きたいことがあるの」
アリアは、ソウジロウとの距離を目で測りながら言った。七歩。飛び込むには、少し遠い。
「今朝、あんたが崖のほうで会った男に、狙撃銃を渡したでしょう。あれは、あたしの仲間の銃よ」
「ああ、あの鉄砲」
ソウジロウは、あっさりとうなずいた。
「あれ、あんたの仲間のやつだったのか。デイパックに入ってたんだよ。俺には使えねえし、要らねえから、あの人にやった」
「その人に、背中から撃たれたんでしょう」
「そう!」
ソウジロウの顔が、ぱっと明るくなった。
「撃たれた撃たれた。すげえよな、あの人。俺が背中向けた瞬間に、迷わず撃ってきたんだぜ。外れたけどさ。……あんた、あの人に会ったのか」
「会ったわ」
「元気だった? また撃ってくれそうだった?」
アリアは、言葉に詰まった。
次に会ったら撃つ、と乃木が考えていることを、アリアは知っていた。乃木自身の口から聞いたわけではない。だが、ソウジロウの話をしたときの、あの男の目の奥の静けさを見れば、分かった。
それを、この男に教えるべきなのか。
教えたら、この男は喜ぶだろう。心の底から。
「……知らないわよ、そんなこと」
「そっかあ」
ソウジロウは、残念そうに頭を掻いた。
「あんた、この島で、もう誰か斬った?」
アリアは、いちばん聞きたかったことを聞いた。
「斬ってねえよ」
ソウジロウは即答した。嘘をついている顔ではなかった。そもそもこの男は、嘘をつくという発想を持っていないように見えた。
「斬れるもんがねえんだもん。刃物がさ、ぜんぜん見つからねえの。鎌は海に捨てられちまったし、この島の家の台所には包丁の一本もねえし。枝で叩いたってつまんねえだろ」
「……刃物があったら、斬るの」
「強いやつがいたらな」
それも、即答だった。
「この島、強いやつがいっぱいいるんだよ。あの鉄砲の人もそうだし、赤い上着のやつもそうだ。あいつとは、剣を取り返したら斬り合う約束してんだ」
「剣?」
「でかい剣。赤い上着のやつのなんだけど、学生服着たガキが持って歩いてる。で、先に取ったほうのもんってことにして、二人で追っかけてたんだけどさ」
ソウジロウは、森を見回して、肩をすくめた。
「見失った」
アリアは、黙ってソウジロウを見ていた。
この男は、まだ誰も殺していない。
それは、刃物を持っていないからだ。それだけの理由だった。刃物さえ手に入れば、この男は、強いと認めた相手を片端から斬っていく。そのことを、自分の口から、晴れた日の天気の話でもするように言った。
そして、刃物を担いで歩いている学生服の男がいる。
この男は、それを追いかけている。
武偵法は、罪を犯していない者を罰することを許さない。
だが、武偵には、目の前で起きようとしている凶悪犯罪を未然に防ぐ義務がある。そして、ここは法の届かない島だった。この男が剣を手に入れてからでは、誰にも止められない。
捕まえるなら、いまだ。
刃物を持っていない、いまのうちに。
「ソウジロウ」
アリアは、両手を軽く前に出して構えた。
「あんたを拘束するわ。殺人予備の現行犯……みたいなものよ。細かいことは、島を出てから考える」
ソウジロウは、アリアの手を見た。
構えではなく、手のひらのほうを見ていた。
「あんた、剣使うだろ」
「……え?」
「手の皮。右と左で、同じとこが固くなってる。両手で一本ずつ持つやつだ。そうだろ」
アリアは思わず、自分の手のひらに目を落としかけて、踏みとどまった。
ソウジロウは、嬉しそうに笑っていた。さっき、乃木に撃たれた話をしていたときと、同じ顔だった。
「いいなあ。二本かあ。あんたの刀、どっかにねえの?」
「没収されたわよ。あの縫い目の男に」
「じゃあ、この島のどっかにあるかもな」
ソウジロウは、本当に楽しそうに言った。
「見つけたら、持っとけよ。そしたら斬り合おう」
「斬り合わない」
アリアは地面を蹴った。
七歩の距離を、三歩で潰した。
低く飛び込み、ソウジロウの右の袖口をつかみにいく。つかんだら、腕を引き込み、腰を入れて投げる。乃木には通じなかった。だが、あれは乃木がアリアの動きを読んでいたからだ。この男は、アリアの投げを知らない。
指先が袖に触れる、と思った。
触れなかった。
ソウジロウの右腕が、そこになかった。ほんのわずか、体を開いただけだった。半歩も動いていない。アリアの指は、さっきまで袖があった空間を、むなしく握った。
勢いのまま、アリアは体を回した。回りながら左足で、ソウジロウの軸足を刈りにいく。
足は、そこになかった。
ソウジロウは、刈られるはずだった足を、ひょいと持ち上げていた。子どもが水たまりを跨ぐような、気の抜けた動きだった。アリアの足は、空を切った。
アリアは止まらなかった。
着地と同時に跳ね起き、今度は正面から襟を取りにいく。取れなければ手首。手首が取れなければ肘。一つ外されるたびに、次の手を重ねていく。息を継ぐ間もなく、つかみ、払い、刈り、また手を伸ばす。
そのどれにも、ソウジロウは触れさせなかった。
避けている、という感じさえしなかった。アリアの手が伸びる先から、ソウジロウの体が少しずつ、ずれていく。まるで最初から、アリアがどこに手を出すか分かっていて、そこにいないことにしているようだった。
ソウジロウは、一度も手を出してこなかった。
両手をぶらりと垂らしたまま、足だけを、小さく、少しずつ動かしている。その顔には、相変わらずのんきな笑みが浮かんでいた。
「うまいなあ」
ソウジロウが言った。息一つ乱れていなかった。
「その投げ、どこで習ったの? 面白え動きするな」
アリアは答えなかった。答える余裕がなかった。
鎖骨の下が、ずきずきと脈打っていた。朝、乃木に押さえつけられたときの打撲が、動くたびに悲鳴を上げる。
呼吸が乱れてきた。
汗が目に入った。
それでも、アリアは手を止めなかった。止めたら、この男を行かせることになる。この男が、刃物を探しにいくのを。
左の貫手で、喉元を突く、と見せて、右手でベルトをつかみにいった。
フェイントだった。今日いちばんの、切れのいいフェイントだった。
ソウジロウは、フェイントに反応しなかった。最初から、右手のほうだけを見ていた。
ベルトの一寸手前で、アリアの指が空をつかんだ。
足がもつれた。
アリアは膝をつき、落ち葉に手をついた。肩で息をした。顔を上げると、ソウジロウは三歩ほど離れたところに、さっきと同じ姿勢で立っていた。
一度も、触れられなかった。
袖にも、足にも、襟にも、ベルトにも。指の先ほども。
Sランク武偵、神崎・H・アリアの手が、一度も。
「やっぱ、つまんねえな」
ソウジロウが言った。
アリアを馬鹿にしている口調ではなかった。本当に、残念そうだった。
「あんた、強いよ。素手でこれなら、刀持ったらもっと強いんだろ。だからさ、素手のあんたとやってもつまんねえの。俺も素手だし」
ソウジロウは、足もとの枝を一本拾った。振ってみて、首をかしげて、捨てた。
「刀、見つけたら持っとけよ。俺も剣、見つけてくるから」
「待ちなさい……!」
アリアは立ち上がろうとした。膝が笑って、すぐには立てなかった。
「あんたが刃物を手にしたら、あたしが止める。絶対に止める。風穴、あけてでも」
「おう、楽しみにしてる」
ソウジロウは、ひらひらと手を振った。
それから、南西のほうへ、ぶらぶらと歩き去った。調子の外れた鼻歌が、木々のあいだに遠ざかっていく。
アリアは、それを追えなかった。
しばらく、アリアは落ち葉の上に座り込んでいた。
呼吸が落ち着くのを待った。汗が冷えていくのを感じた。指先が、まだ細かく震えていた。
負けたのではなかった。
戦ってさえ、もらえなかった。
あの男は最後まで、アリアを敵として扱わなかった。刀を持ったら楽しみな相手、としか見ていなかった。刀を持っていないアリアは、あの男にとって、道端の枝と同じだった。拾って、振ってみて、首をかしげて、捨てる。
アリアは、腰のトランシーバーに手をやった。
チャンネル三。乃木が持っている。
あの男は、いま、南西へ歩いていった。この森から、G-4か、F-5のあたりへ。
それを乃木に伝えれば、乃木はきっとソウジロウを探す。そして、見つけたら、撃つ。今度は外さないかもしれない。刃物を持つ前のソウジロウを、止められるかもしれない。
アリアは、送信ボタンに親指をかけた。
そして、そのまま、動かなかった。
それは、殺させるということだった。
自分の手を汚さずに、誰かに引き金を引かせるということだった。武偵法九条は、武偵が人を殺すことを禁じている。だが、あの条文が本当に禁じているのは、たぶん、引き金にかかった指のことだけではない。
アリアは、親指をボタンから離した。
トランシーバーを、ベルトに戻した。
代わりに、立ち上がった。
膝はまだ震えていたが、立てた。
あの男を止めるには、自分一人では足りない。それは、いまのでよく分かった。キンジがいる。レキがいる。三人いれば、止められる。殺さずに。
レキなら、とアリアは思った。レキなら、遠くから、あの男の足だけを撃ち抜ける。どれだけ速く動く相手でも、レキの弾は、風が運ぶ。
そこまで考えて、アリアは唇を噛んだ。
レキの銃は、乃木が持っている。
ソウジロウが、乃木に渡したのだ。
「……どいつもこいつも」
アリアは、誰にともなくつぶやいた。
それから、コンパスを取り出して、北西を確かめた。灯台か、鉄塔か。どちらにしても、急がなければならない。
ソウジロウが刃物を見つける前に。
学生服の男が担いでいるという、でかい剣が、あの男の手に渡る前に。
アリアは、走り出した。
森の中に、小さな足音が遠ざかっていった。
*
同じころ。
南西へ歩いていたソウジロウは、ふと足を止め、鼻をひくつかせた。
風の中に、かすかに、鉄の匂いが混じっていた。北のほう、貯水池のあるあたりから流れてくる匂いだった。
「……誰か、斬られたな」
ソウジロウはしばらくそちらを見ていたが、やがて興味をなくしたように前を向いた。
斬られた者に用はない。用があるのは、斬ったほうだ。
だが、どちらへ行ったのかは、匂いだけでは分からなかった。
ソウジロウは、落ちていた枝をまた一本拾い、振ってみて、首をかしげて、捨てた。
そして、鼻歌を歌いながら、南西の森へ消えていった。