俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル   作:Melo13131

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第3話 桃の缶詰

 校門を出て最初の角を曲がったところで、七原は足を止めた。

 三村が出てくるのは、十八分後だ。

 出発は二分おき、三村は十九番目。ここで待っていれば、あいつを捕まえられる。二人で逃げられる。桐山のことも、ノブのことも、全部は話せなくても、せめて一人にはしないでいられる。

 七原は闇の中で、校門の方角を振り返った。

 その前に、十五番目が出てくる。

 桐山和雄が、十分後にこの門をくぐる。

 一度目のとき、桐山が何をしたのか、七原は後になって知った。出発してすぐ、待ち合わせ場所に集まった自分の仲間たちを、一人残らず殺したのだ。あいつにとっては、知り合いかどうかは何の意味もない。そこにいる人間は、ただ、そこにいるだけだ。

 ここで待っていれば、桐山が出てくる。武器もないまま、あいつの通り道に立つことになる。

 七原は拳を握りしめ、しばらくその場に立っていた。

 それから、校門に背を向けて走り出した。

 走りながら、自分が何から逃げているのか分からなくなった。桐山からか。三村からか。それとも、三村の顔を見るたびに思い出してしまう、自分だけが知っている結末からか。

 

 雑木林の中で、ようやくデイパックを開けた。懐中電灯は点けなかった。点ければ、自分がここにいると島中に教えることになる。それも一度目で覚えたことだった。

 水と、パンと、地図。見慣れた中身の底に、ずっしりと重いものが沈んでいた。

 引きずり出すと、それは三本の短い棍が、鎖のようなもので繋がったものだった。一本の長さは六、七十センチほど。握ると、見た目よりずっと重い。表面に何か彫り込まれているようだったが、暗くて分からなかった。

「……なんだこれ」

 ヌンチャクの親戚のようなものだろう、と七原は思った。こんなものの使い方は知らない。だが、何も持っていないよりはずっといい。三本を一本にまとめて握れば、少なくとも棍棒にはなる。

 七原は地図を月明かりにかざした。南西の平地に、集落がある。空き家が十数軒。食料が残っている、と書かれていた。

 学校からできるだけ離れること。壁と屋根のある場所に隠れること。食べられるものを確保すること。

 一度目に教わったことを、七原は一つずつ頭の中で繰り返した。教えてくれた男は、もうどこにもいない。

 

 集落に着いたのは、一時四十分を少し過ぎた頃だった。

 瓦屋根の平屋が、細い路地を挟んで肩を寄せ合うように並んでいた。どの家にも灯りはない。人の気配もない。ずいぶん前に住人がいなくなり、そのまま時間だけが止まったような集落だった。

 七原は通りに面した家を避け、奥まった一軒の裏口に回った。鍵はかかっていなかった。土間から台所に上がり、息を殺して耳を澄ます。何も聞こえない。

 台所の棚には、埃をかぶった缶詰がいくつか並んでいた。鯖の水煮、みかん、白桃。流しの蛇口をひねると、錆色の水が咳き込むように出て、しばらくすると透明になった。

 七原は、ようやく少しだけ息をついた。

 その途端、表の戸が蹴破られる音がした。

「邪魔するぜ」

 場違いに明るい声だった。

 七原は反射的に、台所と奥の間を仕切る襖の陰へ飛び込んでいた。游雲——そんな名前だとは知らないまま、三本の棍を一本に束ねて、両手で握りしめる。

 重い足音が、土間を横切ってくる。遠慮というものがまるでない足音だった。

「……って、誰もいねえか。いいけどよ」

 赤いコートの裾が、襖の隙間をよぎった。

 教室で、机に足を乗せて欠伸をしていた、銀髪の男だった。

 男は台所に入ってくると、棚の缶詰を一つずつ手に取っては、ラベルを月明かりにかざして眺めた。

「鯖。みかん。桃。……おいおい、ピザの一枚もねえのかよ、この島は」

 ぶつぶつ言いながら、男は白桃の缶を手に取った。流しの引き出しを片っ端から開け、缶切りを見つけると、鼻歌まじりに蓋を切り始めた。

 七原は襖の陰で、息を止めていた。

 武器を持っているようには見えなかった。男の右手は、缶切りを動かすたびに、何か小さなものを掌の中で転がしていた。

「で」

 男が、缶切りを動かす手を止めずに言った。

「そこの襖の奥のお前も、食うか?」

 心臓が跳ねた。

 考えるより先に、体が動いていた。七原は襖を蹴り開け、束ねた棍を振りかぶって、男の側頭部めがけて振り下ろした。

 乾いた音がした。

 棍は、男の頭の十センチ手前で止まっていた。男が、缶切りを置いた左手で、それを受け止めていた。見もせずに。

「……っ、いってえ」

 男は顔をしかめ、受け止めた掌をひらひらと振った。

「なんだそりゃ。見た目より重てえな」

 七原は棍を引こうとした。びくともしなかった。男は片手で棍の先を握ったまま、面白そうに七原の顔を覗き込んだ。

「お前、教室で立ち上がってたガキだな。あの坊主に『やめろ』って叫んでた」

「……離せ」

「離したら、また振り回すだろ」

「来るな。俺に近づくな」

「近づいたのはそっちだぜ」

 男は、ぱっと手を離した。七原は勢い余って二、三歩よろめき、棍を構え直した。男はもう七原を見ていなかった。流しに向き直り、何事もなかったように、缶切りで桃の缶を最後まで開けた。

「座れよ。立ったまま話すと疲れる」

 

 七原は座らなかった。

 台所の入り口に立ったまま、棍を握りしめて男を睨んでいた。男は気にする様子もなく、ちゃぶ台の前にどっかりと腰を下ろし、開けた缶を真ん中に置いた。それから、ずっと右手の中で転がしていたものを、缶の横に、ことりと置いた。

 小さな茶色の瓶だった。

 ラベルに、手書きのような文字で、こう書かれていた。

 青酸カリ。

 七原の全身から、血の気が引いた。

 灯台だった。

 一度目のとき、七原は怪我をして、灯台に立てこもった女子のグループに助けられた。温かい食事を出してもらった。久しぶりに、人の優しさに触れた気がした。

 その食事に、毒が入っていた。

 一人が倒れ、誰が入れたのかと疑い合い、ほんの数分で、灯台の中にいた女子たちは、互いに銃を向け合って死んだ。昨日まで同じ教室で笑っていた友達同士が。たった一瓶の毒と、ほんの少しの疑いで。

 七原の手の中で、棍がかたかたと鳴った。自分の手が震えているのだと、しばらく気づかなかった。

「おい」

 男の声が、ひどく遠くに聞こえた。

「……おい。顔、真っ白だぞ」

 男の視線が、七原の顔から、ちゃぶ台の上の小瓶へ移った。それから、また七原の顔に戻った。

 男は何も言わずに、指で桃を一切れつまみ上げ、口に放り込んだ。ゆっくりと噛み、飲み込んだ。もう一切れ。缶を傾けて、シロップまで一口飲んだ。

「甘すぎだな、これ」

 男は、空いた手で小瓶をつまみ上げた。

「俺の支給品だ。こいつが当たりだとは、どうも思えなくてね」

 男は立ち上がり、流しの前に立った。小瓶の蓋をひねり開け、中身を排水口に傾けた。白い粉が、さらさらと落ちていった。男は蛇口をひねり、流しをしばらく水で洗い流してから、空の小瓶を窓の外の闇へ放り投げた。遠くで、ガラスの割れる小さな音がした。

「こういうのは、ろくな使われ方をしねえ」

 男は手を拭きもせずに、ちゃぶ台の前に戻って座った。

「毒で、痛い目を見たことがあるって顔だ」

 七原は答えなかった。答えられなかった。

 膝から力が抜けた。七原は台所の入り口に、ずるずると座り込んだ。棍だけは、まだ離さなかった。

 

 しばらく、どちらも口をきかなかった。

 男は、ときどき思い出したように桃をつまんだ。七原は、その横顔を見ていた。教室で見たときより、ずいぶん若く見えた。二十歳になるかならないか。自分と、そう何歳も変わらないのかもしれなかった。

「ダンテだ」

 男が言った。

「名簿に書いてあるだろ。そいつが俺だ」

「……七原秋也」

「知ってる。呼ばれてたからな」

 ダンテは、指についたシロップを舐めた。

「あのガキ。首輪を吹っ飛ばされた奴。知り合いだったろ」

 七原は、膝の上の棍を見つめた。

「……国信慶時。ノブって呼んでた」

「友達か」

「同じ施設で育った。ガキの頃から、ずっと」

 ダンテは何も言わなかった。缶の中の最後の一切れを、つまもうとして、やめた。

 ダンテの右手が、ふと自分の胸もとへ上がった。コートの内側、ちょうど心臓のあたりを、何かを握るように探った。

 指は、何も掴まなかった。

「……ちっ」

 ダンテは小さく舌打ちした。

「あれまで持っていきやがったか」

 何を、とは言わなかった。七原も訊かなかった。ダンテはしばらく、何もない胸もとに手を当てたままでいたが、やがて下ろした。

「目の前で、ってのは最悪だよな」

 ぽつりと、それだけ言った。

 七原は顔を上げた。ダンテは、もう缶の底を覗き込んでいた。その横顔は、軽口を叩くときの顔とは違っていた。教室で、ノブの死体の前で足を止めたときの顔だった。

 この男も、誰かを目の前で失ったことがあるのだ、と七原は思った。

 それが誰なのかは、分からなかった。

 

「なあ」

 ダンテが缶をちゃぶ台に置いた。

「お前、こういうの初めてじゃねえだろ」

 心臓が、また跳ねた。

「懐中電灯を点けずに来た。表の戸じゃなく、裏口から入った。家に入ってすぐ、窓の位置を確かめてた。俺が入ってきたとき、声を出す前に隠れた。それに」

 ダンテは、空になった小瓶を放り投げた窓のほうを、顎でしゃくった。

「毒を見たときの顔だ。ありゃあ、話に聞いたことがあるって顔じゃねえ」

「……関係ないだろ」

 声が震えないように、七原は奥歯を噛んだ。

「あんたには、関係ない」

 ダンテは、じっと七原の顔を見ていた。青い目だった。からかうような色は、そこにはなかった。

 やがて、ダンテは肩をすくめた。

「ま、言いたくねえならいい」

 それだけだった。ダンテは立ち上がり、コートの裾を払った。

「行くのか」

 自分でも意外なほど、七原はそう口にしていた。

「ああ。あの坊主の面を、一発ぶん殴ってやらなきゃならねえ」

「どこにいるのか、分かるのか」

「さあな。学校はもう入れねえんだろ? でもああいう手合いは、見物できる特等席を、必ずどこかに用意してるもんさ。探してりゃ、そのうち向こうから顔を出す」

 ダンテは台所の入り口で、座り込んだままの七原を見下ろした。一瞬、何か言いかけたようだった。一緒に来るか、と。

 だが、ダンテが口にしたのは、別の言葉だった。

「俺は一人のほうが気楽でね。お前も、誰かとつるむ顔じゃねえ」

 七原は答えなかった。その通りだった。今の自分は、誰の隣にも立てない。誰かを信じれば、その誰かがまた目の前で死ぬかもしれない。誰かを信じれば、灯台のように、その信頼がまた人を殺すかもしれない。

 ダンテは、七原の膝の上の棍に、ちらりと目を落とした。

「その棒。いいもん引いたな」

「……ただの棒だろ」

「受け止めた手が、まだ痺れてる」

 ダンテは左手をひらひらと振ってみせた。

「ただの棒じゃねえよ。妙な気配がしやがる。大事にしとけ」

 ダンテは、玄関の土間へ降りた。蹴破った戸の向こうで、振り返らずに片手を上げた。

「寝とけよ、七原。顔が死んでる」

 赤いコートの背中が、路地の闇に溶けていった。

 遠ざかる足音は、最後まで、少しも忍んでいなかった。

 

 七原は、しばらくその場から動けなかった。

 腕時計を見た。二時十六分。

 ちゃぶ台の上に、桃の缶が残っていた。缶の底には、最後の一切れが、シロップに浸かったまま沈んでいた。

 ダンテが、つまもうとしてやめた一切れだった。

 七原は、這うようにしてちゃぶ台の前まで行った。缶を手に取り、しばらく見つめた。この缶は、ダンテが目の前で開けた。ダンテが目の前で食べた。毒は、目の前で流しに捨てられた。

 それでも、指が動かなかった。

 灯台で、あのシチューを口に運んだときも、誰も疑っていなかった。

 七原は目を閉じた。

 ノブの顔が浮かんだ。首輪が鳴る直前、自分を見た顔。三村の顔が浮かんだ。「なんで今、桐山なんだ」と訊いてきた顔。典子の寝息を思い出した。帰らなければならない場所が、まだあった。

 誰も信じないで、どうやって帰るつもりだ。

 七原は目を開け、最後の一切れを指でつまみ上げて、口に入れた。

 甘かった。

 甘すぎるくらいだった。

 七原は、缶を握りしめたまま、少しだけ泣いた。

 

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