俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル 作:Melo13131
校門の前には、誰もいなかった。
零時五十二分に廃校を出たルーデウス・グレイラットは、門柱の陰、植え込みの裏、校庭の隅の物置の影と、エリスが隠れていそうな場所を一つずつ覗いて回った。声を殺して名前を呼んだ。返事はなかった。
「エリス」
もう一度呼んだ。夜の校庭に、自分の声が吸い込まれていくだけだった。
待ってるから、と彼女は言った。エリスは、言ったことを曲げる人間ではない。曲げるくらいなら、最初から言わない。それなのに、ここにいない。
待てなかった理由がある、ということだ。
誰かに見つかったのか。追われたのか。それとも、誰かを追ったのか。
ルーデウスは、自分の心臓がいやな音を立てているのを聞いていた。考えられる可能性の中で、良いものは一つもなかった。
一時を過ぎても、エリスは現れなかった。一時二十六分になれば、ここは禁止エリアになる。ルーデウスは、最後にもう一度校門を振り返り、闇の中へ走り出した。
それから四時間近く、ルーデウスは島を歩き続けた。
集落の方角へ向かい、途中で引き返し、森の縁をなぞるように南へ下った。懐中電灯は点けなかった。代わりに、足もとに小さな光を灯す程度の魔術を、ときどき使った。魔力は、いつも通りに体の中を巡っていた。魔導鎧がないことを除けば、自分の力は何も奪われていない。
背中には、支給品の斧を括りつけていた。デイパックを開けて出てきたとき、ルーデウスは少しだけ笑ってしまった。魔術師に斧。この島を仕切っている男は、どうやら支給品を人に合わせて配るつもりはないらしい。
歩きながら、ルーデウスはずっと、同じ計算を繰り返していた。
二十四人。生き残るのは一人。
その一人が自分なら、自分は家に帰れる。シルフィのもとへ。ロキシーのもとへ。子供たちのもとへ。
その代わり、エリスは死ぬ。
その一人がエリスなら、エリスは家に帰れる。その代わり、自分は死ぬ。
二人で帰る、という答えは、この計算のどこにもなかった。
ルーデウスは、首輪に指を掛けた。冷たい金属は、何も答えなかった。
羂索という男は、何者なのだろう。見えない力で人を床に縫い止め、世界の違う二十四人をこの島に集めた。そんなことができる存在を、ルーデウスは一つしか知らない。
ヒトガミ。
夢の中で笑う、あの顔のない神。
確証はなかった。羂索は、ヒトガミの使徒なのかもしれない。あるいは、まったく関係のない、別の世界の化け物なのかもしれない。どちらにしても、今のルーデウスには、それを確かめる手段がなかった。
確かなのは、帰れるのは一人だということだけだった。
空の端が、わずかに白み始めていた。
四時四十二分。ルーデウスは、森を抜けた先の、小高い丘の麓に立っていた。見上げると、苔むした長い石段が、丘の上へと続いていた。石段の頂には、小さな社の屋根が見えた。
その石段の、ちょうど中ほどに、人が座っていた。
ルーデウスは、とっさに木立の陰に身を沈めた。
燕尾服の老人だった。教室で、羂索に「立会人はどなたが」と尋ねていた老人。背筋をまっすぐに伸ばし、石段に腰を下ろして、白み始めた東の空を眺めている。膝の上に、何か小さな銀色のものを載せ、白い手袋をはめた指で、ハンカチを使ってゆっくりと磨いていた。
フォークだった。
ルーデウスは、木立の陰から老人の背中を見つめた。距離は、三十メートルほど。老人は、こちらに気づいている様子がなかった。
心臓が、また嫌な音を立て始めた。
老人だ。どう見ても、七十は超えている。武器はフォーク一本。教室で見た限りでは、魔力の気配もなかった。
今なら、殺せる。
岩砲弾を一発。背中から。老人は、何が起きたかも分からずに死ぬ。痛みもほとんど感じないだろう。
そうすれば、残りは二十三人になる。
ルーデウスは、自分の右手が、ゆっくりと持ち上がっていくのを見ていた。掌の先に、魔力が集まっていく。拳ほどの大きさの石が、指先の前で形を成し、回転を始める。
エリスを帰すために。
いや、自分が帰るために。
どちらなのか、自分でも分からなかった。分からないまま、石はどんどん硬く、どんどん速く回っていく。
一人殺せば、次も殺せる。次を殺せば、その次も。最後にエリスと二人になったとき、自分はどうするのだろう。
指先が、震えた。
石の回転が、わずかにぶれた。
「撃たれるのでしたら」
老人が、背中を向けたまま言った。
「お早めにお願いいたします。夜明けを、見逃したくはございませんので」
ルーデウスの全身が、凍りついた。
老人は、振り返らなかった。フォークを磨く手も、止めなかった。
「……いつから、気づいていたんですか」
「あなたが森を抜けて、石段の下で足を止められたときから」
穏やかな声だった。
「足音が、途中で消えましたので。人が足音を消すのは、身を隠すときか、獲物に近づくときのどちらかでございます」
ルーデウスは、右手を下ろさなかった。指先の前で、石はまだ回り続けていた。
この老人は、分かっていて、背中を向けている。
それが何を意味するのか、ルーデウスには分からなかった。油断なのか。挑発なのか。それとも、撃たれても構わないという諦めなのか。
老人が、フォークを磨く手を止めた。
ハンカチを丁寧にたたみ、胸ポケットにしまう。それから、ゆっくりと立ち上がり、ルーデウスのほうへ向き直った。
ルーデウスは撃った。
考えるより先に、指が動いていた。老人が振り向いた、その顔の真ん中へ向けて、岩砲弾が空気を裂いて飛んだ。
老人の姿が、ぶれた。
ぶれた、としか言いようがなかった。岩砲弾は、老人の頬の横をかすめ、石段の上の鳥居の柱に突き刺さった。木の砕ける乾いた音が、夜明け前の境内に響いた。
左目の奥が、熱くなった。
予見眼が、勝手に開いていた。ほんの一瞬先の世界が、二重写しになって見える。老人が石段を蹴る。一歩で、十五メートルを詰める。二歩で、目の前に来る。
ルーデウスは、左手を地面に向けた。
老人が踏み込むはずの地面が、泥に変わった。膝まで沈む、底なしの泥沼。予見眼で見た通りの場所に、見た通りの瞬間に。
老人の足は、泥に沈まなかった。
踏み込む寸前、老人は足の運びを変えていた。泥沼の縁を、爪先だけで蹴った。ありえない角度で体が横に流れ、泥の上をかすめるように跳んだ。
予見眼には、その動きが見えていた。見えていたのに、ルーデウスの体は追いつかなかった。
次の瞬間、喉もとに、冷たいものが触れていた。
フォークの先だった。
四本の細い歯が、首輪のすぐ上、喉仏の真横の皮膚に、ぴたりと当てられていた。あと数ミリ押し込まれれば、その下を流れる太い血管に届く。
老人の顔が、すぐ目の前にあった。息ひとつ乱れていなかった。
ルーデウスの右手の前には、まだ二発目の岩砲弾が形を成しかけていた。老人の胸までの距離は、三十センチもなかった。
撃てば、当たる。
撃てば、老人は死ぬ。
ただし、フォークが押し込まれるより先に撃てれば、の話だった。
予見眼が、一瞬先の世界を見せていた。石を撃ち出そうとした自分の喉に、フォークが根もとまで沈んでいく光景を。
ルーデウスは、右手の石を消した。
「賢明でございます」
老人は、フォークを引かなかった。
「あなたの目は、少し先が見えておられるようですな。先ほども、私がどこへ踏み込むかをお分かりだった」
「……見えていても、間に合いませんでした」
「ええ。見えることと、動けることは、別のことでございますから」
老人は、フォークの先をほんのわずかだけ、ルーデウスの喉から離した。
「ひとつ、お尋ねしてもよろしいですかな」
「……どうぞ」
「先ほど、背後から私を撃とうとされたとき。なぜ、すぐに撃たなかったのです」
ルーデウスは答えられなかった。
「石はもう、できあがっておりました。あとは、放つだけだった。それなのに、あなたは迷われた。私が声をかけるまで、ずいぶん長いあいだ」
老人の目が、ルーデウスの目を覗き込んでいた。刃物のような目だった。それなのに、どこか、ひどく静かだった。
「何を、迷われたのです」
「……帰りたい、家族がいます」
気づけば、口が動いていた。
「妻が三人と、子供たちと。妹たちと、母と。みんな、僕の帰りを待っています。僕は、帰らなきゃいけないんです」
「それは、立派な理由でございますな」
「でも、エリスも……妻の一人も、この島にいるんです」
声が、かすれた。
「僕が帰れば、エリスは死ぬ。エリスが帰れば、僕が死ぬ。二人では、帰れない」
老人は、何も言わなかった。
「だから、エリスを帰そうと思ったんです。僕が、エリス以外の全員を……そうすれば、最後に、僕が……」
言葉が、続かなかった。
最後に自分が死ねば、エリスは帰れる。そう考えた。そう考えて、歩き出したはずだった。
でも、それは、この老人を殺すということだった。まだ名前も知らない、夜明けを見たいと言った老人を、背中から撃つということだった。それから、あの詰め襟の少年を。あの怯えた顔の青年を。まだ中学生にしか見えない、あの少年たちを。
全員を殺して、最後に自分が死ぬ。
そのとき、自分の手は、どんな手になっているのだろう。そんな手で、エリスを送り出せるのだろうか。家に帰ったエリスは、子供たちに何と言うのだろう。お父さんは、みんなを殺して、最後に死んだ、と。
「迷って、当然でございます」
老人が言った。
フォークが、喉もとから離れた。
老人は一歩下がり、フォークの先をハンカチで拭うと、それを胸ポケットに差し込んだ。まるで、食事を終えた紳士が、食器を片付けるような仕草だった。
「……殺さないんですか」
「私は、立会人でございます」
老人は、背筋を伸ばした。
「勝負を見届けるのが、私の務め。私が手を下すのは、勝負を汚した者だけでございます。迷いながら、それでも自分の賭けるものを見定めようとしている方を、私は殺しません」
「僕は、あなたを撃ちました」
「ええ。見事な石でございました」
老人は、背後の鳥居を振り返った。柱の真ん中に、拳ほどの穴が空いていた。
「当たっていれば、私は死んでおりましたな」
老人は、なぜか少しだけ楽しそうだった。
東の空が、朱色に染まり始めていた。
老人は、ふたたび石段に腰を下ろした。ルーデウスは、しばらく立ち尽くしていたが、やがて、老人から二段下の石段に、崩れるように座り込んだ。膝が、今になって震えていた。
「夜行、と申します」
老人が、東の空を見たまま言った。
「夜行妃古壱。賭郎という組織で、立会人を務めております」
「……ルーデウス・グレイラットです」
「存じております。名簿で拝見いたしました」
夜行は、懐から名簿を取り出した。
「グレイラットの姓が、二つございましたので。どちらかが奥方だろうと」
しばらく、二人とも黙っていた。
朝日の最初の一筋が、水平線から顔を出した。夜行は、それを目を細めて見つめていた。
「ルーデウス様」
「はい」
「賭けというものは、自分が何を賭けているのかを知らぬ者から、負けてまいります」
夜行は、朝日から目を離さなかった。
「あなたは、ご自分の命と、奥方の命と、それから、ご自分の手の綺麗さを、同じ卓に載せておられる。どれを賭けて、どれを守るのか。それを決めるまでは、石を撃つべきではございませんな」
「……決められなかったら」
「決められぬまま撃てば、今しがたのように、外れます」
ルーデウスは、自分の右手を見下ろした。
この手は、これまでに何人もの人を殺してきた。戦場で。守るべきもののために。そのたびに、迷わなかったわけではない。けれど、少なくとも、何のために撃つのかは分かっていた。
今は、分からなかった。
「夜行さん」
「はい」
「あなたは、何を賭けているんですか」
夜行は、ゆっくりと振り返った。朝日を背にしたその顔は、逆光でよく見えなかった。
「私は、立会人でございます。賭けるものはございません」
夜行は、ほんのわずかに口もとを緩めた。
「ただ、この勝負が、最後まで正しく行われるのを見届けたい。それだけでございます。胴元が、本当に約束を守るのかどうかも含めて」
夜行の目が、一瞬だけ、冷たく光った。
ルーデウスは、教室での夜行を思い出していた。立会人は私だ、と羂索が答えたとき、この老人の目が、ほんの少しだけ冷えたことを。
この老人は、羂索を、立会人として認めていないのだ。
「六時には、放送がございます」
夜行は立ち上がり、燕尾服の裾を払った。
「それまで、ここで朝日を見ていかれるとよろしい。この社は、島のずいぶん遠くまで見渡せますので。奥方が近くを通られれば、目に留まるやもしれません」
「夜行さんは」
「私は、少し歩いてまいります。勝負の行方を、この目で見ておきたいので」
夜行は、一段ずつ、確かな足取りで石段を降りていった。途中で一度だけ足を止め、振り返らずに言った。
「ルーデウス様。次に石を撃たれるときは、迷わずにお撃ちなさい」
「……」
「迷って撃つ石は、誰も救いませんので」
燕尾服の背中が、朝靄の中に遠ざかっていった。
ルーデウスは、石段に座ったまま、朝日を見ていた。背中に括りつけた斧が、ひどく重かった。
左目の奥が、まだ熱かった。予見眼が最後に見せた光景が、瞼の裏から消えなかった。自分の喉に、フォークが根もとまで沈んでいく一瞬先の未来。
あの未来は、来なかった。
来なかったのは、自分が撃たなかったからだ。
撃たなかったのは、迷ったからだ。
「エリス」
ルーデウスは、朝日に向かって小さく呟いた。
「君は今、どこにいるんだ」
答える声は、なかった。
遠くで、鳥が一羽、鳴いた。
【残り24人】