俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル 作:Melo13131
島の東の崖は、夜明けの光の中で、刃物で切り落としたような断面をさらしていた。
乃木憂助は、崖の縁から二メートルほど手前に膝をつき、双眼鏡も持たないまま、目を細めて沖を見ていた。
海岸から二百メートルほど先の海面が、ときおり、陽炎のように揺らいでいた。朝日の角度が変わるたびに、そこだけ光が不自然に歪む。水平線まで続いているはずの海が、その揺らぎを境に、薄い膜を一枚隔てたように見える。
結界。羂索という男は、そう言っていた。
乃木は、その揺らぎを、夜明け前から一時間近く観察していた。揺らぎは島をぐるりと囲んでいる。高さはおそらく、空の上まで。途切れ目は見当たらない。船で近づいても、泳いで近づいても、あの膜の手前で首輪が鳴るのだろう。
物理的な壁ではない、と乃木は判断していた。電波でも、電磁的な障壁でもない。自分の知っているどんな技術とも違う。
——理屈の分からないものを相手に、正面から挑むのは愚策だ。
頭の中で、別の声がした。
『だったら、理屈の分かるところから攻めろ。首輪を作ったのは人間か、それとも人間じゃない何かか。人間が関わってるなら、必ず穴がある』
F。乃木の中に住む、もう一人の自分。子供の頃から、乃木が追い詰められるたびに現れ、乃木の代わりに怒り、乃木の代わりに戦ってきた男だ。
乃木は、小さく頷いた。
右手には、支給品の鎌を握っていた。草刈りに使う、刃の湾曲した、ありふれた鎌だ。刃はよく研がれていた。武器としては、心もとない。だが、使い方次第では、人の喉を裂くには十分だった。
腕時計を見た。五時五十七分。
あと三分で、最初の放送がある。
乃木は、立ち上がろうとした。
そのとき、背後の森の縁で、枝が鳴った。
振り返ると、男が一人、森から出てくるところだった。
細身の男だった。年齢はよく分からない。二十代にも、三十代にも見えた。服装も、どこの国のものとも、どの時代のものともつかない。ただ、その目だけが、妙に楽しそうに光っていた。
教室で、立ち上がりざまに赤いコートの男と口もとに傷のある大男を眺め、「強そうなのが、ごろごろいる」と嬉しそうに言っていた男だった。
男は、長い銃を肩に担いでいた。銃口のほうを握って、銃床を後ろにぶら下げている。まるで、釣り竿か物干し竿でも担ぐような持ち方だった。
ドラグノフ。
乃木の目は、一瞬でその銃の種類を見分けていた。ソ連製の、セミオートの狙撃銃。弾倉には、十発入る。
そして、あの持ち方。この男は、銃の使い方を知らないか、知っていても、使う気がない。
「お」
男が、乃木に気づいた。
男の視線は、乃木の顔ではなく、乃木の右手に吸い寄せられていた。朝日を反射して光る、鎌の刃に。
「いいもん持ってるじゃん」
男は、心底嬉しそうに笑った。
「刃物だ。やっと刃物だ。一晩じゅう歩き回って、見つけたのはこれだけでさあ」
男は、肩の狙撃銃を、無造作に揺すってみせた。
「鉄砲なんてもん、俺にはどうにも使い道がなくてね」
『憂助』
Fの声が、低くなった。
『こいつはヤバい。見りゃ分かるだろ。こいつは、刃物さえ握れば、人間を豆腐みたいに斬る類の奴だ』
乃木にも、それは分かっていた。
男の立ち姿には、力みがどこにもなかった。無防備に見えて、どこから打ち込んでも斬り返される気がした。乃木は、これまでに何人もの兵士や工作員と向き合ってきた。その誰とも、この男は違っていた。
人を殺すことを、呼吸のように楽しんでいる目だった。
「柳の剣のソウジロウ。名簿にそう書いてあったろ」
男は、狙撃銃を担いだまま、一歩近づいた。
「あんた、人を斬ったことあるな。いや、撃ったことのほうが多いか。立ち方で分かる」
「……乃木です」
「のぎ。いい名前だ」
ソウジロウは、また一歩近づいた。距離は、十メートルを切っていた。
「なあ、乃木さん。その鎌、ちょっと貸してくんない?」
乃木は答えなかった。
「貸してくれたら、あんたを斬る。貸してくれなくても、たぶんあんたを斬る。けど、貸してくれたほうが、ちゃんと斬れる。どっちがいい?」
冗談を言っている顔ではなかった。
乃木の背後は、崖だった。高さは三十メートルはある。落ちれば助からない。前には、この男がいる。
『渡すな』
Fが言った。
『刃物さえなけりゃ、こいつは、ただの人間より少し強いだけの男だ。刃物を渡した瞬間、お前は死ぬ』
——分かっている。
『なら、どうする。鎌を握って、こいつとやり合うか? 勝てると思うか?』
——思わない。
乃木は、鎌を握ったまま、ソウジロウの目を見ていた。
この男は、刃物が欲しい。刃物を握った自分の強さを知っている。そして、刃物のない斬り合いには、きっと興味がない。
なら、刃物をこの世から消せばいい。
乃木は、鎌を持った右手を、後ろへ振った。
ソウジロウの目が見開かれた。男が地面を蹴るのと、乃木の手から鎌が離れるのは、ほとんど同時だった。
鎌は、朝日の中をくるくると回りながら、崖の縁を越えていった。
ソウジロウが崖の縁に飛びついたときには、鎌はもう、三十メートル下の、白く砕ける波の中に消えていた。
しばらく、ソウジロウは崖の下を覗き込んだまま動かなかった。
「……うわ」
やがて、男は、ひどく情けない声を出した。
「捨てた。捨てたよこの人。せっかくの刃物」
乃木は、崖の縁から数歩離れた場所に立っていた。両手は空だった。ソウジロウが素手で向かってくれば、Fに体を明け渡して、できる限りのことをするつもりだった。勝てるとは思っていなかった。
ソウジロウは、崖の縁にしゃがみ込んだまま、振り返った。
笑っていた。
「あんた、いいね」
楽しそうな声だった。
「刃物を渡したら死ぬって分かってて、しかも、自分が持ってても勝てないって分かってて、だから海に捨てた。俺を斬れないなら、俺にも斬らせないってわけだ。いいね。すごくいい。そういう奴、好きだよ」
ソウジロウは、立ち上がった。
「でもさ、つまんないんだよね。素手じゃ」
男は、肩に担いでいた狙撃銃を下ろし、乃木の足もとに、ぽいと投げた。銃は、乾いた音を立てて、乃木の爪先の手前に転がった。
「それ、あげる。俺には使い道がないし」
「……」
「あんたは、それ使えるんだろ? 撃ったことのほうが多そうだもんな。だったら、それ持って、もうちょっと強くなっといてよ。次に会うときは、俺も刃物持ってくるからさ」
ソウジロウは、くるりと背を向けた。
「そしたら、ちゃんと斬り合おう。約束な」
鼻歌まじりに、男は森のほうへ歩き出した。
乃木の爪先の前に、ドラグノフが転がっていた。
『撃て』
Fの声は、ひどく冷たかった。
『今しかない。あいつは、次に会ったら、お前を斬る。お前だけじゃない。刃物を一本拾えば、この島の半分を斬る。あいつが背中を向けてる、今しかないんだ』
乃木は、しゃがみ込み、狙撃銃を拾い上げた。
重さを確かめる。ボルトを引き、薬室を覗く。弾は入っていた。弾倉を抜き、残弾を数える。十発。弾倉を戻す。手が、覚えていた。考えるより先に、手が動いていた。
ソウジロウの背中は、四十メートル先にあった。森の縁まで、あと十メートル。男は、一度も振り返らなかった。
乃木は、片膝をついて銃を構えた。
スコープの中に、男の後頭部が浮かんだ。
腕時計の秒針が、五時五十九分五十秒を回った。
あと十秒。
六時ちょうどに、放送が始まる。島じゅうの参加者が、息を殺して、読み上げられる名前に耳を澄ます。あの男も、きっと耳を傾ける。そして、声は、銃声を半分くらいは隠してくれるだろう。
三。
二。
一。
『——おはよう、諸君』
空から、声が降ってきた。
どこから聞こえているのか分からない声だった。スピーカーの音ではない。島を覆う膜そのものが震えて、声を運んでいるようだった。
乃木は、引き金を絞った。
その瞬間、スコープの中で、ソウジロウの頭が、ほんのわずかに傾いた。
空から降ってきた声のほうへ、顔を上げたのか。それとも、背中に突き刺さる何かを感じ取ったのか。乃木には分からなかった。
銃声が、崖に跳ね返った。
弾丸は、男の耳の数センチ横の空気を裂き、その先の杉の幹に食い込んだ。樹皮が弾け飛んだ。
ソウジロウは、振り向かなかった。
振り向かずに、真横へ跳んでいた。二発目を撃つより先に、男の体は森の縁の藪に飛び込み、見えなくなった。
乃木は、藪に向かって二発目を撃った。葉が散った。手応えはなかった。
静寂が戻ってきた。
その静寂の中で、森の奥から、笑い声が聞こえてきた。
「あははっ! いいね! いいねえ、乃木さん!」
声は、少しずつ遠ざかっていった。
「やっぱり、あんた最高だ! 次は絶対、刃物持ってくるから! 楽しみにしててよ!」
笑い声が、森の奥に吸い込まれて消えた。
乃木は、狙撃銃を構えたまま、長いあいだ動かなかった。
『……外したな』
Fが言った。
——外した。
『次は、ねえぞ』
乃木は、銃口を下ろした。額に、冷たい汗が浮いていた。
空からは、まだ羂索の声が降り続けていた。
『——というわけで、最初の六時間が終わったよ。みんな、よく眠れたかな。眠れなかった人のほうが多そうだけどね』
柔らかい、楽しげな声だった。
『では、この六時間で亡くなった参加者を発表しよう。一人だけだ』
『金剛阿含くん』
『以上。残りは、二十三人』
乃木は、名簿を取り出して、その名前に線を引いた。顔を思い出そうとした。ドレッドヘアに、サングラスの若い男。教室で、一言も口をきかなかった男だ。
『いやあ、正直ほっとしたよ。二十四時間、誰も死ななかったら、全員の首輪が爆発してしまうからね。そうならなくてよかった。みんなもそう思うだろう?』
声は、くすくすと笑った。
『さて、次は禁止エリアだ。よく聞いて、地図に印をつけておくこと』
『七時から、G-1』
『九時から、E-6』
『十一時から、J-3』
『もう一度言うよ。七時からG-1。九時からE-6。十一時からJ-3。一度禁止エリアになった場所は、二度と戻らない。うっかり入ったら、国信くんと同じことになるからね』
乃木は、地図に三つの印をつけた。E-6は、廃校のすぐ南だった。島の真ん中が、少しずつ削られていく。
『次の放送は、十二時だ。それまで、どうか元気で。——ああ、それと』
声が、ほんの少しだけ低くなった。
『始まったばかりで、もう分かったと思うけれど。この島には、君たちの常識が通じない人間が、何人もいる。誰を信じて、誰を疑うか。よく考えて選ぶといい。選ぶ時間があるうちにね』
声が途切れた。
膜の震えが収まり、波の音だけが戻ってきた。
乃木は、崖の縁に立ち、沖の揺らぎを見つめた。狙撃銃を、肩に担ぎ直した。ソウジロウとは違う、正しい持ち方で。
『憂助』
Fが言った。
『あいつは、刃物を拾ったら、必ず戻ってくる』
——分かっている。
『そのとき、お前は撃てるか』
乃木は、答えなかった。
答えは、もう決まっていた。
朝日が、島の東の崖を、赤く照らし始めていた。
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