俺の好きなキャラだけ集めたバトル・ロワイアル 作:Melo13131
放送が終わると、診療所の待合室はふたたび静まり返った。
折原臨也は、日に焼けて色の抜けた長椅子に寝そべったまま、天井の雨染みを眺めていた。羂索の声は、どこか一か所から聞こえてきたのではなかった。窓ガラスも、薬棚に並んだ茶色い瓶も、床板の釘の一本一本までがかすかに震えて、あの穏やかな声を運んでいた。スピーカーなら壊せば済む。だがこれは違う。島そのものが喋っているのだ。
「金剛阿含、ね」
臨也は身を起こし、名簿を広げて、その名前の横に鉛筆で細い線を一本引いた。ドレッドヘアの、周りの人間を一人残らず見下すような目をした男だった。ああいう手合いは長生きしないか、しぶとく最後まで残るかのどちらかだと思っていたが、前者だったらしい。六時間で一人。少ない、と臨也は思った。あの教室には、人を殺すことに慣れた目をした人間が何人もいた。彼らはまだ動いていないのか、それとも動いた結果を、羂索がまだ読み上げていないだけなのか。
――この島には君たちの常識が通じない人間が何人もいる。
羂索の締めくくりの言葉を、臨也は舌の上で転がした。親切な忠告の形をしているが、あれは火種だ。常識の通じない人間が何人もいると言われれば、誰もが自分以外の全員をそちら側に数えはじめる。疑心暗鬼を育てるのに、これ以上の肥料はない。
「わかってるなあ、あの人」
感心したように呟いてから、臨也は自分の首に指を当てた。冷たい金属の輪が、喉仏のすぐ下で肌に沿っている。位置と生死を主催者に送る首輪。羂索はそう説明した。
だが、と臨也は考える。位置と生死を送れるものが、音を送れない理由はない。自分が主催者なら、参加者の会話を聞かずにこの見世物を眺めるなどという、もったいないことはしない。確証はない。確かめる方法もまだない。だから臨也は、出発してからこのかた、独り言の量をいつもより控えめにしていた。控えめにしたうえで、ときどきわざと聞かせるような独り言を混ぜている。聞かれているなら、聞かれていることを前提に遊べばいい。
長椅子の脇には、デイパックと一緒に、白鞘の日本刀が立てかけてある。出発して最初の茂みで中身を確かめたとき、臨也は思わず笑ってしまった。よりによって、これか。
刃物は好きだ。ただ、臨也の好きな刃物は、袖の中に隠せて、相手が気づいたときにはもう喉元にあるような、小さくて速いものだった。刃渡り七十センチを超える鋼の塊は、持っているだけで「私は武器を持っています」と周囲に宣伝しているようなものだ。抜けば重く、振れば遅い。静雄なら片手で刃ごと握り潰すだろう。
それでも、ないよりはましだった。
臨也は薬棚から持ち出した包帯と消毒薬、鎮痛剤の箱をデイパックの底に詰め直した。診療所に着いたのは三時過ぎだ。窓の割れた裏口から入り、ひととおり物色し、待合室の、入口と裏口の両方が見える位置に陣取った。この島で一番人が集まるのは、たぶん水と食料のある場所で、その次が薬のある場所だ。怪我人はいずれここへ来る。怪我人は弱っていて、弱っている人間は口が軽い。情報屋が情報のない島に放り込まれたのなら、まずは情報が向こうから歩いてくる場所に座っておけばいい。
壁の時計は止まっていた。支給品の腕時計を見る。六時三十八分。
砂利を踏む音がしたのは、その二分後だった。
臨也は音もなく長椅子から降り、日本刀を掴んで受付カウンターの陰に身を沈めた。足音は一人分。忍ぶ気配がまったくない。砂利道を、散歩でもするような歩幅でまっすぐこちらへ向かってくる。やがて、立て付けの悪い正面のガラス戸が、がたがたと盛大な音を立てて開いた。
『おじゃましまーす』
間の抜けた声だった。
カウンターの陰から、臨也は床に落ちた人影の先を目で追った。黒い学ラン。痩せた体つき。どこにでもいそうな、ぼんやりとした顔の少年が、待合室の真ん中で首を傾げている。
臨也はその顔を覚えていた。出発のとき、羂索は一人ずつ名前を呼んだ。呼ばれた名前と立ち上がった顔を、臨也は全員ぶん頭の中で結びつけてある。
球磨川禊。
教室で、国信という少年の首が弾けた瞬間、ほとんどの人間は目を背けるか、凍りつくか、怒りに顔を歪めた。この少年だけが、何も変わらなかった。驚きも嫌悪も浮かべず、ただ少しだけ、つまらなそうにしていた。臨也はそれを見て、この教室で一番わからないのはこいつかもしれない、と思ったのだ。
球磨川は、待合室をひととおり見回すと、長椅子に腰を下ろし、背負っていたデイパックを膝に乗せた。そしてそのまま、ファスナーを開けはじめた。
まだ開けていなかったのか、と臨也は内心で呆れた。六時間以上も、自分の武器が何かを確かめずに歩き回っていたことになる。
『さてさて、何が出るかな。僕はくじ運が悪いからなあ。どうせハズレなんだろうけど』
鼻歌まじりに、球磨川は水のボトルとパンと地図を長椅子の上に並べていく。最後に、底のほうから、分厚い黒い布の塊を引っぱり出した。広げると、それはベストの形をしていた。
『……防弾チョッキだ』
球磨川はしばらくそれを眺めてから、ぷっと吹き出した。
『撃たれる予定なんてないのに。あ、でも撃たれるか。僕だもんね』
ひとりで納得して、学ランの上からもぞもぞとチョッキを着込み、脇のベルトを締める。サイズが合っておらず、肩のあたりが妙に浮いていた。それから球磨川は、誰もいないはずの受付カウンターのほうへ、ひょいと顔を向けた。
『そこの人も、いつまでもそんなところにしゃがんでると、足しびれちゃうよ?』
臨也は小さく息を吐いた。
気づかれていたこと自体は、さほど意外ではなかった。入ってきた瞬間から、この少年はカウンターの方を一度も見なかった。見ないようにしていた、と考えれば筋が通る。意外だったのは、気づいていながら、背中を向けて荷物を広げてみせたことだ。刃物を持った人間がいるかもしれない場所で、防弾チョッキを探して鼻歌を歌う。度胸なのか、無頓着なのか、それとも別の何かなのか。
臨也は日本刀を左手に提げたまま立ち上がり、カウンターを回り込んだ。
「やあ。ばれてた?」
『ばれてたっていうか、診療所なんだから誰かいるよね、普通。僕だったら、ここに住むもん』
球磨川はにこにこと笑った。臨也の手の刀には、ちらりとも目を向けない。
『きみ、折原臨也ちゃんだよね。バーテン服の金髪の人に、すごい目で睨まれてた人』
「……ちゃん?」
『あれ、いやだった? 僕、仲良くなりたい人のことはそう呼ぶことにしてるんだ』
臨也は一瞬だけ言葉に詰まり、それから声を上げて笑った。
「いや、いいよ。いいね。あいつに聞かせてやりたいな。俺がシズちゃんって呼ぶと、いつも自販機が飛んでくるんだよ」
『シズちゃん! いいね、かわいい』
「かわいくはないよ。全然かわいくない。あれは人間の皮をかぶった災害だから」
臨也は向かいの長椅子に腰を下ろした。刀は膝の上に横たえ、鞘を払わずに柄に軽く手を置いておく。抜くのに一秒はかからない。この少年の細い腕と、ふらふらとした立ち居振る舞いを見るかぎり、一秒あれば足りるはずだった。
「球磨川君、だったよね。ずいぶん気楽に歩いてたけど、怖くないの?」
『怖いよ? 怖くて怖くて、泣きそうだよ』
まったく泣きそうにない顔で、球磨川は言った。
『でもさ、怖がって隠れてても、殺される人は殺されるじゃない。さっきの放送の、ええと、阿含ちゃん? ああいう強そうな人から先に死んでいくんだよ、こういうのって。だから僕みたいなのは、たぶん最後のほうまで残るんだ。勝てないけど、なかなか死なない。そういうのが一番みじめで、一番しぶといんだよね』
臨也は目を細めた。言っていることは支離滅裂に聞こえるが、奇妙に筋が通っている。
「この六時間、誰かに会った?」
『会ってはいないよ。見かけただけ。鉄塔のところに、二人いたかな』
臨也は表情を動かさなかった。鉄塔。地図のD-3だ。
「へえ。どんな二人?」
『しゃがんでる人と、無口な女の子。しゃがんでる人は、甘いもの好きそうな顔してたなあ。女の子のほうは、じーっとこっちを見てた。見てたっていうか、僕がいるのをわかってて、わざと見てなかった感じ?』
しゃがんでいる男。臨也の記憶の中で、教室の椅子の上に膝を抱えて座っていた、猫背の青年の姿が像を結ぶ。名簿には、あの男の名前は、たったひと文字「L」としか書かれていなかった。本名が伏せられた参加者は、名簿の中であの男だけだ。主催者がわざわざ特別扱いする人間には、それだけの値打ちがある。
そして無口な少女。狙撃手のような目をした、緑がかった髪の少女だった。
「それ、何時ごろ?」
『さあ。僕、時計見ない主義だから』
「主義なんだ」
『うん。時計を見ると、遅刻したのがばれちゃうでしょ』
臨也は笑った。笑いながら、頭の中の地図にピンを二本刺した。L、D-3、深夜。無口な少女が同行。まだそこにいるとは限らないが、あの手の男は一度拠点を決めたら、よほどのことがないかぎり動かない。
「いい情報をありがとう。お礼をしないとね」
『お礼なんていいよ。僕、人の役に立つのって苦手なんだけど、たまには立ってみたかったんだ』
「じゃあ、もう少し役に立ってみない?」
臨也はデイパックから地図を取り出し、裏返した。鉛筆の先を舐め、白い面にさらさらと文字を書きつけていく。口には出さない。聞かれているかもしれないなら、聞かせたい言葉だけを声にすればいい。
書き終えると、臨也は地図を球磨川のほうへ滑らせた。
――バーテン服の金髪の男、平和島静雄は殺し合いに乗っている。役場の方角で一人殺したのを見た。見かけたら近づくな。できるだけ多くの人間にそう伝えてほしい。
球磨川は地図を手に取り、しばらく黙って文字を追った。それから顔を上げ、にっこりと笑って、大きな声で読み上げた。
『「バーテン服の金髪の男、平和島静雄は殺し合いに乗っている。役場の方角で一人殺したのを見た」……へえ、殺したんだ、シズちゃん!』
臨也の笑顔が、ほんのわずかに固まった。
球磨川はそれに気づいたのかどうか、楽しそうに続ける。
『でも放送だと、死んだのって阿含ちゃんだけだったよね。阿含ちゃんって役場で死んだの? そうなの? 臨也ちゃん、見たの?』
「……さあ、どうだったかな」
『あ、そっか、嘘なんだ。嘘の噂を流すんだね。わあ、悪い人だ』
責める調子は、どこにもなかった。心の底から感心しているような声だった。
「嘘かどうかは、この際どうでもいいんだよ」
臨也は、固まりかけた頬をもう一度緩めた。ここで取り繕っても意味はない。聞かれていたなら、聞かれたまでだ。羂索が、臨也の嘘をいちいち訂正して回るような野暮な主催者だとは思えない。むしろ面白がって眺めるだろう。
「この島の人間は、みんな怖がってる。怖がってる人間は、わかりやすい悪役を欲しがるんだ。誰が敵かわからないのが一番つらいからね。だから名前と見た目を教えてあげる。親切だろ? シズちゃんは見た目がわかりやすいし、実際、キレたら何をするかわからない。噂が本当になるのに、たいして時間はかからないよ」
『ふうん』
球磨川は地図を膝に置き、首を傾げた。
『臨也ちゃんは、人間が好きなんだね』
臨也は、今度は本当に意表を突かれた。
「……どうしてそう思うの?」
『だって、人間をいじるのがそんなに楽しそうなんだもん。好きじゃなきゃ、そんな顔しないよ』
「そうだよ」
臨也は両手を広げてみせた。
「俺は人間を愛してる。人間全部をね。怒る人間も、泣く人間も、裏切る人間も、嘘をつく人間も、全部だ。だからこんな島に連れてこられたって、実はそれほど悪い気分じゃないんだよ。こんなにいろんな人間が、こんなに追い詰められて、こんなに剥き出しになる場所なんて、そうそうないからさ」
『そっか。僕もね、人間が好きだよ』
球磨川は膝の上の地図を、指先でとんとんと叩いた。
『特に、負けてる人間が好き。勝ってる人間は嫌い。きみは今、ちょっとだけ勝ってるよね。僕から情報をもらって、噂をばらまく係も手に入れて、刀も持ってて』
その言葉の終わりと同時に、球磨川の手が、無造作に臨也の膝の上へ伸びた。
臨也の体は、考えるより先に動いていた。柄を握り、鞘を払う。白い刃が弧を描き、伸びてきた球磨川の右の前腕を、手首の少し上から肘の手前まで、斜めに裂いた。
手応えは確かにあった。学ランの袖が割れ、その下の皮膚が割れ、赤いものが一拍遅れて噴き出した。血は床に落ち、長椅子の座面に散り、防弾チョッキの黒い生地にまだらの染みを作った。
『いったぁ』
球磨川は、自分の腕を見下ろして、そう言った。悲鳴ではなかった。転んで膝を擦りむいた子供のような声だった。
『ひどいなあ、臨也ちゃん。僕、刀を見せてもらおうと思っただけなのに』
「……悪いね。反射なんだ」
臨也は刀を構え直した。浅くはない傷だ。放っておけば、この少年はここで血を失って動けなくなる。この先どうするかを、臨也は頭の中で素早く組み立てはじめた。
組み立て終わる前に、球磨川が言った。
『まあいいや。なかったことにしよう』
臨也は、その瞬間を見逃さないように目を見開いていた。見開いていたのに、何が起きたのかわからなかった。
傷がなかった。
塞がったのではない。治ったのでもない。割れていたはずの学ランの袖はつながっていて、その下の手首は白く、血の一滴もついていなかった。床の上の血だまりも、長椅子の染みも、防弾チョッキのまだら模様も、どこにもなかった。臨也の手の中の刀身だけが、まだ振り抜いたばかりの角度で、何も斬らなかったかのように光っていた。
刃には、血がついていなかった。
「……今の、何?」
『大嘘憑き』
球磨川は、ぐるぐると右手首を回してみせた。
『現実を、なかったことにできるんだ。怪我とか、そういうの。でもここだと、首輪とか、死んじゃった人とかはだめなんだって。ずるいよね』
臨也は、ゆっくりと息を吸った。背中を冷たい汗が一筋流れていくのがわかった。そして同時に、口の端が勝手に吊り上がっていくのも、止められなかった。
治療ではなく、消去。怪我をなかったことにできるなら、この少年は致命傷でない限り、何度斬られても元に戻る。そして、なかったことにできるのが怪我だけだという保証は、どこにもない。
「すごいね。すごいよ、球磨川君。本当に」
『えへへ。褒められちゃった。じゃあ、お返しに』
球磨川は、臨也の構えた刀を指さした。
『それも、なかったことにしとくね』
臨也の両手が、空を握った。
重さが消えていた。つい今しがたまで掌の中にあった鋼の塊が、柄も、鍔も、刃も、跡形もなかった。膝の上に落ちたはずの白鞘も消えていた。臨也の両手は、刀を構えた形のまま、何もない空間に向けられていた。
『あ、ごめん。取り上げたわけじゃないよ。最初からなかったことにしただけ』
球磨川は、申し訳なさそうに眉を下げた。まったく申し訳なくなさそうな目で。
『だって臨也ちゃん、ずっとあの刀のこと、気に入らなさそうに持ってたじゃない。似合わないものを持ってると、勝っちゃうでしょ? 勝ってる人を見ると、僕、どうしても足を引っ張りたくなっちゃうんだ』
臨也は、空になった両手をゆっくりと下ろした。
「……それ、俺が怒るとは思わないの?」
『思うよ。でも、僕は悪くない』
球磨川は、あっさりと言った。
『だって、先に斬ったのは臨也ちゃんだもん』
しばらく、待合室には何の音もしなかった。割れた裏口の窓から、朝の風が入ってきて、薬棚の瓶をかたかたと鳴らした。
臨也は、自分がこの少年を殺せるかどうかを考えた。武器はない。素手で首を絞めることはできるかもしれない。だが絞めている途中で、この少年が「なかったこと」にするのが、首を絞められていることなのか、臨也の手なのか、臨也そのものなのか、わからない。わからないものに手を出すのは、情報屋のやることではない。
そして何より、殺すのは惜しかった。
「わかったよ。俺の負けだ」
臨也は肩をすくめて、長椅子の背にもたれた。
『やった。僕、生まれて初めて勝ったかも』
「どうかな。刀が一本なくなっただけで、俺はまだ何も負けてない気もするけどね」
『だよね。やっぱり僕は勝てないんだ』
球磨川は、なぜか嬉しそうに笑った。
それから、膝の上の地図をきれいに四つ折りにして、学ランの内ポケットにしまった。
『じゃあ、この噂、ちゃんと広めておくね。シズちゃんは乗ってる、役場で人を殺した、近づくな』
「……いいの?」
『いいよ。約束だもん。でもね』
球磨川は立ち上がり、デイパックを背負った。サイズの合わない防弾チョッキが、肩の上でぶかぶかと揺れた。
『僕は嘘つきだから、言いたいように言うよ。「臨也ちゃんがそう言えって言ってた」って、うっかり付け足しちゃうかもしれないし、付け足さないかもしれない。どっちになるかは、僕にもわかんない』
臨也は、笑うしかなかった。
「最高だね、君」
『よく言われる。嘘だけど』
球磨川はがたがたとガラス戸を開け、朝の光の中へ出ていった。砂利を踏む足音が、来たときと同じ、散歩のような歩幅で遠ざかっていく。一度も振り返らなかった。
臨也は長椅子に座ったまま、自分の両手を見下ろした。
指が、ほんのわずかに震えていた。怖いのか、嬉しいのか、自分でもよくわからなかった。わからない、という感覚そのものが、臨也にはひどく新鮮だった。
人間は、観察すれば読める。欲しいもの、怖いもの、隠したいものを見つければ、あとは糸を引くだけで思いどおりに踊ってくれる。臨也はずっとそうやって生きてきたし、それが人間を愛するということだと思ってきた。
だが、あの少年の糸は、どこにもつながっていなかった。欲しいものがないのではない。負けることを欲しがっている。そんな人間を、どう踊らせればいいのか。
臨也は、首輪にそっと指を触れた。
さっき球磨川が読み上げた噂は、もし首輪が音を拾っているなら、一字一句そのまま羂索の耳に届いたはずだ。書いて渡した意味は、なくなった。
「まあ、いいか」
誰にともなく、臨也は声に出して言った。今度は、聞かれることを前提にした声だった。
「噂は、流れてからが本番だからね」
そして立ち上がり、薬棚から、細身のメスを一本抜き取った。刃渡りは十センチにも満たない。袖の中に、ちょうどよく収まった。
腕時計を見る。六時五十三分。
鉄塔へ向かうか、それとも役場へ向かって、噂の火元が燃え広がる様子を見物するか。臨也は少しだけ迷い、迷っている自分がおかしくて、また笑った。
残り、二十三人。