美香と河童木◎(旧題:ウイニングポス党)   作:ZIPMAN

14 / 15
お気に入りも感想もありがとうございます!
感謝感激、雨霰ですわ~!
というわけで、予約のはずが投稿推してしまったので、更新です。これは投稿後に書いてます。


はじまり

 

 

 荒い息を肩でしながら、舗装された道の脇を駆け抜ける。視界の端を刈り取りを待つ畑と牧草地が次々と流れていく。

 

 背中で揺れる黒のランドセルが邪魔で、できるだけ暴れないよう、肩のベルトをつかみながら走った。

 

 風はもう真夏のものではない。けれど、走っている俺にはそんなものは関係なく、額から汗が流れていた。

 

 遠くに見慣れた厩舎の屋根が見えてくる。

 

「くそ、間に合え……!」

 

 小学生になってから、それなりに身体は大きくなった。

 

 とはいえ、所詮は子供の足だ。

 

 前世なら大した距離でもなかっただろう道が、今はやたらと長い。

 

 それでも足を緩める気持ちは一切湧かなかった。

 

 なにせ、シアのことだからだ。

 

 牧場を離れてからも、祖父のところには時折、向こうでの様子が伝わってきていた。

 

 一か月ほど前には、本格的に調教を始めたと聞いた。

 

 まだ身体に緩いところは残っているものの、調教そのものは順調らしい。

 

 それからしばらくして、ゲート試験にも無事合格したという連絡があった。

 

 ああ、いよいよ本当に競走馬になるんだなと思ったのを覚えている。

 

 そして数日前、次の開催で新馬戦に使うという話が届いた。

 

 その日が、今日だった。

 

 ついにシアが競馬場を走る。

 

 それを聞いて、一日中、いやこの報せをきいてからというものの、ずっと待ちわびていたのだ。

 

 放牧地の馬が、お帰りとばかりに食んでいた草から顔を上げる。

 

「ただいま!」

 

 いつもならそのまま近寄って頭の一つでも撫でるが、今日は声かけだけで勘弁してもらう。

 

 勢いのまま玄関へ駆け込み、靴を脱ぎ散らかしてテレビのある居間へと駆け込む。

 

「もう始まった!?」

 

「おう、お帰り。まだ間に合うぞ」

 

 居間の扉を開けると、中にいたすでにじいちゃんが待っていた。

 

 ランドセルを放り出してテレビの前へ滑り込む。

 

 画面には、ちょうどパドックを周回する馬たちが映っていた。

 

「間に合った……」

 

 膝に手をついたまま息を整える。

 

 画面の下に馬番と馬名が並んでいる。

 

 その中の一頭を探していると、実況とは別の落ち着いた声がテレビから流れてきた。

 

『続いて――アサノアカシア。牝馬。父ジャッジアンジェルーチ』

 

 画面が切り替わる。

 

 そこに、一頭の牝馬が映った。

 

 アサノアカシア。

 

 それが、シアの競走馬としての名前だった。

 

 母のミスアカシアからアカシアをもらったらしい。

 

 名前そのものは前に聞いていた。

 

 けれど、テレビの向こうから競走馬として呼ばれるのを聞くと、妙な感じがする。

 

 牧場にいた頃、俺がずっと世話をしていた馬が。

 

 今は馬主がいて、調教師がいて、騎手を乗せて、競馬場のパドックを歩いている。

 

「……でかくなったなあ」

 

 思わず声が漏れた。

 

 当然といえば当然だった。

 

 最後に間近で見た頃と比べれば、身体つきはずいぶん競走馬らしくなっている。

 

 首から肩にかけての線も、後ろ脚の筋肉も、牧場にいた頃とは違う。

 

 ただ、他の馬と見比べると、まだどこか幼い。

 

『馬体そのものは悪くありませんが、少し緩さが残っていますね』

 

『もう少し先で良くなってきそうな感じでしょうか』

 

 解説者たちの評価も、だいたいそんなものだった。

 

 これは別に驚かない。

 

 シアは幼駒の頃から、見る人が見れば誰でも分かるような馬ではなかった。

 

 河童木は無印。

 

 秘書も、牧場長も、長峰も無印。

 

 唯一、美香だけが△。

 

 かつてセリで見た、美香と河童木が揃って◎だった馬とはまるで違う。

 

 百万円でも買い手がつかなかった。

 

 結局、主取りになった馬だ。

 

 俺だってシアがどれくらい走るのかは分からない。

 

 分かっているのは、少なくとも美香の評価では、まったく駄目な馬ではなかったということだけ。

 

 テレビの中でメンコをつけたシアが少し首を動かした。

 

 引き手の男に促されると、おとなしくまた歩き始める。

 

 俺は思わず笑った。

 

「シアだな」

 

「何がだ?」

 

 祖父が聞く。

 

「いや。なんとなく」

 

 身体は大きくなった。

 

 知らない場所で、知らない人間に囲まれている。

 

 それでも、ふとした仕草を見ると分かる。

 

 シアはシアだった。

 

 やがてパドック中継が終わり、馬たちが本馬場へ向かう。

 

 画面の向こうには砂のコース。

 

 新馬たちが一頭ずつ返し馬に入っていく。

 

 ゲームなら、もうある程度の能力が分かっている。

 

 パワーはある馬なのか。

 

 勝負根性はどうだ。瞬発力はどれくらいだ。

 

 距離適性は長いところか短いか。いろんな距離に適応できそうか。

 

 けれど、今の俺には何も分からない。

 

 シアがダートを走れるのか。それとも実は芝馬なのか。

 

 レースで他の馬を怖がらないか。

 

 騎手の指示を聞けるのか。

 

 そもそも競走馬としてまともに走れるのか。

 

 幼駒の印から分かることなんて、本当に一部分でしかなかった。

 

『各馬、ゲートへと向かいます』

 

 俺は無意識に膝の上で拳を握った。

 

 別に俺の馬じゃない。

 

 もう売った馬だ。

 

 今日勝ったところで賞金が牧場に入ってくるわけでもない。

 

 それでも、そんな理屈はどうでもよかった。

 

 生まれたときから見ていた。

 

 餌を食べているところも。

 

 牧柵の中を走っているところも。

 

 馴致されて、初めて背中に人を乗せたところも見てきた。

 

 売れなくて。

 

 それでも最後には引き取ってもらえて。

 

 牧場から送り出した。

 

 その馬が初めて競馬をする。

 

 気にならないはずがない。

 

 ゲートに最後の一頭が収まった。

 

 一瞬の静寂。

 

 次の瞬間、扉が一斉に開いた。

 

『スタートしました!』

 

「行けっ」

 

 思わず身体が前へ出る。

 

 シアの出足は、特別速くも遅くもなかった。

 

 先頭を争う馬たちが前へ出て、その後ろに何頭かが続く。

 

 シアはそのさらに後ろ。

 

 集団の中ほどに収まった。

 

「悪くない」

 

 少なくとも出遅れて終わり、ということはなかった。

 

 騎手も無理に前へ出そうとはしていない。

 

 初戦ならこれでいい。

 

 そう思った直後だった。

 

 前を走る馬の後ろ脚が砂を蹴り上げる。

 

 茶色い粒が、まとまってシアの顔へ飛んだ。

 

 シアの首が上がった。

 

「あっ」

 

 明らかに嫌がった。

 

 顔を背けるような仕草を見せ、一瞬だけ勢いが鈍る。

 

 その間に、外から一頭が前へ出た。

 

 さらにもう一頭。

 

「砂か……!」

 

 牧場で走るのとは違う。

 

 調教で馬の後ろを走ることがあったとしても、実戦の集団の中で、これだけまともに砂を被った経験なんてない。

 

 シアにとっては、何もかもが初めてなのだ。

 

 騎手が手綱を動かす。

 

 それでもすぐには前へ進まない。

 

 画面越しでも、シアが戸惑っているのが分かった。

 

「頑張れ」

 

 祖父が呟いた。

 

 俺も声を出した。

 

「行け、シア。そこだ。行け!」

 

 俺の声なんて届くはずもない。

 

 北海道から、遠く離れた競馬場を走っている馬に届くわけがない。

 

 それでも言わずにはいられなかった。

 

 しばらくして、シアの走りが少しずつ戻った。

 

 砂を嫌がりながらも、前の馬についていく。

 

 離されない。

 

 やがてコーナーを回り、直線へ向く。

 

 前はもう遠い。

 

 勝ち負けになる位置ではなかった。

 

 先頭の馬は勢いよく抜け出している。

 

 シアはその後ろ。

 

 それでも騎手に追われると、もう一度脚を伸ばした。

 

 一頭。

 

 前の馬との差が縮まる。

 

「行け!」

 

 追いつく。

 

 並ぶ。

 

 そして前へ出た。

 

 さらに前には何頭かいる。

 

 さすがにそこまでは届かない。

 

 けれどシアは最後まで走るのをやめなかった。

 

『アサノアカシアも追い込んできますが――』

 

 ゴール板を何頭もの馬が通過する。

 

 少し遅れて、シアも駆け抜けた。

 

 俺はテレビを見たまま動かなかった。

 

 着順が表示される。

 

 五着。

 

「……五着か」

 

 祖父が言った。

 

「うん」

 

 勝てなかった。

 

 一着からも離された。

 

 競走馬として華々しいデビューだったとは、とても言えない。

 

 ゲームだったら、新馬戦五着なんてリセットしたくなる結果だったかもしれない。

 

 ましてシアに付いていたのは、美香の△が一つだけ。

 

 これで本当に強いのかと聞かれても、俺には分からない。

 

 ただ。

 

 初めての競馬で。

 

 初めて馬群の中を走って。

 

 初めてまともに砂を被って。

 

 一度は嫌がって後ろへ下がりながら、それでも最後には一頭抜いて帰ってきた。

 

 それを見ていると、不思議とがっかりはしなかった。

 

「まあ、次だな」

 

 じいちゃんがそう言って、立ち上がった。

 

「うん」

 

 俺も、つられて立ち上がる。

 

 テレビの向こうでは、シアがゆっくりと引き上げていくところだった。

 

 その姿を最後まで見送る。

 

 勝てなかった。

 

 五着だった。

 

 でも、これは終わりじゃない。

 

 今日がシアの競走馬としての始まりだった。

 




今日はもう一話投稿する。夕方にすっかな。

ちなみに、競馬場は南関東のどっかだと思ってください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。