年が明けて、一月も終わりに近づいた。
去年の競馬を振り返れば、本当にすごい馬が何頭もいた。
有馬記念を勝ったグラスワンダー。
ジャパンカップを勝ったエルコンドルパサー。
エルコンドルパサーは、このあと海を渡る。
そして秋には、世界最高峰のレースの一つ、凱旋門賞で二着に入ることになる。
(まあ、そこまで知ってるのは俺だけだけど)
ヨシキ兄ちゃんに教えたのも、別に未来のレース結果を全部覚えているからじゃない。
何十年も前の条件戦。
人気薄で突然走った穴馬。
そんなものまで覚えているはずがない。
けれど、競馬の歴史に名前を残した馬なら話は別だ。
前世で競馬ゲームを何度も遊んでいた俺にとって、有名馬の名前やその血統は、昔覚えた歴史上の人物みたいなものだった。
そして。
この年には、ターフだけでなく、砂の上にも偉大な足跡を残す馬がいた。
その馬は、名前をメイセイオペラといった。
◇
『第十六回、フェブラリーステークス――』
テレビから実況が聞こえてくる。
東京競馬場、ダート千六百メートル。
俺はテレビの前に座り、その一頭を目で追っていた。
九番、メイセイオペラ。
岩手競馬所属。
地方馬だ。
もっとも、中央の馬が相手だからといって、挑戦するだけで褒められるような馬ではない。
前年には盛岡の南部杯を勝っている。
暮れの東京大賞典でも二着。
ここでも二番人気に支持されていた。
この時代最強のダート馬、アブクマポーロと並び、ダート界を代表する全国区の強豪だった。
「メイセイオペラか」
隣にいたじいちゃんが呟いた。
「勝つよ」
「マイルに実績があるとはいえ、ずいぶん自信あるな」
「うん」
これは覚えている。
忘れるはずがない。
地方所属のまま、中央のGⅠを勝った馬。
そんな肩書きの馬は、綺羅星のごとき名馬たちの中でも、俺にとって特別だった。
ブラウン管の向こうでは、次々と出走馬達がゲートの中に入っていく。そして、最後、大外枠の馬がゲート入りを果たした。
場内に、一瞬の静寂が流れる。
そして、
『各馬ゲートイン完了……いま、スタートしましたぁ!!』
メイセイオペラは好位の外。
キョウエイマーチがハナを取った中で、前すぎず、後ろすぎない。五、六番手の位置からレースを進める。
『各馬、第三コーナーから第四コーナーへ――』
鞍上の手はまだ動いていない。
(よし)
記憶では勝ったという事実を知っている。
それでも、実際に目の前で走っているのを見ると緊張した。
未来を知っていることと、その瞬間を見ることは別物らしい。
1600mのレースはあっという間に終わりへと差し掛かる。縦長になった隊列の先頭が、府中の最終コーナーを曲がり切った。
『直線に向いた!』
各馬が横へ広がり、一斉に仕掛ける。
メイセイオペラが外から伸びてくる。
「来た!」
思わず前のめりになった。
『メイセイオペラだ! メイセイオペラが抜け出した!』
残り二百。
中央の強豪たちを置き去りにするように、栗毛の馬体が前へ出る。
『メイセイオペラ、先頭!』
「行け!」
知っているのに叫んでしまう。
後続の追い込み勢も脚を伸ばす。
だが、差は詰まらない。
そして。
メイセイオペラは、そのまま先頭でゴールを駆け抜けた。
「……勝った」
地方競馬に所属する馬が、中央のGⅠを勝った。
前世ではただ知識として知っていた記録。
けれど、こうして同じ時代にいると、その意味が少し違って見えた。
所属が地方だろうと。
生まれた牧場が小さかろうと。
強い馬なら、中央の一流馬を相手にだって勝てる。
(すごいよな)
いつか。
うちで生まれた馬も――。
◇
ゴールを駆け抜けたあとも、テレビの向こうの興奮は収まらなかった。
『メイセイオペラ、やりました! 地方所属馬が、中央のGⅠを制しました!』
実況の声も、まだ熱を帯びている。
画面には、ゆっくりと速度を落としていくメイセイオペラの姿。
その背では、ジョッキーが喜びを噛みしめていた。
「地方馬が……GⅠを勝ったか……」
隣でじいちゃんが、呆然と呟いた。
地方馬が中央へ挑むこと自体は、これが初めてじゃない。
少し前にも、笠松のライデンリーダーが中央の報知杯4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビュー)を勝って、そのまま桜花賞まで駒を進めている。
もっと昔まで遡れば、地方所属のまま中央重賞を勝った馬も何頭かいた。
じいちゃんだって、そんなことは当然知っている。
だからこそ。
その先。
中央のGⅠを、本当に勝ってしまったことが衝撃なのだ。
「すげえな……」
「うん」
俺は知っていた。
知っていたけれど、それでもすごいものはすごい。
テレビではレース映像がもう一度流され、興奮した実況と解説がメイセイオペラの快挙を振り返っている。
『岩手競馬所属、メイセイオペラ。父はグランドオペラ――』
「……ん?」
じいちゃんが反応した。
「グランドオペラ……」
その名前を口の中で転がしてから、こちらを見る。
「そういや、お前」
「うん?」
「去年の川崎記念が終わったあとだったか」
「ああ」
「この馬の父親がグランドオペラだから、付けようって言ってきたよな」
「言ったよ」
あのときのメイセイオペラは、まだ川崎記念で四着に敗れた地方の有力馬の一角だった。
だが、俺にとってはそれだけの馬じゃない。
忘れようのない、未来の英雄だった。
じいちゃんはテレビを見る。
それから俺を見る。
「……まさかお前」
「なに?」
「この馬が、ここまでやるって見抜いてたのか?」
「まあね?」
ちょっと得意げに答えておく。
もちろん、見抜いたわけではない。
知っていただけだ。
前世で競馬を見て、ゲームも散々やってきた。
穴馬や条件馬の結果なんて覚えていないが、メイセイオペラほど歴史に名前を残した馬なら忘れない。
父親がグランドオペラだということも、知っていた。
だから去年、うちの配合の一部に種牡馬として使った。
チャンスと判断した。理由はそれだけだった。
(なにせ、ウチでも手が届くからな)
去年のグランドオペラの種付け料は三十万円。
サンデーサイレンスみたいな大種牡馬であれば、これから大成功することを知っていたって、うちには関係ない。
高すぎて付けられないのだから、知識だけあってもどうしようもないのだ。
その点、グランドオペラなら零細牧場のうちでも手が届いた。
しかも、翌年にその産駒であるメイセイオペラが活躍することを俺は知っている。
だったら、付けない手はない。
しかも、俺はそこまではっきり覚えていなかったが、去年の時点で南部杯まで勝った。
そして、今回のフェブラリーステークスだ。
(これなら、さすがに売れ行きも良くなるだろ)
競走馬の値段は、その馬自身だけで決まるわけじゃない。
父親の産駒が大きなレースを勝てば、同じ父を持つ仔にも目が向く。
ましてや今回は、ただの重賞馬じゃない。
中央のGⅠを勝ち、日本競馬の歴史に名前を残した馬だ。
グランドオペラ産駒を見る目は、昨日までと同じではないはずだった。
じいちゃんは、まだ半信半疑の顔で俺を見ている。
「……本当に、そこまで分かってたのか?」
「まあ、流石にGⅠ勝てるとまでは思ってなかったけど」
もう一度そう答えておく。
相馬眼なんてもってないが、未来を知っているなんてよりはまだ納得がいくだろう。
じいちゃんは、胡乱な目でこっちを見ていたが、「なるほど、な」と呟いた。
(よしよし。いい値が付くといいな~)
未来知識。
過去に転生したのに全然役立ってくれないからな。
ようやくそれが効いてきた。
まあ、こんなうまい話、他には知らないけど。
これは大儲けできるような話ではない。ほんの小金稼ぎのチャンスを、たまたま覚えていた。そういうセコい話だ。
それでも、利益が上がると判断すれば、馬がよく売れると判断すれば。それで十分なのだ。
零細牧場にとっては、数十万円、いや十数万円の差だって、大きな違いなのだから。
というわけで、珍しく転生要素が噛み合った話でした。プレイヤーがよくやる、将来活躍する馬を種付けするやつですね。系統確立すると爆発力が増える! おいしい!
グランドオペラは名前が出てきてない他の繁殖牝馬につけてると思いねぇ。