熱狂のフェブラリーステークスから、数か月。
北海道の長い冬もようやく終わり、今年も牧場には出産のシーズンがやってきた。
放牧地を覆っていた雪もほとんど消え、湿った土の間から少しずつ緑が顔を出している。朝晩にはまだ冷え込みが残るものの、日中の日差しには確かな春の暖かさがあった。
牧場での仕事は、すでに自分の生活の一部になっている。
夜中に起こされても昔のように慌てることはないし、何を用意して、どこで手伝えばいいのかも分かっている。
「そっち、もう少し寄せとけ」
「うん」
言われたものを手元へ動かす。
馬房では、プリマルーブルの出産が始まっていた。
すでに破水は終わっている。
敷き藁の上に横たわったプリマルーブルが荒い息を繰り返し、その後ろからは仔馬の前脚が見え始めていた。
「向きは?」
「問題ない。このまま待つぞ」
「分かった」
じいちゃんがプリマルーブルの様子を見ている間に、俺は使いそうなものを手の届くところへ寄せておく。
昔なら、何をすればいいのか分からずにじいちゃんの後ろをついて回っていた。
今では、いちいち言われなくてもそれなりに動けるようになった。
もっとも、出産そのものが順調なら、俺たちがやることは少ないのだが。
異常がないかを見ながら、あとは待つ。
(今年はどうかなあ……)
自然と、生まれてくる仔のことを考える。
プリマルーブルには、これで三年続けてハギノカムイオーを付けている。
因子を見る能力を最大限に生かすにはどうすればいいのか。
かなり頭を悩ませて考えた配合だった。
そして、一頭目のマルがいきなり美香と河童木に同時に評価が付くという、素晴らしい結果を出した。
最初からあれだけの産駒が出たものだから、今年のプリマルーブルの仔馬にも、どうしても他の繁殖牝馬より期待してしまう。
(今年こそ、もっといいのが出てほしいけど……)
そんなことを考えながら待っていると、じいちゃんの声が飛んできた。
「来るぞ」
「うん」
俺もすぐにプリマルーブルへ意識を戻す。
前脚に続いて頭が現れ、そのまま仔馬の身体が敷き藁の上へ滑り出た。
俺はすぐに仔馬の様子を確認する。
呼吸している。
身体もしっかり動いている。
「大丈夫そう」
「ああ」
プリマルーブルも首を伸ばし、生まれたばかりの仔を舐め始めた。
「牡だな」
「うん」
これで三年連続。
マル、去年の全妹に続く、ハギノカムイオーの仔だった。
まずは無事に生まれた。
なら、次は気になる幼駒評価だ。
秘書 ―
牧場長 △
河童木 ―
長峰 ―
美香 ―
(……あちゃー)
牧場長の△だけ。
期待していたぶん、どうしても肩透かしを食らった気分になる。
マルと同じ父と母だからといって、同じような仔が生まれるわけじゃない。
そんなことは分かっているんだけどな。
俺は、プリマルーブルに舐められながら元気に身体を動かしている仔馬を見た。
(……まあ、いいか)
一番いいのは、健康に生まれてくることだ。
印は、その次でいい。
◇
出産が終われば、今度はすぐに種付けのシーズンがやってくる。
プリマルーブルだけではない。
今年生まれた他の仔たちも、一通り評価を確認した。
結果は――。
(うーん……今年はいまいちだなあ)
美香にも、河童木にも、印が付いた仔はいなかった。
もちろん、無事に生まれてくれたのが一番だ。
それは分かっている。
分かっているのだが。
(くそー……)
やっぱり悔しいものは悔しい。
去年まで少しずつ手応えが出てきただけに、今年も一頭くらいは期待していた。
とはいえ、いつまでも今年生まれた仔の評価を眺めていても仕方がない。
(だめだ、切り替えよう)
今年の結果がどうであれ、来年の仔馬はまた別だ。
次の配合を考えなければならない。
俺は今年の種牡馬の資料を広げた。
まずはプリマルーブル。
三年続けてハギノカムイオーを付けてきた。
今年の仔はいまいちだったが、配合そのものが悪かったとは思っていない。
何より、同じ組み合わせからマルが生まれている。
(だったら、今年もハギノカムイオーで――)
そう考えながら一覧を追っていく。
「……あれ?」
ない。
もう一度、最初から見る。
それでも見つからない。
「じいちゃん」
「なんだ?」
「ハギノカムイオー、今年のリストに載ってないんだけど」
「ああ。去年からプライベートになったからな」
「え?」
初耳だった。
「去年は前から話をしてただろ。向こうも受けてくれた。今年も付けるなら、早めに連絡をくれとは言われてるぞ」
「ああ、そういうことか」
一般向けの募集はもうしていない。
ただ、去年から続けて付けているうちには、まだ声を掛けてくれているらしい。
(……でも、待てよ)
プライベートになったということは、そもそも一般に募集するほど人気がないということでもある。
もちろん、それだけで種牡馬として駄目という話ではない。
実際、うちではマルが生まれている。
だけど、他の生産者があまり付けたがらないということは、その先にいる馬主にも売りにくいと判断されているんじゃないだろうか。
うちは、自分で走らせる牧場じゃない。
生まれた馬を売って稼がなければならないのだ。
(今年も付けていいのかな……)
配合そのものには手応えがある。
だからといって、四年目も同じでいいのかは別の話だ。
俺はもう一度、種牡馬の資料へ目を落とした。
(他も探してみるか)
「お」
ほどなくして、見覚えのある名前を見つけた。
ネーハイシーザー。
以前、種牡馬入りしたばかりの頃に、無料で使えると知って一頭に付けたことがある。
「五十万か……」
種付け料の数字を見て、妙に高く感じた。
(無料から五十万になる方が、五十万から八十万になるより高く感じるのは何でだろうな……)
別に五十万円が、とんでもなく高いわけではない。
それでも一度タダを経験してしまうと、損をしたような気分になる。
血統を見る。
プリマルーブルと合わせると、インブリードが発生する。
(ニジンスキーの4×3とバックパサーの5×4のインブリードか……)
配合として悪くはないと思う。
ただ。
(うーん……ちょっとだけきついか?)
奇跡の血量よりも若干だけ濃くなってしまう。
即座に問題だと判断するほどではない。
「一応、候補かな」
ページに付箋をつけ、そのまま次を見る。
そして、しばらくして。
「……お?」
今度は別の名前で手が止まった。
カコイーシーズ。
血統表を開いて、プリマルーブルとの組み合わせを追っていく。
(こっちもインブリードが発生か。Nasrullahの5×4×5に、Tom Foolの4×5)
さらに、因子の並びを一つずつ確認していく。
スピードが大活性。パワーも大活性。スタミナが小活性。
(お、これ結構いいな)
今のうちは、中央で走る馬を狙うというより、まず地方でしっかり走れる馬を作るのが現実的だ。
ハギノカムイオーの勝負根性は惜しいが、地方で主流のダートを走るためのパワーが強化されるのは悪くなかった。
もちろん、スピードまで大きく活性するため、そこも文句なしだ。
俺の目には、かなり面白い配合に見えた。
「ああ、でも八十万か……」
ネーハイシーザーより三十万円高い。
数字だけ見れば、それほど大きな差ではない。
だけど八十万円。
零細牧場にとって、気軽に出せる金額ではなかった。
(こっちの方がいい気がするんだけどなあ……)
「何をそんなに悩んでるんだ?」
声を掛けられて振り向くと、じいちゃんが立っていた。
「種牡馬」
「それは見れば分かる。どれだ?」
「これ」
カタログを指差す。
「カコイーシーズか」
じいちゃんが横からページを覗き込んだ。
しばらく血統と成績を眺める。
「これとネーハイシーザーで悩んでる」
「お前はどっちがいいんだ?」
「カコイーシーズ。でも高いんだよね。八十万」
「八十か……」
じいちゃんはもう一度資料を見る。
「結構、重賞馬も出してるな。代表産駒はコンサートボーイか」
コンサートボーイ。97年にはアブクマポーロを破って、帝王賞を優勝している。
「うん。だから種牡馬としても悪くないと思う」
「なら、付けてみるか」
「え?」
思わずじいちゃんを見る。
「いいの? 八十万だよ?」
「今年はグランドオペラの仔が高く売れそうだからな」
「え?」
「お前の先見の明に対する、ボーナスみたいなものだと思っておけ」
「いいの?」
「ああ。好きなのを選べ」
「おお……」
思わず、もう一度カコイーシーズのページを見る。
まさかメイセイオペラのおかげで、こっちに予算が回ってくるとは思わなかった。
「じゃあ、カコイーシーズにする」
「分かった。連絡しておく」
(まったく、メイセイオペラさまさまだわ)
少し前のうちの牧場なら、候補に入れるだけでも躊躇した金額だ。
それを、自分で考えた配合に使わせてもらえる。
選べる種牡馬が増えるというのは、なかなか嬉しいものだった。
主人公のお陰で、最近の牧場の経営は一気に良くなっています。
なので、種付け料も少しだけ上のクラスに手が出るようになっています。
グランドオペラ産駒という確定で売れそうなのもあるのが強い。
冷静になると結構クロス発生してる。でも、ウイポだとどんなやべークロス発生してても5代前に追いやったらノーカンだからセーフ。