「やべえよ……」
俺は一人、頭を抱えていた。
「やべえよ、やべえよ……」
昨日とは違う。
大声を上げる気にもならない。
今回は、本当にやばい。
零細牧場。
零細血統。
資金力なし。
幼駒の競走能力も期待薄。
そこまでなら、まだいい。
時間をかければ何とかなるかもしれない。
問題は――。
(今、何年だ……?)
前世の記憶と、今世の記憶を照らし合わせる。
俺は一九九〇年生まれ。
五歳。
つまり、今は一九九五年。
「…………」
過去だ。
間違いなく、俺が生きていた時代よりずっと昔の日本。
オグリキャップが引退して、もう何年も経っている。
競馬ブームの熱気は、まだ残っている。
中央競馬の売上は三兆円を軽く超え、競馬場には大勢の人が集まる。
ナリタブライアンだっている。
外から見れば、日本競馬は絶好調に見えるだろう。
だが。
俺は知っている。
この先を。
「これからなんだよなあ……」
中央競馬は、まだ伸びる。
あと少し。
四兆円に届くところまで行く。
だが、そこが頂点だ。
そこから長い、長い下り坂が始まる。
そして中央より先に、地方競馬はもう落ち始めている。
一兆円近くあった売上が、今では七千億円ほど。
しかも――ここでは止まらない。
「競馬場、なくなるんだよな……」
これからいくつもの地方競馬場が姿を消す。
主催者が撤退する。
賞金も苦しくなる。
馬が売れなくなる。
安い馬でも買って、長く走らせてくれていた場所が減っていく。
「…………」
俺は窓の外を見た。
じいちゃんの牧場。
六頭の繁殖牝馬。
高い種牡馬なんて付けられない。
中央でバリバリ勝てるような馬も、そう簡単には生まれない。
地方で長く走る馬を出す。
それが、この牧場の自慢だった。
「一番ダメージ食らうところじゃねえか……」
頭が痛くなってきた。
競馬ブーム華やかなりし時代。
名馬が次々と現れて、日本競馬が世界へ向かっていく。
ウイニングポストのプレイヤーとして考えれば、面白い時代だ。
だが、生産者として考えれば話は違う。
それも大牧場じゃない。
金もない。
良血もない。
地方競馬へ馬を送り出して食いつないでいる零細牧場だ。
そんな牧場の孫として、俺はこれから――。
「競馬不況に突入するのかよ……」
何とかしなければならない。
このままでは、じいちゃんの牧場がどうなるか分からない。
なら――。
「株か……?」
ふと思いついた。
そうだ。
俺には未来の知識がある。
過去に戻った人間が金を作る方法なんて、相場は決まっている。
これから上がる株を買う。
儲ける。
その金を牧場へ突っ込む。
完璧では?
「…………」
いや。
「元手どうすんだよ」
俺、五歳だぞ。
貯金箱をひっくり返したところで、サンデーサイレンスは付けられない。
それ以前に――。
「上がる株なんて、ほとんど知らねえぞ……」
前世の俺は投資家ではない。
後になって大企業になる会社くらいなら、いくつか知っている。
だが、それが何年にいくらで、いつ上場して、どこで買えば一番儲かるか。
そんなものまで覚えているわけがない。
「じゃあ、ビットコイン……」
まだない。
「宝くじ……」
番号知らん。
「為替……」
相場知らん。
「不動産……」
五歳。
「…………」
使えねえ。
未来知識、思ったより使えねえ。
「いや、待てよ」
まだある。
俺が未来について一番詳しい分野。
「馬券……!」
そうだ。
競馬だ。
俺は競馬が好きだった。
過去の名馬ならいくらでも知っている。
これからどんな馬が現れて、どんなGⅠを勝つのかも覚えている。
ナリタブライアンが強い。
知ってる。
サクラローレルが強い。
知ってる。
マヤノトップガンが強い。
知ってる。
「…………」
俺は真顔になった。
「それ買って儲かるのか……?」
強い馬が強いことを知っている。
そんなもの、みんな知っている。
俺が何十年後まで覚えているような歴史的名馬なら、当然人気する。
単勝を買い続けたところで、大金持ちになれるとは思えない。
欲しいのは穴だ。
大波乱を起こしたレース。
人気薄で突っ込んできた馬。
何十倍、何百倍にもなった組み合わせ。
それさえ覚えていれば――。
「くっそー……!」
記憶を必死にひっくり返す。
「穴馬なんて覚えてねえ!」
名馬なら覚えている。
GⅠ馬もかなり分かる。
名勝負だって覚えている。
だが、二十年も三十年も昔のレースで、何番人気の何という馬が二着に突っ込んできたか。
そんなものまで覚えているわけがない。
そもそも俺は競馬史の暗記大会をしていたわけではないのだ。
「…………」
株。
無理。
宝くじ。
無理。
為替。
無理。
馬券。
思ったより無理。
そして五歳。
「未来知識、役に立たねえ……」
もっとこう。
過去に戻ったら、未来を知っているだけで簡単に大金持ちになれるものだと思っていた。
現実は違った。
知っていることと、それで金を稼げることはまるで別だった。
「……結局、馬しかねえじゃん」
俺は外へ出た。
向かったのは、繁殖牝馬たちのいる場所だった。
昨日、一通り見ている。
地方で二勝。
中央未勝利。
未出走。
地方で三勝。
お世辞にも華々しい戦績ではない。
そして幼駒と違って、こいつらを見ても河童木や美香の評価は出ない。
「何かないのか……?」
一頭の繁殖牝馬をじっと見る。
「…………」
何もない。
やっぱり駄目か。
そう思って視線を外そうとして――。
「ん?」
何かがある。
俺はもう一度、その馬を見た。
評価じゃない。
もっと別のもの。
「なんだ、これ?」
意識を向ける。
すると、頭の中に何かが浮かび上がった。
「……鍵?」
鍵のような印。
その向こうに、何かが隠されている。
さらに意識を集中する。
ぼんやりと、その意味が伝わってきた。
「血統表……?」
俺は首を傾げた。
血統表。
だが、今は見ることができない。
鍵がかかっている。
「なんで血統表なんか……」
馬の血統なんて、調べれば分かる。
わざわざ特殊能力で見るほどのものじゃない。
「…………」
いや。
待て。
これはウイニングポストの能力だ。
ウイニングポストの血統表には、馬の名前だけが並んでいるわけじゃない。
「因子……」
スピード。
スタミナ。
瞬発力。
パワー。
ゲームでは、先祖の持つ因子まで血統表に表示される。
そして配合によって、それらを活性化させることができる。
「まさか……」
もし、この鍵を開ければ。
現実の馬を見ただけで、その血統表が分かる。
さらに、そこにウイニングポストと同じように因子まで表示されるとしたら。
「…………」
使える。
幼駒評価とは意味が違う。
今の能力で分かるのは、すでに生まれた幼駒の評価だ。
だが、因子まで分かれば。
配合を考えられる。
強い馬を見つけるだけじゃない。
強い馬を――作れるかもしれない。
「これだ!」
俺は鍵に意識を集中した。
どうやったら開く?
何か条件があるのか?
開け。
開け。
せめて条件だけでも出せ。
そう念じていると、不意に文字が浮かんだ。
【血統表】
【解除条件:初めての馬を売ろう】
「…………」
俺はしばらく黙った。
「いや、ハードル高いだろ……」
なんだ、そのチュートリアルみたいな条件。
ゲームなら簡単だ。
牧場にいる馬を一頭選んで、売却。
はい達成。
数秒で終わる。
だが、ここは現実だ。
そして俺は五歳。
「俺の馬、いねえじゃん……」
買う金もない。
育てる金もない。
売る以前の問題だ。
「…………」
待てよ。
俺は、もう一度表示を見た。
【解除条件:初めての馬を売ろう】
「…………」
初めての馬を売ろう。
それだけ。
「自家生産とか、書いてないな」
自分で生産した馬を売れ、とは書いていない。
「所有馬とも書いてない……」
ゲームなら、当然自分の馬を売るという意味だ。
でも、これはゲームそのものじゃない。
なら。
この能力は、何をもって「俺が馬を売った」と判定する?
「……他人の馬でもいいんじゃね?」
例えば。
誰かが売ろうとしている馬がいる。
それを俺が別の誰かに勧める。
そいつが俺の言葉を聞いて、その馬を買う。
だったら。
「俺が売ったってことにならない?」
屁理屈である。
自分でも分かっている。
だが、試す価値はある。
失敗したところで何も失わない。
それに、俺には幼駒評価がある。
売り物になっている幼駒を見れば、その中から評価の高い馬を選べる。
問題は。
馬を売りたい人間と、馬を買いたい人間が同時にいる場所。
「…………」
ある。
一つだけ。
最高の場所が。
「セリ……」
俺は顔を上げた。
馬が何頭も集まる。
売り手がいる。
買い手もいる。
そして俺は、その馬たちの評価を見ることができる。
「…………」
俺はもう一度、頭の中で考え直した。
条件の文言。
自分の能力。
セリの仕組み。
抜け道として成立する保証はない。
それでも、今の俺が試せる方法はこれしかなかった。
俺は真剣な顔で呟いた。
「……これ、いけるんじゃないか?」