「じいちゃん」
「ん?」
「今度、セリ行く?」
朝の仕事を終えたじいちゃんに聞くと、少し意外そうな顔をされた。
「セリ?」
「うん」
「行くけど……なんだ、お前も行きたいのか?」
「行きたい!」
即答した。
行きたい。
というか、行かなければならない。
【血統表】
【解除条件:初めての馬を売ろう】
昨日から、何度確認しても表示は変わらない。
俺は五歳。
馬を持っていない。
当然、売る馬もいない。
だが。
(自分の馬を売れとは書いてないんだよな)
誰かに馬を勧める。
そいつが買う。
それで『売った』判定にならないだろうか。
かなり無理がある気はする。
でも、試してみる価値はある。
「セリは遊びに行くところじゃないぞ」
「分かってる!」
「勝手にどっか行ったりするなよ?」
「うん!」
「母さんにも聞いてからだぞ」
「聞く!」
じいちゃんはしばらく俺の顔を見ていたが、
「……まあ、邪魔せんならいいぞ」
「ほんと!?」
「ああ。ただし、じいちゃんの言うことはちゃんと聞けよ」
「うん!」
こうして。
俺は初めて、馬のセリへ行くことになった。
◆
「うわあ……」
馬。
馬。
馬。
見渡す限り、馬だった。
じいちゃんの牧場とは比べものにならない。
あちらでも馬が引かれている。
こちらでも馬が歩いている。
人も多い。
馬を連れている人。
紙を見ながら話している人。
何人かで一頭を囲んでいる人。
あちこちから話し声と馬のいななきが聞こえてくる。
(これがセリか……)
まだ競りそのものは始まっていない。
今は出てくる馬を見て回る時間らしい。
じいちゃんも知り合いを見つけたらしく、何人かと話し始めた。
「勝手に遠くへ行くなよ」
「うん」
「この辺にいるんだぞ」
「分かった」
返事をして。
俺はさっそく近くの馬を見た。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ‐
(……まあ、そうだよな)
次。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ‐
(何も評価ないな)
セリに出ているからといって、全部がいい馬というわけじゃないらしい。
そのまま見て回る。
何もなし。
何もなし。
また何もなし。
そして。
「おっ」
秘書 ‐
牧場長 ○
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ‐
(牧場長○)
うちの牧場では、△までしか見なかった。
(うちの上位互換じゃん)
俺は少しだけ、その馬を長く見る。
見た目で何が違うのかは分からない。
でも、牧場長はこっちを上に評価している。
(やっぱり、いるところにはいるんだな)
また歩く。
無印。
無印。
牧場長△。
無印。
しばらくして。
「ん?」
また違う評価が目に入った。
秘書 ○
牧場長 ▲
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ‐
(お、秘書○)
牧場長にも▲。
河童木と美香には何もない。
(こういうの、いたなあ)
GⅠだ重賞だって馬ではない。
でも、こういう馬が案外丈夫に走って、条件戦で何勝かしてくれたりする。
勝って。
負けて。
また勝って。
気づけば結構な数を走って、そこそこ賞金も稼いでいる。
(馬主だったら、こういう馬も嬉しいんだろうな)
俺は少し眺めてから、次の馬へ向かった。
そこからも、しばらくは似たようなものだった。
何もない馬が一番多い。
たまに秘書。
たまに牧場長。
印が付いていても、一つだけ。
そんな中。
「おっ」
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 △
長峰 ‐
美香 ‐
(河童木だ)
初めて見た。
俺は足を止める。
河童木に印が付いている。
少なくとも、今の時点でそれなりのものを見せている馬だ。
(やっぱり、うちとは違うな)
少し楽しくなってきた。
さらに何頭か見る。
秘書△。
あとはなし。
次は全部なし。
その次は牧場長△だけ。
そして。
「…………え?」
秘書 ‐
牧場長 △
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ▲
足が止まった。
(美香……▲)
初めて見た。
じいちゃんの牧場では、美香なんて一つも付かなかった。
ここへ来てからも、ずっと‐だった。
それが。
▲。
(やっぱり違うなあ……)
ちゃんといる。
売り物になる馬がこれだけ集まれば、うちでは見られなかった評価の馬も出てくる。
そこから先は、ますます面白くなった。
大半は相変わらず何もない。
でも。
秘書 △
牧場長 ‐
河童木 △
長峰 ‐
美香 ‐
なんて馬もいる。
さらに。
秘書 ‐
牧場長 △
河童木 △
長峰 ‐
美香 △
「おおっ」
(河童木と美香、両方付いてる)
いい。
これは結構いい。
さらに先では。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ○
長峰 ‐
美香 △
「おお……」
(こいつ、いいな)
今まで見た中なら、かなり欲しい。
また何頭か挟んで。
秘書 △
牧場長 ‐
河童木 △
長峰 ‐
美香 ○
(こっちもいい)
やっぱりセリは違う。
何十頭と見ていけば、明らかに走りそうな馬が混じっている。
そんなことを考えながら歩いていると。
妙に人の多い場所があった。
「なんだ?」
一頭の馬を、大勢が囲んでいる。
俺も人の隙間から覗き込んだ。
秘書 ◎
牧場長 ○
河童木 ‐
長峰 △
美香 ‐
「…………」
(長峰!?)
思わず二度見した。
長峰に印が付いている。
しかも△。
長峰なんて、そう簡単に印を付けるやつじゃない。
それに秘書◎。
牧場長まで○。
(そりゃ人も集まるわ)
周囲の大人たちも盛んに話していた。
「あれ、いくらからだっけ」
「五千万って聞いたぞ」
「五千万か」
「八千万はいくんじゃないか?」
「九千万まであるかもな。血統もいいし」
(たっか……)
でも。
この評価なら、評判になる理由は分かる。
俺が一番欲しいタイプとは違う。
それでも、今日ここにいる馬の中でもかなり特別な一頭なんだろう。
俺はしばらく眺めてから、また次へ向かった。
そして。
「…………え?」
足が止まった。
何の変哲もない鹿毛だった。
大きいわけでもない。
派手な模様があるわけでもない。
見るからに筋肉がすごい――なんてことも、俺には分からない。
ただ、大人しく引かれて歩いている。
正直。
表示がなければ、そのまま通り過ぎていたと思う。
でも。
その馬の上には。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ◎
長峰 ‐
美香 ◎
「…………」
目をこする。
もう一度見る。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ◎
長峰 ‐
美香 ◎
(河童木と美香……両方◎!?)
初めて見た。
◎そのものを、まだ一度も見ていなかった。
それが。
二つ。
(すげえ……)
ゲームなら。
この組み合わせを見つけたら、まず買う。
もちろん、競馬に絶対はない。
どれだけ強くても、同じ世代に怪物みたいな馬が何頭もいれば、GⅠを一つも取れずに終わることだってある。
それでも。
(これ、GⅠまであるだろ)
そう思えるだけの評価だった。
欲しい。
めちゃくちゃ欲しい。
だが。
「もうちょっと見栄えが良ければなあ」
近くから声が聞こえた。
「そうなんですよねえ。悪い馬じゃないんですけど」
「ちょっと地味なんだよな」
「賢い子なんですけどねえ。手もかからないですし」
この馬の生産者だろうか。
二人の男が、鹿毛を見ながら話している。
「こいつ、いくらからだ?」
「一千万からです」
「一千万か」
「千五百万くらいまで行ってくれればいいんですけど」
「そこまで行けば上出来だな」
「ええ。行ってくれれば嬉しいですね」
「…………」
(千五百万)
安っ。
河童木◎。
美香◎。
それが千五百万。
(買いだろ)
ウイポなら一秒で買う。
こんなの見つけて買わない理由がない。
千五百万なんて――。
「…………」
(いや、千五百万だぞ)
ゲームじゃない。
現実だ。
(中古なら家買えるじゃん……)
じいちゃんは十万とか十五万とか二十万の種付け料で悩んでいる。
千五百万。
(逆立ちしても買えねえ……)
俺は鹿毛を見上げた。
欲しい。
でも買えない。
(……いや)
今回の目的は、馬を買うことじゃない。
【解除条件:初めての馬を売ろう】
これだ。
誰かに買わせればいい。
問題は。
(誰に?)
俺は周囲を見回した。
馬を見る人。
話している人。
資料を読む人。
誰が馬主なのか。
誰が金を持っているのか。
五歳児の俺には、さっぱり分からない。
(まあ、まだ時間はある)
それに。
この馬が今日一番とも限らない。
俺は名残惜しく思いながら、その場を離れた。
残りの馬も見て回る。
秘書 ‐
牧場長 ○
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ‐
何頭か挟んで。
秘書 △
牧場長 ‐
河童木 △
長峰 ‐
美香 △
さらに先では。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 △
長峰 ‐
美香 ○
いい馬はいた。
欲しいと思う馬もいた。
でも。
◎はいない。
最後まで見終えて。
(やっぱり、あいつだ)
俺は鹿毛のところへ戻った。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ◎
長峰 ‐
美香 ◎
間違いない。
今日見た中なら、あいつが一番欲しい。
そのときだった。
「さっきから、ずいぶん真剣に見てるな」
「ん?」
振り返る。
知らない男が立っていた。
暑いからだろう。
上着は着ていない。
白いシャツに、きれいなズボン。
靴もきれいだ。
服に詳しくない俺でも、なんとなく高そうなのは分かる。
そして。
少し後ろに、もう一人いた。
こっちはスーツ姿だ。
片腕には男のジャケット。
もう片方の手には革の鞄。
目の前の男は、何も持っていない。
(このおじさん、偉い人だ)
そして。
(というか……金持ってそう)
男が笑った。
「馬が好きなのか?」
「うん」
「誰かと来たのか?」
「じいちゃん」
「おじいちゃん?」
「あそこ」
俺は指を差した。
少し離れたところで、じいちゃんが何人かの男と話している。
何を話しているのかまでは聞こえない。
ただ、手元の資料を見せ合ったり、ときどき馬の方を指したりしている。
「ああ、あの人か」
「うん」
男はじいちゃんを見て、それから俺を見た。
「なるほどな」
何に納得したのかは分からない。
男は一人で頷いていた。
「俺は仕事の付き合いで来たんだがな。一頭くらい買っていけと言われて困ってるんだ」
「馬、分からないの?」
「全然分からん」
男は笑った。
「周りは難しい話をしてるが、俺にはさっぱりだ」
(分かる)
俺にもさっぱり分からない。
「坊主はずっと見てただろ?」
「うん」
「どうだ。どれがいい?」
「…………」
俺は鹿毛を見る。
河童木◎。
美香◎。
間違いない。
今日見た中なら、俺はこいつが一番欲しい。
でも。
一千万から。
千五百万まで行けば上出来。
俺には逆立ちしても出せない金額だ。
このおじさんなら?
「…………」
もう一度、男を見る。
白いシャツ。
きれいな靴。
後ろには、ジャケットと鞄を持った男。
(いけるか?)
服だけで決めるわけにはいかない。
せっかく勧めても、予算が足りなければ意味がない。
だから。
「……おじさん」
「ん?」
「予算、いくら?」
男が目を丸くした。
「予算?」
「うん。いくらまで出せる?」
「そうだなあ……」
男は少し考えた。
「三千万くらいまでなら、まあ」
「…………」
(三千万)
余裕だった。
俺は思わず、男の後ろを見る。
ジャケット。
鞄。
それを持っているスーツ姿の男。
(やっぱり金持ちじゃん)
「それ以上となると、付き合いで買う額じゃなくなるな」
「じゃあ」
俺は鹿毛を指差した。
「あれ」
「あの馬?」
「うん」
男が鹿毛を見る。
俺も見る。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ◎
長峰 ‐
美香 ◎
「へえ」
男はしばらく鹿毛を眺めた。
「どこがいいんだ?」
「…………」
困った。
河童木と美香が◎だから。
とは言えない。
俺も馬を見る。
頭から尻まで。
次に脚を見る。
歩いているところも見る。
「…………」
分からん。
何がいいんだろう。
俺に分かるのは、こいつが地味な鹿毛だということくらいだ。
「見た感じがいいのか?」
「うーん……」
「元気そうとか?」
「…………」
別に他の馬より元気そうにも見えない。
むしろ大人しい。
俺は少し考えてから答えた。
「……なんとなく?」
「なんとなく?」
「うん」
男が笑った。
馬鹿にしたような笑い方ではなかった。
「そうか。なんとなくか」
「でも、俺ならあれ」
「他のじゃなく?」
「うん」
そこだけは迷わなかった。
「あれがいい」
男はもう一度、鹿毛を見る。
「分かった。じゃあ、あれにしてみるか」
「買うの?」
「三千万までなら追ってみるよ」
「ほんと!?」
「ああ。せっかくここまで真剣に見てた坊主が選んだんだ。乗ってみるのも面白いだろ」
「…………」
(よし!)
問題は。
(これで本当に『売った』ことになるのか?)
そこだけだった。
◆
やがて、セリが始まった。
「おお……」
下見とは、まるで空気が違う。
馬が一頭ずつ出てくる。
その馬が会場の中央へ入った途端、競売人の声が響いた。
「さんびゃくまーん、さんびゃくまーん、三百万円から! さんびゃくまーん!」
「…………」
(なんだ、この喋り方)
普通に数字を読み上げているのに、妙に語尾が伸びる。
歌っているような。
急かしているような。
独特の節回しだ。
すぐに札が上がった。
「はい、さんびゃくごじゅうまーん! 三百五十万! 三百五十万!」
別の札が上がる。
「よんひゃくまーん! 四百万! はい四百万!」
(はやっ)
札が上がる。
値段が上がる。
競売人はほとんど止まらない。
数字を何度も繰り返しながら、独特の調子で次の値段を呼び込んでいく。
そして馬が売れると、すぐに次の馬。
(これがセリか……)
下見で見た馬も、次々と出てきた。
秘書 ‐
牧場長 △
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ▲
(あ、美香▲のやつ)
俺が初めて美香の印を見つけた馬だ。
これも、そこそこの値段まで上がった。
次に見覚えのある馬が出てきた。
秘書 ○
牧場長 ▲
河童木 ‐
長峰 ‐
美香 ‐
(あ、あいつだ)
こっちも値段が上がっていく。
(やっぱり人気あるんだな)
血統がいい。
丈夫さにも印が付いている。
大物じゃなくても、こういう馬が長く走ってくれれば馬主は嬉しいだろう。
(俺が欲しい馬と、高く売れる馬は同じじゃないんだな)
そして。
会場の空気が少し変わった。
(あ)
あの馬だ。
下見で人だかりができていた馬。
秘書 ◎
牧場長 ○
河童木 ‐
長峰 △
美香 ‐
開始から、札の上がり方が違った。
五千万を超えた。
六千万。
七千万。
(すげえ……)
それでも止まらない。
八千万を超える。
そして。
「八千八百万! 八千八百万!」
競売人が会場を見渡した。
「八千八百万! ほかありませんか!」
もう札は上がらない。
「――八千八百万円!」
落札を告げる声が響いた。
すると。
「がはははは!」
少し離れたところから、大きな笑い声がした。
大柄なおじさんが、満足そうに笑っている。
「取ったぞ!」
周りにいた人たちが声をかける。
「おめでとうございます」
「いい馬を取りましたね」
「いやあ、よかったよかった!」
おじさんは上機嫌だった。
「八千八百万なら安い買い物だったわ! がははは!」
「…………」
(八千八百万が安い……)
俺はじいちゃんを見る。
じいちゃんは十万、十五万、二十万の種付け料で頭を悩ませている。
もう一度、おじさんを見る。
「がはははは!」
(住んでる世界が違う……)
ただ。
あの馬なら、そう言いたくなるのも分からなくはない。
秘書◎。
牧場長○。
それに、長峰△。
俺が一番欲しい馬ではない。
でも、間違いなく今日の目玉の一頭だ。
そして。
何頭かを挟んで。
いよいよ。
「…………!」
あの鹿毛が出てきた。
俺は思わず身を乗り出した。
秘書 ‐
牧場長 ‐
河童木 ◎
長峰 ‐
美香 ◎
間違いない。
あいつだ。
鹿毛は引き手に連れられて、会場の中央へ入ってくる。
相変わらず地味だった。
別に堂々としているようにも見えない。
騒ぐわけでもない。
ただ大人しく、人に引かれて歩いている。
「いっせんまーん、いっせんまーん! 一千万円から! いっせんまーん!」
あの独特の声が響く。
(始まった……!)
「いっせんまーん、いっせんまーん――はい、せんごじゅうまーん! 四十二番、千五十万!」
札が上がった。
「せんごじゅうまーん、千五十万――はい、せんひゃくまーん! 八十一番、千百万!」
(八十一番……)
俺は客席を見る。
いた。
あのおじさんだ。
(買ってる!)
本当に買おうとしている。
「千百万! 千百万――千百五十万! 四十二番!」
「千百五十万――はい千二百万! 八十一番!」
(よし!)
早い。
ほとんど間がない。
「千二百万――千二百五十万! 四十二番!」
「千二百五十万――千三百万! 八十一番!」
札が上がるたびに五十万円。
(こわっ……)
俺の感覚ではとんでもない金額が、数秒ごとに積み上がっていく。
「千三百万――千三百五十万! 四十二番!」
「千三百五十万――千四百万! 八十一番!」
そこで競売人が声を張った。
「千四百万! 千四百万! ここから百万円単位でお願いします!」
(百万円!?)
さらに刻みが大きくなった。
四十二番の札が上がる。
「はい千五百万! 四十二番、千五百万!」
(千五百万!)
生産者が言っていた金額まで来た。
ここまで行けば上出来。
そのはずだった。
でも。
「千五百万! 千五百万!」
俺は八十一番を見る。
(行け……!)
三千万まで。
そう言ったよな。
男が札を上げた。
「はい千六百万! 八十一番!」
(よし!)
「千六百万! 千六百万!」
四十二番も降りない。
「はい千七百万! 四十二番!」
(まだ来るか!)
俺はもう、馬ではなく客席ばかり見ていた。
「千七百万! 千七百万!」
(八十一番!)
男が札を上げる。
「はい千八百万! 八十一番、千八百万!」
(よし!)
競売人が会場を見渡す。
「千八百万! 千八百万!」
四十二番を見る。
動かない。
「千八百万! ほかありませんか!」
(頼む……)
もう誰も上げるな。
今さら俺には何の権利もないのに、両手を握り締めていた。
「千八百万!」
一拍。
「――八十一番、千八百万円!」
「…………!」
決まった。
(買った……!)
あのおじさんが。
俺が選んだ馬を。
本当に買った。
俺は八十一番を見る。
男も俺に気づいた。
軽く手を上げる。
俺も手を振り返した。
そして。
「…………」
頭の中へ意識を向ける。
(さあ)
買った。
俺が勧めた。
その馬を、本当に買ってくれた。
(これでどうだ?)
「…………」
何も起きない。
(……あれ?)
待つ。
何もない。
鹿毛はもう会場から連れ出されようとしている。
(駄目?)
急に不安になった。
考えてみれば当たり前だ。
俺は馬を売っていない。
馬を持っていたわけでもない。
生産したわけでもない。
ただ。
あのおじさんに「あれがいい」と言っただけだ。
(やっぱり、さすがに無理があったか……?)
期待していたぶん、力が抜ける。
まあ。
仕方ない。
そもそも五歳児が、他人の馬を他人に勧めただけで――。
【条件を達成しました】
「…………え?」
【初めての馬を売ろう 達成】
【血統表が解放されました】
「…………」
一瞬。
意味が分からなかった。
それから。
(通った!?)
思わず立ち上がりそうになる。
(これでいいの!?)
俺は売ってない。
紹介しただけだ。
それなのに。
(ガバガバじゃねえか、この判定!)
でも。
ありがたい。
今はガバガバでいい。
俺はすぐ近くにいた馬を見る。
(血統表)
意識した。
すると。
「…………!」
見えた。
父。
母。
その父。
その母。
さらに前。
名前が枝分かれするように並んでいる。
(本当に血統表だ……)
でも。
普通の血統表を見るだけなら、調べれば分かる。
俺が見たかったのは。
そこじゃない。
名前の横を見る。
「…………」
一つ。
そして。
もう一つ。
見覚えのあるものが付いていた。
「……マジか」
(因子だ)
間違いない。
ウイニングポストの血統表で、何度も見た。
スピード。
スタミナ。
瞬発力。
パワー。
血統の中にある、あの因子。
(見える……)
幼駒評価だけじゃない。
血統表。
そして、因子。
これまで俺にできたのは。
すでに生まれた馬の中から、走りそうな馬を見つけることだけだった。
でも。
これが使えるなら。
血統を見て。
因子を見て。
組み合わせを考えて。
「…………」
俺は、じいちゃんの牧場の馬たちを思い出した。
河童木‐
美香‐
何頭見ても、ろくに印が付かなかった一歳馬たち。
今までは。
強い馬を見つけることしかできなかった。
でも。
(もしかして――)
強い馬を。
【補足:幼駒評価について】
本作で主人公に見えている「秘書・牧場長・河童木・長峰・美香」の印は、『Winning Post』シリーズに登場する幼駒の評価をもとにしています。
評価は基本的に、
◎ > ○ > ▲ > △ > ‐
の順に高くなります。
・秘書
主に血統面からの評価。ちょっとだけスピードも入ったりするが、血統だけの駄馬でも付けるので参考にならない。
・牧場長
馬の丈夫さや気性面などに関係する評価。
・河童木
スピードと現在の成長度を含めた競走能力への評価。成長の早い馬ほど高い評価が付きやすく、逆に成長の遅い馬は能力が高くても低い評価になることがあります。基本的にこれが〇とか◎なら期待大
・長峰
非常に高い評価を持つ馬にしか印を付けないため、印が付いていること自体が珍しい評価。評判に関してなので、走るとは限らない。
・美香
サブパラ評価。競走馬としての能力を判断するうえで、特に参考になる評価。これが◎とかだと、スピードがなくてもOPくらいまで勝ち上がれる。
そのため主人公は、競走能力を見る場合には特に「河童木」と「美香」の印を重視しています。
ただし、印だけですべてが分かるわけではなく、成長型や適性などによって実際の競走成績は変わります。
例:晩成タイプだとスピードがあっても成長度が遅いため、実際にはGⅠ級のスピードを持っていても河童木は評価がつかないなどがある。半面、早熟タイプではいい評価が出やすいのが河童木で、期待したほどではないということもある。ただ、基本的に美香と河童木が◎ならほぼ確実に重賞複数賞レベルになる。