ウイニングポス党   作:ZIPMAN

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憐れな存在が出ます。
童貞の方は危険ですので、本編を読まずに鍋の具材でも感想欄に書き込んでおいてください。ぼくは白菜。


種付け

 

 

 四月。春の訪れを告げる季節になっても、北海道の朝は、まだ寒い。

 

 日が昇ればだいぶ暖かくなるようになったけれど、朝一番に外へ出れば空気は冷たい。日陰には、冬の名残みたいな汚れた雪がわずかに残っている。

 

 それでも、放牧地には少しずつ緑が混じり始めていた。

 

 長かった冬が終わる。

 

 牧場にとっても、忙しい季節が始まる。

 

 俺は小さなバケツを両手で持って、厩舎へ入った。

 

 干し草と馬の匂い。

 

 俺の足音に気づいて、馬房の中から何頭かが顔を覗かせる。

 

 その中でも、一番早く首を伸ばしてきた馬がいた。

 

「おはよう、プリマ」

 

 プリマルーブル。

 

 長いので、いつの間にかプリマと呼ぶようになっていた。

 

 本人――いや、本馬がそれを名前だと理解しているかは知らない。

 

 ただ、俺が近づけば鼻を鳴らして寄ってくる。

 

「はいはい。ちゃんと持ってきたから」

 

 飼葉桶へ餌を入れてやる。

 

 プリマは待ってましたとばかりに顔を突っ込み、もしゃもしゃと食べ始めた。

 

 その横から鼻を撫でる。

 

 これも毎朝の日課だ。

 

「よしよし。いっぱい食べろよ」

 

 プリマが気持ちよさそうに目を細める。

 

「これから母親になるんだから、体力つけないとな」

 

 もちろん、そんなことを言われたところで分からないだろう。

 

 プリマは気にせず餌を食べ続けている。

 

 秋にうちへ来てから、もう半年近い。

 

 最初から人には素直な馬だったけれど、今では俺にもすっかり慣れた。

 

 俺が厩舎へ入れば顔を出すし、鼻を撫でても嫌がらない。

 

(まあ、餌を持ってくる奴だと思われてるだけかもしれないけど)

 

 それでもいい。

 

 毎日こうして世話をしていると、少しずつ実感が湧いてくる。

 

 こいつは、うちの馬なのだ。

 

 そして。

 

 春になったということは。

 

(そろそろなんだよな)

 

 プリマの鼻を撫でながら、俺は牧場へ来たばかりの頃のことを思い出した。

 

     ◆

 

「そういえば、じいちゃん」

 

「なんだ?」

 

「種付けっていつするの?」

 

 プリマがうちへ来て、まだ間もない頃だった。

 

 俺としては。

 

 繁殖牝馬を買った。

 

 なら次は種付け。

 

 それくらいの感覚だった。

 

「春だな」

 

「春?」

 

「ああ」

 

「……まだまだ先じゃん」

 

「当たり前だろ」

 

「すぐじゃ駄目なの?」

 

 じいちゃんは、何を当たり前のことを聞いているんだという顔をした。

 

「繁殖牝馬になったからって、いつでも種付けできるわけじゃないぞ」

 

「そうなの?」

 

「馬にも時期がある」

 

 そこまで言ってから。

 

 五歳児相手だということを思い出したらしい。

 

 少し考えて、言葉を選ぶ。

 

「牝馬はな。春になって日が長くなってくると、フケるようになるんだ」

 

「フケる?」

 

「発情……いや」

 

 また考える。

 

「仔を作れるようになるってことだ」

 

(発情で分かるんだけどな)

 

 もちろん言わない。

 

 俺は一応、五歳児なのだ。

 

「ずっと?」

 

「ずっとじゃない。何日かフケて、またしばらくするとフケる。大体、三週間くらいで回る」

 

(なるほど)

 

 発情周期は、およそ二十一日。

 

 そのうち数日間が発情期で、終わり頃に排卵が起きる。

 

 前世で普通に習った生物の知識だ。

 

 じいちゃんの説明と頭の中で勝手につながっていく。

 

「じゃあ、春になったらすぐ?」

 

「それも馬次第だ」

 

 じいちゃんがプリマを見る。

 

「こいつは競走馬をやめたばかりだろ」

 

「うん」

 

「環境も変わった。まずは落ち着かせて、体を作ってやる」

 

 そして。

 

「繁殖牝馬になったからって、すぐ母親にできるわけじゃない。母親になるにも準備がいるんだ」

 

「へえ」

 

 ゲームなら。

 

 繁殖牝馬を買って。

 

 種牡馬を選んで。

 

 決定。

 

 それだけだった。

 

(現実、結構めんどくさいな)

 

 いや。

 

 生き物を増やそうとしているのだから。

 

 むしろこっちが当たり前なのだろう。

 

(成る程なあ。ウイポで種付けのシーズンが5月6月固定なのは、ゲーム的な都合じゃなくて実際にそうだからなのか)

 

     ◆

 

 そんなことを思い出しながら、プリマの鼻を撫でていると。

 

「……ふむ」

 

 後ろから声がした。

 

「じいちゃん?」

 

 振り返る。

 

 いつの間に来たのか。

 

 じいちゃんがプリマをじっと見ていた。

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

 馬房へ近づく。

 

 プリマの様子をしばらく見てから、尻尾の辺りへ目をやった。

 

「そろそろフケてきたかもしれんな」

 

「え?」

 

 俺もプリマを見る。

 

 言われてみれば。

 

 ここ数日、少し落ち着かない時がある。

 

 尻尾を上げることも増えた。

 

 少しずつ何度も尿をすることもある。

 

「それで分かるの?」

 

「目安にはなる」

 

 じいちゃんが頷く。

 

「フケてくると、こういう変化が出る馬がいる。ただ、馬によって分かりやすいのと分かりにくいのがいるからな」

 

「じゃあ、どうするの?」

 

「まず獣医に診てもらう」

 

 それからは、俺が思っていたより早かった。

 

 馴染みの獣医がやって来て、プリマを診る。

 

 俺は邪魔にならないところから眺めていた。

 

 獣医は直腸から状態を確かめ、持ってきた機械でも腹の中を見る。

 

 画面を見せてもらったけれど。

 

 正直、俺には何が何だか分からない。

 

「だいぶ育ってますね」

 

「そろそろか?」

 

「そうですね。いい頃だと思いますよ」

 

 二人の話を聞きながら、頭の中で補完する。

 

(要するに、排卵が近いってことか)

 

 発情しているからといって、いつ種付けしても同じではない。

 

 排卵する少し前。

 

 そこを狙う。

 

「なんで、この頃がいいの?」

 

 一応、聞いてみる。

 

「牡馬の種はな」

 

 じいちゃんが俺に説明する。

 

「種付けしてから、牝馬の中でしばらく生きてるんだ」

 

「うん」

 

「だから、ちょうどいい時より少し前に種付けして、中で待たせとく」

 

「待たせるんだ」

 

「ああ。そうすれば、とねっこができやすい」

 

(精子の方を先に待機させるわけね)

 

 理解した。

 

 排卵してから慌てて種付けするより。

 

 その前に交配しておく。

 

 なるほど。

 

「じゃあ、ハギノカムイオー?」

 

「ああ」

 

 じいちゃんが頷いた。

 

「種馬場に連絡するぞ」

 

 ついに。

 

 その日が来た。

 

     ◆

 

 プリマを馬運車へ載せて。

 

 ハギノカムイオーのいる種馬場へ向かった。

 

 もちろん。

 

 俺もついていく。

 

 着いてすぐ、種付けというわけではなかった。

 

 まずプリマの状態を確認する。

 

 そこで。

 

 一頭の牡馬が出てきた。

 

「あれがハギノカムイオー?」

 

「違う」

 

 じいちゃんが即答する。

 

「あれは当て馬だ」

 

「当て馬?」

 

「牡馬を見せて、本当にフケてるか確認するんだ」

 

「なんで?」

 

「フケてない牝馬は、牡馬を嫌がることがある」

 

 じいちゃんが二頭を見ながら説明する。

 

「逃げたり、耳を伏せたり。気の強い馬なら蹴ろうとすることもある」

 

「じゃあ、フケてたら?」

 

「受け入れる」

 

 実際。

 

 プリマは逃げなかった。

 

 当て馬が近づいてくる。

 

 鼻を伸ばし。

 

 互いの匂いを確かめる。

 

 プリマが尻尾を上げた。

 

 少し腰を落とすような仕草も見せる。

 

「ほら。ああいう反応だ」

 

「へえ……」

 

「獣医の診断と、こういう反応を合わせて見る」

 

 なるほど。

 

「でも、それならハギノカムイオーを見せればいいんじゃない?」

 

「いちいち種牡馬を出せるか」

 

「なんで?」

 

「種牡馬は大事な商売道具だぞ」

 

 じいちゃんが当たり前のように言う。

 

「確認するだけのために毎回出して、牝馬に蹴られて怪我でもしたらどうする」

 

「あ」

 

 なるほど。

 

 それで。

 

 確認だけを担当する牡馬がいる。

 

「だから当て馬か」

 

「そういうことだ」

 

 納得して二頭を見ていると。

 

「よし」

 

 係の人が当て馬の手綱を引いた。

 

 そのままプリマから離していく。

 

「え?」

 

 俺は思わず目を丸くした。

 

 当て馬は完全にその気になっている。

 

 目の前には発情した牝馬。

 

 プリマも受け入れる状態。

 

 にもかかわらず。

 

 ――ここで終了。

 

 何事もなかったかのように、当て馬が連れていかれる。

 

(え?)

 

 遠ざかっていく後ろ姿を目で追う。

 

(目の前に発情した牝がいて)

 

(繁殖寸前で止められるの……?)

 

 驚きに見開いていた俺の目が。

 

 徐々に。

 

 憐憫の色へと変わっていく。

 

(なんと憐れな……)

 

 仕事とはいえ。

 

 なんとも悲しい役回りだった。

 

(やっぱり、雄ってのは勝ち組に回らないと悲惨な目に合うんだな。よし、俺は勝ち組になるぞ)

 

 そう勝手に納得し、一人で頷いていると。

 

「坊や」

 

「ん?」

 

 今度は種馬場の職員に声を掛けられた。

 

「これから種牡馬を出すからな。坊やはここにいような」

 

「ここ?」

 

「ああ」

 

 少し離れた場所だった。

 

「馬が暴れたら危ないからな。絶対にここから出ないように」

 

「うん」

 

「おじいちゃんのところにも行っちゃ駄目だぞ」

 

「分かった」

 

 じいちゃんはプリマと一緒に、もっと近くへ行っている。

 

 俺だけ遠い。

 

(まあ、仕方ないか)

 

 種付けに来るのは。

 

 五百キロ近い体を持つ、大人の牡馬だ。

 

 それも。

 

 現役時代に宝塚記念まで勝ったサラブレッド。

 

 やがて。

 

 奥から一頭の牡馬が引かれてきた。

 

「……おお」

 

 思わず声が漏れる。

 

 黒にも見えるほど濃い鹿毛。

 

 すらりとした脚。

 

 長めの胴。

 

 ただ細いわけではない。

 

 首から肩。

 

 背中からトモ。

 

 全身に、競走馬として鍛えられた体の名残がある。

 

(これが……)

 

 ハギノカムイオー。

 

 ゲームの中では、名前と血統と能力でしか見ていなかった馬。

 

 でも。

 

 実物は違う。

 

(うお、この距離でも迫力やべえ)

 

 遠くから見ているだけなのに、大きい。

 

 牧場で馬なんて毎日見ている。

 

 プリマだって十分に大きい。

 

 それでも。

 

 こうして牡馬を意識して見ると。

 

 改めて思い知らされる。

 

 サラブレッドは。

 

 巨獣だ。

 

 人間より遥かに重い体。

 

 あの脚で蹴られれば、ただでは済まない。

 

 実際。

 

 気性の荒い馬に指を食いちぎられた。

 

 後ろ脚で蹴られて、大事故になった。

 

 そんな話は、馬産地では枚挙に暇がない。

 

(……そりゃ、俺をこんなところまで下げるわ)

 

 五歳児が近くで見物していい作業ではない。

 

 職員たちの動きにも緊張感があった。

 

 プリマを押さえる人。

 

 ハギノカムイオーを扱う人。

 

 周囲で様子を見る人。

 

 さっきの当て馬の時とは明らかに違う。

 

 種牡馬と繁殖牝馬を近づけ。

 

 事故が起きないよう、慎重に位置を合わせる。

 

 そして。

 

 種付けが行われた。

 

 俺は。

 

 少し離れたところから、それをじっと見ていた。

 

(……本当にやった)

 

 ハギノカムイオー。

 

 プリマルーブル。

 

 血統表の中で考えただけだった二頭が。

 

 本当に交配した。

 

 プリンスリーギフト。

 

 ヴェンチア。

 

 ニジンスキー。

 

 ボールドラッド。

 

 四頭に並ぶスピード因子。

 

 さらに。

 

 別のラインに重なる勝負根性。

 

 頭の中に、何度も見た血統表が浮かぶ。

 

(これで)

 

 俺が考えた配合が。

 

 現実になった。

 

 もちろん。

 

 まだ終わりじゃない。

 

 種付けしたからといって、必ず受胎するわけじゃない。

 

 このあと確認が必要になる。

 

 駄目なら、また次のフケを待って種付け。

 

 それでも。

 

 最初の一歩は踏み出した。

 

     ◆

 

 牧場へ戻った頃。

 

 俺は、いつもの繁殖牝馬たちのところへ顔を出した。

 

 馬房を覗く。

 

 一頭が俺を見るなり、首を伸ばしてきた。

 

「はいはい」

 

 鼻を撫でてやる。

 

 馬は気持ちよさそうに目を細めた。

 

 すると。

 

 隣の馬まで、こっちへ顔を寄せてくる。

 

「お前も?」

 

 そっちの鼻も撫でる。

 

 さらに奥の馬が、何をしているんだというようにこちらを見ていた。

 

 毎日見ている。

 

 いつもの馬たちだ。

 

 俺が近づいても噛まない。

 

 鼻を撫でれば大人しくしている。

 

 たまに自分から顔を押しつけてくる。

 

 今日見た種牡馬の迫力を思い出す。

 

 それから、目の前で気持ちよさそうにしている馬を見る。

 

(ああ……いい子たちだなあ)

 

 今日は。

 

 いつもよりほんの少しだけ長く。

 

 鼻を撫でてやることにした。

 




【年齢について】
 プリマルーブルと主人公は同い年ですが、プリマルーブルは6歳で主人公は5歳です。理由は、当時の馬の年齢表記は、生まれ年を1歳としているためです。

【種付けについて】

 サラブレッドには明確な定義があります。
 その中で最も重要なものが、『自然交配じゃないとサラブレッドと認められない』ということです。なので、畜産の分野で当たり前のように使われる人工授精が使われず、いまだに自然な交配をするためにさまざまな努力が行われています。
 ただ、サラブレッドは大型だと500kgにもなるわけですから、種付け現場は大変危険な場所となるわけです。
 実際に、種付けを怖がって暴れて事故死した名馬も存在しますし、男の大切なアレを怪我させられる馬もいます。人間が巻き込まれたらヤバいでしょうね。

 特定の属性にしか興奮しないのでそれ以外には種付けしませんみたいな困った性癖の持ち主もいます。しかも、そういうのに限って子供が走ったりします。馬産の苦労は絶えない。
 
 ちなみに、種牡馬の種付け料は需要で決まるので、下は無料から上は青天井です。かつてノーザンダンサーと呼ばれる馬の血は、1カラットのダイヤモンドより価値があると言われていたそうですが、そのノーザンダンサーの種付け料は一発100万ドルクラスまで高騰していた事実があります。で、当時のレートがこちらです。

1984年:約 1ドル=238円
1985年:約 239円
1986年:約 169円
1987年:約 145円

さらに物価も加味すれば、如何に走る馬の種牡馬価値が高いかということです。日本でもディープインパクトは一説によると一撃4000万〜5000万クラスまで上がったそうですし、現在の日本のトップ種牡馬も2500万くらい取るようです。

羨ましい……と思った貴方。そんな時期が、俺にもありました……。

問題はですね、特定のシーズンにしか種付けしないのに、こいつらって、現在では種付け関連の技術の発展により、200頭以上種付けさせられるんですよね。死ぬわ!
あ、白滝追加でお願いします。
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