カーン、カーン、と乾いた金属を打つ高い音が、午後の職人街に響いている。
私は銅鍋屋の軒先の縁台に腰掛けて、ザクロの生搾りジュースを飲んでいた。屋台のおじさんが、鉄のレバーを力任せに押し潰して搾ってくれたやつだ。酸っぱくて、渋くて、喉の奥に少しだけ甘い痛みが残る。
銅鍋屋の店先では、ウイグル帽のおじいさんが、炭火の上で鍋の内側に錫を塗っている。
使って、傷ついて、剥げたら、また塗り直す。
私の膝の上の掌には、くしゃくしゃになった日本の紙幣が数枚。指先で丁寧に伸ばして二つに折ったはずなのに、ポケットの中で温まり、また元のシワシワに戻ってしまっていた。
「ئۇ ئاكا نېمە بولدى؟」
(あの
おじいさんが手を止めずに、ウイグル語で低く尋ねてきた。
「……Bilmeymen.」
(……わかんない)
私もウイグル語で返した。おじいさんは鍋の内側の銀色から目を離さずに、ふん、と短く喉を鳴らした。
「سىزنىڭ ئۇيغۇرچىڭىز بەك ياخشى ئىكەن. بىراز سېغىنىشلىق، كونا شېۋى ئىكەنبۇ.」
(あんた、いいウイグル語を話すな。少し懐かしい、古い訛りだ)
「Meni momam ögetken.」
(おばあちゃんに習ったの)
「شۇنداقمۇ.」
(そうかい)
私はザクロジュースをもう一口飲み込み、胸の奥のつっかえを無理やり胃の底へ流し込んだ。
ウイグル語で話すのは下手。和田さんにはずっとそう言ってきたし、別に嘘ではなかった。
子どもの頃は、本当に話せなかったのだ。普通語の学校に通い、漢民族の友達と駆け回り、漢語のアニメを見て育った。放課後に家に帰り、おばあちゃんがウイグル語で何かを話しかけてくるたびに、意味が半分も分からなくて曖昧に愛想笑いを浮かべた。おばあちゃんは、そのたびに困ったように眉を下げ、少しだけ悲しそうな顔をした。
お金がないと孫は寄り付かない、と大人たちは自嘲気味に言う。でも本当はそうじゃない。同じ屋根の下に住んでいても、同じ食卓を囲んでいても、言葉がうまく繋がらなければ、人と人は心から寄り添うことすらできない。
だから、私は必死で勉強した。ウイグル語の文字も、日本語も、英語も、キリル文字も。言葉さえあれば、どこでも誰かと繋がることができるから。
今は、この街で一人で生きていける程度にはウイグル語を使いこなせる。おばあちゃんとは本気の喧嘩だってできる。
ただ、それを和田さんに話すと、私の全部を説明しなければならなくなるから、言わなかった。
*
お父さんがメッカへ行ったのは、私が11歳の時だった。
正式な巡礼ツアーは何年も順番待ちをしなければならないし、目玉が飛び出るほど高い。だからお父さんは知り合いの伝手を頼り、車でカラコルムの険しい山を越えてパキスタンへ抜け、そこから飛行機でサウジアラビアへ向かった。安くて早い裏道。当時はまだ、そうやって向かう人もたくさんいた。
けれど、お父さんが不在の間に、お母さんが過労で身体を壊した。お父さんが帰ってきた時には、お母さんはもう病院の白いベッドから起き上がれなくなっていて、それから二年もしないうちに逝ってしまった。
お父さんはずっと、自分が無理をして掟破りの旅をしたせいだと自分を責めていたし、幼かった私も、心のどこかで少しだけそう思っていた。
私が13歳の年。街中の人のパスポートが「一時保管」のために集められた。私のも、お父さんのも。
その次の年、お父さんは遠くで働くことになった。どこで何をする仕事なのかは教えてもらえなかったけど、しばらくして、カシュガルにいると分かった。
電話はできないし手紙も来なかったけど、一度だけビデオが届いた。
自分は元気でやっている。周りの人たちも良くしてくれている。お前も安心して暮らしなさい。
何度も見返すうちに、最後の方で、お父さんの目が一瞬だけ画面の横を見たような気がした。
何年か経ち、街の人たちのパスポートは少しずつ手元に戻ってきたけど、私のは戻ってこなかった。とっくに期限も切れていただろう。
それでも私は国家試験を受け、正規のガイドの資格を手に入れた。合格通知が届いた日、おばあちゃんは近所じゅうに誇らしげに自慢して回ったし、おかげで旅行会社にも就職できた。独学で覚えた日本語が買われて、日本からのツアー客を何組も担当させてもらえた。
でも去年、いきなり担当を外された。遠回しに辞めてほしいと言われたようなもので、それからはフリーのガイドとして生計を立てなきゃならなかった。
トルファンで和田さんを案内した、あの葡萄農家も同じだ。居間の壁に飾られていた額縁の男の子は、今はもう大人になっている。彼は私のお父さんと同じ頃に遠くへ働きに出た。元気な長男が不在になったから、あの家は、いつもあんなに静かなのだ。
*
カラクリ湖へ行きたかったのは本当。子どもの頃、お父さんが大切にしていた古い地理雑誌で、あの青く澄んだ氷河の湖の写真を見た。
でも、それだけじゃない。
カラクリ湖の先にはタシュクルガンがあって、その先にクンジュラブ峠がある。お父さんが越えた山。お母さんがまだ元気だった頃、お父さんが走った道。
私は決して、国境を越えて逃げ出そうとしたわけじゃない。
あんな山を一人で越えられるわけがないし、おばあちゃんを一人にするわけにはいかないし、生まれ育ったこの国の人たちが私は大好きだ。
ただ、それでも、見てみたかった。お父さんが見たあの山並みを。境界線の空の下に立って、あの山の形をこの目に焼き付けたかった。
検問所を通れないことなんて最初から分かっていたけれど、正規の手続きを踏んだ外国人観光客を連れたガイドとしてなら――ひょっとしたら、あの厳重なゲートを通してもらえるんじゃないか。そんな浅はかな賭けに、私はただ負けた。
*
あの日、ウルムチの空港で。
案内するはずだった客に直前でドタキャンされ、途方に暮れながらロビーを歩いていた時、ベンチの上で頭を抱えていた奇妙な男を見つけた。その挙動の頼りなさだけで、日本人だとすぐに分かった。
本当に変な奴だった。
北京でスマホを置き忘れてくるような迂闊さがあって、何をするにも不注意で、胃腸が弱くてすぐ下痢をして、気分の浮き沈みが激しくて、大学で観光を学んだと言うくせに肝心なことは覚えていなくて、中国語の発音は絶望的で、おだてに乗りやすくて、すぐに人を信じる。
名前は和田高昌。新疆で笑われるために生まれてきたような、おあつらえ向きの名前。
その男が、車の中で「死ぬためにここへ来た」と打ち明けてきた時、私は無理やり大声で笑い飛ばしたけれど、本当はハンドルから両手を離して頬を思い切り引っぱたいてやりたかった。
命は、神様からの大切な預かりものだ。どんなに戒律を守らない私のような不良ムスリムだって、それくらい知っている。自分で自分の命を絶つことだけは、二度と取り返しのつかない唯一の重罪なのだ。
それなのにこの男は、自分の足で空港に降り立って、ご飯を食べて、お腹を壊して、温かい血が巡るその頑丈な身体を、砂漠に捨てに行くと言う。
不快だった。本当に腹が立った。
だから、決めた。
この男をカシュガルまで引っ張り回してやる。この土地の美味いものを、胃袋が破れるほど全部食わせてやる。あの死の砂漠の縁に立たせてやる。
そしてあいつが自分の足で現実へ戻ってきたら、最後に無一文にして置き去りにしてやるのだ。私は最悪の詐欺師になって、あいつを激怒させてから、容赦なく突き放す。
腹を立てて怒り狂っている人間は、死ぬことなんて綺麗さっぱり忘れる。一人で路地を歩き、一人で飯を頼み、一人で飛行機に乗って日本へ帰ることができれば……和田さんはもう、二度と死にたいなんて言わなくなるはずだから。
砂漠の縁で、和田さんが砂丘の向こうへ消えかけた時。本当は恐怖で心臓が止まりそうになった。
車のクラクションを狂ったように鳴らし続けながら、私は心の中で、神様に「ケチュル」「あの人を助けてください」と、何十回も願い続けていた。
*
ブブッ、とポケットの中でスマホが震え続けた。画面を開くと、和田さんからのメッセージが怒涛の勢いで積み上がっていく。
『俺は日本に帰る』
思わず吹き出しそうになった。
騙された男が、騙した相手に向かって、ガイド料を取り立てに来いと喚いている。彼は気づいたのだろうか。私のついた、あまりにも稚拙な嘘に。
吹き出しの連射は止まらなかった。
雪山のミイラ。雪が見たいなら日本に来い。滋賀なら腐るほど降る。これは天気の話だ。これは腹具合の話だ。これは飯の話だ。ひとつひとつのメッセージに律儀な但し書きが添えられている。
クチャのホテルで私が釘を刺したことを、彼はちゃんと覚えていたのだ。和田さんは私の事情を何か察して、危ない言葉だけを完璧に避けて書いている。迂闊で、間抜けで、何も覚えていなかったはずの男が、私のために必死で言葉の罠を掻い潜っている。
『ケチュル』
最後に届いたその一行を目にした瞬間、視界がぐしゃりと歪んだ。
大粒の涙が、堰を切ったようにスマホの液晶画面へボタボタとこぼれ落ちる。
握りしめていたザクロジュースの紙コップがくしゃりと潰れそうになり、私は慌ててそれを縁台の端に置いた。
何を謝っているの、この人は。
あなたを騙して置き去りにした悪いガイドは、私なのに。
鍋に錫を塗っていたおじいさんが、カンと手を止めてこちらを見つめた。何も言わず、やがて静かに再び作業へと向き直った。カーン、カーンと、規則正しい打撃音が路地に響き続ける。
*
今の和田さんはきっと、薬が切れて、何かの熱に浮かされているのだろう。普段なら、こんな熱量で言葉を叩きつけてくるような人じゃない。
薬が切れて、身体は大丈夫だろうか。無事に飛行機の切符を確保して、北京で乗り継いで、日本の病院へ駆け込めるのだろうか。私なしでカシュガルの迷路を歩けたのだろうか。私なしで……
……もう、歩けたんだった。ラグメンだって、一人で頼めたんだから。
「もう、大丈夫か」
声に出すと、少しだけ笑えた。
きっとこれからも、和田さんはまた、どこかの街で悪いガイドに捕まるんだろう。私みたいなのに。
けれど、ハノイで身ぐるみを剥がされカシュガルでも騙された男は、次はきっと。異国の空港のベンチで頭を抱えている誰かの痛みに、真っ先に気づいてやれるはずだ。
返信欄に指を置いて、ケチュルと打ちかけて、消した。
今返事を送ってしまえば、彼は絶対に日本へ帰らなくなる。この街中を駆け回って、私を探し続けるに決まっている。
それに、外国人とたくさん連絡を取っていることも、きっとどこかの画面の色を赤く変える。和田さんが言葉を選んでくれたのに、私がそれを台無しにするわけにはいかない。
だから、返事はしない。今は。
私は涙を手の甲で乱暴に拭い、シワシワの千円札をもう一度伸ばして、二つに折って、ポケットの奥にねじ込んだ。
これは借りたお金だ。だからいつか、返しに行かなければならない。
国境の山なんて、もう見なくていい。
いつか、胸を張れる正当な手続きで、正規のパスポートで海を越えて、あいつの国へ乗り込んでやる。境界線なんて、空から好きなだけ拝んでやる。
そして、雪が腐るほど降るという、滋賀とかいう場所に行く。
その時は利子をつけて返してやる。羊一頭分くらいの、とびきり重たいものを添えて。
顔を上げると、職人街の切り取られた細い空が、砂埃の白から少しずつ、透き通るような青空へと戻り始めていた。私は立ち上がり、作業を続けるおじいさんの背中に向かって、ウイグル語で、しっかりと通る声で言った。
「Rexmet.」
おじいさんは振り返らず、炭火の上で銀色に塗り直されたばかりの美しい鍋を、誇らしげに少しだけ高く掲げてみせた。
ウイグル語のセリフ作成にはGoogle翻訳を使用しています。