新疆ウイグル自治区の旅   作:雄魔雌

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第4話 灼熱の国の雨

「あっはは! 和田さん、本当に砂漠で死にたくてココに来たんだ!?」

 

 車内にルーの甲高い笑い声が響きわたる。

 

「俺が展示されたら、東洋の美男子って札にしてくれよ。楼蘭の美女みたいにさ」

「んーチョット難しいかな! にしても人間のドライフルーツって! ホント酷いこと言うね!」

 

 ゲラゲラとハンドルを叩きながら爆笑するルーの横顔を見ながら、俺は助手席のシートに深く沈み込んだ。

 俺たちは今、車で三時間かけてウルムチから南東のトルファンへと向かっている。

 標高約900メートルのウルムチから、海抜マイナス154メートルのすり鉢状の盆地へ。標高が一気に下がるにつれて、窓の隙間から吹き込む風の質が変わっていく。涼風なんかじゃない。超巨大な業務用のヘアドライヤーを顔面に直撃させられているような、重苦しく乾いた熱風だ。

 

 道中、荒涼とした平原に白い巨塔の群れが現れた。達坂城(ダバンチェン)の風力発電所――通称、風の道。無数の風車が規則的に立ち並び、巨大なブレードが唸りを上げて回っている。

 

「いくつあるんだ? いつまでもあるな」

「距離から逆算したら三万基以上って聞いた!」

 

 機械は風を受け、永久機関のように回り続けている。そしてその道路の脇を、カザフ族が飼育しているラクダの群れがのんびりと横切っていく。

 

「ラクダのミルクは肺にも糖尿病にもすっごく効くんだよ。お金は牛乳の三十倍するけど」

「へぇ、飲んでみたいもんだな。チャンスあるかな」

 

 思わず呟いてから、心の中で舌打ちした。死にに来たはずの人間が、なぜ健康長寿のラクダミルクに興味津々になっているのか。

 

 遠くの荒野を、ドイツのベルリンと中国を結ぶという長大な国際定期貨物列車が銀の蛇のように這っていく。

 真っ白に結晶化した広大な塩湖——中国死海の看板を横目に、車はさらに標高を下げていく。

 

「今日のホテルもすっごく良いトコ。朝食がめちゃくちゃ美味しいの」

「人の金で贅沢するよなぁ。俺はそこらの安宿で十分だったのに」

「それ無理。安い民宿は外国人お断り! 私がいなきゃ追い出されて野宿だヨ」

「国家資格持ちガイドのルーがいるんなら、どこでも平気なんじゃないのか?」

「規定で決まってるの。私がいくら優秀でもダメなモノはダメ。宿にも迷惑!」

 

 もっともらしいプロの解説だが、要するに俺の財布を使って自分も最高級の部屋と豪華な朝食にありつこうという魂胆なのだろう。

 

「トルファンは二泊ね。ここは一日じゃ勿体ないよ。それに……和田さんには絶対に行ってほしい場所があるから!」

 

 夕方に到着したトルファンのホテルもウルムチ並みに立派で、外壁のケバケバしいネオン看板はやっぱり巨大なドンキホーテにしか見えなかった。

 

*

 

 翌朝。腹を壊さない程度にビュッフェを済ませ、車で出発する。

 車窓の彼方に、四角い穴がびっしりと空いた煉瓦造りの小屋が点々と並んでいる。蔭房(インファン)という葡萄の乾燥小屋らしい。

 

「日に当てないで、穴から吹き込む風で、一ヶ月くらいかけて陰干し。干し葡萄は緑色」

「へぇ。でもあんな穴だらけの小屋、雨が吹き込んだらどうするんだ」

「降らない。トルファンは中国で一番暑くて乾燥した街。年間降水量はたったの16ミリ。降っても、地面に落ちる前に蒸発する」

「16ミリ!? 日本じゃ一時間でそれくらい降ることもあるぞ」

「だからね、こっちの子供たちは雨が降ると大はしゃぎで外に飛び出すヨ。日本の子供は違う?」

「雨じゃ出ないな。雪なら喜んで飛び出すけど」

 

 もっとも、最近の子供は、雪程度じゃ飛び出さないかもしれないけれど。

 

「私、雪大好き! 日本の雪ってどんな感じ?」

「場所によるかな」

 

 脳裏をよぎったのは、実家から見える冬の景色。家の裏にそびえる伊吹山。あそこは世界一の積雪記録を持っているんだと祖父に聞かされて、それが地元の数少ない自慢だった。

 しばらくして、車窓を流れる葡萄畑のすぐ真隣に、無骨な採油ポンプが首を振っているのが見えた。

 

「石油を掘ってるんだよー」

「さっきまで葡萄畑だったぞ。畑の真隣に油田が並ぶのか」

「そゆコトもあるよね!」

 

 農業と重工業が無理やり同じ土地に詰め込まれた歪な風景。たまにガソリン臭い安ワインに出くわすことがあるが、まさか土壌の油田と関係あるんじゃないだろうな、と下らない妄想がよぎる。

 

「でも新疆はガソリン高いよ。1リットル200円くらい」

「今の日本より少し高いな」

「だからみんな、もっと安い天然ガス。この辺ほとんどガス車ね」

「意外だな。中国はEV車が中心なんだと思ってた」

「EVなんて全然走ってない。冬にバッテリーが凍るし、距離が長すぎるから」

 

 ガス車のナンバーはガソリン車と同じ普通の青。緑のナンバーはEVやハイブリッドのもので、頭の文字で区別するのだという。ルーの車も、ごく普通の青ナンバーだ。

 

「ルーの相棒もガス車なわけか」

「そう。安い!」

「俺に請求してくるツアーの移動費、ガソリン車基準で計算してないよな?」

「……プロドライバーの手数料込み!」

 

 口笛を吹いてとぼけやがった、こいつ。

 前方に見えてきた山肌が赤い。あれは知ってる、火焔山だ。西遊記で孫悟空が芭蕉扇で火を消したとされる名所。

 しばらく赤い谷間を進むと、山の尾根に向かって異様なものが目に入った。てっぺんまで続く長い階段のすぐ隣に、剥き出しの巨大な滑り台が据え付けられている。

 

「ありゃ何百メートル滑らせる気だ。処刑道具か」

「滑ってる人見たことないよ。和田さん、やってく?」

「断る」

「滑り落ちたら死ねるヨ」

「死っ……」

「なんちゃって」

 

 屈託のない笑顔のせいで、冗談なのか本気なのか判別がつかない。

 

「火焔山はね、ただの西遊記テーマパーク。一昔前の映えスポット、記念撮影のモニュメントばっかり。和田さんが写真撮りたいなら寄るケド」

「……いや、いい。スマホもないしな」

 

 そう言って再び車窓を眺める。

 

「そういえば、昨日ホテルのロビーで中国の本を見たんだけど、全部横書きなんだな。漢文って縦書きのイメージがあったから意外だった」

「あー、ウイグル文字も昔は縦書きだったヨ」

「え、マジで? あのアラビア文字みたいなやつが?」

「ううん、それは後から変わった文字。昔の文字は、上から下に書く縦書きだったの。モンゴルとか満州に受け継がれたけど、ウイグルはイスラム化の影響で逆に横書きになっちゃった。このへん結構フクザツ」

「モンゴル文字……」

 

 二年前に行ったモンゴルの記憶が、不意に蘇った。紙幣やウランバートルの町中にあった看板。ミミズが何匹もぶら下がったような縦書きの文字が並んでいたが、あれか。

 その記憶には、隣にいた誰かの横顔がくっついてくる。俺は慌ててそれを振り払った。

 

「タタトンガって人がいてね。ウイグル人の書記で、チンギス・ハンに捕まって、その息子たちに文字を教えたの。それがモンゴル文字の始まり」

「捕虜が、征服者の文字の親になったのか」

「そう。そのあとウイグルはイスラムになって、アラビア文字で書くようになった。チャガタイ語っていうの」

「チャガタイ?」

「チンギス・ハンの息子のチャガタイが作った国の言葉だから。私、チャガタイ語読めるよ!」

 

 歴史の教科書で微かに聞いた記憶があるが、頭の中の知識と結びつかない。

 

「カザフ語も中国ではアラビア文字で書くから読めるし、キリル文字は大学で勉強した。ラテン文字は英語で読める。ウイグル語ってね、おばあちゃんが子どもの頃はラテン文字で書いてた時期もあるんだヨ。国の都合で、文字がコロコロ変わるの」

「へぇ、すごいな。何リンガルだよ。全部喋れるのか?」

「……」

 

 ほんの一瞬、ルーの表情から色が消えた。

 

「……和田さん、モンゴルは行ったことある?」

「まあ、昔な」

「ふーん」

 

 それきり、話は途切れた。

 俺は妙な違和感を覚えていた。今、あいつは「全部喋れるのか」という問いを、巧妙にはぐらかさなかったか?

 

「はい、到着ー! 和田さん、これ見て思うコトあるでしょ!?」

 

 ルーが誇らしげに両手を広げた。砂埃の中に聳え立つ、崩れかけた巨大な土の城壁。看板には大きく刻まれていた。「高昌故城」と。

 

「やっぱりな」

 

 ウルムチの円卓で、名前を書いて爆笑された理由。

 玄奘三蔵がインドを目指す途上で立ち寄り、そして昨日の博物館で見たあのミイラたちが生きて暮らしていた古代都市。そして俺の名前そのもの。和田高昌。

 

「和田(ホータン)は遠すぎて今回のルートに入れられなかったけど。でもココだけは、和田さんに絶対見せなきゃって思ってたの!」

 

 車から降りた瞬間、息が止まりそうになった。

 海抜マイナスのすり鉢の底。ここは無風の乾燥地帯で、気温は34度。九月の日本でもありえる温度だが、湿気がほぼないせいか汗が一滴も出ず、熱がこもって体温が異常な上がり方をしている。

 やばい。これ、立ってるだけで熱中症で倒れそう。

 照りつける太陽の下、玄奘三蔵の精悍な石像がこの地の果てを見ていた。

 

 内部を回る観光用カートに乗り込み、南門から北門、西門へと巡る。

 紀元前1世紀から14世紀まで続いた高昌の都。仏教の聖地として栄華を誇った都市は、やがてチャガタイ・ハン国との戦乱に巻き込まれて荒廃し、誰もいなくなって砂に埋もれた。

 雨が一切降らないからこそ、何百年も前に崩れ去った土壁が、当時の姿のまま干からびて残っている。

 

 俺は自分の名前を冠した「死んだ都市」の廃墟の真ん中に立っている。この国は都市までミイラにして残すのか。

 三蔵法師はここから生きて経典を持ち帰るために西へ向かったというのに、俺はここから死に場所を探しに西へ向かおうとしている。なんという悪趣味な皮肉だろう。

 カートのシートに揺られながら、俺は隣のルーに声をかけた。

 

「日本語はどこで覚えたんだ? 日本に行ったことあるのか」

「ううん、行ったことない。全部独学ヨ。アニメと、ガイドの勉強」

「へぇ。そういえばさっき、ウイグル文字が読めるって言ってたよな」

「うん。もちろん読めるよ。……でもね」

 

 ルーは指先をいじりながら、少しだけ声を落とした。

 

「話すのは下手なの」

「え? 中国語あんなに完璧なのに?」

「漢民族の学校に通ってたから。普通語の教育しか受けてないの」

 

 旅の初日、ウルムチのレストランに現れた友人たちが全員漢民族だった理由が、ようやく分かった。

 

「文字の読み書きは勉強したからできる。でも話すのは下手。おばあちゃん世代とは会話が遅くなる。だから……家にいる時だけは、絶対にウイグル語を使えって、お父さんにいつも言われてた」

「お父さんもガイドなのか?」

「ううん、今カシュガルで働いてる。私の家はウルムチだし、次はいつ会えるのか分かんない」

「そうなのか。出稼ぎか何かで忙しいんだな」

「……うん」

 

 ルーが急に静かになった。ちょうど撮影スポットでカートが停車した。俺たちも降車する。

 

「お父さんね、ビデオレターをくれたの」

「ビデオレター?」

「うん。自分は元気でやってる。周りの人たちも良くしてくれてるから、お前も安心して暮らせって」

「スマホ持ってないのか? 直接電話すりゃいいのに」

「あ、カート出るよ。ココ置いていかれたら出口まで徒歩! ミイラになる。乗ろ」

 

 彼女は笑顔を作って席に戻り、それきり黙り込んでしまった。プロのガイドのくせに案内を放棄している。だが、その横顔の強張りに、俺はそれ以上何も突っ込むことができなかった。

 

「……火焔山、後でやっぱり寄ろっか」

 

 気まずい沈黙を破るように、ルーが言った。

 

*

 

 結局立ち寄った火焔山の麓は、言われていた通りの撮影用テーマパークだった。巨大な西遊記のモニュメントが乱立し、観光客がポーズを決めているのが入らなくても分かる。

 ふと、エントランスの脇にある建物が目に入った。

 

「……けいちゃ?」

 

 看板にデカデカと白文字で書かれている「警茶」の文字。

 警察の派出所か、それとも公安の休憩所?

 周りを見ると、観光客がバシバシと写真を撮っている。おい、公安の建物なんか撮ったら即座に連行されるんじゃないか……と視線を逸らした俺を見て、ルーが吹き出した。

 

「和田さんビビってるー! あれ警察がやってるミルクティーの店!」

「は!?」

「中国語の『警察(Jǐngchá)』と、お茶の『茶(chá)』をかけたダジャレだヨ!」

「紛らわしい看板出すな、寿命が縮むだろ!!」

「みんなが一番ビビる組織の名前でダジャレ言うの、面白いでしょ? 一杯もらってく? 無料だヨ」

 

 ケラケラと笑うルーは俺の返事も待たず、青と白の警察カラーに塗られた建物の前へとスタスタ歩いていってしまった。

 

「おい、待てって!」

 

 建物の奥に立っていたのは、おそらく本物の警察官だった。

 検問所で、無表情に俺のパスポートをスキャンし、バックパックを容赦なく開けさせ、冷たい目で車内を覗き込んできたあの黒い制服と同じ。思わず足がすくみ、後ずさりした俺の背中を、ルーが容赦なくドンと小突いた。

 

「你好! 给我们两杯!」

 

 威圧感に身構えていた俺の予想を裏切り、警官は白い歯をこぼして営業スマイルを浮かべた。手渡されたのは、青いプラスチックのフタがついた、しっかりとした断熱紙カップ。

 恐る恐るフタの飲み口に口をつけ、すする。甘くてミルキーな味を想像していた俺の舌に、強烈な不意打ちが走った。

 

「ぶっ!?」

「甘くないでしょ」

「しょっぱ……これ、スープか?」

 

 甘みはゼロ。煮出した黒茶の渋みに、濃厚なミルクの脂、そしてしっかりと効いた塩気。牛骨スープかコンソメスープを乳白色にして茶葉を浮かべたような塩気。

 俺はどこかで似たものを飲んだ気がして、しばらくして思い出した。モンゴルだ。

 

「汗かいてミネラル失うから、入れるのは砂糖じゃなくて塩」

「……なるほど。悪くない。っていうか、ちょっとクセになるかも」

「でしょ。あ、和田さん、カップの文字読める?」

 

 ルーがカップを掲げ、悪戯っぽく目を細めて笑った。中央には「警茶」の丸いロゴマーク。そしてその下に書かれた「警茶在手,反诈我有」の文字。

 

「警茶を手に詐欺を防ごうだって。穴が開くまで読みな」

「うるせえよ。今のところ、俺が出会った中で一番怪しいのはルーだ」

 

 そう言い返しながら、俺は塩味のミルクティーをもう一口すすった。

 

*

 

 車はポプラ(新疆楊)とプラタナスの並木道を西へ走る。

 昔から俺は、雨に濡れたプラタナスの木から漂う独特の匂いが、人の唾液のように感じて大の苦手だった。だがこの乾燥した大地では、その木の匂いは一切立ち込めてこない。

 遅い昼食兼夕食として、ルーの知り合いだというウイグル農家が自宅でやっている店へ案内してもらうことになった。

 

「人の家にお邪魔するワケだから、おはようとか、こんにちはとか、いつでも使える便利なウイグル語を教えてあげるネ。『ヤクシムセッス!』はい、言って!」

「や……ヤクシム?」

「ヤクシー!」

「ヤクシー?」

「それ違う! ヤクシムセッス!」

 

 言われた通りに復唱しただけなのに、なぜか怒鳴られた。理不尽だ。

 

 門に「美食街」という真新しい看板が掲げられていた。後で知ったが、政府が農村振興のために、観光客向けの農家レストランをまとめてリノベーションしたものらしい。

 農家の家族はとても物静かでシャイな人達だった。

 壁一面に艶やかな絨毯が掛けられた部屋の奥、大きな楕円形のテーブルに胡座をかいて座る。

 壁には額装された大きな家族写真が飾られていて、みんな伝統衣装を着ている。その横に一枚だけ、七五三のように凛々しい表情で写る男の子の単身写真が飾られていた。金糸の刺繍が入った小さなマントを羽織り、帽子をかぶって、胸を張っている。

 

「七五三みたいだな」

「スンネット・トイ。男の子の割礼のお祝い。ウイグルでは結婚式の次くらいに大事なお祝いだヨ」

 

 なるほど、と写真を見比べる。ところが家族写真の中には、その男の子が成長したらしき青年の姿が見当たらない。両親と、祖母と、女の子が二人。それだけだ。

 窓の外では、農家のおばさんがうどんのような白い生地を両手で持ち、手品のように空中で引き伸ばしている。料理を待つ間、ルーのウイグル語講座が続いた。

 

 ありがとうは「rラフメッt」(ラフメットとかラフメッツとか書くべきかしれないが、日本語に当てはめるのは難しいと俺は思った)。

 さようならは「ハイリンホッシ」。

 美味しかったは「オーシャップー」。

 

 食事の前に、おじさんが細長い注ぎ口の真鍮の水差しを持ってきて、俺の両手に水をかけてくれた。濡れた手をパッパッと振って水を切ったら、ルーに腕を叩かれた。

 

「水を飛ばすのは失礼! タオルで拭くの!」

「知らねえよそんなの……」

 

 運ばれてきたのはひどく素朴な家庭料理だった。味付けは驚くことに「塩だけ」だという。

 打ち立ての麺にササゲやトマト、玉ねぎの炒め物を豪快にぶっかけたラグメン。汁なし五目うどんのようなものだが、口に運んだ瞬間、声が出そうになった。

 

「……うまいな、これ。塩だけなのに、なんでこんなにダシみたいな味が出るんだ?」

「羊の脂とトマトの旨味! 作り手によって具も味も全然違う。今度別の店でも試そうネ」

 

 デザートに出された自家製のスイカとハミ瓜も、レストランで食べたものより驚くほど甘くジューシーに感じた。

 それから皿の隅に盛られていた大粒の干し葡萄をポリポリとつまんでいると、食後に農家のおじさんが大袋を持ってやってきた。なんと、ご飯の一部だと思っていた干し葡萄は「試食用の物販」だったのだ。

 500グラムで60元。相場としては安いのかもしれないが、俺はルーの分まで買わされる羽目になった。

 

「ミネラルたっぷり! 生き血になるヨ!」

 

 と笑ってルーは自分のリュックに袋をねじ込んだ。

 

 食事の終わりに、おじさんが両手のひらを顔の前で上に向けて開き、何かを短く唱えてから、その手で顔を撫で下ろした。

 ふと隣を見ると、ルーもほとんど無意識のように、同じ仕草で頬を撫で下ろしていた。俺の視線に気づくと、彼女は何でもないふうに干し葡萄の袋をいじり始めた。

 

*

 

 それから、1777年に建てられたという「蘇公塔」に立ち寄った。高さ37メートル、日干し煉瓦で精緻な幾何学模様が編み込まれた円筒形の美しい塔だ。

 かつてトルファンを治めた王、エミン・ホージャを讃えて建てられたモスクの跡地。そのすぐ隣に、不思議な形をした無数の墓が並んでいた。

 土を盛り上げた上に、日干し煉瓦で組まれた、まるで赤ん坊のゆりかごのような形の墓。

 

「来世でも揺られて眠れるように、ゆりかごの形にしてるの」

「中に棺があるのか?」

「遺体はあの煉瓦の中じゃなくて、地下2メートルの空洞に土葬されてるヨ。家族が毎週お参りに来るけど、女性はお墓に入っちゃダメ」

 

 ゆりかごの中は空っぽで、肉体はその下にある。ふと、昔日本で流行った曲の歌詞が浮かんだ。

 

「魂はとっくに天へ昇って、ここにはもう誰もいないってことか」

「違うよ」

 

 ルーが即座に首を振った。

 

「死んだ人は、お墓の中で待ってるの。最後の審判の日に、神様が体ごと起こしてくれるのを。だから燃やしちゃダメだし、掘り返すのは一番ダメ」

「……体ごと」

 

 散々博物館でミイラを見てきた俺の頭に、あのガラスケースの光景がこびりついて離れなかった。

 待っている間に掘り起こされ、照明を当てられ、布をめくれと野次られる。このゆりかごの下の人たちも、いつかはそうなるのだろうか。さっき口の中で噛み潰した、あの干し葡萄のように。

 

 ホテルへ戻ろうと車へ向かって歩き出した、その時だった。

 ペチッ、と鼻頭に冷たいものが当たった。続いて、乾ききったアスファルトの上に、黒い大きな染みがポツポツと広がり始める。

 

「……え?」

 

 周囲を歩いていた観光客が一斉に足を止め、信じられないものを見るように空を見上げた。

 

「雨だ!」

 

 年間降水量16ミリの街に、大粒の雨が降ってきた。

 

「雨だよ和田さん、雨!」

 

 振り返ると、ルーが子どものように両手を広げ、弾かれたように雨の中に飛び出していっていた。

 空から落ちてくる奇跡の水を浴びながら、くるくると円を描いて回る。ずぶ濡れになりながら歓声を上げるその姿は、ふと見せた影も、プロのガイドとしての打算もすべて脱ぎ捨てた、ただの無邪気な一人の少女にしか見えなかった。

 

 地熱が雨水を瞬時に蒸発させ、乾いた大地の匂いが立ち込める。俺は濡れるのも構わず、雨の中で踊る彼女の姿を、ただ呆然と見つめていた。




情報は2026年時点のものです。またルーの説明は100%正しいものではなく、諸説あります。
ウイグル語の日本語表記についてもネット情報や書籍と異なる場合がありますが、私が「実際に自分にはこう聞こえた」を優先して書いています。出会った人の喋り方に左右されているかも。
また、火焔山の警茶ですが、実際には甘いものを提供していると思います。
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