漆黒の王女は故郷を乞う 〜帰る場所を探すTS王女と侍女の冒険譚〜 作:a-ru
翌朝、私たちはリディアとの待ち合わせ場所へ向かっていた。
目的地は、街から歩いて一時間ほどの場所にある小型迷宮だ。この国には巨大な迷宮だけでなく、その周辺にいくつもの小規模な迷宮が存在しており、その中でも今日向かう場所は、全五階層しかない初心者向けの迷宮として知られていた。
「もっと大きい迷宮へ行くのかと思ってた」
「最初から巨大迷宮へ行く必要はありませんよ」
隣を歩くリディアがそう答える。
「今日の目的は深く潜ることではなく、この国の迷宮でどう動くか確認することですから。初心者向けの方が都合がいいです」
「私たち、一応黒岩迷宮には入ったことあるんだけど」
「五年前に、案内役付きで、ですよね?」
「……はい」
そこを突かれると弱い。戦うことだけなら当時からそれなりにできたけれど、迷宮探索そのものについてはリディアに頼っていたし、同じ迷宮という名前がついていても、場所が変われば違う点はいくらでもあるだろう。
「今日は私が先導するつもりもありません」
「え?」
思わず足を止めかける。
「案内してくれるんじゃなかったの?」
「案内はしますよ。ただ、私が先頭で全部見つけてしまったら、お二人が何をできるのか分からないでしょう?」
「なるほど」
「私は後ろからついていきます。危ない判断をしそうなら止めますから、お二人で進んでみてください」
「試験みたいだね」
「似たようなものですね」
さらりと言われてしまったけれど、隣のエルミナは特に驚いた様子もなく頷いている。
「分かりました。では、まず私たちで進みましょう」
「エルミナはやる気だね」
「せっかく教えていただけるのですから」
どうやら昨日から感じていたものは、気のせいではなかったらしい。
◇ ◇ ◇
小型迷宮の入口は、想像していたよりも賑わっていた。
石造りの大きな入口の周囲には簡素な休憩所や水場が設けられ、装備を整えている若い冒険者の姿も多い。見たところ、私たちと同じ銅札を下げた五級冒険者がほとんどだった。
「本当に新人向けなんだね」
「ええ。五級へ上がって初めて入る迷宮としては、ここが一番有名です」
リディアによれば、魔物も比較的弱く、罠も分かりやすいものが多いらしい。ただし、それは決して安全という意味ではなかった。
「毎年、一人か二人は死にますよ」
「……初心者向けだよね?」
「魔物が特別強いわけではありません。罠も、きちんと確認すれば大半は見つけられます。それでも、簡単だからと油断して走り回ったり、怪我を隠したまま奥へ進んだり、帰るべきところで帰らなかったりする人はいます」
「それで死ぬ?」
「そういうことです」
私は入口の向こうにある薄暗い通路を見ながら、黒岩迷宮へ初めて入った時にハインリヒから言われたことを思い出した。
迷宮での成功とは、敵を何体倒したかでも、どれほど深く潜ったかでもない。一緒に入った者が全員、生きて帰ることだ。
「じゃあ、今日はちゃんと帰ってくるところまでが探索だね」
「その認識でお願いします」
リディアが満足そうに頷く。
入口で冒険者証を確認してもらい、私たちは迷宮内部へ足を踏み入れた。隊列は私が前、その少し後ろをエルミナ、さらに後方をリディアが歩く形になる。
最初の通路は広く、壁には一定間隔で魔石灯が取り付けられていた。完全な天然迷宮というより、人の手によって長年利用しやすく整えられている印象が強い。
「思ったより明るいね」
「入口付近だけですよ。ここは利用者が多いので、ギルドが最低限整備しています」
「黒岩迷宮より歩きやすいかも」
「油断はしないでくださいね」
「分かってるって」
そう答えながら進んでいると、前方の曲がり角から低い唸り声が聞こえた。私は足を止め、剣へ手を掛ける。
現れたのは、灰色の毛皮を持つ小型の魔物が二体だった。犬より少し大きい程度で、口元からは小さな牙が覗いている。
「魔物」
「ええ。では、お任せします」
後ろからリディアの声が飛ぶ。
一体がこちらへ走り出したので、私は剣を抜き、身体強化をほんの少しだけ使って踏み込んだ。振るった剣が一閃し、魔物は何が起きたのか理解する暇もなく、その場へ崩れ落ちる。
もう一体が横へ回り込もうとしたけれど、そちらにはエルミナがいた。彼女の剣が一度だけ閃き、二体目もほとんど抵抗する間もなく地面へ倒れる。
「……終わったね」
「そうですね」
剣についたものを軽く払いながら振り返ると、リディアは少し離れた場所でこちらを見ていた。
「どうだった?」
「戦闘に関しては、何も言うことがありません」
「おお」
「ただし、倒した直後に二人とも私の方を見ましたね。戦闘が終わったと思っても、周囲の確認を先にしてください。別の魔物が寄ってくることもあります」
「あ」
言われて慌てて周囲を確認するが、今のところ別の気配はない。
「……確かに」
「普段ならできていることでも、相手が弱いと気が緩むものです」
その指摘には反論できなかった。
「はい、気をつけます」
「お願いします」
やはり、ただ後ろからついてきているだけではないらしい。戦闘そのものは簡単でも、リディアが見ているところはそこではないのだろう。
◇ ◇ ◇
一階層を進んでいる途中、今度はエルミナが足を止めた。
「セラさん」
「ん?」
「そこです」
示された先を見ると、石造りの床の一部だけ、周囲よりわずかに色が違っていた。
「ああ……罠?」
「おそらく」
私は少し近づいてしゃがみ込み、床石の端を確認する。よく見れば、ごく細い隙間があった。
「踏むと沈むのかな」
「正解です」
後ろからリディアが答える。
「床を踏むと、右側の壁から矢が飛びます」
「やっぱり」
五年前なら、こういうものもほとんどリディアに教えてもらうだけだったので、少し嬉しくなる。
「これくらいなら私でも分かるね」
「ええ。ただし、その三歩先にもありますよ」
「……え?」
顔を上げて三歩先を見るけれど、特に変わった部分はない。
「どこ?」
「左の壁を見てください」
言われて目を凝らすと、壁石の隙間に針ほどの小さな穴が並んでいた。
「……これ?」
「正解です。踏む場所ではなく、壁の穴から先に気づくこともできます」
「そっちは分からなかったな」
「最初から全部見つけられれば、斥候は必要ありませんよ」
リディアはそう言って笑ったけれど、エルミナは何も言わず、壁と床を交互に見ていた。
「エルミナ?」
「いえ。リディアさんがどこを確認しているのか、少し観察していました」
そう言われて、私もリディアへ視線を向ける。
「どこ見てるの?」
「いろいろです。床、壁、天井。それから空気の流れや、埃の積もり方ですね」
「埃?」
リディアは少し先の床を指差した。
「人や魔物が頻繁に通る場所は、埃の残り方が変わります。逆に長く誰も入っていない脇道なら、足跡が残りやすい」
続いて壁際へ目を向ける。
「罠が作動する部分は、僅かに石の継ぎ目が違うこともありますし、魔物が巣にしているなら毛や臭い、爪痕が残っていることもあります」
「そこまで見るんだ」
「全部を意識して見るというより、慣れですね」
リディアにとっては当たり前のことらしい。エルミナはその説明を一つも聞き逃さないように、真剣な顔で頷いていた。
「護衛の時とは、少し見る場所が違いますね」
「エルミナさんは人間相手の警戒が中心でしたか?」
「はい。伏兵や暗器、侵入者の痕跡などは学んでいますが、魔物の生活痕や迷宮の罠については専門外でした」
「似ているところも多いですよ。ただ、迷宮では相手が人間とは限りませんから」
「なるほど」
二人の会話を聞きながら、私は少しだけ後ろへ下がる。どうやら今日、一番勉強しているのはエルミナになりそうだった。
◇ ◇ ◇
二階層、三階層と進んでも、戦闘で困ることはなかった。
小型の獣型魔物が数体まとめて現れても、私とエルミナなら数十秒もかからない。三階層で少し大きめの魔物が現れた時には、リディアが後ろから説明を始めた。
「これは角牙猪です。新人相手だと突進が――」
私が横へ避け、そのまま首元へ剣を振り抜く。角牙猪は勢いのまま数歩進んだあと、力を失って地面へ倒れた。
「……危険です」
「うん?」
「いえ。今のは角牙猪の説明でした」
「あ、ごめん」
振り返ると、リディアが何とも言えない顔をしている。
「戦闘については本当に教えることがなさそうですね」
その後も、罠を見つけては避け、魔物が現れれば倒しながら進んでいく。
私は分かりやすい罠ならいくつか自分で見つけられたけれど、エルミナは途中からリディアの教えを意識するようになり、床だけではなく壁や天井まで見るようになっていた。
「ここ、何か通っていますね」
四階層へ入って少ししたところで、エルミナがしゃがみ込む。地面には僅かな擦れ跡があり、リディアもその横へしゃがんだ。
「よく気づきましたね。何の跡か分かりますか?」
「……四足歩行でしょうか。人間より幅が広いですね」
「そこまでは合っています」
リディアが指先で跡をなぞる。
「爪痕の深さを見ると、それなりに重い。ですが足跡が一つしか見えないので、群れではなさそうです」
「新しいですか?」
「そこまで新しくありません。埃が少し戻っていますから、数時間以上は経っています」
私は二人の後ろから同じ跡を眺めたけれど、言われてもほとんど違いが分からなかった。
「全然分からない」
「セラさんは魔物が出てきた時にお願いします」
リディアにそんなことを言われてしまったけれど、不満はなかった。私がすべてできる必要はない。戦闘なら私が前に出ればいいし、エルミナの方が得意なことなら任せればいい。
王女だった頃は、何でもできなければいけないような気がしていたけれど、冒険者のパーティーなら役割を分ける方が自然なのだろう。
◇ ◇ ◇
五階層へ到着した頃には、迷宮へ入ってからそれなりに時間が経っていた。
戦闘自体はほとんど問題にならなかったけれど、リディアが途中で何度も足を止め、罠や痕跡について説明してくれたため、思ったよりゆっくり進んでいたのだ。
「ここが最下層?」
「ええ。この迷宮は五階層までです」
「随分あっさり着いたね」
「本来、新人向けの迷宮ですから」
黒岩迷宮と比べれば、確かにかなり小さい。さらに奥へ進むと、通路の先に迷宮内には似つかわしくないものが見えてきた。
「……机?」
石造りの通路に木製の机と椅子が置かれ、その前には二人の男が座っている。一人は本を読み、もう一人は小さな盤の上で駒を動かしていた。
あまりにも迷宮らしくない光景に、私は思わず足を止める。
「リディア。あの人たち、何してるの?」
「監視ですよ」
「どう見ても遊んでるけど」
エルミナまで何とも言えない顔をしていた。近づくと、盤を眺めていた男がこちらに気づき、片手を上げる。
「お、新人か?」
「五級二人です。今日は私が付き添っています」
リディアが答える。
「三級が付き添いか。それなら問題ないな」
男はそう言うと、再び盤上へ視線を戻した。
「ここから先は?」
私が尋ねると、本を読んでいたもう一人が顔を上げる。
「攻略禁止区域だ。ここまでなら自由だが、この先の扉には近づくなよ」
男の背後を見ると、さらに奥には大きな石扉があり、その周囲には明らかに人工的な杭や札のようなものが設置されている。どうやら通路そのものを封鎖しているらしい。
「攻略禁止って、危険だから?」
「それもありますが、理由は別です」
リディアが代わりに答えた。
「この迷宮も、最後まで攻略すれば加護が得られます」
「この小さい迷宮でも?」
「ええ。ただし、得られる加護はそれほど強いものではないと言われています」
黒岩迷宮にも完全攻略に関する話はあったので、そこまで聞けば何となく続きが予想できた。
「それで攻略すると……」
「迷宮そのものが消滅します」
「ああ」
それなら理由は分かった。
今日だけでも何組もの新人冒険者を見かけた。この迷宮がなくなれば、彼らが比較的安全に迷宮探索を学べる場所も一つ消えてしまう。
「一人が加護をもらうより、新人用に残した方が価値があるんだ」
「そういうことです。この国では、資源採取や新人育成に使われている迷宮は、原則として無許可の完全攻略が禁止されています」
「だから人を置いてるんだ」
そう言いながら二人の監視員を見ると、一人は既に本へ戻り、もう一人も盤上遊戯の続きを始めている。
「……暇そうだけど」
「暇なのが正しいんだよ」
盤を見ていた男が、こちらを見ないまま答えた。
「誰も馬鹿なことをしなきゃ、ここで本読んだり遊んだりして一日終わりだ。給料も出る」
「楽そう」
「人気あるぞ、この当番」
もう一人の男が頁をめくりながら笑った。
「ただし、突破しようとする奴が出たら止めるのも仕事だ。何年かに一度、本当にいるからな」
「いるんだ……」
「世の中、馬鹿はいなくならん」
妙に説得力のある言葉だった。
リディアによれば、こうした監視は一定以上の実力を持つ冒険者や、ギルド所属の戦闘員が交代で担当しているらしい。この程度の初心者迷宮なら三級程度でも十分だけれど、より重要な迷宮では二級や一級が担当に入ることもあるという。
「一級冒険者がここで一日、本読んでることもあるの?」
「たまにありますよ」
「……贅沢な使い方だね」
「何か起きた時に止められなければ、監視の意味がありませんから」
それもそうだ。私たちは攻略禁止区域には近づかず、最下層の様子を確認したところで引き返すことにした。
◇ ◇ ◇
帰り道では、行きよりもエルミナが前を歩くことが増えていた。リディアから教わったことを確かめるように足元や壁を見ながら進み、時折立ち止まって痕跡を確認していく。
「ここは……何か通っていますね」
「何が分かります?」
「小型の魔物が複数。足跡が重なっています」
「方向は?」
少し考えてから、エルミナが右側の通路を見る。
「こちらから向こうへ。……でしょうか」
「正解です」
「おお」
思わず拍手したくなる。
「セラさんも見てください」
「見てるよ。全然分からないけど」
もちろん覚える気はあるけれど、今のところはエルミナほど向いていない気がしている。
逆に魔物が現れれば、私が前へ出た。四階層で三体まとめて現れた魔物も、行きよりさらに短い時間で片づけることができた。
その様子を見ながら、リディアが苦笑する。
「やっぱり不思議な組み合わせですね」
「何が?」
「探索に慣れていない五級冒険者なのに、戦闘だけならもっとずっと深いところへ行けそうです」
「そう?」
「少なくとも、この迷宮に出る魔物で苦戦することはないでしょう」
それは私たち自身も感じていた。黒岩迷宮で戦った魔物の方が明らかに強かったし、その後には戦場で人間とも戦っているのだから、今さら初心者迷宮の魔物に苦戦する方が不自然なのだろう。
「でも、迷宮のことはまだまだなんだよね」
「そういうことです」
リディアの返事に迷いはない。反論する材料もないので、素直に諦めた。そのまま迷宮を出て、夕方になる前には街へ戻ることができた。
初めてこの国で入った迷宮は、戦闘だけを見れば拍子抜けするほど簡単だったけれど、だからといって何も得るものがなかったわけではない。
罠を見る場所や痕跡の読み方、魔物が残した情報。そして、進むか戻るかを判断するために確認すべきもの。五年前にも教わったはずなのに、改めて自分で歩いてみると、まだ知らないことはいくらでもあった。
宿へ戻る途中、エルミナがリディアへ声を掛ける。
「リディアさん、一つ、お願いがあります。迷宮での斥候の技術を、私に教えていただけませんか?」
「私に?」
「はい。護衛として人を警戒する技術は学んできましたが、今日歩いてみて、それだけでは足りないと分かりました」
エルミナは迷いなく続ける。
「これからセラさんと迷宮へ入るのであれば、戦うだけではなく、罠や魔物の痕跡を見つける技術も身につけておきたいのです」
「エルミナ……」
今日ずっと真剣にリディアの動きを見ていた理由が、そこでようやく分かった。
私の戦闘力が上がり、正面からの戦いではエルミナより前へ出ることも増えている。だからこそ彼女は、戦闘以外の部分でも私を支えられるようになろうとしているのだろう。
「簡単に身につくものではありませんよ」
リディアがそう前置きする。
「数日教われば終わり、というものでもありません。迷宮によって見る場所も変わりますし、経験が必要な部分も多いです」
「承知しています」
「それでも?」
「お願いします」
少しの間、リディアはエルミナの顔を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「分かりました。では、仕事として引き受けましょう」
「ありがとうございます」
「料金は?」
私が尋ねると、リディアがこちらを見る。
「そこはしっかり聞くんですね」
「専門家にお願いするなら払わないと。成長したでしょ?」
「はいはい」
軽く流されてしまったけれど、それでもこれで一つ新しい目標ができた。
私は戦闘で前に出て、エルミナは戦えるだけでなく、私が見落とすものまで見つけられるようになる。もちろん役割を完全に分ける必要はないけれど、二人とも同じことをするより、それぞれ得意なものを増やしていった方がいい。
王女と侍女だった頃とは違い、これからは二人の冒険者として一緒に歩いていくのだから。
初めての迷宮探索は、魔物を倒すことよりも、迷宮の歩き方を知る一日になった。