意識が沈んでいく。痛みも、瑞穂の声も、何もかもが遠ざかっていく。
そして――気がつけば、徹心は見覚えがあるような、ないような、不思議な場所に立っていた。
「…………」
目の前にはどこ見覚えがあり、なぜか親しみを覚える少女がいる。
十四歳ほどにしか見えない、小柄な少女。長い髪を二つに結った、場違いなほど愛らしく同時に妖艶な少女だった。
なぜだろうか、徹心は、初めて会ったはずなのに、妙に懐かしさすら感じた。
そんな少女は、徹心を見るなり――。
「…………はぁぁぁぁぁぁ」
これ見よがしに盛大なため息を吐いた。
「……何ですか?」
「何ですか、じゃないわよ!」
いきなり怒られた。
「あなたねえ! ママがどんな気持ちであなたに安全装置まで付けたと思ってるの!?」
「ママ?」
「そこから!?」
少女――パンドラは頭を抱えた。
せっかく前回、自分自身を焼き殺さないよう《神秘殺しの黒炎》に安全装置を施したというのに。
まさか次に神を殺す時には、自分から腕を斬らせて、首まで差し出す。肉を切らせて骨を断つなんて可愛いものではない。それは命をかけた博打にほかならない。誰がそんな抜け道を使えと言った。
「炎で自分を焼けないようにしたら、今度は剣で自分を斬らせるって何なの!?馬鹿なの!?命知らずは神殺しの特徴みたいなものではあるけど、あなたは度が過ぎているわ!馬鹿なの!?」
「……なんか、すみません」
「しかも二柱目よ!? 二柱目でもうこれ!?」
「でも、殺せましたよ」
「そこなのよ!!」
パンドラの絶叫が響き渡った。
「なんであなた、『自分が死ぬ』と『相手を殺せる』を天秤に載せたら、迷わず後者を取るのよ!」
「確実に殺せるなら、その方が――」
「説明しなくていい! 見てたから知ってる!」
ぴしゃりと遮られた。パンドラはしばらく肩で息をする。
それから、じとっとした目で徹心を睨んだ。
「……それで?」
「はい?」
「今度の子から、何を簒奪したと思う?」
「クー・フーリンからですか?」
「そう」
徹心は少し考えた。希望できるなら、あの魔槍だろうか。
あれほど凄まじい魔槍だったのだから、その力を得られるなら非常に強力だろう。
「ゲイ・ボルグとか?」
「違います」
「じゃあ、剣?」
「違います」
「……何です?」
パンドラは答えなかった。
ただ、ものすごく嫌そうな顔をした。
「…………」
「なんで黙るんですか」
「だって……」
もう一度、大きなため息。
「よりにもよって、あなたに一番渡しちゃいけないような権能なんだもの……」
「?」
「簡単に言うとね」
パンドラは指を一本立てた。
「死に近づけば近づくほど、強くなるわ」
「おお」
「『おお』じゃない!!」
即座に怒鳴られた。
「ただでさえ自分の命を勝ち筋に入れる子に、なんでそんなものが宿るのよ! もっとこう、治癒とか!防御とか!危なくなったら逃げたくなる権能とか!」
「最後のは権能なんですか?」
「あなたには必要でしょうが!」
否定できなかった。パンドラは頭痛でも堪えるように額へ手を当てた。
「ただ勘違いしないでね。死ににくなるだけで傷が治るわけじゃないから」
「はい」
「腕を斬られたら斬られたまま。血も戻らない。内臓を潰されたら潰れたまま。心臓や頭を完全に壊されたら普通に死ぬ」
「なるほど」
「ただし、死に近づけば近づくほど力は増す。痛みも、出血も、ショックも、身体が動かなくなる理由になりにくくなる。まだ死んでいないなら、戦える」
徹心はしばし考えた。
「便利ですね」
「…………」
パンドラの顔から表情が消えた。
「今、なんて?」
「便利だなと」
「徹心」
初めて、名前で呼ばれた。徹心はなぜか背筋が伸びた。彼には母の思い出がないが、まるで母に怒られているようにすら感じた。
「はい」
「ママとの約束!」
「……はい?」
「死なないこと」
徹心は黙った。先ほどまでの呆れた様子とは違う。
少女の瞳が、真っ直ぐに彼を見つめている。
「あなたが神を殺すことを、私は止めない。止められないもの。そういう子だから、あなたはここに来た」
パンドラは小さく息を吐いた。
「でもね」
その声だけは、妙に優しかった。
「勝ったあとに死んじゃったら、ママは嬉しくないわ」
「…………」
「あなたを待っている子だっているでしょう?」
脳裏に、一人の少女が浮かんだ。
――義兄さん。
「……そうですね」
「なら、生きて帰りなさい」
パンドラは徹心の胸を指で突いた。
「敵を殺すためじゃなくて、帰るためにも強くなりなさい。いい?」
「……努力します」
「約束」
「善処します」
「約束!!」
「……はい」
ようやく満足したらしい。パンドラは満足げに笑った。
その顔を見て、徹心はまた妙な感覚を覚える。
知らない少女のはずなのに、どうしてだろう。ひどく――懐かしかった。
「……ただしね、徹心」
「はい?」
「この権能、あなたを守ってくれる力だと思わない方がいいわ」
「?」
「あなたが休みたくても、身体が動かなくても、痛くても、苦しくても――まだ戦えると判断したら、戦える身体にしちゃうから」
「…………」
「あなたを生かす権能じゃない」
パンドラは珍しく真顔になった。
「死ぬその瞬間まで、あなたを戦わせる権能よ」
「……やっぱり便利では?」
「だからそういうところよ!!」
心底呆れた風情で憤慨するパンドラ。
「じゃあ、行ってらっしゃい。私の新しい息子」
「……?」
意識が遠ざかる。
最後に見えたのは、困ったように、どこか諦観を滲ませてもいる。それでも嬉しそうに手を振る少女の姿だった。
◇ ◇ ◇
「お願い、止まって……!」
瑞穂は必死に術を編み続けていた。
止血、治癒、生命力の賦活。思いつける限り、自分にできることは、全てやっている。
だが、足りない。どう考えても足りない。
頸部の深い斬創。腹部の損傷。無数の裂傷。そして左上腕の完全切断。常人ならとっくに黄泉路へ旅立っているだろう満身創痍というのも生ぬるい半死体。カンピオーネが人間離れした生命力を持つとはいえ、いくらなんでも限度がある。
緊急連絡をした賢人議会から救援が向かっている。
だが―― 命が零れ落ちる速度を、治療が追い越せない。
(間に合わない……!)
瑞穂には分かってしまった。自分の治癒術では、徹心を治せない。
いや、違う。治すところまで持たない。
「死なないで……!」
それでも術を止めるわけにはいかない。傷口に手を当て、ありったけの呪力を注ぎ込む。
「千鶴ちゃんのところに帰るんでしょう……!貴方まで死んだら、あの子が独りになってしまうのよ」
その時だった。
「――え?」
瑞穂の手に伝わる感触が変わった。術が通る。
先ほどまで底の抜けた器へ水を注いでいるようだった治癒の力が、明らかに徹心の肉体へ定着し始めた。
「何……これ……?」
傷が治ったわけではない。首の傷は依然として深い。左腕も失われたままだ。腹部の損傷だって消えてはいない。
なのに。
(悪化が……止まった?)
出血そのものは続いている。それなのに、生命力の低下だけが異常なほど鈍っている。
それどころか――。
「呪力が……増えてる?」
あり得ない。先ほどの戦いで、ほとんど使い果たしたはずだ。
それなのに、死にかけた徹心の身体から、先ほどよりも強大な呪力が湧き上がっている。
その力が、瑞穂の術を受け入れている。治しているのは瑞穂だ。
死を遠ざけているのではない。傷を治しているのでもない。
ただ、死に瀕した身体が、そのまま戦える状態へ戻ろうとしている。
「まさか……」
瑞穂が息を呑んだ。その瞬間、徹心の瞼が開いた。
「…………先輩?瑞穂先輩ですか?」
「徹心君!?」
瑞穂が絶叫する。
「なんで起きたの!?」
「……なんでって……」
徹心自身も分からないらしい。ぼんやりと瞬きをする。
そして――。
「…………」
右腕を地面についた。
「ちょっと待って」
「なんか、身体に力が――」
「待って」
上体を起こした。
「徹心君?」
「はい」
「寝て」
「でも――」
「寝て」
「…………はい」
徹心は大人しく横になった。瑞穂は安堵する。
だが、その顔から困惑は消えない。
おかしい、確かに死に瀕している。
今すぐ最高位の治療を受けなければならないほどの重傷であることには、何一つ変わりがない。
なのに―― 先ほどより、明らかに強い。
手負いの獣は、何よりも恐ろしい。
まるで、その言葉を体現するかのように。
死に近づいたはずなのに。死へ近づけば近づくほど、逆に生命の火が猛々しく燃え上がっていく。
それはこの時、白川徹心が新たに簒奪した権能。
後に《死境の獣》と呼ばれる力が、この世で初めて牙を剥いた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
英国ロンドン。白川徹心とまつろわぬクー・フーリンの戦いから、数日後。
人払いされた一室で、『アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール』は一通の報告書を読み終えた。
「…………」
静かに、何とも名状しがたい表情で、それをテーブルへ置いた。
向かいに座る黒髪の青年――黒王子の異名を持つ神殺し『アレクサンドル・ガスコイン』が眉を上げる。
「なんだ、その顔は」
「少々、自分の見る目のなさを反省していたところですわ」
「珍しいこともあるものだな。貴様が自省するなど」
「失礼ですこと」
アリスは微笑んだ。いつも通りの優雅な微笑だった。
ただし、こめかみが微かに引きつっている。
「日本に新しく誕生した王――白川徹心様。最初の報告を読んだ時には、もしかすると例外なのではないかと思っていましたの」
「例外?」
「ええ」
アリスは指を折った。
「二十二歳。つい先日まで一般人。神秘の世界とは無縁。神殺しとなった経緯も、自ら望んだものではない。そして、あまりに特殊な条件と環境下での神殺し」
さらに一本。
「日本の呪術界に権力を要求するでもなく、財宝を欲するでもなく、気に入らない者を殺すでもない。受け答えも常識的で、礼儀も弁えている」
「それの何が問題なんだ」
「ありませんわ。ですから――」
アリスは報告書へ視線を落とした。
「ひょっとすると、あの方はアレクサンドル、あなたをはじめとした歴代の王たちとは少々違うのではないかと」
「…………」
アレクが嫌そうな顔をしたが、アリスはにっこり笑う。
「思っていましたのよ?」
過去形だった。アレクも気づいたらしい。
「……何をした」
「旅行先で神獣ドン・クールンギャと遭遇し、討滅なさいました」
「それくらいなら王として不思議ではない」
「ええ。その結果、クー・フーリンが顕現なさいました」
「…………」
「そのまま迷いなく交戦されました」
「おい」
「魔槍ゲイ・ボルグを、ご自身の権能によって焼却」
アレクの表情が変わった。
「ゲイ・ボルグを?」
「完全な消滅ではないようですけれど。少なくとも、戦闘中に再使用できない程度には」
「……続けろ」
「その後、クー・フーリンが剣を使用。白川様は追い詰められ――」
アリスが一瞬だけ言葉を切った。
「最後には、ご自分から左腕を斬らせました」
「…………何?」
「左腕を囮にしたそうですわ」
「待て」
「腕一本で剣を僅かに鈍らせ、そのまま首を斬らせながら懐へ入り、隠し持っていた神剣をクー・フーリンの心臓へ」
「待てと言っている」
「そして黒炎で内側から焼却。クー・フーリン消滅。白川様の勝利です」
沈黙。長い沈黙だった。
やがてアレクが口を開く。
「……馬鹿なのか、そいつは」
「本人曰く、『死ななきゃ安い』とのことですわ」
「馬鹿だな」
「ええ、間違いなく賢者ではなく大馬鹿者でしょう。ですが神を殺せる覇者です」
アリスは深く頷いた。そして、とても美しい微笑を浮かべる。
「安心いたしましたわ、アレクサンドル」
「何がだ」
「白川様は例外かと思いましたけれど――」
そこでアリスは、実に楽しそうに言った。
「しっかり貴方の御同類でしたわ」
「俺を一緒にするな!」
即答だった。
「まあ」
アリスは口元に手を当てる。
「同族嫌悪というものかしら?」
「誰が同族だ!」
「神を殺した人間でしょう?」
「それだけだ!」
「常識的に見えるのも似ていますわね」
「お前は俺を何だと思っている」
「比較的話の通じる魔王」
「比較的は余計だ」
「白川様にも同じ評価をしていましたの」
「…………」
アレクは黙った。それから、テーブルの報告書へ目を落とす。
「……それで、生きているのか?」
声から軽さが消えていた。
「ええ」
アリスも表情を改める。
「左腕は切断。頸部にも致命傷寸前の斬創。腹部をはじめ全身に重傷。普通の人間ならば、まず助からないでしょう」
「王なら死なない、という傷でもないな」
「その通りですわ」
アリスは頷いた。
「現在、賢人議会が総力を挙げて治療中です。日本から同行していた媛巫女の初期治療が非常に良かったことも幸いしました」
「それだけか?」
鋭い問いだった。アリスが僅かに目を細める。
「……さすがですわね」
「クー・フーリンを殺したんだろう」
「ええ」
「なら、何か持って帰ったはずだ」
神を殺せば、権能を簒奪する。カンピオーネにとっての絶対則。
「まだ確定ではありません」
アリスは慎重に前置きした。
「ですが、治療に当たった者たちから奇妙な報告が上がっています」
「奇妙?」
「白川様は死に近づくほど――」
そこでアリス自身、口にすることを躊躇するように間を置いた。
「強くなっているようなのです」
アレクの眉が寄った。
「治癒の権能か?」
「いいえ。傷そのものは治っていません」
「なら何だ」
「分かりません。ただ……」
アリスは報告書を指先でなぞる。
「本来なら意識を保てない。本来なら身体機能が停止する。本来なら治療が間に合わない。そういう状態になればなるほど、逆に呪力と生命活動が強まるそうです」
「…………」
「まるで」
アリスは静かに呟いた。
「死んでいないのなら、まだ戦えるとでも言うように」
アレクは答えなかった。今度の沈黙は、先ほどとは違った。
断じて笑える話ではない。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「……最悪の男に、最悪の権能が渡ったな」
「あら」
会ったこともない相手への意外な評価に、アリスが微笑む。
「まだお会いにもなっていないのに?」
「報告だけで十分だ」
「でしたら、一度ご覧になってはいかが?」
「断る」
「どうして?」
「俺が新しい王に挨拶する義理がどこにある」
「興味がおありでしょう?」
「ない」
「ゲイ・ボルグを焼いた黒炎にも?」
「ない」
「武術の心得もないのにクー・フーリンを殺した方法にも?」
「ない」
「死に近づくほど強くなるらしい新たな権能にも?」
「ない」
アリスは楽しそうに笑った。
「そういうことにしておきましょう」
「アリス」
「はい?」
「余計なことをするなよ」
「もちろんですわ」
即答だったが、アリスの笑みには明らかな含みがある。今度はアレクが心底嫌そうな顔をするのだった。
◇ ◇ ◇
数週間後、白川徹心の傷も、ようやく長距離の移動に耐えられる程度まで回復していた。切断された左腕も、賢人議会の総力を挙げた治療によってどうにか接合されている。まだ完全に自由が利くわけではないが、それでも失わずに済んだだけ僥倖というべきだろう。
そして、日本への帰国の日。
見送りには、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール本人が姿を見せていた。
「この度は、随分とお世話になりました」
「いいえ。白川様がご無事で何よりですわ」
「腕まで繋いでもらいましたからね。本当に助かりました」
徹心はまだ微妙に違和感が残る左腕を見る。
「この恩は覚えておきます」
「まあ」
アリスが微笑んだ。
「それは頼もしいお言葉ですこと」
隣では瑞穂が小さくため息を吐いた。
今回の一件で、徹心本人が思っている以上に大きな貸し借りが発生していることくらい、彼女には分かっている。
もっとも――命を救われたから恩を返す。
そんな単純極まりない理由で王が動くのなら、それはそれで賢人議会にとって破格の成果なのだろう。
「それと、白川様」
「はい?」
「くれぐれもご自愛くださいませ。まだ完治したわけではないのですから」
「分かってますよ」
「徹心君」
「……分かってます」
瑞穂に睨まれ、言い直す。アリスが楽しそうに笑った。
そのまま別れの挨拶を交わそうとして――。
「ああ、そうだ」
徹心が何かを思い出したように言った。
「一つ聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「俺が療養していたところって、監視の人って一時的に交代してました?」
アリスの微笑は崩れなかった。
「監視役の交代ですか?」
「ええ」
「何かございました?」
「いや、大したことじゃないんですが……」
徹心が首を傾げる。
「何日か前、一度だけそれまでとは違う誰かに見られてたような気がしたんですよね」
「…………」
瑞穂が眉をひそめた。
「そんなこと言ってた?」
「言うほどでもないと思ったんで」
「そういうことは言って!」
「すみません」
アリスは二人のやり取りを眺めながら、扇子で口元を隠した。
その下で、僅かに密やかに笑う。
(――あら)
思い当たる人物は、一人しかいなかった。
(やっぱり行きましたのね、アレク)
――興味はない。
――俺が新しい王に挨拶する義理がどこにある。
――報告だけで十分だ。
先日の会話が鮮明に蘇り、アリスは笑みを深くした。あんなことを言っておきながら、結局あの男は、自分の興味を抑えられなかったのだ。何とも彼らしい。
「アリスさん?」
「いいえ。賢人議会からそのような報告は受けておりませんわ」
これは嘘ではない。
「そうですか」
徹心は少し考えた。
「じゃあ、気のせいかな」
「そうかもしれませんわね」
アリスは優雅に答えた。
もちろん、教えてあげるつもりはなかった。
「……?」
なぜか目の前の姫君が先ほどより上機嫌になった気がして、徹心は首を傾げる。
アリスはそんな新たなる王へ、にこやかな笑顔を向けた。そして心の中だけで、遠く離れたもう一人の王へ語りかける。
(次にお会いした時が楽しみですわね、アレクサンドル)
――絶対にからかってやろう。
そう決意しながら。
◇ ◇ ◇
日本へ帰ってきた。
空港の到着口を抜けたところで、徹心は見覚えのある男を見つけた。
相変わらず、どこかくたびれた印象の背広姿。正史編纂委員会の甘粕冬馬である。
「お久しぶりです、甘粕さん」
徹心が声をかける。
ところが。
「――白川卿」
甘粕は、深々と頭を下げた。
「ご帰国、心よりお待ちしておりました」
「…………」
徹心が止まった。その隣で、瑞穂も止まった。
「…………」
「…………」
徹心は瑞穂を見る。瑞穂も徹心を見る。
もう一度、甘粕を見る。
「……甘粕さん?」
「はい」
「どうしたんですか?」
「何がでしょう?」
「いや」
徹心は困惑した。
「行く前と態度違いません?」
甘粕が顔を上げる。いつもの人当たりのいい笑顔だった。
「いやですねえ。そんなことはありませんよ」
「ありますよ」
「気のせいでしょう」
「俺のこと白川卿なんて呼んでましたっけ?」
「これからはそうお呼びしようかと」
「なんで?」
甘粕は笑ったままだった。
だが――その目だけが、以前とは違う。
徹心には、その理由が分からない。
瑞穂には分かった。
だから小さくため息を吐く。
「徹心君」
「はい?」
「あなた、クー・フーリンを殺したのよ」
「知ってますよ。俺が殺したんですから」
「そういう意味じゃないわよ……」
瑞穂が額を押さえた。甘粕が苦笑する。
「いやあ、高橋さんのおっしゃる通りでして」
「?」
「少々、我々も認識を改める必要がありましてね」
徹心が首を傾げた。甘粕は、その姿を静かに見る。
左腕は繋がっているが、首にも傷痕が残っている。この目の前の男にここまで負傷しながら、神を殺したことはその程度のことでしかないのだ。
報告書は読んだ。戦闘の経緯も聞いた。
呪力の大半を用いての魔槍ゲイ・ボルグを焼却。左腕を自ら差し出すことでクー・フーリンの剣を一瞬だけ止め、首を斬られながら十握剣を心臓へ突き刺した。
結果――神殺し。
(……参りましたねえ)
認めざるを得ない。
火之迦具土神の一件。あれは様々な偶然と特殊な限定条件が揃った上での奇跡だった。少なくとも甘粕は、そう評価していた。
本物の神具に、周到に準備された招来の儀。神話の再現に優れた術者である月輪千鶴による補助。そして、召喚されたばかり&赤子が依代という特大のデバフを負った神。あまりにも多くの条件が重なっている。
人間・白川徹心が神を殺せたのは、その一度限りの奇跡だったのではないか。そんな疑念が、全くなかったと言えば嘘になる。というか、委員会上層部の大半はそう判断していた。
もちろん、カンピオーネとなった以上、彼が王であることを疑っていたわけではない。
だが――この青年自身が、本当に神を殺す者なのか。
それだけは分からなかった。
だからこそ、今回の一件で、答えは出た。
何の儀式もなく、神話の再現もない。周到に用意された神殺しの舞台もない。それどころか本人には武術の心得すらなかった。偶然出会った神獣を殺し、その結果として現れたケルト最大級の英雄神を相手に、ただ己の権能と肉体と執念だけで――。
もう一度、神を殺した。
ならば、最初の一柱が奇跡だったのではない。
この男は――。
(なるほど)
甘粕は心の中で苦笑した。
(神を殺せるから、神殺しなんですか)
実に単純な話だった。
「甘粕さん?」
「はい?」
「なんか変なこと考えてません?」
「いえいえ」
甘粕はいつもの笑顔を浮かべた。
「ただ――」
ほんの一瞬、その声音から、いつもの軽薄さが消えた。
「改めまして、お迎え申し上げます」
そして恭しく頭を下げる。
「日本の王よ」
「…………」
徹心が困った顔をした。
「普通にしてくださいよ」
「善処します」
「絶対する気ないでしょう」
「ははは」
その横で、瑞穂は何とも言えない顔をしていた。
なにしろ。
「甘粕さん」
「はい?」
「この人、向こうでも『王』扱いされるたびに困ってたんですけど」
「でしょうねえ」
「だから、あんまり調子に乗らせないでください」
「先輩、俺がいつ調子に乗ったんです?」
「《死ななきゃ安い》」
「…………」
「左腕」
「…………」
「首」
「……反省してます」
「本当に?」
「…………善処します」
「徹心君?」
「はい。反省します」
甘粕は二人のやり取りを眺める。
そして、先ほどまでの恭しさをあっさり引っ込めた。
「いやあ、安心しました」
「何がです?」
「高橋さんが一緒なら、白川卿のお世話はお任せできそうだなあと」
「だから俺は子供じゃないですって!」
ようやく、いつもの調子に戻った。
◇ ◇ ◇
帰宅した徹心を迎えた千鶴は、泣かなかった。
玄関に立つ義兄の姿を、頭から足先までじっと確認する。
首にはまだ傷痕が残っている。左腕も繋がったとはいえ、完全には治っていない。
それでも――生きている。自分の足で帰ってきた。
故に彼女の第一声は決まっていた。
「……お帰りなさい、義兄さん」
それだけ言って、千鶴は笑った。
「ただいま、千鶴」
言いたいことは互いにごまんとあった。
しかし、この二人の再会に野暮は無用であった。
数十分後。
「――馬鹿なんですか?」
「…………」
徹心は正座していた。
目の前には明らかに怒っている千鶴がおり、その隣には処置なしという顔の瑞穂がいる。
「千鶴ちゃん」
「はい?」
「私も同じこと言った」
「ですよね」
「おい」
二人の間で何かが通じ合った。徹心には非常に嫌な予感がした。
だが、瑞穂はそこで表情を改める。
「その前に一つ、ずっと気になってたことがあるの」
「何です?」
「十握剣よ」
徹心の表情が止まった。
千鶴も瑞穂を見る。
「徹心君。どうして最初から使わなかったの?」
「……使っても当てられなかったからですよ」
「それは分かってる」
瑞穂は即答した。
「あなたには剣術の経験がない。クー・フーリン相手に剣で戦ったところで勝負にならなかったでしょうね」
「なら――」
「でも、あれは剣である以前に真正の神具でしょう?」
徹心が黙る。
「月輪家が千年以上も秘蔵していた神剣。実際に火之迦具土神を殺して、今は神殺しであるあなたを主と認めている」
瑞穂は続けた。
「斬り合いに使えなくても、手にしているだけで意味はあったはずよ。呪力を流す媒体としても、神秘に対抗する触媒としても。《神秘殺しの黒炎》を乗せる増幅器としてだって使えたかもしれない」
「…………」
「少なくとも素手で戦うよりは、使い道があった」
千鶴も気づいた。
「……確かに」
術者として考えれば当然だった。
十握剣ほどの神具を、単なる刃物として考える必要はない。
まして徹心の黒炎は神秘を燃やす権能だ。
神殺しを成し遂げた真正の神剣を媒介にすれば、何らかの相乗効果が期待できた可能性は高い。
「義兄さん」
「…………」
「どうして使わなかったの?」
二人から見つめられる。
しばらくして、徹心は小さく息を吐いた。
「……使いたくなかったからだよ」
「え?」
千鶴が瞬いた。
瑞穂は黙って続きを待つ。
「俺にとって、あれは普通の武器じゃない」
徹心が右手を見る。
あの日、焼け爛れた手で握った柄。押しても、押しても、神の身体へ入っていかなかった刃。
だから、最後には、自分の身体ごと倒れ込んだ。
そして――。
その刃の向こう側にあったものを、徹心は知っている。
「……あの剣で斬ったのは、迦具土だけじゃない」
千鶴が息を呑んだ。
瑞穂も何も言わなかった。
「分かってるんだ。あれはもう、あいつだった。美珠も、子供も、助からなかった」
淡々とした声だった。
「だから殺した。それを後悔してるわけじゃない」
そこで一度、言葉が途切れる。
「でも」
徹心は静かに言った。
「だからって、あれを普段から振り回せるほど割り切れてない」
「…………」
千鶴は俯いた。
瑞穂も、それ以上は問い詰めなかった。
だが。
「じゃあ」
瑞穂が尋ねる。
「どうして最後には使えたの?」
徹心は答える。
「殺せると思ったからです」
「……何?」
「それまでは、出しても当たらなかった」
クー・フーリンは速い。そして徹心には、剣を扱う技術などない。
十握剣を握ったところで、振るう前に殺される。
「でも最後だけは違った」
腕を差し出した。クー・フーリンの剣が左腕を断った。
その刃が首へ食い込み、互いの距離は、ほとんどなかった。
避けないと決めた瞬間――初めて、殺せると分かった。
「だから出した」
「…………」
「胸の前まで入ってくる。そこなら俺でも外さない」
あまりにも単純だった。
「俺は十握剣で戦うつもりはありません」
徹心は言った。
「戦うためなら、他の方法を覚えます」
そして。
「あれを抜くのは、殺す時だけでいい」
部屋が静まり返った。
千鶴が義兄を見る。瑞穂も徹心を見る。
ようやく理解した。
白川徹心にとって十握剣とは、強力な神具でも、頼れる武器でも、王の象徴でもない。
――殺すための剣。
ただ、それだけなのだ。
「……それ」
瑞穂が額を押さえた。
「ものすごく効率悪くない?」
「でしょうね」
「真正の神具なのよ?」
「知ってます」
「普通の術者が聞いたら卒倒するような使い方してるの分かってる?」
「まあ」
「黒炎の増幅器にもできるかもしれないのよ?」
「それは惜しいですね」
「じゃあ使いなさいよ!」
「嫌です」
「即答!?」
徹心は肩を竦めた。
「別の剣を用意しますよ」
「…………別の?」
「ええ」
「あなた、剣術できないでしょう?」
「だから覚えます」
瑞穂が止まった。
千鶴も顔を上げる。
「今回、それで困ったんで」
徹心にしてみれば単純な結論だった。
「剣術も。呪術も。神話も」
知らなかった。だから死にかけた。
迦具土の時も、クー・フーリンの時も、何も知らないまま、最後には命を賭けるしかなかった。
「次は、もう少しまともに殺せるようになっておきます」
「…………」
瑞穂が何とも言えない顔をする。
千鶴も同じだった。
「義兄さん」
「ん?」
「普通そこは『もう少し安全に戦えるように』じゃない?」
「同じだろ?」
「違います」
「違うわよ」
二人同時だった。
徹心は首を傾げた。
自身の不利を悟った徹心は、話題をクー・フーリンから簒奪した権能に強引に移す。
「それで、新しい権能が」
「《死境の獣》ですね」
千鶴が応じ、瑞穂が補足する。
「死に近づくほど呪力と身体能力が増すみたい。致命傷を負っても、死んでない限り無理矢理身体を動かす。治癒能力じゃないから、傷自体は普通に残るけど」
「…………」
千鶴があんまりな内容に固まった。
そして、ゆっくり義兄を見る。
「死に近づくほど?」
「ああ」
「強くなる?」
「みたいだな」
「死んでない限り?」
「動けるらしい」
「…………」
長い沈黙のあと、千鶴が呟いた。
「最悪……」
「なんでだよ」
「なんで分からないんですか!?」
ついに声を荒らげた。
「ただでさえ自分の腕を平気で差し出す人が、死にかけるほど強くなるんですよ!? 絶対もっと無茶するじゃないですか!」
「いや、俺だって好きで怪我してるわけじゃ――」
「でも、必要ならやりますよね?」
「…………」
即答できなかった。
千鶴の目が据わった。
「やりますよね?」
「……必要なら」
「ほら!!」
瑞穂が深く頷いた。
「千鶴ちゃん。分かる、ものすごく分かる」
「瑞穂さん……!」
二人の視線が合った。
そして、千鶴は立ち上がり、瑞穂の前まで行き、その両手を取った。
「瑞穂さん」
「な、何?」
「義兄さんを連れて帰ってきてくれて、本当にありがとうございました」
「……うん」
「それから」
ぎゅっ、と握る。
「これからもよろしくお願いします」
「…………え?」
瑞穂が困惑で固まるが、千鶴の目は真剣そのものだ。
「私一人じゃ無理です」
「何が?」
「義兄さんです」
「おい!」
千鶴は無視した。
「無茶しないでって言って。危ないことはしないでって言って。ちゃんと帰ってきてって言って」
千鶴の声が、少しだけ弱くなった。
「でも今回、分かりました」
徹心を見る。
生きている。帰ってきてくれた。それは嬉しい。心の底から嬉しい。
けれど――。
この人は、きっとまた、同じ状況になったら同じことをする。
自分が悲しむと知っていても、自分との約束を忘れていなくても。
それでも、誰かを殺さなければならないと判断したなら、自分の命を切り札にしてしまう。
「私だけじゃ、義兄さんを止められません」
「…………」
徹心は何も言えなかった。否定できなかったからだ。
千鶴は再び瑞穂を見る。そして――笑った。
「だから」
心の底から安堵したような笑顔だった。
「一緒に苦労してくれる人ができて、本当に嬉しいです」
「…………」
瑞穂の顔が引きつった。
「待って、千鶴ちゃん」
「はい」
「それって私も巻き込まれるってこと?」
「もう巻き込まれてますし、委員会は絶対に逃がしてくれないと思いますよ」
「…………」
否定できなかった。
アイルランドまで同行した。目の前で神獣と戦い始めた。
クー・フーリンが現れた。腕が飛んだ。首を斬られた。死にかけた。必死に治療した。
賢人議会へ救援を求めた。そして日本まで連れて帰ってきた。
瑞穂は遠い目をした。
「……確かに」
「ですよね?」
「うん……」
千鶴は嬉しそうに頷いた。
「これからもよろしくお願いします、瑞穂さん」
「…………よろしくね、千鶴ちゃん」
固く手を握り合う二人。
徹心はその光景を眺めながら、首を傾げた。
「なんで俺のことで二人が同盟組んでるんだ?」
同時だった。
「「あなたのせいです」」
「…………はい」
うーむ、感想で指摘も受けたし、自分でもくどい感あるんだが、このままAI君の力を借りるべきか。ちょっと考え中。でも、1話2話が殆ど自筆で校正なんだが、3話以降はAI君が会話面はかなり加筆しているので、かなり書き直しになる。うーむ、悩ましい。なんというか、想像以上に盛ってくるんだよね。最初は本当に校正しか使っていなかったんだけど、想像以上に凄いので、試してみました。ちょっと、色々考えます。スピード維持してAI合作のまま、一度全部書いてしまって、改めて自分で書き直すか、試行錯誤してみます。
執筆速度は遅くなるが、AI使わない方がいいか?
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いや、読めればいいのでジャンジャン使え
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会話がくどいので、そこは直してほしい
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いや、調べ物&名前候補以外に使うなよ
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甘えるな、全部自筆でいけ