自称神のじゃロリ   作:のじゃろり愛好家

4 / 5
四話

 中央詰所へ戻ると、入口には荷車が何台も並んでいた。割れた石材を運び出す女性たちの脇を抜け、俺は外套のフードを深く引き下げる。昨日の落界で建物の壁には亀裂が残っていたが、中では職員たちが忙しそうに帳面をめくっていた。

 

「すみません。昨日、身元の確認をお願いしたユウです」

 

 受付の女性はすぐに俺を思い出し、奥へ案内してくれた。待つ間にも隣の部屋から被害報告を読み上げる声が聞こえる。こんな状況で俺のことまで調べてもらうのは少し申し訳なかった。しばらくすると、昨日の担当職員が数枚の書類を抱えて現れた。

 

「お待たせしました。近隣の管理区からいくつか返答がありました」

 

「どうでした?」

 

「残念ですが、今のところ該当する方はいません。お名前の似た方はいましたが、年齢や特徴が一致しませんでした。最近の移送記録や失踪届にも、お心当たりにつながりそうなものはなくて」

 

「……そうですか」

 

「ただ、遠方への照会はまだ終わっていません。記録がないと決まったわけではありませんから」

 

 俺は頷いた。期待していなかったと言えば嘘になる。地下の古い機械はあっさり俺を認証したのに、今を生きる人たちは俺を知らない。

 

「あの、男性の記録って、そんなにきちんと残ってるものなんですか?」

 

「ええ。普通は生まれたときから管理記録がありますし、地域を移るにも手続きが必要です。ユウさんくらいのお年で、出身地も保護施設も分からないというのは……正直、私も初めてです」

 

 職員は言いにくそうに続けた。

 

「身元が分かるまで、保護施設で過ごされることも検討していただけませんか。お一人で歩くのは、やはり心配です」

 

「一応、こいつと一緒なんですけど」

 

 隣のトワを示すと、職員は困ったように笑った。

 

「お連れの方がいらっしゃるのは承知しています。ただ、正式な管理官の方ではありませんよね?」

 

「わらわほど頼りになる者もそうはおらぬがの」

 

「それ、自分で言う?」

 

「事実を述べたまでじゃ」

 

 いつもの調子に少し気が緩んだが、職員の提案を軽く扱うわけにもいかない。俺には金も身分証もなく、この街の決まりだってろくに知らない。

 

「もう少し考えさせてもらえますか」

 

「もちろんです。照会は続けますので、何か思い出したら知らせてください」

 

「ありがとうございます。忙しいのに、すみません」

 

 職員はなぜか一瞬きょとんとして、それから微笑んだ。

 

 詰所を出ると、通りでは壊れた屋根を直す音が響いていた。街は少しずつ元の姿を取り戻そうとしている。なのに俺の身元だけは昨日から一歩も進んでいない。

 

「何も出なかったのう」

 

「まだ返事が来てない場所もあるけどな」

 

 そう答えながら、地下施設で聞いた声を思い出す。

 

『HOMO SAPIENS――認証』

 

『人類管理者――認証』

 

 あのときは突然のことで深く考える余裕がなかったが、改めて思い返すと妙な言葉だった。宿へ戻った俺は椅子に腰を下ろし、向かいに座ったトワへ尋ねた。

 

「なあ、トワ。ホモ・サピエンスって言葉、聞いたことあるか?」

 

「昨日おぬしが言うておったやつじゃろ。それ以外では知らぬな」

 

「俺の知識だと、人間の種の名前なんだよ。犬とか猫とか、そういう分類の一つだな。人間の場合はホモ・サピエンスっていうんだ」

 

 トワは少し考えるように顎へ指を当てた。

 

「つまり、あの機械はおぬしを人間だと認めたわけか」

 

「まあ、そうなんだけどさ。それが変なんだよ。普通、本人を確認するなら名前とか登録番号とか、そういうものを調べるだろ?なのに、あの機械はわざわざ人間かどうかを確認してた」

 

「人間でなければ入れぬ施設だったのではないか?」

 

「それはありそうだけど……」

 

 俺は腕を組んだ。古い施設なのだから侵入者を防ぐための仕組みがあっても不思議ではない。ただそれなら最初に目覚めた施設も、今回の地下施設も、なぜ俺だけに反応したのだろう。

 

「それに、人類管理者っていうのも分からないんだよな」

 

「人類を管理する者、という意味ではないのか?」

 

「名前からすればそうだけど、具体的に何をするんだって話だよ。人間を管理するって、ものすごい肩書きじゃないか?」

 

「よかったではないか。偉くなったのう」

 

「全然うれしくないんだけど」

 

「ならば、わらわの部下にでもなるか?」

 

「神様の部下って何するんだよ」

 

「まずはわらわを敬うところからじゃな」

 

「遠慮しとく」

 

 トワは愉快そうに笑った。

 

 しかし管理者という言葉が気になるのは確かだった。地下施設では俺が台座に立つと認証が始まり、その直後に停止していた設備が動き出した。あれが単なる本人確認ではなかったことは起きた現象からも分かる。

 

「そういえばさ、昨日は俺が認証されたあと、勝手に機械が動き始めたよな」

 

「そうじゃの」

 

「でも、管理者っていうくらいなら、こっちから操作することもできるんじゃないか?」

 

「試してみればよかろう」

 

「そんな簡単に言うけど、変なもの動かしたらどうするんだよ」

 

「ならば触らねばよい」

 

「どっちだよ」

 

「おぬしが決めることじゃ」

 

 もっともな答えだった。昨日は落界が止まったことに気を取られて施設そのものを詳しく調べる余裕がなかった。危険な操作を避けるにしても、どんな機能が残っているのか確認するくらいはできるかもしれない。

 

「……もう一回、行ってみようかな」

 

「地下の施設へか?」

 

「ああ。今のところ、俺について何か知ってそうなのはあそこだけだし」

 

 トワは椅子から立ち上がり、こちらへ振り返った。

 

「ならば行くぞ。日が暮れる前に戻りたかろう」

 

「お前も来てくれるのか?」

 

「道を知っておるのはわらわじゃろう。おぬし一人では、また妙なことをしでかしかねぬ」

 

「信用ないな、俺」

 

「自覚があるなら結構じゃ」

 

 俺は苦笑しながら椅子を離れた。結局トワに頼りっぱなしなのは変わらない。それでも今度はただ機械が反応するのを眺めるだけではなく、こちらから確かめてみようと思った。

 

 

 宿を出た俺たちは、昨日と同じ道を通って街の東側へ向かった。

 

 通りでは復旧作業が続いていた。崩れた石壁を積み直す者や、道路にできた段差を埋める者が行き交い、あちこちから金槌の音が聞こえてくる。大地の下降は止まったものの、落界によって受けた被害がなくなったわけではない。

 

「そういえば、落界はもう大丈夫なのか?」

 

「少なくとも、今すぐ再び大きく沈む様子はないのう」

 

「それって、あの施設のおかげなのかな」

 

「可能性は高かろう。じゃが、何が起きたのかまでは分からぬ」

 

 トワはそう答えながら、道に散らばった石材を避けて歩いていく。

 

 俺が認証された直後に施設が動き始め、土地の下降も止まった。偶然にしては出来すぎているが、それだけで因果関係が証明されたわけではない。

 

 街を抜けて畑のある一帯まで来ると、地面を横切る大きな亀裂が見えてきた。昨日発見した黒い設備も土の間から一部が露出したままになっている。

 

「誰かに見つかったりしてないかな」

 

「まだ土に埋もれておるし、今はそれどころではなかろう」

 

「まあ、街の修理で忙しいだろうしな」

 

 俺たちは亀裂沿いに進んで崩れた斜面へ向かった。足場の悪い場所ではトワが先に進み、安全なところを教えてくれる。やがて土砂の向こうに巨大な黒い壁が現れた。

 

「あれ?」

 

 思わず足を止める。

 

 昨日は暗く沈んでいた壁面に青白い光の線が何本も走っていた。中央の扉にも薄い光が灯り、近づくと低い駆動音が聞こえてくる。

 

「昨日と違うな」

 

「施設が動き始めた影響じゃろうな」

 

 俺がさらに歩み寄ると、扉の中央に光が集まり左右へ滑るように開いた。

 

「……もう開くのか」

 

「おぬしのことを覚えておるようじゃの」

 

「機械に顔を覚えられても、あんまり嬉しくないけどな」

 

 中へ入ると、変化はさらに明らかだった。以前は俺が進むたびに照明が点灯していた通路が今は奥まで明るくなっている。壁に埋め込まれた黒い板のいくつかにも文字が表示され、どこか遠くから機械の動く音が響いていた。

 

「こんなに色々あったんだな」

 

「暗かったときには分からなんだものもあるのう」

 

 途中の分岐では、以前と同じように床の青白い線が進行方向を示していた。どうやら道案内の機能はそのまま残っているらしい。

 

 俺たちは光をたどり、施設の奥へ進んだ。

 

 やがて中枢へ続く巨大な扉が見えてくる。前回はここで身体を光に調べられたが、今回は俺が近づくとすぐに扉が開いた。

 

 その向こうには円形の台座と壁一面の表示装置があった。表示には相変わらず赤い箇所が残っているものの、部屋全体は以前より明るく、いくつもの装置が稼働している。

 

「さて、どうするかの?」

 

 トワが俺を見上げた。

 

「とりあえず、あそこに立ってみるよ」

 

 俺は部屋の中央にある台座へ目を向けた。そして台座に足を踏み入れると、床に埋め込まれた光の線がゆっくりと点灯した。

 

『生体認証を確認』

 

『人類管理者――認証』

 

 昨日と同じ声が部屋に響く。しかし今回は身体を調べられることもなく、正面の巨大な表示装置が静かに明るくなった。

 

「さて、ここからどうすればいいんだ?」

 

「わらわに聞かれても困るのう。おぬしが管理者なのじゃろ?」

 

「名前だけな。説明書くらい用意してほしいんだけど」

 

 台座の周囲を見回してみたが、操作盤らしいものは見当たらない。壁にはいくつもの文字が表示されているものの、相変わらず読めるものはほとんどなかった。試しに正面の表示装置へ向かって声をかけてみる。

 

「あの、聞こえますか?」

 

 返事はなかった。

 

「……やっぱり駄目か」

 

「もっと偉そうに命令してみたらどうじゃ?」

 

「そういう問題なのか?」

 

「管理者らしく振る舞わねば、機械も困るじゃろう」

 

 大分適当なことを言っている気もするが、ほかに方法も思いつかない。俺は表示装置へ向き直った。

 

「この土地の状態を見せてくれ」

 

 その瞬間、壁の表示が切り替わった。

 

『要求を受理』

 

「うわっ!」

 

 突然返事があったことに驚き、思わず一歩下がる。目の前では青白い光が集まり、空中に立体的な図が浮かび上がっていた。昨日も見た、周辺の浮遊大地を表しているらしい図だ。

 

「……本当に動いた」

 

「ほう。なかなかやるではないか」

 

「いや、俺もびっくりしてるんだけど」

 

 恐る恐る表示へ近づく。中央には大きな土地があり、その周囲にいくつもの小さな島が浮かんでいる。中央の土地だけが周囲より低い位置に描かれているのは昨日と変わらない。ただし、その周囲に並ぶ表示には変化があった。昨日は赤く点滅していた線の一部が今は青白い光に変わっている。

 

「これ、昨日動き始めたところなのかな」

 

「おそらくのう」

 

「じゃあ赤いところは、まだ直ってない?」

 

「そう考えるのが自然じゃろうな」

 

 俺は表示をよく観察した。中央の土地には細い線が何本もつながっており、それぞれの先に小さな記号が並んでいる。何を示しているのか分からないが、正常な部分と異常な部分を区別しているようには見える。

 

「もう少し詳しく見られないかな」

 

 そう呟くと、表示の一部が拡大された。

 

「……今のも聞いてたのか?」

 

「便利な機械じゃの」

 

「便利すぎてちょっと怖いぞ」

 

 どうやら細かい操作をしなくても言葉で要求を伝えればある程度は動いてくれるらしい。俺は少し考えてから尋ねた。

 

「この土地は、今も沈んでいるのか?」

 

『現在の高度変化――基準範囲内』

 

『下降傾向――検出されず』

 

 表示の横に文字が現れて音声が続いた。基準範囲というのがどの程度なのかは分からないが少なくとも今は沈んでいないらしい。

 

「じゃあ、もう安全なのか?」

 

『地域維持状態――暫定安定』

 

『異常項目――残存』

 

「暫定安定……つまり、今のところは大丈夫だけど、完全には直ってないってことか?」

 

 今度は返事がなかった。

 

「都合のいいところだけ答えるなあ」

 

「質問の仕方が悪いのではないか?」

 

「じゃあトワが聞いてみてくれよ」

 

「わらわは管理者ではない」

 

「それはそうだけど」

 

 俺は改めて赤い表示へ目を向けた。正常な部分が増えたとはいえまだ半分以上が赤く光っている。これほど異常が残っているのなら安心するには早いのかもしれない。

 

「なあ、これって俺が直せたりするのかな」

 

「試してみればよかろう」

 

「簡単に言うなよ。昨日みたいに地面が動いたら困るだろ」

 

 俺がそう言うと、トワも表示へ視線を向けた。

 

「ならば、まず何ができるか尋ねてみよ。いきなり動かさずともよかろう」

 

 確かにその通りだ。俺は装置へ向かって修復が可能かどうかを確認することにした。

 

「この土地の異常を全部修復することはできるか?」

 

『修復要求を確認』

 

 赤い表示が次々と明滅する。

 

『設備応答――一部なし』

 

『必要条件――未達』

 

『完全復旧――実行不可』

 

「……できないってことか」

 

 少なくとも要求は理解してくれたらしい。ただ、直すために必要な設備の一部が動いていないようだった。

 

「必要条件って何だろうな」

 

「何かが足りぬということじゃろう」

 

「それは分かるよ。その何かを知りたいんだけど」

 

 追加で詳しい説明を求めてみたが、表示には読めない文字が増えるばかりだった。音声も先ほどと同じ内容を繰り返す。どうやら何を聞いても分かりやすく説明してくれるわけではないらしい。

 

「管理者なのに、できないこともあるんだな」

 

「当たり前じゃろう。王であっても、壊れた橋を命令一つで直せるわけではない」

 

「……なるほど」

 

 妙に納得できる例えだった。管理者という肩書きがあっても設備そのものが壊れていればどうしようもない。そもそも俺には何がどう壊れているのかを判断する知識すらないのだ。

 

 それでも、ここまでの操作で一つ分かったことがある。この施設は俺の要求を受け付ける。昨日までは近づくだけで勝手に機械が動いていたが、今は俺が頼んだ情報を表示してくれた。少なくとも《人類管理者》というのは単なる呼び名ではないらしい。

 

「……なあトワ。俺、本当にここの管理者ってことなのかな」

 

「機械はそう言うておるの」

 

「でも、こんな場所は見たこともないし、何を管理するのかも分からないんだぞ」

 

「ならば、これから調べればよかろう」

 

 トワはあっさりと言った。

 

「管理者だからといって、最初から何もかも知っておる必要はあるまい」

 

「そういうものかな」

 

「少なくとも、あの機械はおぬしの言うことを聞いておる。それは確かじゃ」

 

 俺はもう一度表示装置を見上げた。自分が何者なのかは相変わらず分からない。それでもこの古い機械を操作できるという事実は今まで得られた中で一番大きな手掛かりかもしれなかった。

 

「……もう少し調べてみよう」

 

「何をじゃ?」

 

「この施設が管理しているものだよ。ここがこの土地の状態を見られるなら、ほかにも何か分かるかもしれない」

 

 俺は正面に浮かぶ大地の図へ目を向け、次の要求を考えた。

 

「この施設が管理している範囲を全部見せてくれ」

 

『要求を受理』

 

 目の前の立体図がゆっくりと縮小し、それまで表示されていなかった周辺の土地が現れた。中央にある大地から何本もの細い線が伸び、その先には大小さまざまな浮遊島が描かれている。

 

「おお、広がった」

 

「この辺りの島々じゃな。位置もおおむね合っておる」

 

「じゃあ、これって本当に地図みたいなものなのか」

 

 俺は表示の周囲を歩きながら浮かび上がった土地を眺めた。島の形や配置はかなり細かく再現されており、それぞれに小さな光点が付いている。ただ、すべてが同じ色ではなかった。

 

「この赤い点って、さっきの異常表示と同じなのかな」

 

「そうかもしれぬのう」

 

「じゃあ、ほかの島にも異常があるってことか?」

 

 俺が赤い点の一つを指さすとその周囲にいくつもの文字が現れた。読めない文字ばかりだったが、数字のようなものが変化している。

 

「この島の状態を教えてくれ」

 

『管理対象――状態異常』

 

『高度維持――不安定』

 

「……やっぱり」

 

 その島は中央の大地から少し離れた場所に表示されていた。実際に見たことのある島なのかは分からないが、少なくともここ以外にも高度を維持できていない場所があるらしい。

 

「ほかの赤い点も落界に関係してるのかもしれないな」

 

「じゃが、異常があるからといって、すべてが落界とは限らぬぞ」

 

「それもそうか」

 

 設備が壊れているだけの可能性もある。何を示しているのか分からない以上、赤い表示だけで判断するのは早いだろう。俺はもう一度立体図全体を見渡した。

 

 中央から伸びる線は周囲の島々を結んでいたが、その先にも何本か途切れた線があった。まるで表示されている範囲の外へ続いているように見える。

 

「なあ、これより遠くの情報もあるのかな」

 

「聞いてみればよかろう」

 

「そうだな。この範囲の外にも管理している土地があるなら、それも表示してくれ」

 

『要求を受理』

 

 再び図が縮小した。

 

「うわ……」

 

 思わず声が漏れる。今度は先ほどまでとは比べものにならないほど広い範囲が表示された。小さな島だけでなく中央の大地よりはるかに大きな陸地まで現れ、その周囲にも無数の光点が散らばっている。さらに遠くには途中で途切れた線や薄くしか表示されない場所もあった。

 

「……こんなにあるのか」

 

 俺は立体図の前を移動しながら表示されている土地を一つずつ確認した。光点の中には青白く点灯しているものもあれば、赤く明滅しているものもある。完全に暗くなっているものも少なくない。

 

「これ、全部同じ種類の施設なのかな」

 

「少なくとも、互いに何らかのつながりがあるようには見えるのう」

 

「じゃあ、俺が最初に目覚めた施設も、この中にあるのか?」

 

 そう考えて周囲を探してみたが、どれがどの場所なのか分からなかった。そもそも俺はこの世界の地理をほとんど知らない。

 

「この光っている点は何を示しているんだ?」

 

『管理設備配置情報』

 

「管理設備……ってことは、やっぱり施設なのか」

 

 俺はさらに尋ねた。

 

「今動いている設備はどれだ?」

 

 いくつかの光点が強く輝いた。一方、暗い点はそのままで赤い点も変化しない。

 

「じゃあ、この暗いところは?」

 

『設備応答――なし』

 

「故障してるってことか?」

 

『応答なし』

 

「……そこまでは分からないのか」

 

 通信が途絶えているだけかもしれないし、設備そのものが壊れているのかもしれない。いずれにせよ、ここからすべての状態を確認できるわけではなさそうだった。それでもこれだけの設備が各地に存在しているというのは驚きだった。最初に目覚めた施設と今回の地下施設が似ていたのも同じ仕組みで作られたものだったからなのかもしれない。

 

「トワ、この世界にはこういう古い施設がたくさんあるのか?」

 

「遺跡なら各地に残っておる。じゃが、そのすべてがこれと同じものかは知らぬ」

 

「中に入れるところもある?」

 

「場所によるのう。埋まっておるものもあれば、崩れてしまったものもある」

 

「じゃあ、この地図に出てる施設も、今は入れないところが多いのかな」

 

「そうかもしれぬな」

 

 俺は改めて表示を見た。もしこの光点が古代の管理設備を示しているのなら、俺を認証できる施設がほかにも存在する可能性がある。この場所では自分についての情報を見つけられなかったが、別の施設なら何か分かるかもしれない。

 

「……ほかの施設にも、ここから連絡できたりするのかな」

 

「試してみればよかろう」

 

 俺は青白く点灯している光点の一つを選び、そこへ接続できるか尋ねた。

 

『遠隔接続を要求』

 

 しばらくして表示に赤い文字が現れた。

 

『通信経路――接続不可』

 

「駄目か」

 

 別の光点でも試してみたが結果は同じだった。遠くにある設備ほど途中で通信が途絶えているようだった。

 

 それでも諦めずにいくつか試していると、中央からかなり離れた場所にある光点が一瞬だけ強く輝いた。

 

「あれ?」

 

『遠隔設備――応答確認』

 

「おっ、つながった?」

 

 光点の周囲に新しい表示が現れる。

 

『通信状態――不安定』

 

『取得可能情報――制限あり』

 

 俺は表示を覗き込んだ。そこには読めない文字のほかに、周辺の地形らしい図が浮かんでいる。

 

「これ、どこなんだろう」

 

 位置を確かめるため周囲の土地も表示させてみる。光点があるのは今いる場所とは別の大きな大陸だった。間にはいくつもの浮遊島があり、かなり距離が離れているように見える。

 

「トワ、ここって分かる?」

 

「ふむ……この形の大陸なら、見覚えはあるのう。じゃが、ここからは随分と遠いぞ」

 

「歩いて行ける距離じゃない?」

 

「そもそも大陸が違う。飛空船にでも乗らねば無理じゃな」

 

「なるほど……」

 

 俺はもう一度応答している光点を見た。遠く離れた土地にも、今いる施設と同じ管理系統につながる設備が存在する。それも完全に停止しているわけではない。そこへ行けば今とは違う情報が得られるかもしれない。

 

「この施設にある記録を、こっちから見ることはできるか?」

 

『記録領域へのアクセスを要求』

 

 少し間があった。

 

『通信容量――不足』

 

『遠隔記録取得――不可』

 

「……やっぱり直接行かないと駄目か」

 

 残念ではあったが場所だけでも分かったのは収穫だった。俺が自分の正体を調べるために頼れそうなものは、今のところ古代施設しかない。その古代施設がほかの土地にも存在すると分かっただけでも、調査を続ける理由にはなる。俺は表示された大陸の位置を覚えようと、周囲の島の配置を何度か確認した。そのとき、隣にいたトワが不意に顔を上げた。

 

「……む?」

 

「どうした?」

 

 トワは返事をせず、俺が接続を試した光点とは別の方向を見つめていた。

 

「トワ?」

 

「……いや、少し待て」

 

 いつもの調子とは違う声だった。

 

 俺は立体図から目を離し、トワの方へ向き直った。

 

「……妙じゃの」

 

 トワは立体図の一点を見つめたまま、小さく呟いた。そこには赤く明滅する光点がいくつも並んでいたが、俺には先ほどと変わったところがあるようには見えない。

 

「何か見つけたのか?」

 

「いや、見つけたというより……感じるものがあるのじゃ」

 

「感じる?」

 

「うむ。昨日この施設が動き始めたときにも似たことがあったが、今はそれがもう少しはっきりしておる」

 

 トワは目を閉じ、しばらく黙り込んだ。俺は声をかけずに待っていたが、やがて彼女は首を傾げて目を開けた。

 

「どうにもおかしい。遠くで何かが動いておるような気がするのじゃが……」

 

「それって、さっき接続した施設のことか?」

 

「いや、もっと近いところじゃ。あちらにも、こちらにも、微かに何かがある」

 

 トワは立体図のいくつかの場所を指さした。そのうち一つを俺が拡大させると、そこには小さな管理設備を示す光点があった。

 

「……当たってるな」

 

「ほう?」

 

「ここ、設備があるみたいだぞ。ほかに指さしたところも調べてみようか」

 

 残りの場所にも設備を示す印が見つかった。ただし、どれも現在の状態までは確認できず、トワが何を感じ取っているのかは分からない。

 

「お前、もしかして古代施設の場所が分かるようになったのか?」

 

「場所というより、何かがつながっておるような感覚じゃな。以前は何も感じなんだが」

 

「つながってるって、何と?」

 

「それが分からぬから妙だと言うておるのじゃ」

 

 トワは少し不満そうに頬を膨らませた。

 

 俺は改めて彼女を見た。昨日、土地の下降が止まった直後にもトワは見えるものが増えたと言っていた。古代施設が動き出すたびに彼女の感覚が変わるというのは、偶然なのだろうか。

 

「なあ、お前ってこの施設と何か関係あるんじゃないか?」

 

「わらわが?」

 

「うん。ひょっとして、ここの神様だったりして」

 

 トワは一瞬きょとんとしたあと、呆れたように腰へ手を当てた。

 

「わらわは最初から神じゃと言うておろう。今さら何を確認しておる」

 

「いや、そういう意味じゃなくて。この施設を守る神様とか、そういうの」

 

「さてのう。少なくとも、わらわがこのような機械を作った覚えはないぞ」

 

「じゃあ、どうして急に色々分かるようになったんだ?」

 

「分からぬ。じゃが、この施設が動き始めたことと無関係ではなさそうじゃな」

 

 珍しく曖昧な答えだった。

 

「神様でも知らないことがあるんだな」

 

「当然じゃ。神とて、この世のすべてを知っておるわけではない」

 

「意外と普通なんだな、神様って」

 

「おぬし、少しは敬意というものを覚えぬか」

 

「はいはい、偉大なるトワ様」

 

「心がこもっておらぬぞ」

 

 いつもの調子に戻ったトワを見て、俺は笑った。

 

 それから遠くの大陸を示す光点へ目を戻した。今の施設では調べられないことが多いが、別の場所へ行けば何か分かるかもしれない。俺自身についても、トワと古代施設の関係についても。

 

「そろそろ戻るか。あんまり遅くなると困るし」

 

「そうじゃな。わらわも腹が減った」

 

「神様でも腹が減るんだな」

 

「当たり前じゃ。おぬしだけ食事をしてよい道理があるか」

 

 俺が台座を降りると立体図はゆっくりと光を弱めた。出口へ向かいながら振り返ると、トワはまだ表示装置の方を見ていた。

 

「トワ、行くぞ」

 

「うむ、今行く」

 

 彼女はすぐに追いついてきたが、その後も何度か背後へ視線を向けていた。何か気になることでもあるのだろうか。聞いてみようかとも思ったが、今の俺にはほかにも分からないことが山ほどある。

 

 地下施設を出る頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。亀裂の周囲には相変わらず土砂が散乱していたが、遠くに見える街からは夕食の支度をしているらしい煙が上がっている。

 

「結局、俺のことは分からなかったな」

 

「そうじゃの。じゃが、収穫はあったではないか」

 

「まあな。ほかにも施設があるって分かったし」

 

 俺は歩きながら、地下で見た立体図を思い返した。遠くの大陸にある、かろうじて応答した古代施設。あそこにも俺を認証する機械が残っているかもしれない。

 

 問題は、そこまでどうやって行くかだった。

 

「なあ、トワ。別の大陸まで行くには、やっぱり飛空船に乗るしかないのか?」

 

「普通はそうじゃな。近くの島へ渡る程度ならほかにも手段はあるが、大陸を越えるとなれば飛空船が一般的じゃ」

 

「この街にも乗り場ってある?」

 

「大きな飛空船が出入りする港はないのう。もっと大きな街まで行かねばならぬ」

 

「そっか。じゃあ、まずはそこまで移動しないと駄目か」

 

「……おぬし、あの施設へ行くつもりか?」

 

「まだ決めたわけじゃないけど、ちょっと気になってさ」

 

 トワはそれ以上尋ねず、いつもの調子で歩き続けた。

 

 街へ戻ると、通りの店が少しずつ営業を再開していた。俺たちは宿へ向かう途中で道具や食料を売る店が集まった一角を通りかかった。店先には旅用の鞄や水筒が並び、壁には各地の街道を示した地図が掛けられている。

 

「あ、ちょっと見てもいいか?」

 

「構わぬぞ」

 

 地図には周辺の街や村の名前が書かれていたが、俺にはどれが目的地へ向かう道なのか分からなかった。トワに聞きながら確認すると、この街から街道をたどっていけば飛空船の発着する交易の街へ出られるらしい。

 

「ここまでなら歩いて行けるんだな」

 

「道は通じておる。ただし、荷物を持って歩くにはそれなりに骨が折れるぞ」

 

「まあ、移動するなら仕方ないか」

 

 俺は地図をもう一度眺めた。

 

 これまで、自分の行き先について真剣に考えたことはなかった。最初に目覚めた施設からトワに案内され、街へ来て、落界に巻き込まれた。自分で何かを決める前に、次々と出来事が起きていた気がする。けれど今は違う。少なくとも調べてみたい場所がある。

 

「おぬし、先ほどから随分と地図を眺めておるのう」

 

「うん、ちょっと考えてる。これからどうしようかなって」

 

 トワは何も言わず、俺を見上げた。

 

 身元の調査が終わるまでこの街で待つという選択肢もある。職員の言う通り保護施設へ入れば、安全な生活だってできるだろう。

 

 しかし、いつ返答が来るかも分からない。仮にすべての地域で記録が見つからなかったとしても、それで俺の正体が分かるわけではない。

 

 一方で古代施設は実際に俺へ反応した。あの機械が俺を《人類管理者》と呼ぶ理由を知りたい。ほかの施設を調べれば、何か分かるかもしれない。それに、立体図には各地の異常も表示されていた。ここ以外にも落界が起きているのなら、その原因について調べる意味はあるはずだ。

 

「……やっぱり、行ってみたいな」

 

「何じゃ?」

 

「いや、何でもない」

 

 俺は地図から目を離し、店の前を離れた。

 

 ただ、旅に出るといっても問題は山積みだった。身分証はないし、所持金だって心許ない。男性が一人で移動するだけで騒ぎになる世界なのだから、飛空船に乗るのも簡単ではないだろう。

 

 まずは港のある街まで行き、そこで移動手段を探すことになる。金が足りなければ、そのときに別の方法を考えるしかない。ずいぶん行き当たりばったりな計画だが、宿で待っているだけでは何も進まない。

 

「トワ、宿に戻ったら少し話があるんだけど」

 

「ほう。改まって何じゃ?」

 

「今後のこと。ちょっと考えがまとまったからさ」

 

「ふむ。ならば飯を食いながら聞いてやろう」

 

「食べることばっかりだな、お前」

 

「腹が減っては話もできぬじゃろう」

 

 トワはそう言って、何事もないように宿へ向かって歩き出した。

 

 俺もその後を追いながら、もう一度だけ遠くの空を見た。

 

 あの向こうには、まだ見たことのない大陸がある。そして、そのどこかに俺のことを知っているかもしれない古い機械が眠っている。行ってみなければ分からない。そう考えると、不思議と気持ちは決まっていた。

 

 宿へ戻ると、食堂には夕食を取る客が何人かいた。落界の話をしているらしく、近くの席からは崩れた建物や復旧作業についての会話が聞こえてくる。俺たちは奥の席に座り、運ばれてきた料理を食べ始めた。トワは早速肉を頬張っていたが、俺はどう切り出そうか考えているうちに、しばらく手が止まってしまった。

 

「何じゃ、食わぬのか?」

 

「いや、食べるけどさ。さっき話があるって言っただろ」

 

「うむ。聞いてやるから話せ」

 

「……俺、旅に出ようと思うんだ」

 

 トワは口に運ぼうとしていた肉をいったん皿へ戻した。

 

「ほう。どこへ行くつもりじゃ?」

 

「まずは飛空船の出る街かな。それから、地下施設で見つけた別の大陸へ行ってみたい」

 

「随分と遠くまで行くのう」

 

「まあ、いきなりそこまで行けるとは思ってないけどな」

 

 俺は料理を一口食べてから、考えていたことを説明した。

 

 街の職員は身元を調べてくれているが、いつ結果が出るか分からない。それに、仮に記録が見つからなかったとしても、自分の正体が分かるわけではない。

 

 古代施設には、俺を認証できる仕組みがある。ほかの施設にも同じ仕組みが残っているなら、何か新しい情報を得られるかもしれない。

 

「それに、落界のことも気になるんだよ。あの地図には、ほかにも高度が不安定な場所があっただろ?」

 

「そうじゃな」

 

「全部同じ原因かどうかは分からないけど、調べてみる価値はあると思うんだ」

 

「世界を救う旅でも始めるつもりか?」

 

「いやいや、そんな大それた話じゃないって。俺に何ができるかも分からないし、まずは自分のことを知りたいだけだよ」

 

 トワはしばらく俺を眺めてから、再び料理に手を伸ばした。

 

「ならば、好きにするがよい」

 

「……あれ、反対しないのか?」

 

「なぜ反対する必要がある?」

 

「いや、身元も分からない男が一人で旅するなんて、この世界だと相当危ないんじゃないのか?」

 

「危ないじゃろうな」

 

「そこは否定してくれよ」

 

「事実を曲げてどうする。おぬしはこの世界の常識にも疎く、腕っ節も弱い。身分証もなく、旅の経験もない。心配なことだらけじゃ」

 

「言われると不安になってきたな……」

 

「じゃが、それでも行きたいのであろう?」

 

 俺は少し考えてから頷いた。

 

「うん。行ってみたい」

 

「ならば、まず無事に旅をする方法を考えることじゃな。目的地に着く前に捕まっておっては話にならぬ」

 

「捕まるって、そんなに?」

 

「男性が護衛も連れずに歩いておれば、連れ去ろうとする者が現れても不思議ではなかろう」

 

 昨日の騒ぎを思い返すと、冗談とも思えなかった。

 

「そうなると、今まで通り男だってことは隠しておくしかないか」

 

「うむ。その外套も手放さぬ方がよい。人前で不用意に顔を出すでないぞ」

 

「分かったよ。……あ、そうだ」

 

 そこで、俺は当然のように考えていたことを口にした。

 

「トワも一緒に来る?」

 

 彼女は俺の顔を見上げた。

 

「……わらわは行かぬぞ」

 

「……え?」

 

「何を驚いておる。わらわはここに残る」

 

「そうなのか?」

 

「うむ」

 

 あまりにもあっさりした返事だったので、俺は一瞬言葉に詰まった。今までずっと一緒に行動していたから、旅に出るならトワもついてきてくれるものだとどこかで思い込んでいたらしい。

 

「何か用事でもあるのか?」

 

「この土地のことが気になるのでな。落界は止まったようじゃが、地下の機械にはまだ異常が残っておったじゃろう」

 

「ああ、そうだったな」

 

「わらわも少しは様子を見ておきたい。昨日から感じるようになったものも、まだよく分からぬしの」

 

 確かに、地下施設が動き始めてからトワにも変化が起きている。ここに残って調べたいというのならそれを止める理由はなかった。

 

「そっか。じゃあ、仕方ないな」

 

「何じゃ、寂しいのか?」

 

「まあ、ちょっとはな」

 

 俺が答えると、トワは意外そうに目を瞬かせた。

 

「お前には色々助けてもらったし。知らない街で一人だったら、何をすればいいかも分からなかったと思う」

 

「ふむ。ようやくわらわの偉大さが分かったか」

 

「そこまで言ってないけど」

 

「素直でないのう」

 

 トワは満足そうに笑い、残っていた料理を食べ始めた。俺もそれ以上は何も言わず、自分の皿に向き直った。

 

 食事を終えて部屋へ戻ると、俺は荷物を広げて旅に必要なものを確認した。といっても、持ち物は大して多くない。替えの衣服に水筒、それから手元にある金を数えるくらいで、すぐに終わってしまった。

 

「……これで旅に出るって、我ながら無謀だな」

 

「今さら気づいたのか?」

 

「せめてもう少し準備した方がいいかな」

 

「足りぬものは道中でも揃えられよう。じゃが、水と食料、それに寝る場所の確保は忘れるでないぞ」

 

「はいはい」

 

「それから、知らぬ者に男だと明かすでない。困ったときほど、相手をよく見極めるのじゃ」

 

「なんか母親みたいだな」

 

「誰が母親じゃ」

 

 トワは不満そうに眉を寄せたが、俺が笑うと軽く鼻を鳴らすだけだった。

 

 ひと通り荷物をまとめてベッドに腰を下ろす。

 

「明日の朝、出ようと思う」

 

「そうか」

 

「まずは次の街まで行ってみるよ。そこから先は、道や船のことを調べながら考える」

 

「うむ。無理はするでないぞ」

 

「お前に言われると妙な感じだな」

 

「わらわは常に慎重じゃぞ」

 

「昨日、地下施設に入ろうって真っ先に言ったの誰だっけ?」

 

「細かいことを気にする男じゃのう」

 

 そんなやり取りをしているうちに窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

 俺はベッドに横になり、天井を見上げた。最初に目覚めてから、まだそれほど時間は経っていない。それなのに、この世界では毎日のように知らないことが見つかる。空に浮かぶ大地も、女性ばかりの街も、地中に眠る機械も、どれも自分が知っている常識とは違っていた。そんな場所で、明日からは一人になる。

 

「……なあ、トワ」

 

「何じゃ?」

 

「今までありがとうな」

 

 トワはすぐには答えなかった。

 

「何を今さら言うておる。まだ明日の朝までおるじゃろう」

 

「まあ、そうなんだけど。ちゃんと言ってなかった気がしてさ」

 

「ならば、礼は受け取っておいてやろう」

 

「偉そうだなあ」

 

「神じゃからの」

 

 いつも通りの返事だった。俺は小さく笑って目を閉じた。明日からどうなるかは分からないが、少なくとも行き先は自分で決めた。

 

 窓の外では、復旧作業を終えた人たちの声が遠ざかっていく。トワはそれからしばらく何も言わなかったが、俺が眠るまで部屋の明かりを消そうとはしなかった。

 

 

 翌朝、目を覚ますと、トワはすでに起きていた。窓際の椅子に腰掛けて外の景色を眺めている。俺が身体を起こすと、こちらを振り返った。

 

「ようやく起きたか。旅立ちの日に寝坊とは、呑気なものじゃの」

 

「まだ朝だろ。そんなに寝坊してないって」

 

「旅人たるもの、日の出とともに動くくらいでなければならぬぞ」

 

「昨日まで普通に寝てた奴が言うことか?」

 

「わらわは神じゃからよいのじゃ」

 

 いつもの理屈である。

 

 顔を洗って着替えを済ませると、昨夜まとめておいた荷物を確認した。替えの衣服に水筒、少しばかりの食料と所持金。旅の荷物としては頼りないが、これ以上持っていくものもない。

 

 朝食を終え、宿の主人に街道の様子を尋ねると、昨日の落界による被害はあるものの、街の外へ続く道は通れるらしい。ただし途中で崩れた場所もあるため、十分に気をつけるよう言われた。

 

「それじゃ、行くか」

 

「うむ」

 

 宿を出ると、朝の通りにはすでに多くの人がいた。復旧作業へ向かう女性たちが道具を担いで歩き、店先では昨日倒れた看板を掛け直している。

 

 俺は外套のフードを深く被り、口元の布を整えた。

 

「顔は隠れておるな?」

 

「大丈夫だって。昨日から何回確認するんだよ」

 

「念には念を入れるのじゃ。おぬしは油断するとすぐ妙なことをするからの」

 

「そんなに信用ないかな、俺」

 

「胸に手を当てて考えてみよ」

 

 言い返そうとしたが、これまでの出来事を振り返ると反論しにくかった。

 

 街の外れへ向かうにつれ、建物は少なくなり、畑が広がり始めた。昨日まで何度も通った道だが、今日はそのまま先へ進むことになる。

 

 やがて、街道の始まりを示す道標が見えてきた。

 

「ここをまっすぐ行けばいいんだよな?」

 

「うむ。途中に分かれ道があるが、大きい方の道を進めばよい。次の集落まではそれなりに距離があるから、暗くなる前に宿を探すのじゃぞ」

 

「分かった。ありがとう」

 

「それから、水がなくなる前に補充することじゃ。食料も惜しんで食わぬようにするでないぞ」

 

「はいはい」

 

「返事は一度でよい」

 

 そんなやり取りをしながら歩いているうちに、道標の前まで来てしまった。トワはそこで足を止めた。

 

「わらわはここまでじゃな」

 

「……そっか」

 

 俺も立ち止まり、振り返る。

 

 小さな身体に見慣れた尊大な表情。初めて出会ったときは妙な奴だと思ったが、今ではその偉そうな態度にもすっかり慣れてしまった。

 

「本当に来ないんだな」

 

「昨夜も言うたじゃろう。わらわにはわらわの用事がある」

 

「分かってるよ。ちょっと確認しただけ」

 

「何じゃ、やはり寂しいのか?」

 

「まあな。一緒にいるのが当たり前になってたから」

 

 トワは少しだけ目を丸くしたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。

 

「ふふん。わらわほどの者が傍におれば、そうなるのも無理はないのう」

 

「そういうところがなければ、もう少し素直に感謝できるんだけど」

 

「感謝は素直にしてよいぞ。遠慮はいらぬ」

 

「はいはい。今まで本当にありがとうな」

 

 今度は茶化さずに言うと、トワは俺をじっと見つめた。

 

「……うむ。達者でな、ユウ」

 

「ああ。トワも元気で」

 

「わらわの心配など百年早いわ」

 

 その返事に笑ってから、俺は街道へ足を踏み出した。

 

 しばらく歩いて振り返ると、トワはまだ道標の前に立っていた。こちらを見ているらしかったので、片手を上げてみる。するとトワも小さく手を振り返してきた。

 

 俺はもう一度前を向いた。行き先として決めたのは、遠くの大陸にある古代施設だ。けれど、まずは飛空船の出る街までたどり着かなければならない。その先に何があるのか、そもそも目的の施設へ入れるのかも分からなかった。自分が何者なのかもまだ分からない。それでも、今度は誰かに連れていかれるのではなく、自分で行くと決めた。

 

 街道は緩やかな坂を描きながら、遠くの丘の向こうまで続いている。

 

「……さて、行きますか」

 

 荷物を背負い直し、俺は見知らぬ土地へ向かって歩き始めた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。