主人公「おっしゃ!!呪霊(※違います)いて、呪力がある世界に転生!!これは呪術廻s…えっ?術式なし…えっ…?」 作:術式の無いサル
夜の帳が完全に降り切った午前二時。都市の喧騒から隔絶された湾岸地域の広大な廃ビルは、おぞましい「悪意」の巣窟へと変貌を遂げていた。コンクリートの床には、赤黒い血痕が引きずられたような跡となって点々と続き、壁面には何者かが爪で激しく掻きむしったような、深く凄惨な溝が刻まれている。
大気はねっとりと肌にまとわりつくほどに重く、そこに含まれる霊気は完全に腐り果て、吸い込むだけで肺を内側から腐食させていくかのような錯覚を覚えさせる。
「っ……く、こんなところで……ありえない……!」
彼女の名は
彼女は名門・阿御門家の次期当主であり、私立霊峰学園の生徒会会長を務める十七歳の女子高生だった。常に冷静沈着、学園の模範として完璧を求められてきた彼女にとって、このような醜態を晒すこと自体が耐え難い屈辱だった。十歳に満たない頃から実戦の場に駆り出され、これまでに祓った怪異の数は数百を超える一等
「まさか……これほどの器だなんて……私の計算を、完全に狂わせる気?」
彼女の視線の先。影の蠢く広大なフロアの中央に、それは鎮座していた。
怪異の強さは、陰陽庁によって明確に序列化されている。最も弱く、一般人でも稀に視認できる程度の「下級」。集落や学校一つを恐怖に陥れる力を持つ「中級」。熟練の陰陽師が数人がかりで結界を組み、ようやく討伐し得る「上級」。一都市を一夜にして壊滅せしめ、国家規模の災害に指定される「超級」。そして、天災そのものであり、歴史上に数えるほどしか記録のない「特級」。
目の上にいる存在は、間違いなく「上級」の最上位。あるいは、限りなく超級に近い変異種だった。
それは、ボロボロの婚礼衣装をまとった異形の怪異だった。
人間の胴体に無数の蜘蛛の足が生え、頭部は泣き叫ぶような巨大な般若の面。その巨体から発せられる瘴気は、周囲の空気を黒く濁らせ、足元のアスファルトをじりじりと溶かしている。
何よりおぞましいのは、その圧倒的な存在感そのものだった。
『…ヨメニ、コイ……ワワタシタチ……ト…イイショニ…コイ……』
ぞっとするような合成音声のような、あるいは何重にも重なり合った異様な響きが、神楽の脳内に直接突き刺さる。上級怪異――
何重にも重なり合う怨嗟の声を浴びるだけで、並の陰陽師であれば精神を汚染され、その場で発狂して自ら命を絶つだろう。彼女が正気を保っていられるのは、幾多の修羅場を潜り抜けてきた経験と、折れない意志の力でしかなかった。
しかし、肉体の限界はとうに超えている。彼女の最大の武器である式神「
手元に残されたのは、血に汚れた数枚の御札のみ。
「
彼女は残る霊力を振り絞り、指の間に挟んだ御札を怪異に向けて投擲した。空中で青白い雷光へと姿を変えた御札は、激しい爆音とともに怪異の顔面へと直撃する。凄まじい電光が走り、周囲の闇を一瞬だけ昼間のように照らし出した。
───だが。
『ガ、ア……アハ、ハ……ハハハハハハ!』
土煙の中から現れた怪異の姿。雷撃によって消し飛んだはずの巨大な般若の面は、肉腫を膨らませ、わずか数秒で元通りに再生していく。その再生の過程で、生首たちの重なり合うような合成音声が、一斉に嘲笑の声を上げた。
「そんな……直撃して、有効打にならないなんて……冗談でしょ……!」
彼女の心が、わずかに動揺の色を見せた。
陰陽術の神髄は、世界の調和を乱す「陰」の気を、理に基づく「陽」の気によって相殺し、調伏することにある。だが、目の前の怪異が持つ「負のエネルギー」は、彼女が紡ぐ術の出力を圧倒的に上回っていた。相殺するどころか、こちらが展開した陽の霊力を力任せに圧殺しているのだ。
怪異の節足が、ギチギチと音を立てて床のコンクリートを削る。不気味な蜘蛛の足が、獲物を確実に追い詰めるために、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
『次ハ……オ前ダ……綺麗ナ、生首ヲ……足シテヤル……』
「……私が、こんなところで、不覚を取るわけにはいかないのよっ……!」
彼女は血に塗れた床に片膝をつきながらも、決してその誇り高い眼差しを濁らせなかった。ここで散るわけにはいかない。悔しさが込み上げるが、霊力回路の焼き切れによる疲労は、彼女の意識を容赦なく奪い去ろうとしていた。
怪異の巨大な触手が、鎌のように鋭く研ぎ澄まされた先端を掲げ、彼女の胸元を目がけて振り下ろされる──
その、時だ───
───ドォォォォォン!!!
衝撃波。文字通り、大気を力任せに爆破したかのような暴力的な轟音が、廃ビルの広大なワンフロアに炸裂した。
「な、に……!?」
死の到来を予期していた彼女は、その衝撃で強制的に目を開かされた。怪異の振り下ろした触手が、彼女のわずか数十センチ手前で、完全に静止していた。いや、静止させられていたのだ。
コンクリートの壁が内側から派手に爆散し、立ち込める白煙と瓦礫の雨の中から、突如として「それ」は現れていた。
煙の中から姿を現したのは、怪異の増援でも、陰陽庁の救援部隊でもなかった。それは、彼女と同い年ほど――十七、八歳に見える、一人の少年だった。
彼の風貌はこの場において、あまりにも異質だった。神聖な白を基調とする陰陽師の装束とは対極にある、全身黒一色の詰襟の制服。それは日本の伝統的な学生服のようでありながら、装飾を極限まで削ぎ落とし、戦闘時の機動性を追求したかのような、機能的な洗練さを感じさせる独特な仕立てだった。ボタンは首元まで厳重に留められ、その黒い生地は、周囲の怪異が放つ漆黒の瘴気すらも跳ね返すような、不思議な実体感を持っていた。
少年は、片手をポケットに突っ込んだまま、退屈そうに首の骨を鳴らした。
『ギ、ギガ……ッ!? オマエ……何者……!?』
ボロボロの婚礼衣装を纏い、無数の呪詛を纏う特異な妖怪――花嫁蜘蛛が、一斉に少年に向けて警戒の声を上げる。怪異の野生の直感が、新しく現れたこの「黒い異物」に対して、最大限の警報を鳴らしているようだった。
しかし、少年は一切、言葉を発しない。ただ、その切れ上がった双眸で怪異の巨躯を冷徹に見据えると、ゆっくりと右手をポケットから引き抜いた。
その瞬間。彼女は、自分の感覚が完全に狂わされるかのような、強烈な錯覚に襲われた。
「霊力……じゃ、ない……!? 何、この、悍ましい力は……!」
少年の全身から、立ち上るように溢れ出してきたエネルギー。それは、彼女たち陰陽師が扱う「霊力」とは、性質があまりにも異なっていた。
霊力とは、自然の運行や人間の精神の「正しい巡り」から抽出される、清澄で秩序あるエネルギーだ。しかし、この少年から溢れ出えているのは、人間の妬み、恐怖、恨み、そういった「負の感情」をそのまま生け捕りにして練り上げたかのような、ドロドロとしていながらも、極限まで純化されたエネルギーだった。
それはまさに、世界を呪うための力──「呪力」。
霊力の世界で生きてきた彼女にとって、それは怪異の瘴気よりもなお不気味で、しかし同時に、不自然なほどに澄み渡った「洗練された暴力」の塊に見えた。
少年の両拳には、陽炎のように揺らめく蒼白い呪力の炎が、爆発的な密度で集約されていく。
「ちょっと、あなた……! 逃げなさいよ、その怪異は花嫁蜘蛛の上級変異種よ……! 通常の術じゃ、傷一つ……!」
彼女は本能的な恐怖を覚えながらも、その場違いな少年を救うため、かすれた声で警告を発した。だが、少年は彼女の方を一度も見ようとはしなかった。ただ、一歩、前に踏み出す。その踏み込みの一歩で、床のコンクリートが蜘蛛の巣状に激しくひび割れた。
『ガアアアアアッ!!』
花嫁蜘蛛が吠えた。先ほど彼女の式神を八つ裂きにした、音速を超える速度の触手――その槍のような先端が、十数本同時に少年の頭部や胸元を目がけて殺到する。空気を引き裂く鋭い風切り音がフロアに満ちる。
少年は、避ける動作すら見せなかった。
(え――!?)
彼女が目を見張る。少年はただ、呪力を纏わせた左腕を、眼前に迫る触手の群れに向けて一閃した。
ズガガガガガガッ!!!
鼓膜を打つ凄まじい硬度音。驚くべきことに、少年は怪異の放った音速の触手を、「呪力で強化した己の肉体そのもの」で、真っ向から叩き伏せ、へし折ったのだ。
陰陽術のような複雑な呪文の詠唱もなければ、御札による媒介もない。ただの腕の振りが、上級怪異の全力の一撃を完全に凌駕していた。
『ギ、ァ……ッ!? 馬鹿ナ……タダノ肉体ガ、コレホドノ硬度ヲ……!』
怪異が驚愕に顔を歪める。少年はその隙を一切見逃さなかった。折られた触手の隙間を縫うようにして、彼の体が文字通り「消えた」。
超高密度の呪力を足の裏に集中させ、爆発的な推進力へと変換する。一瞬にして怪異の懐へと肉薄した少年は、その右拳を怪異の巨大な胴体へと叩き込んだ。
拳に込められた呪力が、衝突の瞬間に爆発する。
ドグォォォン!!!
廃ビルの二つの階層が振動するほどの重低音が響き渡る。怪異の頑強な外殻が、少年の拳が触れた一点から粉々に砕け散り、肉腫が派手に飛び散った。怪異の巨躯が、まるで大型トラックに正面衝突されたかのように、数メートル後方へと激しく吹き飛ばされる。
「嘘でしょう……術式も、式神も使わずに、ただの肉弾戦だけで……上級を圧倒してる……?」
彼女は開いた口が塞がらなかった。彼女の知る陰陽道の世界では、戦いとは常に「術の構築」の優劣で決まる。どのような陣を敷き、どのような呪文を唱え、属性の相性をどう活かすか。それこそが陰陽師の技術であり、誇りだった。
だが、目の前の少年が展開している戦闘は、そのどれにも当てはまらない。呪文の詠唱はない。陣の展開もない。属性の概念すら存在しない。ただ、体内にある強大なエネルギーを拳に集約し、相手に叩きつける。その一連の動作があまりにも洗練されており、無駄が一切ない。それは、術の洗練というよりは、「暴力を極限まで研ぎ澄ました職人の技」だった。
『ギ、ギギギ……人間風情ガ、調子ニ、乗ルナァァァッ!!』
吹き飛ばされた花嫁蜘蛛が、壁に激突して止まると、その般若の面が血涙を流しながら叫んだ。
上級怪異の真の恐ろしさは、その尽きることのない再生能力と、周囲の概念そのものを侵食する広範囲の「呪詛」にある。怪異の肉体から、ドス黒いヘドロのような瘴気が津波となって溢れ出し、フロアの床や天井を瞬く間に侵食していく。その瘴気に触れたコンクリートは、まるで酸を浴びたかのように泡を立てて溶けていった。
さらに、砕かれたはずの胴体の外殻が、数倍の質量となって膨れ上がり、より強固な武装へと再構成されていく。
『融ケロ……死ネ……我ラノ、一部ト、ナレ……!』
迫り来る瘴気の津波。それは物理的な攻撃ではなく、触れた者の魂を直接腐らせる概念的な呪いだ。防ぐ手立ては、同じ規模の広域結界を展開するしかない。
しかし、黒服の少年は、その瘴気の津波を前にしても、なお退かなかった。
少年は静かに腰を落とし、右拳を深く引き絞る。彼の全身を巡る蒼白い呪力が、急激にその密度を増し、周囲の空間が目に見えて歪み始めた。少年の周囲だけ、空気の屈折率が変わり、光が歪んでいる。
(何をする気なの……? まさか、あの呪詛の塊を、また素手で打ち破るつもり……!?)
彼女の脳裏に、無謀という言葉が浮かぶ。概念的な呪いに対して、どれほど肉体を強化しようとも、物理的な打撃では相殺できない。それがこの世界の絶対的なルールだ。
だが、少年はそのルールすらも、前世の記憶と狂気によって踏み越えようとしていた。
少年の瞳の奥、光が消える。感情のブレが完全に消失し、ただ「呪力を打撃に同調させる」という一点のみに、彼の脳の全リソースが割かれる。
集中力が、極限を超えて――「ゾーン」の深淵へと突入する。
世界が、秒単位から、数万分の一秒の単位へと引き延ばされていく。
迫り来るドス黒い瘴気の波。その先端が、少年の衣服に触れようとする、まさにその刹那。
引き絞られた少年の右拳が、真っ直ぐに突き出された。ターゲットは、怪異の胴体中央。
拳が怪異の肉体に衝突する、その、わずか100万分の1秒以内。完璧にコントロールされた呪力の奔流が、打撃のインパクトと完全に同調し、空間の限界を超えて炸裂した。
――ドンッッッ!!!!!!!
廃ビル全体が、まるで天から巨大な隕石を落とされたかのような、次元の違う衝撃に見舞われた。
それは、世界の理を強制的に書き換える輝きだった。少年の拳から放たれたのは、これまでの蒼白い炎ではない。空間そのものが引き裂かれ、そこから溢れ出したかのような、禍々しくも圧倒的に美しい「漆黒の火花」。
「
それは、呪力が打撃と100万分の1秒以内に衝突した際、空間の歪みとともに生じる、確定クリティカルの輝き。その威力は、通常の打撃の単純な倍算ではない。「2.5乗」。元々の少年の規格外の筋力と呪力の掛け算が、さらに2.5乗されるという、数学的な暴挙。
それは、この世界の陰陽師たちが何百年かけて積み上げてきた、霊力の出力理論を根底からあざ笑うかのような、理不尽なる破壊の顕現だった。
『ガ、あ……!? ア、アアアアアアアアアッッッ!!!???』
怪異の般若の面が、一斉にこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。物理攻撃が効かないはずの概念的な瘴気の津波が、黒閃が引き起こした「空間の歪み」そのものによって、木っ端微塵に噛み砕かれて霧散していく。
それだけではない。黒閃の衝撃波は、怪異の巨大な胴体を内側から粉砕し、その魂の核を直接、概念ごと叩き潰した。上級怪異が誇る圧倒的な再生能力すらも、黒閃の破壊速度の前には全く意味をなさなかった。再生するための細胞そのものが、存在するための因果そのものが、黒い火花によって焼き尽くされていく。
凄まじい光と爆音が静まり返った時、そこには、巨大なクレーター状に抉られた床と、天井にまで達する巨大な風穴が残されていた。
上級怪異だったものは、影も形もない。ただの塵にすらなれず、世界からその存在を完全に消去されていた。
しん、と静まり返った廃ビル。崩壊した天井から、パラパラと小さなコンクリートの破片が落ちる音だけが、不気味な余韻を残して響いていた。
「はぁ……っ、はぁ……」
彼女は、息をすることすら忘れて、その光景を凝視していた。全身の血の気が引き、別の意味での戦慄が彼女の身体を支配していた。
阿御門家の次期当主である自分が、命を賭しても傷一つつけられなかった上級怪異・花嫁蜘蛛。それが、たった一人の少年によって、術式も使わずに、文字通り「一撃」で消滅させられたのだ。あの黒い火花は何だったのか。あの空間を歪めるほどの力は何だったのか。陰陽庁の資料のどこを紐解いても、あのような異端の術を使う陰陽師なんて存在しない。
少年は、黒い制服の袖についた怪異の煤を、面倒くさそうにパッパと手で払った。その表情には、強敵を倒したという達成感もなければ、高揚感もない。ただ、予定されていた作業を淡々とこなしただけのような、底知れない冷徹さだけが漂っていた。
「ちょっと、待ちなさいよ……!」
彼女は痛む体に鞭打ち、気高さを保ちながらも声を振り絞った。
「あなた、一体何者なの……? どこの所属の陰陽師だか知らないけれど、私に無断でこんな……」
その問いかけに、少年は初めて、わずかに視線を動かした。しかし、彼の目が彼女の姿を捉えることはなかった。ただ、彼女の足元に転がっている破片を一瞥しただけで、すぐに興味を失ったかのように前を向いた。
少年は、終始無言のままだった。名乗ることも、助けた恩を売ることも、彼女の容態を気遣うことすらしない。彼はただ、崩落した壁の向こうに広がる、夜の闇へと向かって歩き出した。その足取りはどこまでも静かで、しかし確固たる意志に満ちていた。
アスファルトを踏み締める規則正しい足音が、徐々に遠ざかっていく。やがて、少年の全身を包む黒い制服は、東京の深い夜の闇へと完全に溶け込み、見えなくなった。
少年の姿が完全に消え去ってから数分後。
「神楽様っ……! 何処にいらっしゃいますか、神楽様――っ!」
崩落したビルの入口から、複数の緊迫した足音と声が響き渡った。駆けつけてきたのは、阿御門家の精鋭である若手陰陽師たちだ。彼らは周囲の霊気の異変を察知し、急ぎ救援へと向かったものの、すでに戦闘は終わりを迎えた後だった。
「っ!こっちです!!こちらに……! 神楽様が倒れています!」
仲間の一人が声を上げ、血塗れでうずくまる彼女の元へ駆け寄る。その場にいた他の者たちも次々と合流し、負傷した彼女を慎重に担架へと移して応急処置を開始した。
「一体、ここで何があった……? 上級怪異の気配が、完全に木端微塵に消滅している……」
「馬鹿な。これほどの規模の破壊を、たった一人の術で……。結界の残骸を見る限り、式神や通常の陰陽術の痕跡じゃない。まるで、空間そのものをえぐり取ったような……」
仲間たちは現場の凄まじい有様に息を呑み、血痕や霊力の残留を丹念に調べて現場検証を進めていく。やがて彼らは、収集した証拠と報告書をまとめて、管轄である「陰陽庁」へと速やかに連絡を入れた。
数日後。陰陽庁の本庁において、緊急の対策会議が開かれた。
そこで明かされたのは、神楽たちを驚愕させる事実だった。
「――報告によれば、ここ最近、都内各地で突如として強力な怪異が出現し、そして何の前触れもなく『綺麗に消滅させられている』事件が相次いでいる」
「消滅、だと? 祓われたのではなく……痕跡すら残さず消されたというのか?」
「そうだ。目撃証言によれば、現場にはいつも、不気味な黒い詰襟の制服を着た見慣れぬ少年の姿があったという。だが、庁がどれだけ捜索網を広げても、彼の身元や所属は一切割り出せない。まるで、神出鬼没の幽霊のように、怪異を狩っては忽然と姿を消しているのだ」
陰陽庁の幹部たちが険しい表情で議論を交わす中、その報告を聞いた神楽の脳裏に、あの夜の黒い少年の姿が鮮明に蘇った。
(あの少年が……全国各地で怪異を消して回っている……?)
陰陽道の理を外れ、純粋な「暴力と霊力じゃない力」だけで怪異を蹂虽する異端の存在。自分が見上げるほどの圧倒的な力を持ちながら、名乗ることもなく闇へと消えていった謎の少年。
胸の奥で、言い知れない感情が渦を巻く。あの圧倒的な力の正体は何なのか。そして、なぜ彼は誰にも告げず、影のように怪異を狩り続けているのか。
残された彼女は、自分の震える右手を見つめながら、悔しそうに、しかし力強く唇を噛み締めた。胸の中に去来していたのは、死の危機を脱した安堵感などではない。
あの少年という、この世界の理から完全に逸脱した「異物」に対する、言い知れぬ執着と、激しく燃え上がるような対抗心だった。
「術式もなしに……あんな、化け物みたいな力を使って……何なのよ、一体……」
彼女は病室のベッドから窓の外の夜空を見上げ、静かに、そして誰にも譲らない強い眼差しで誓った。
「必ず……必ず、阿御門家の名に懸けて……あなたを見つけてあげるわ。この私が、その正体を暴いてみせる……!」
静寂に包まれた部屋の中で、少女の誇り高い決意だけが、確かな熱を帯びて燃え上がっていた。
これが、後に「呪術師」と呼ばれることになる少年と、陰陽師の世界が出会った、最初の1ページだった。