主人公「おっしゃ!!呪霊(※違います)いて、呪力がある世界に転生!!これは呪術廻s…えっ?術式なし…えっ…?」 作:術式の無いサル
人間の魂というものが、どれほどの質量を持っているのかは知らない。ただ、俺の魂には、前世という明確な異物が混入していた───
前世の俺は、日本のどこにでもいる平凡な男子高校生だった。これといった特技もなく、学業も運動も中産階級の平均値。唯一のアイデンティティと言えば、毎週発売される少年ジャンプを貪り読み、特に『呪術廻戦』という作品の、あのダークで、かつ冷徹にシステム化された能力バトルの世界観に狂うほど没頭していたことくらいだった。
そんな男の人生の幕引きは、あまりにも唐突で、手垢のついたものだった。
迫り来るトラック。鈍い衝撃。視界を染める赤。そして、絶対的な暗転――。
普通の物語なら、ここで女神様が現れてチート能力でも授けてくれるのだろう。だが、俺が次に目を覚ました時、待っていたのは五感を強烈に刺激する生々しい産声と、見知らぬ夫婦の涙ながらの笑顔だった。
いわゆる、交通事故による異世界転生。それが俺の第二の人生の始まりだった。
転生した先の世界は、俺がかつて生きていた現代日本と酷似していた。スマートフォンの画面を流れるニュース、行き交う自動車の排気音、学校の退屈なチャイム。何もかもが同じに見えた。
変化の予兆は、小学校に上がる少し前のことだった。
ある日、仕事から帰ってきた母親が「最近、どうにも体が重くて疲労感が抜けないのよ」とリビングのソファでこぼしていた。心配になってふと母親の肩を凝視してみると、そこには黒ずんだ粘土を捏ねたような、醜悪な
(……なんだ、あれは)
後に分かった事だが母の肩に取り憑いていた物。それは怪異という呪霊もといバケモノと言われるものだった。
俺には
反射的に、母親の肩に取り憑くそいつを追い払おうと、俺は素手で思い切り手を振って叩きつけた。
バシッ、と乾いた音が響いた瞬間、小鬼はまるで乾いた砂の城のようにサラサラと崩れ去り、黒い煙となって消えていった。
「ん? どうしたの
(見えたぞ……しかも、俺のこの手で触れて、消し去ることができた)
その事をきっかけに、自分には常人にはない「何か」が見え、干渉できる力があると気づいた俺は、自らの身体の内部を深く探るようになった。試行錯誤の果てに行き着いたのは、胸の奥でドロドロと渦巻く感情のエネルギー――あの漫画で見た、人間の負の感情から生まれるエネルギーそのものである
その時の高揚感といったらなかった。もしかしたら、この世界は一見普通の現代に見えて、裏では
影から
子供特有の誇大妄想も手伝って、俺は毎夜、布団の中で自分の脳の構造を、精神の深淵を、貪るように探索し続けた。
しかし、現実はどこまでも冷酷だった。
数ヶ月に及ぶ泥臭い試行錯誤の果て。俺は己の魂の構造に刻まれた、決定的な「空白」に直面し、奈落の底へ突き落とされることになる。
(……ない。どこをどう探しても、術式を発動するための『回路』が、存在しない……)
人間の脳の右側、本来なら生まれながらにして固有の能力が刻まれているはずの領域が、俺の頭の中では完全にただの白紙だった。
俺にあるのは、ただ蛇口から垂れ流される水のように、明確な指向性を持たない剥き出しの呪力だけ。本家でいうならば、術式を持たないまま呪力コントロールだけで一級に上り詰めた
身も蓋もない言い方をするならば、俺は「術式なし・呪力あり」という、一番中途半端な落ちこぼれだったのだ。
数日間は本気で落ち込んだ。学校の給食の味もしなかった。なぜ、わざわざ転生なんてファンタジーな現象を経ておきながら、自分は物語の主人公のような特別な力を与えられなかったのか。世界を呪い、自分の運命のケチさを呪った。
だが、皮肉なことに、その「世界への呪い」そのものが、俺の体内の呪力をさらに濃密に練り上げる燃料となった。
(……術式がないからって、それがどうしたってんだよ)
ある夜、俺はベランダから見上げる濁った夜空に向かって、静かに毒を吐いた。前世の記憶を持つ俺の魂は、ただ絶望して腐るほどヤワじゃなかった。
術式がないなら、固有の魔法が出せないなら、話は単純だ。体内にあるこのエネルギーの出力を、密度を、コントロールの精度を、人間の限界を超えて極限まで高めてやればいい。術式という便利な道具に頼らず、ただの|呪力を込めた純粋な物理攻撃|だけで、あらゆる理不尽を叩き潰せるだけのバケモノになってやる。
その日から、俺の本当の地獄のような修行が始まった。
負の感情をただ垂れ流すのではなく、胸の奥の
同級生たちがゲームや漫画に興じている間、俺は一人、己の肉体という名の泥を、大岩をも砕く鋼鉄へと変えるために捏ね続けていた。
運命の歯車が狂ったように回り出したのは、俺が小学六年生の夏休みのことだった。
昼下がりの児童館。クラスの主犯格である調子者の男子を中心に、何人かのグループが楽しげに騒いでいた。
「おい、今夜、学校で
その声を聞いた瞬間、俺は「またガキっぽいことを……」と心の中で一蹴し、本でも借りてさっさと帰ろうと
だが、その場を離れようとした俺の背中に、遠慮がちな声がかけられた。
「あの……
振り返ると、そこに立っていたのはクラスメイトの女子の一人、
(えぇ…めんどいな……)
心の底からそう思った。こんな低俗なイベントに付き合っている暇なんてない。しかし、涙ぐましいほど怯えた目で
(まったく……今回だけだぞ)
俺はわざと大きくため息をつき、ぶっきらぼうに「……気が向いたらな」と返事をした。それが、彼女たちにとっては「参加する」という同意に聞こえたらしく、「やった! ありがとう、悠くん!」とパッと顔を輝かせてしまった。
こうして、断るに断れなくなった俺は、なくなくその肝試しに参加することになってしまったのだ。それが、生涯最大の過ちになるとも知らずに。
午前零時。
カブトムシの死骸が転がる薄暗い正門を潜り抜け、俺たちは不法侵入の緊張感に胸を躍らせながら、夜の校舎へと忍び込んだ。参加したのは、俺を含めて男子三人、女子二人の計五人。懐中電灯の細い光だけが、昼間は見慣れたはずの木造の床や、習字の作品が貼られた廊下を、まるでお化け屋敷ようにおぞましく照らし出していた。
最初は、誰かがわざと大きな音を立てて悲鳴を上げるような、他愛のない遊びだった。
しかし、だだっ広い体育館へと続く渡り廊下に差し掛かったその瞬間、俺の全身の毛穴という毛穴が、一斉に逆立った。
(……待て。何だ、この感覚は)
空気が、一瞬にして凍りついたかのように重くなった。前世の記憶にある母親の肩にいた雑魚とは比べ物にならない、もっと生々しく、ねっとりとした、血と泥の匂いが混ざり合ったような
それは、この世界において「怪異」と呼ばれる、人間の怨念や土地の
「ねえ……なんか、急に寒くない?」
誘ってきた佐伯が、自分の腕を抱えながらガタガタと震え出した。
「気のせいだよ、早く体育館行こうぜ……」
提案した男子の声も、明らかに引きつっている。
引き返せ、と叫ぼうとした俺の言葉より早く、巨大な体育館の扉の隙間から、「それ」が音もなく這い出てきた。
それは、人間の子供ほどの大きさをした、
いや、球体に見えたのは、無数の人間の顔面が、隙間なく敷き詰められて丸く固まっていたからだ。顔面たちは一様に、苦痛と恐怖に満ちた表情でひび割れており、その隙間から、ドロドロとした黒い液体が絶え間なく溢れ出している。
球体の下部からは、
『アソボ……アソボ……ウシロノ、ショウメン、ダアレ……』
顔面たちが、一斉に異なる声調で呟き始める。その不協和音を聞いた瞬間、俺以外の四人は、脳を直接殴られたかのようにその場にへたり込んだ。
「ひっ、あ、あああ……!」
「化け物、化け物が出たぁぁぁ!!」
恐怖の飽和。小学生の精神など、本物の怪異の前に放り出されれば一瞬で崩壊する。怪異のひび割れた目が、獲物を見つけた歓喜に歪み、その球体から触手のような鋭い指が突き出された。狙いは、震えながら一番近くで腰を抜かしている佐伯だ。
(くそっ……!)
俺は悪態をつきながらも、迷う暇すらなかった。
「お前ら、走れ!!! 前を見るな、とにかく正門まで全力で逃げろ!!!」
俺は狂ったように叫びながら、その女子の
そして何より、あのとき誘いを断り切れずについてきてしまった責任が、俺の胸の奥でチリチリと痛んでいた。
「こっちだ、この出来損ないのダルマがッ!!」
俺は怪異の正面に立ち塞がり、あえてクラスメイトたちとは逆の方向――天井の高い、だだっ広い体育館のフロア中央へと飛び込んだ。
怪異の無数の顔が、一斉に俺の動きを追う。
『ソッチ……ソッチニ、イッタ……』
ギチギチギチギチッ!!!
凄まじい速度で、怪異の脚が床を鳴らす。奴は俺を明確な敵、あるいは格好の餌と認識し、クラスメイトたちを無視して俺の背後へと追ってきていた。
背後から迫る、死そのものの足音。俺は体育館のフロアの中心でピタリと足を止め、身を
月光が広大なアリーナの窓ガラスから差し込み、コートの白線を青白く照らし出している。その中央に、無数の顔を持つ怪異が、侵入者を阻むように立ち塞ガった。
「はぁ……、はぁ……」
心臓が、
「ギギッ、ギシャアアアアッ!」
怪異の球体から、
(速い――ッ!)
視界の端でドス黒い閃光が走る。まともに目で追うことすら不可能な初撃。俺は反射的に全身の呪力を足裏と腕に爆発的に集中させ、その場から後方へ跳躍した。
ズズッ、ドォン!!
俺が先ほどまで立っていたバスケットコートの床が、まるで紙細工のように粉砕され、三本の触手が深々と突き刺さった。木片とコンクリートの破片が周囲に激しく飛び散った。
(防戦一方じゃ、すぐにすり潰される……!)
着地と同時に地面を蹴り、俺はあえて正面から肉薄した。術式のない俺に遠距離の攻撃手段はない。懐に潜り込み、この拳で直接叩き潰す以外に勝機はないのだ。
最初は冷静に相手の出方を見極め、鋭いステップで怪異の懐へ潜り込みながら、呪力を纏わせた手刀や連続の蹴撃を次々と叩き込んでいく。一歩も引かず、むしろ圧倒するかのような猛攻に、怪異の無数の顔面が苦悶の表情を歪ませ、最初のうちは完全にこちらがペースを握っていた。
(いける……! 俺の身体強化と呪力の出力なら、このまま押し切れる……!)
だが、その油断が命取りだった。
調子に乗って踏み込んだ一瞬の隙。怪異が無数の顔のうち背面のものを瞬時に正面へと回転させ、予測不可能な軌道で放った不意打ちの鞭打――それが、俺の脇腹を文字通り抉り取るように直撃した。
「がはっ……!?」
体内の空気が一気に押し出され、俺の小さな身体は砲丸のように吹き飛んで、バスケットゴールの支柱に激しく叩きつけられた。激痛が脳髄を焼き、視界がぐにゃりと歪む。
(くそっ……調子に乗りやがって……っ!)
一気に形勢が逆転し、悪戦苦闘の泥沼へと引きずり込まれる。怪異は容赦なく、トドメとばかりに巨大な触手を振りかぶり、俺めがけて叩き潰そうと迫ってきた。避ける余裕すらない。
反射的に、俺はありったけの呪力を右拳の芯へと捻り込み、迫り来る触手へ向けてカウンターの拳を突き出した。
ゴンッ!!!
激しい衝突音と共に、拳と触手が交差したその瞬間――バチバチッと、|微小な黒い火花|が空間に散った。
「っ……!?」
その小さな火花が起きた直後、俺の全身に電流が走ったかのような、僅かながらの高揚感が駆け巡った。それは、自分の力の根底、魂の最も深い部分にある「核」に触れたような、奇妙で確信的な感覚。
怪異はそのカウンターの余波と小さな火花にたじろぎ、動きを一瞬だけ硬直させた。
(いまのは……一体……?)
痛む脇腹を押さえながらも、俺の瞳の奥で、異様な闘志の炎が静かに、しかし激しく燃え上がり始めた。