夏油inまどマギ世界 作:使い魔
私は──時折、夢を見る。
それは、片腕を失うほどの大怪我を負った自分がどこかを走っている光景だ。
徹頭徹尾の一人称視点だというのに、これが私自身の視界だと直感できるのは、夢という曖昧な境界のせいだろうか? 今よりわずかに高い目線からして、ずいぶんと大人になっているようだ。
だとしても、それはまるでVRで映画でも見ているかのような現実味のなさ。そして他人事のような感覚のもと、私はこのまどろみの中に揺蕩っている。
満身創痍の自分はやがて、体力が尽きたのか路地裏の壁にもたれてしまった。
ここからの流れも、いつもと同じだ。
……ああ、ちょうど靴音が聞こえてきた。
このあと、私の言葉はいつも決まっている──
「遅かったじゃないか、悟」
何物も見通すかのような碧い眼が、私を見下ろしている。
そこにあるのは憐れみでも怒りでもない。表情からは何も読み取れないが、その瞳はどこか寂しそうな色を滲ませているように見えた。
そのあと、どこか緊張感のない会話が続く。
会話の内容も、私たちが何者なのかも、私にはさっぱり何も分からない。
しかし、それでも──これだけは分かる。
「
「────―」
私は心底呆れたあとで、思わず笑みを零していた。
「最期くらい、呪いの言葉を吐けよ」
*
「……やれやれ、またこの夢か」
言いようのない気怠さを抱えながら、夏油傑はベッドから上半身を起こした。
この夢を見た時は決まって目覚めが悪い。
「最近は見なかったんだけどな……何かの兆候とか? いや、まさかね」
だたひとつ、分かることといえば──
「おっと、そろそろ支度をしないと学校に間に合わないな。仕方ない、
そうつぶやいた夏油の言葉に呼応するように、彼の周囲に黒い渦が巻き──そこから、ピンク色のエイのような見た目をした生き物が現れる。
遅刻を心配しながらも、夏油は特に急ぐこともなく、顔を洗うなどの支度を悠々と行い朝ごはんまで自分で作り食べ終えるまでをやってのける。
そうしてあとは玄関から出て学校に行くだけ──という段階で、夏油は鞄を持ち、マンションの窓を開け放ち、靴を履いてベランダに出た。
夏油の部屋は、マンションの10階にある。
透き通るような朝の陽ざし、ひんやりとした朝の空気が、開け放たれた窓からリビングへと流れ込んでくる。
先ほどからぷかぷかと空中に浮かんでいた、ピンク色の平べったいエイのような生き物が、その先に回り込む。それを見てから、夏油は身軽な身のこなしでベランダの枠に手をかけると、ひらりとその先へ飛び出した。
次の瞬間、ふわりと柔らかな質感が靴裏ににじむ。
まるで底の見えない深い海に浮かぶソファのように、その先に待機していたエイのような生き物は、180センチ以上もある夏油の体重を難なく受け止めた。
「よし、行こうか」
ピンク色の背に胡坐で座り込んだ夏油がその背をポンと軽く叩くと、エイのような生き物は待ち構えていたかのように動き出した。
そうして、地上を歩く人間たちを見下ろす高みから──風を切り裂くように、軽やかな空の通学路に滑り出していく。
(ああ、そういえば。今日は朝に英単語テストがあるんだっけ。──まあ10分もあれば充分かな。特段難しい章でもないし)
眼下に広がる街並みをのんびりと眺めながら、夏油は緩慢に学生鞄から英単語の手帳を取り出した。
夏油傑は、
このエイのような生き物に限らず、夏油が従えている生き物は彼の中に数多く存在する。
弱いものから、強いものまで──既存の生き物や伝説の生き物に似た形状のものもあれば、人型のものもいたり、中には形容しがたい醜悪な見た目もいる。
なぜ従えているのか、彼らが従っているのかは分からないが、夏油はやはり
だが、確証はない。なぜなら、夢の内容は毎回同じのため、夢の中の自分が能力を駆使しているだとか、自分の素性が分かるような他の光景だとかを見ることがないからだ。
そのため、夢の中の自分は何者なのかを全く知らない。
この能力に関しても、力に目覚めたタイミングからの憶測にすぎない。
だが、夏油のこの力は……神秘的な力というには、従えている生き物たちは、どこか歪みに満ちた禍々しい力を備えている。
奇跡にも魔法にも思えない。
それはまるで──
だから夏油はこの生き物たちを、ある意味敬意をこめて──
誰かに目撃されないよう注意を払いつつ、学校の近くの公園に降下する。
そうして何事もなかったかのように、ちらほらと登校中の生徒に混じるようにして、通学路へ合流していった。
「あれ、夏油先輩じゃん」
通学路に混じったところで、夏油は後ろから声をかけられた。
振り返ると、淡い水色のショートの少女と、ピンク色の髪を左右に赤いリボンで結った少女が連れ立って歩いている。
「美樹さんに鹿目さんじゃないか。おはよう」
「あっ! おはようございます、夏油先輩」
「先輩って家こっちでしたっけ? なんかこんなとこで会うの珍しいよね」
「ああ、今日はいつもと違うとこから登校しようかなって思ってね。気分転換だよ」
美樹さやか、鹿目まどか。
彼女たちは、市立見滝原中学校の二年生である。
夏油は、その中学校の近くにある市立見滝原
この二校は中高一貫校でもないため、本来ならば中学生である彼女たちと夏油は、なんのかかわりもないはずだが──
「夏油先輩、こっちの暮らしにはもう慣れた? さっきも公園から出てきたから、また前みたいに迷子になってるのかと思ったよ」
「さ、さやかちゃん、失礼だよお」
遠慮なく顔を覗き込み
二人の少女に、夏油はクスリとほほ笑んだ。
「迷子になっていたのは事実だからね。でも、あの時は本当に助かったよ」
実は、夏油は1ヵ月前に東京からこの見滝原に引っ越してきたばかりだった。
暇を持て余して町を散策している合間に道に迷ってしまい、運悪くスマートフォンの充電も切れてしまい──というところで、この二人が声をかけてきたのだ。
「でもまさか今時、「困っているように見えたから」って声をかけられるとは思わなかったけど」
「でも、真っ黒な学ランに変な前髪してたから絶対に不良だっーて、あたしは止めたんだけどね。まあ実際本当にただの迷子だったみたいだけど」
「そ、そうかなあ……。私は本当にただ、困ってるように見えたから……」
「前髪の件はともかく、二人とも親切であることには違いないさ。まあ……助けられた私がとやかく言えることではないけれど、美樹さんの言う通り、相手が本当に悪人の可能性だってある。悪い事態に巻き込まれることだけは気を付けてくれ」
「えー、なんか父親みたいな小言~」
「もう、さやかちゃん……夏油先輩は私たちのことを心配してくれてるんだよ?」
「一番心配なのは君なんだけどね、鹿目さん」
「それは右に同意。だって昨日も──」
「あ、ちょ! ちょっとさやかちゃん……! それは……!!」
そのまま何か続けようとしたさやかを、まどかがいつもより大慌てで──それこそ身振り手振りで制する。
「あ、そうだったそうだった。昨日のことは流石に秘密にしなくちゃだよね」
「おや、それは気になるね。また鹿目さんが人助けで知らない人に話しかけたのかい?」
「アハハ、実はマジでそんなとこ」
「もお、さやかちゃんっ……!」
何か含むようなやり取りに少しだけ興味を惹かれたが、少女たちの秘めごとに踏み込むのは無粋というものだ。
夏油はそれ以上追求せず、他愛のない笑い話を交わしながら、やがて彼女たちと別れた。
友人と言えるほど親しいわけではない。
だが、彼女たちが内包する真っ直ぐな優しさに触れていると、年齢や性別の壁など自然と気にならなくなるどこか心地よい距離感があった。
だからこそ──
(世の中、あの子たちみたいな善人ばかりであればいいんだけどね……)
ふと、胸の底から澱のように寂寥感が浮かび上がる。
その冷たい思考の理由をあえて探ろうともせず、夏油は朝の喧騒の中、静かに高校へと歩みを進めていった。
夏油は、呪霊と呼ぶ謎の生き物を操るこの力に目覚めてから──分かったことがある。
(……おや)
放課後、徒歩で帰り道を歩いていた夏油はふと──
夏油は一瞬立ち止まったが、やがて、その気配を追うように早歩きで進み始める。
気配を追っていくうちに、栄えた街の中心部から外れ、いつしか人影も途絶えた。そこは工場と廃ビルが並ぶ寂れた通りで、普段は誰も近寄らないような場所だ。
「!」
ビルの軒先に倒れ伏す人影を見つけ、夏油は迷わず駆け寄った。
(よかった、生きている。にしても
OLらしき女性の首元に浮かび上がっている、蝶のマークを模ったような不思議な痣。そこからは、夏油が持つ力と似て非なる異質な力を帯びている。
この印がある人間がこんなところで倒れているということは──そう考えながら目の前の廃ビルに入り込むと、「やっぱりか」と夏油は息を吐いた
「こんなところに
つぎはぎのアートや絵画をコラージュしたような、蝶の羽のようなデザインの紋章が刻まれた扉。そこから感じる異質な力の密度は、先ほど見た痣の比ではない。
(結界の大きさを見るに、発生してから随分経っている。あの女性のような被害者も、随分出ているだろうな……。気づけなかったのは悔やまれるが、初期段階で見つけたとしても
夏油はドアノブに手をかけ、躊躇うことなくそれを押し開いた。
次の瞬間、世界のパースが音もなく狂った。
一歩を踏み出した足の裏で、床の硬質な感触がふわりと消え失せる。
コンクリートの冷たい空間が溶け、目の前に広がったのは──空間の質量保存則も、三次元の遠近法すらもあざ笑うようにねじ曲がった──絵の具をぶちまけ滅茶苦茶に画像をコラージュしたような不思議な迷宮だった。
「……化け物によって個性は違っても、相変わらず趣味の悪い空間だ」
芸術的とも悍ましいともいえる独特な色合いとデザインの薔薇園に、夏油は隠すことなく不快な表情で吐き捨てた。
靴裏はしっかりと何かしらの床を踏んでいるはずなのに、まるで底の見えない抽象絵画のなかに沈み込んでいくような、奇妙な浮遊感が気持ち悪い。
『──』
「おっと」
髭が生えた蝶のような小さな化け物が数体、物陰から飛び出してきた。それを難なく躱し、夏油はまるでサッカーでもするかのような軽やかさで蹴り飛ばした。
壁にぶつかった小さな化け物は、霞のようにぼやけ、やがて消滅した。
そう。夏油がこの力に目覚めてからというもの──あらゆる場所に発生する、この
この結界を見つけるのも迷い込むのも、もう一回や二回では済まない。
異界では、頭が痛くなるほど芸術的にコラージュされた独特の世界観が広がっているのが共通している。また、呪霊に似て非なる化け物とそれに付き従うしもべたちが潜んでいた。
しもべたちは主を守るかのように、こうして侵入者を襲ってくる。
一般人であれば成す術もなく殺されているだろうが、
それだけではない。一見すると普通の蹴りだけで夏油が化け物を退けたようにみえるが、実は呪霊を行使している夏油自身にも
それを自身に纏わせることで身体能力の底上げもできるため、いちいち呪霊を行使せずともこうして体術だけで化け物たちを圧倒できたのだ。
夏油は格闘技の経験はないのだが、まるで身体が覚えているかのように動けることは不思議だった。やはりこれも
(……? 誰かいるのか)
行く手を阻むように襲い掛かってくる雑魚を次々と打破しながら結界の奥へ進んでいくと、
それは、この結界を作り出した主の潜む本丸に続く扉の向こうから聞こえてくるようだ。そっと扉を開けて様子を伺うと、見覚えのありすぎる髪色が見えた。
(あれは……美樹さんに鹿目さん……。ここに迷い込んだのか? いや、それよりも──)
夏油は空を見上げた。
理不尽な色彩と薔薇色の悪意が渦巻く異様な空間の中で、どこか洗練されたファンタジーの絵本から抜け出してきたかのような華やかさを纏った、金髪の巻き髪の少女。
その手には、収まりきらない天井知らずの大きさと輝きを放つ巨大な銃身を構えている。
「ティロ・フィナーレ!」
鈴を転がすような、どこか凛とした声のあとで──眩い黄金色の砲撃が迷宮の空間を切り裂くように轟音を上げて放たれた。
それは結界の主である薔薇園の化け物たちを一網打尽にし、空間そのものを抉り取るような凄まじい威力と煌めきを散らしてみせた。
(すごいね、一撃か。……残念だけど、今回は
ふいに──凄まじい銃撃で頭を打ちぬかれたはずの薔薇園の主が、最期の力を振り絞るようにしてその巨体を大きく暴れさせた。
それは攻撃にもならない、まるで動物が死ぬ間際ギリギリに起こす苦痛と絶望にのたうちまわるかのような仕草にも見えたが。
どちらにしても、その巨体が大きく身をふるうだけでも十分な脅威になる。
「うわっ!」
「キャア!!」
崩れゆく天井からは瓦礫のように不気味な色彩の装飾が降り注ぎ、暴れる巨体が巻き起こす衝撃波は、空間そのものをさらにぐにゃりと歪ませる。
その余波が、さやかとまどかの足元を揺るがせた。衝撃に耐えきれず、二人がバランスを崩して地面へと大きく押し倒される。
(……こっそり立ち去る予定だったけど、仕方ない)
夏油の背後から、空間を抉るようにして漆黒の渦が巻き起こる。
極彩色の瓦礫の雨が、まさにまどかとさやかの二人を押し潰そうと真上から振り注いだ時──少女たちの視界の端で、黒い影が風を切った。
「間一髪だね」
どこか余裕を含んだ涼やかな声に、二人が目を丸くした。
「え……夏油先輩……!?」
「えっ!? な、なんで先輩がここに……!?」
移動用でもあるエイのような呪霊は、速さだけ見ても十分な利便性を誇る。
呪霊に乗った夏油はさやかとまどかの前に滑り込み、二人を抱えたまま安全な場所へと着地した。
金髪の巻き髪の少女も、遠巻きに驚いている様子だ。
直後、足元から世界が溶け出すように景色が反転し、徐々に現実世界の冷たいコンクリートの感触へと上書きされていく。
いつの間にか、夏油たちは廃ビルの中にいた。結界の主を倒したため、元の世界に戻ったのだと夏油はすぐに理解した。
夕暮れ時の橙色の光が、すっかり影の長くなったアスファルトを照らし出している。
廃ビルの薄暗い床に足をつきながら、まどかとさやかは文字通り目を白黒させて夏油を見た。
「げ、夏油先輩……どうしてあの魔女の結界の中に……?」
「ていうか、ちょっと待ってよ。今のって……さっき足元にいたピンクの生き物って、魔女とか使い魔とは、違うよね? もしかして、夏油先輩がやったの?」
言い表す言葉がないのか語調を濁しつつ、夏油の傍に浮かんでいる呪霊をチラチラと窺う。
そうして今しがた二人を救ったエイのような呪霊は、夏油の背後に渦巻く闇の中へと溶けるように消えていった。
「結界に誰かが入り込んだ気配は分かってはいたけれど……」
金髪の巻き髪の少女が近づいてきて、少しの警戒と困惑を滲ませて夏油を見つめる。
彼女は光の粒子に包まれたかと思うと、あの煌びやかな衣装から一転して見滝原中学校の制服に変化していた。
少女たちの反応を見ながら、夏油は「まあ、こうなるか」と内心で静かに息をついた。
そうして、視線を少しだけ動かす。
なんでもないような古びたコンクリートの柱の陰。そこに潜む
まどかとさやかの危機に際して何か揺らぎのようなものを感じたのだが、夏油が助けに入った途端その力の揺らぎは止まったので、恐らく彼女たちを助けようとしたのだろうとは思うが──だが、あえてそれを指摘し、存在を仄めかすような野暮な真似もしない。
夏油は柔らかな笑みを崩さぬまま、驚愕に染まるまどかとさやか、そして金髪の少女へと視線を向けた。
「驚かせてすまない。危うく君たちが下敷きになりそうだったから、つい体が動いてしまって」
落ち着いた声音でそう告げ、夏油は困ったように笑った。
「――いましがた出現した生物は、魔女や使い魔とは違うね。正真正銘、君の力によるものだろう?」
まどかの腕の中に隠れるようにしていた白い犬のような生き物がひょっこりと顔を出し、
「驚いた、あの力は魔法少女に似て非なるものだ。だからこそ僕の観測範囲でも、今まで僕が気づけなかったのも頷ける。でも、どうやら視線からして僕のことは見えているんだろう? とても興味深いね」
「きゅ、キュゥべえ……!」
「えッ! てことは夏油先輩も魔法少女なの……!? あ、でも魔法少女とは違う力……? いやでも、キュゥべえが見えてるってことは、適性あるってことで……あ~頭こんがらがってきた」
再度まどかとさやかが混乱している。
「……『魔法少女』、か」
夏油はその白い生き物を冷めた目で眺めつつ、その生物が放った単語を反芻した。
「……どうやら、お互いに隠し事や、共有しなきゃいけない事情がたくさんありそうだね。君たちにとって私の力が未知なように、私にとっても、今までの光景やあの不思議な力は、まさしく未知の領域なんだ。……よかったら、これからの話を聞かせてくれないかい? もちろん、私からも──私の知っている範囲のことについて、話せるだけのことは何でも話すつもりさ」
そうして穏やかな、しかしどこか抗い難い説得力を持った笑みを浮かべてみせたのだった。