夏油inまどマギ世界 作:使い魔
「ごめんなさい、ろくにおもてなしの準備もないんだけど……」
見滝原市にあるマンションの一室。
カチャ、と湯気の立った白いティーカップが夏油の前に差し出される。
「いや、寧ろ急に押しかけたのはこちらなのに、こうして迎え入れてくれたことに感謝しているくらいだよ。……ええと、巴さん、だよね? ありがとう」
あれから場所を移すことになり、見滝原中学三年生である巴マミが一人で暮らしているというマンションに、夏油たちはお邪魔することになった。
どこか大人びていて、それでいて年相応の可愛らしさが趣味の端々に現れた家具やレイアウトは、いかにも一人暮らしの部屋らしい。だが、本来は大人の庇護下にあるべき中学生という身分を思い返すと、言いようのない違和感と切なさをまとって映る。
女性の部屋をじろじろ見分するのもね、と思い直した夏油は「それじゃあ、冷めないうちにいただこうか」とティーカップを一口飲んだ。
「うん。香りも味も、とても良いね。まるで専門店のプロが淹れたみたいだ」
そうしてニコリと人好きのする笑みを浮かべた夏油に、隣に座ってケーキをつついていたさやかが「出た出た」と笑う。
「夏油先輩ってこういう言動で何度も女の子オトしてきたらしいから、気を付けてねマミさん」
「……美樹さん、いったい君は私のことをなんだと思ってるんだい?」
「だってこの前、女の人の重い荷物持ってあげてる夏油先輩の親切シーンを見かけたと思ったら、なーんかナンパしてるみたいなキザな台詞言ってたりしてたんだもん」
「ただ親切にしていただけなんだけどな……」
「意識してないのが余計にタチ悪いって! あの女の人も完全に夏油先輩に惚の字だったしさあ、いつか背中刺されるねーあれは。ね、まどか」
「え、えっと……でも、優しいのはいいことだと思うよ?」
「刺されることをまず否定してほしいな、鹿目さん」
「フフ、仲が良いのね」
三人の会話を見ていた巴マミは、少し緊張を解いたようにほっと安堵の笑みを浮かべた。
場の緊張感がほどけたのを見計らい、夏油はカップをソーサーに戻す。
「それで……もしよければさっきの出来事や、
「……そうね。あなたの力は置いておいても、キュウべえのことが見えている以上、無関係とも思えないわ」
巴マミは、魔法少女の存在、それに伴うキュウべえとの契約や願い事、そして敵対する魔女や結界についてを粗方説明した。
超常的な能力や存在に関しては、夏油も似た力を持っている以上特段驚く点はない。
しかしそれよりも──
「……どんな願いも叶う……? それは本当なのかい?」
「ええ。その代わり、危険と隣り合わせの生活にはなってしまうけれど」
「……例えば、それは世界一の金持ちになるだとか、争いのない世界を望むだとか、そういった荒唐無稽な願いだとしても?」
「基本的には可能だよ」
代わりに答えたのは、猫のように前足をペロペロとなめている
「もちろん、その奇跡の大きさに見合った
「……つまり、叶えられる願いの質は、契約者の才能に比例すると」
「そうなるね。でも魔法少女の素質を持つ子たちは、みんな途方もない素質を持った子ばかりだ。だからどんな願いでも叶うと言っても差し支えないよ」
夏油は言葉にしなかったものの、なんとなくこの生き物に胡散臭さを感じていた。
たとえばコンビニでおにぎりを買う時に数百円の金銭が必要なように、何事にも、代償あるいは対価が発生する。
「どんな願いでも叶う」という眉唾な事象の対価が、果たして「敵である魔女と戦うこと」だけで済むのだろうか。
(……世界一の金持ちになる願いも、争いのない世界を望む願いも。それが叶えられた瞬間に発生する矛盾や帳尻を、誰がどこでどう合わせるんだ?)
気がかりなのは、このキュウべえという生き物が、魔法少女になることを『契約』と呼び、徹底していることだ。
一見愛くるしい仕草や可愛らしい声で隠れているが、言動自体はどこか堅く無機質だ。言葉選びも、どうにも商取引や労働契約じみた影がちらつく。
とはいえ、現実は日曜日の朝にやっているようなキラキラとしたアニメの世界とは違う。だからこそ、『魔法少女』という柔いワードとは裏腹に、命懸けの戦いの日々であることを伝えているのかもしれないが……。
「……ソウルジェム、といったかな。契約した際に得られる魔法少女の源であり魔力の結晶。その魔力の消耗を助けるのが、魔女を倒した際に得られるグリーフシードだと」
「ええ。私の場合はいつも指輪に変化させているのだけれど、実物はこんな感じね」
マミのはめている指輪が光り輝いて解け、そうして彼女の手のひらに卵型の宝石が形作られた。
橙色の宝珠に、アンティークのような特徴的な飾り。
これだけ見ると単なる綺麗な宝石にしか見えないが、夏油はそのソウルジェムなるものから途方もない力──魔力なるものを感じ取ることができた。
「……少し濁っているね」
「ええ。魔法を使うたびに、魔力を消耗するのよ。でも、こうして……」
マミが取り出した黒い珠、独特な意匠が施されたそれとソウルジェムを近づけると、橙色の宝石に浮かんでいた黒い濁りがそちらに移されていく。
「この魔女が落とすグリーフシードを使えば、ソウルジェムを浄化できるの。これで魔力の回復もできるってわけ」
ただ、グリーフシードは消耗品であるらしく、浄化できる限界に達した場合はキュウべえが回収するらしい。
一連の話を聞き終えた夏油は、顎に手を添えて、考え込むような仕草を見せた。
「……もしこのソウルジェムが濁りきった場合は? 浄化が間に合わなくなった場合はどうなるんだい? これが魔法少女の源なのだとすれば、魔法が使えなくなるだけで終わるとも思えないけれど」
「ええっと、それは……」
「穢れのたまったソウルジェムでは、最大限の力を発揮できなくなるよ。そうなると、動きが鈍くなったりして、簡単に魔女にやられてしまうだろうね」
「……そうか」
「……? 夏油先輩?」
黙り込んだ夏油に、まどかが顔を伺うようにして尋ねる。しかし次にはもう夏油は「いや、なんでもないよ」と穏やかな笑みを浮かべていた。
「さて、次はこちらの番だよ」
まるで盤上を仕切るようにして、キュウべえがその白い尾をぱたりと揺らした。
「ボクのことが見えているとはいえ、キミは魔法少女ではない。魔法少女の素質があるのは、感情の振れ幅が最も大きい、第二次成長期を目前とした女の子だからね。だからこそ、魔法少女に似た力を持った
人間とは異なる知的生命体が無表情に淡々と喋る様子こそ異様だが、少女たちは特に気にしていないようだ。
「そうそう! 魔法少女じゃないならさ、マジであのへんな生き物とかっ、なんなの?」
待ってましたと言わんばかりに、さやかが身を乗り上げる勢いで尋ねた。
「……そうだね。とはいっても、実はこの力は、私にも分からないことが多いんだ。……でも、魔法少女のような魔法とは別物の力だろうね」
「そうなんですか?」
「ああ。さっきのようなエイの形をしたものは、まだ君たちからしても可愛らしい部類に入るだろうが……。そうだね、見てもらうほうが早いか──」
夏油の言葉に呼応するように、背後の空間に黒い渦が発生する。
そこから垣間見えるのは──
『ギギギ……』
『遊ぼ、遊ぼ、遊ぼ、あそぼ』
『アァア……オォオオ……』
『今わぁ、なんじですかあ~?』
言葉にもならない声や不明瞭な鳴き声がおどろおどろしく混ざり合う。
そうしてドロドロとした歪な肉塊に無数の目が張り付いたものや、剥き出しの歯をカチカチと鳴らす異形の影たちが、黒い渦の向こうから這い出そうとしていた。
部屋の空気が一瞬にして凍りつき、淀んだ負の気配がリビングを圧迫した。
「ひっ……!」
まどかは思わず小さく悲鳴を上げ、その場にすくみ上がって目を伏せた。
隣のさやかも思わずティーカップをソーサーに激しくぶつけるようにして身体をこわばらせ、恐怖に染まった目で異形の群れを見据えた。
「ちょっと……どういうつもりですか!」
マミは反射的にその場から立ち上がり、手元に魔力を纏わせようと身構える。
夏油が手繰る呪霊は、本来は一般人には見えない。しかし魔法少女である巴マミやその素質を持つさやかとまどかであれば或いは……という、夏油の考えは合っていた。
「すまない、怖がらせてしまったね」
それぞれの反応を見てから、夏油はまるで日常の一コマをあしらうかのように軽く手を振った。
次の瞬間、不気味な声を上げていた異形の影たちは、夏油の背後に広がる深淵へ吸い込まれるようにして、その黒い渦ごとスッと消え去る。
「でも、見てもらったほうが早いと判断してね。……あれを、君のような魔法少女が扱う魔法と一緒とは思わないだろう?」
わずか数秒の出来事だったが、部屋に残る異様な雰囲気を振り払うように、夏油がそうつぶやいた。
「それは……そうですね。どちらかといえば、まるで、魔女に近い雰囲気で……なんというか、倒さなきゃいけないと思うような怖さがあったわ」
夏油の意図を汲み取り、ふっと息を吐いたマミが静かにその場に腰を下ろす。
キュウべえは無感情無表情のままに「なるほどね」と先ほどの事象を事象として受け入れて頷いている。
「祈りから産まれるのが魔法少女だとすれば、魔女は呪いから産まれた存在だ。キミの持つ力は、マミの言う通り、魔女に近しい。負の感情を凝り固めたような、呪いのような力だね」
「キュウべえ……そんな言い方って……」
夏油はまどかを制し、淡々とキュウべえが告げた言葉に「間違っていないさ、私もそう思う」とゆるく頷く。
「奇跡でも魔法でもない。まるでこれは呪いだ。だから私はこれらを──畏怖を込めて、『呪霊』と呼んでいる。だからそうだね、この力を……魔法少女の
この力を扱えるようになった頃から魔女結界も見えるようになったこと、そこから魔女や使い魔にも遭遇したがこの力で対抗してきたことを簡単に話した。
「とはいえ、私は魔法少女とはまた違うようだからね……結界が隠されていたり小さい場合は、特定したりこじあけたりすることはできないんだ。だからいつも後手に回ることが多くて……魔法少女を見たのも、巴さんが初めてだよ」
「そうだったの……」
「あの、」とまどかが恐る恐る夏油を見た。
「夏油先輩は、いつからその力を持ってたんですか?」
「……不思議な夢を見たのがきっかけでね、5歳のころにはもうこの力を使えるようになっていたよ。この力が発現したのはその夢が関係していると思っているんだけど……不確定要素が多いから断言もできない。とはいえ、魔法少女のように誰かと何かを契約をした記憶はないんだけれど……」
「夢……」
まどかは「夢」という単語に反応し、妙にそちらを気にしているようだ。そちらについて尋ねる前に、さやかが「でもさ」と二の句を告げた。
「確かに、やばそうで怖い化け物操る力を持ってるけど、夏油先輩が私たちを助けてくれたのは事実じゃん。さっきも、襲ってきたわけじゃないし」
急な話題転換に、夏油は瞬きを一つ落とす。
「……まあ、私が使役している以上、少なくとも君たちに害を加えることはないよ。安心してほしい」
「って考えたらさ、アイツらって夏油先輩のパシリっていうか、従ってる使い魔みたいなもんでしょ? そう考えると夏油先輩が一番強いし怖いってことだから、さっきの奴らを怖がる必要ないってことじゃん。あたしたちは夏油先輩のこと怖くもなんもないわけだし」
「……それどういう理論なんだい?」
「理論もなにもないって! あたしらの知る夏油先輩はちょっとおっかないけど良い人なんだからさ、そんな人が呪術?を扱ってたって、夏油先輩は夏油先輩ってこと!」
「そうだね、さやかちゃん」
まどかも力強く頷く。
「さっきはびっくりしちゃったけれど、でも、夏油先輩のペットだって考えたら……悪い子たちばかりじゃないんだって思います。夏油先輩は、優しい人だから……。……だから、そんな風に自分の力を『呪い』だなんて、言わないでください。悲しい顔、しないでください」
少女たちのあまりに真っ直ぐな言葉に、夏油は目を丸くした。
彼女たちなりのフォローであることは伝わってくるが、それ以上に、自分は
特に鹿目まどかは人の感情の機微に気が付き、寄り添えるような優しい心を持っているとはいえ──年下の女の子にそれを見抜かれるのは不甲斐ない気持ちになる。
そう思いつつも、
「……そうだね。ありがとう、二人とも」
夏油は小さく笑みを零していた。
それは、本心からの感謝の言葉だった。
「でも、パシリはともかく、
「それはそうかも。流石にアレをペットはないわー」
「うえぇー!?」
即座に否定されるとは思っていなかったのかまどかが分かりやすく動揺したところで、様子を見守っていたマミがくすりと穏やかな笑みを浮かべた。
「鹿目さんたちがそう言うのなら、そうなのかもしれないわね。私は、あなたとさっき出会ったばかりだけれど……でも、たとえあなたがどんな力を持っていようと、鹿目さんたちが信じるあなたを信じるわ、夏油さん」
「いや、それだけでも十分だ。ありがとう、巴さん」
「ところでさ、」と再びさやかが最後の一切れのケーキにフォークを刺しながら呟く。
「さっきから気になってたんだけど、結局夏油先輩は魔法少女じゃなかったんでしょ? でも、キュウべえが見えてるってことは魔法少女の素質がある……ってことはさ」
さやかの語調はだんだん笑いを帯びたものになっていく。
「夏油先輩も、くっ、ふふ……キュウべえと契約したらさ、
「美樹さん。せめて面白がってるのを隠す努力はしてほしいな」
一方で、さやかの言葉を聞いたキュウべえが「可能性はあるよ」と頷く。
「ボクが見えることに関しては、夏油傑、キミの言うその呪術や呪力が関係しているのかもしれない。だとしても、ボクの姿は魔法少女の素質がある人にしか見えないはずなんだ。少女以外で素質がある
「……たとえ素質があるとしても、私には既に
「ボクも同意見だよ。キミの存在や力には興味を惹かれるけれど、キミ自身その力のことが分からないというのは不安要素だからね。無事に契約ができるのかも、できたとして契約後に何が起こるか分からない」
「まあー確かに? 実は夏油先輩もどっかで契約済みなのに、もっかい契約しちゃったーとかになったら、なーんか面倒なことになりそうだもんね。掛け持ちはダメって言ってるバ先があるみたいにさ」
「なんかその例えば違うような……」
さやかの例えにまどかがやんわりツッコミを入れる。
キュウべえはガラス張りのテーブルの上でくるりと回り、夏油を無機質に見つめた。
「とはいえ、初めてのケースだからこそ。夏油傑、キミの持っている素質は興味深いものだ。その不確定要素がなくなったときは、ぜひ、ボクと契約して魔法少女になってほしいね」
遠回しに断っていることに気が付かなかったのか? 男でも魔法少女になれる可能性や誘導をするのは、そういう興味か趣味を持っている相手だけにしてくれと言いたかったが、夏油は空気を読んで抑えた。
「キュウべえ、夏油さんは男の子だから、魔法少女……じゃなくて、魔法少年になるんじゃないかしら」
「アハハッ!! ま、魔法少年!」
黙り込んだ夏油に何を思ったのか、マミが善意でキュウべえの言葉を訂正し、さやかは堪えきれないという風に声を上げた。
「いや、ごめん、ちょっと夏油先輩ってなんか『魔法』も『少年』も似合わないっていうかさ、なんか魔法少年の恰好も、想像したら……ちょっと、ふふ……笑っちゃって……!」
「ハハハ。美樹さん、ちょっとどころじゃないと思うんだけど?」
夏油は笑顔でグーを掲げた。女性には基本的に紳士対応だが、いざとなれば男女平等も辞さないのが夏油傑である。
「でも、ちょっとアイドルみたいでカッコいいかも……! 夏油先輩、身長も大きいし、きっと魔法少年、似合いますよっ……」
「そうね、男の子が契約するのは見たことがないから、私も純粋に気になるわ」
キャッキャと盛り上がり始めた女子たちに、夏油は「勘弁してくれ……」と内心で首を振った。
どんな願いを叶うと言われたとしても、180センチ超えの男が魔法使いのコスプレをするのは……しかもそれが自分と考えると、色々と堪えるものがある。
それ以上は想像すらしたくなかったので、夏油は考えることを放棄し、巴マミの手作りだというケーキにフォークを伸ばしたのだった。
*
「さて……」
和気あいあいとしたお茶会もお開きとなり、巴マミの自宅から、まどかとさやかとも別れる。
ひとり帰路につこうとしたところで、夏油は緩やかにその場から振り返った。
「健気だね。もしかして終わるまで待っていてくれるとは思わなかったよ」
夏油の鋭い視線に対して、電柱の陰が揺らめき──あるいは街路樹の葉擦れの向こうから、一人の少女が姿を現した。
「……」
夕闇のなかに浮かび上がる、見滝原中学校の制服を着た黒髪の少女。
その静かな瞳に隠し切れない警戒の色と──少しの戸惑い、そして緊張が宿っているのを見た夏油は、「今日は帰るのが遅くなりそうだな」と胸中で独り言ちたのだった。