生きるとは贖罪であり、死とはその救済である。
であるならば、なぜ生まれ、なぜ生きる。
我々に課された罪とはなんだ?
ただ、後悔のないように生きよう。
借り物の明かりで月と星が世界を照らす。その明かりは人々が活動するには不十分。故に人々は眠り、本物の光を待つ。そんな薄明かりの世界。そこにまるで誰にも気づいてほしくないといいたげに黒いパーカーに黒いジーンズを纏った男が丘の上で星を眺めていた。一見すれば星が好きな男かと思われるだろう。だが、男は別に星が好きなわけではない。彼が好きなのは誰もいない、風と星と月明かりだけの空間だった。
男は今年で20も後半、身体は全盛をおえ、衰退を始める年頃、多くの男は安定した収入を手にし、家庭を持ち始める頃合いだ。だが、男には安定した収入も家庭もない。片手で数えられるくらいの友人はいるが、それだけだ。家族も居たが、すでに交流はない。
その原因は彼にあった。生まれて暫くして、意思を持って他人と交流できるようになった時、男は気づいた。自分はどうやら自分は他人と異なる。会話をすると、相手の感情がわかってしまう。最初は便利だと思った。まともに会話していれば相手の地雷を踏み抜くことはない。健全な関係を築ける。だが、彼はそれに耐えられなかった。
彼のそれは相手の感情を把握できる。だが、そのプロセスが問題だった。把握する前に、相手の経験を彼自身も受けていた。いや、正確には経験していないが、さも経験したように心が擦れる。故に彼は交流を増やせば増やすほどに、心が擦れる。
では、ここで一つの疑問が生まれる。心が擦れるとどうなるか。男が考えるに心とは人生という名の川に沈む石だった。人生によって転がり、形を変えていき、その過程で人格が形成される。時に大雨が降って幾度も転がることもあるだろう。だが、それは特例だ。決して日常的なものではない。だがもし、その頻度が増えればどうなるだろうか。石は転がって、削れ、角が取れ、いつしか球になる。男の持論では、大変な人生を送った者の心が強いのはある角が取れており、転がりやすいからだと思っている。では、その状態でもまだ風雨に晒され、転がり続けるとどうなるか。
海に流れ着く。
そして、そうなれば、雨が降ろうが嵐が起きようが、石が転がることはない。男はそこにきてしまった。気づいたのは大学生の時、親の不倫を知った時だった。母親から語られたそれに弟と妹は泣いていた。だが、男の心はもう、それを事象としか捉えられなくなっていた。極めて事務的に、処理をした。それを見ていた弟になんでそんなにも冷静なのか聞かれて初めて自分が海にたどり着いたことに気づいた。
以降はどんな相談を受けてもまるで落ちていくような感情があるだけで、心は動かなくなった。楽にはなった、楽にはなったが、人間として、大事なものがなくなってしまった。そんな感覚がある。
「誰か!」
叫ぶ女性の声だった。男はゆっくりと体を起こす。丘の下、黒いバンから袋を被せられた女性が2人の男によって引き摺り出されていた。抵抗はしているが、男、それに複数の力に女性1人が敵うはずもない。
確かにここは街からは離れている。そういった行為をするには絶好の場所だろう。暗闇で見えていないのか、見られているとも知らずに、女を地面に引き倒すと女の服を破り裂いた。どうやら女というよりかは少女らしい。最初は叫んでいた少女だが、暫くすると啜り泣きしか聞こえなくなった。
確かにここは街から外れた森の中の丘。であれば、こういう輩が来てもおかしくはない。
「オイ、こんなところでなにしてるんだ」
少女の服を下着を残して引き裂いたあたりでようやく見られていることに気付いたらしい。必要以上に大きな声で叫んでくる。
苛立ちと共に、黒の男も大きな声で返す。
「こっちのセリフだ輪姦野郎。こちとらただ星を見てるだけなんだ、今消えれば見逃してやるから失せろ」
「なんで俺たちが消えないと行けないんだ。お前が失せろ」
1人の男がこちらに向かって歩いてくる。かなりガタイが良い。元々なにかしらのスポーツでもしていたのだろう。合わせて男も立ち上がる。
「早い者勝ちだ。もうすでに警察には連絡してあるし、さっさと消えたほうが身のためだぞ」
当然ブラフ。電話などしていない、だが、効果はあったようで男に少しの揺らぎが見えた。
「だとしたらこの場でお前を始末しないとだな」
最悪だ。タチの悪い方に考え方を変えたらしい。大きくため息一つ。目の前まで来た男が拳を振り上げた瞬間に、足で急所を蹴り上げる。地面にうずくまった男の顔面にサッカーボールキック。登ってきた丘を悶絶しながら男が転がっていく。それを見てか、女を押さえていた男が怒号を発しながら走ってきた。何を言っているのかはわからない。次は不意打ちの急所攻撃はうまくいかない。ので、飛んできた拳を半回転しながら避けつつ男に背を向ける形で肩の上に腕を乗せる。
「さっさと消えておけばよかったのにな」
吐き捨てて、背負い投げのモーションに入る。だが、背負い投げは成立しない。その代わりに何かがへし折れる音が響いた。叫びながら腕を押さえている男に振り返ることなく後ろ蹴り。そのままさっきの男を追うように転がっていった。女の方に目をやると怯えて身を丸めている。異常事態を察してか、車を運転していたのであろう男が出てきていた。
「まだやるか?このバカ連れてさっさと失せろ」
だが、どうやらまだ帰るつもりはないらしい。最初に金的をした男がこちらに向かってきた。その手にはナイフが握られている。
「まぁ、あるよな。そういうのも。ただ、それを向けたんなら殺されても文句は言えねぇな。なんだっけか、それは遊びの道具じゃないだっけか」
「何余裕こいてやがるんだ?」
何か思い出すように首を傾げている男に激昂した男が走ってくる。
振り下ろしかと思っていたが、腹に向かって突き刺してくる。本当に殺す気らしい。まぁ、ここで殺されてこの人生に終止符を打つもの良いが、それをするとあの少女が可哀想だ。私を守ったせいで、なんて後悔を抱いてほしくはない。真っ直ぐに腹に向けられた刺突を体を半回転して避ける。少し避けきれず服が裂けた。そのまま、男の頭を抑えて、それを支えに膝蹴り、ガタイが良いだけあって、良い支えになった。腹にでも入れようかと思っていたが、体が傾かず、顎に膝が直撃、男の口から血が吹き出る。感触的には歯の何本かを折ったはずだ。悶絶すると男の手から落ちたナイフを拾う。
「正当防衛だもんなぁ」
そのまま拾ったナイフを振りかぶり、男に振り落とす。見開かれた目、眼前に迫る死。その凶刃が触れた瞬間、男は失禁と共に気絶した。
「心を入れ替えてくれな」
別に殺人をする気はない。そこまですると事後処理があまりにも面倒すぎる。正当防衛が成立するかも怪しい。
「お前何者だよ」
車から出てきた男が恐怖に満ちた目でこちらを見ている。そんなに感情を隆起させないでほしい。
「一般人だよ。こんなのに負けんだから悪さなんてするな」
ナイフを地面に突き出す。
「お前、服脱いでこの2人連れてけ、ナイフゴリラは気絶してるだけだ。ただ、金魚の糞は多分腕の骨折ったから病院な」
「は、はい」
まるで鬼に命令されたかのように震えながら服を脱いでこちらの様子を疑いながら男2人を車に押し込んで去っていった。それを見送って、放置されて丸まっている少女に歩み寄る。震えている。
「今、解いてやる。動くなよ」
足と手首に巻かれていたロープを解き、頭に被せられた袋を外す。顔は整っている、幼さはまだ残っているが、成長すれば美人になるだろう。ただ、下着が白の布地に猫の描かれたものというのがまだまだ子供ということの証明でもあった。
「ありがとう」
少女の発言に返答しようとして異常に気づく。さっきの少女の声と違う。視線を上げるとそこには1人の女性。祭りでもあったのか、紫陽花の刺繍の入った紫の着物を来ていた。
「保護者か?ならさっさと連れ帰ってくれ。ここだけ見たら俺が犯罪者だ。ほら、服はあそこに置いてある」
まぁ、俺のものではないが。この女は別に俺に敵意を抱いてはいないので先の奴らの仲間ではないだろう。だが、どこからきた。歩いてきたのに気づかないなんてことがあるだろうか。
「急だけど、仕事に興味はない?衣食住完備、給与も出るわ。あなたほど強ければ務まると思うの」
「急すぎて意味がわからん。まずはこっちの質問に答えろ。保護者か?」
女は少し迷って首を振る。そんな迷うような質問だったか?ただ、嘘はついていないらしい。
「そうか。話はありがたい。だが、それを聞く前にまずはこの子だ。うちに返してやらないとな。ボーっとしてないでお前はそこの服を着ろ。男に肌を見せるな」
2人に挟まれて呆然としている少女はビクリとした後に何度も頷き、視界の端で少女が男の服を着始めた。
「紳士的ね。別に見捨ててもよかったでしょう?」
「あぁ、だが。最初にここにいたのは俺だ。なのに奴らは俺に移動しろと言ったんだ。おかしな話だろう」
「では、奴らが素直に動いたら貴方は少女を見捨てたの?」
答えはNO。そんなことをすれば後悔が残る。後悔は先に立たず、心に印をつけてくる。そしてふとした時にその印に気づいて面倒な気持ちになる。なら、結果はどうあれそうならない程度には頑張る。これが俺の生き方だった。
「どうだろうな」
「優しいのね。ではこの子を返しましょうか」
思考が挟まったことによる僅かな間で察されたらしい。舌打ちで回答して、少女に向き直る。あの男の服は無事着れたらしい。少しオーバーサイズだが、まぁ、ないよりマシだ。
「家の住所は?」
「幻想郷」
聞いたことのない名前だ。アパートかマンションの名前だろうか。
「いや、建物の名前だけ言われてもわからねぇよ。郵便番号から覚えてるか?」
「幻想郷」
少女はなぜそんなことを聞くのかといいたげに、同じ言葉を繰り返す。
「なんだ、覚えてないのか?」
少女は首を振る。事実、少女の発言に嘘は感じない。なら俺が知らないだけだろうか。車でかなり遠くから拐われたという可能性もなくはない。だが、そうであるなら違和感がある。俺は住所全体を聞き直している。忘れているというよりかはそれ自体を知らないとでもいいたげだ。
「あー、わかった。覚えてないのな。警察に行こう」
「ありがとうございます」
頭を下げる少女を片目に内心ため息を吐く。正直、1人でいたい。だが、ここで少女を返してまた何かの被害に遭っても寝覚めが悪い。といって家には送れない。なら、警察に丸投げした方が楽だ。最も後悔のない選択がそれだ。
「ほら行くぞ」
少女を先導し、街への道を歩く。一応車が通れる道は通っているので道なりに進めば迷うことはない。迷う余地もない。そのはずだ。だが、しばらく歩いて異常に気づく。どれだけ進めど街に抜けられない。道を間違えたのか。いや、この道は一本道だ、道なりに進んでいる以上、迷うなどありえない。
「お兄さん?」
「あぁ、ごめんな。大丈夫だ」
心配そうに声をかけてくる少女を安心させるために嘘をつく。だが、本心は大丈夫ではない。来た時と逆の道を進んだか、いや、そうだとしてももう街に出るはずだ。ここは森ではあるが、大きくはない。どんなにゆっくりと歩いたとしても20分もすれば森から抜ける。
「さっきは貴方に仕事を受けるか聞いたわよね。ごめんなさい。あれは嘘よ」
「そうだろうな。初めましての人に仕事は紹介しない」
「あれは強制なの」
振り返る。そこには、2人の姿。ただ、明確な異変がある。先ほど助けた少女から、猫の耳と2本のしっぽが生えていた。
大きく飛び退き、周囲を見回す。ここはまだ森の中、全力で走れば森に紛れて隠れられるかもしれない。
「申し訳ありません」
刹那背後から正面のどちらとも異なる女性の声。振り返る間も無く、体に手を回され、ホールドされる。振り解こうとするが、視界に入っている腕はそれほど筋肉質というわけでもないのに万力で挟まれたかのように微動だにしない。
「やっぱり見捨てておくべきだったな」
「ごめんなさい」
冷たく言い放った言葉に猫耳の少女が怯えながら申し訳なさそうに誤っている。信じたくはないが、人間ではないらしい。同じように俺を押さえている後ろの女も人間ではないだろう。
「でも、貴方ここにいても息苦しいでしょう?きっと幻想郷の方が生きやすいわ。それにぴったりの仕事もある」
実際、否定のできない事実だった。俺にこの世界は生きづらい。幼い頃、別世界に行きたいなんて空想をよくしていた。ただ、大人になってからはそんなことはない。そんなことはありえないからだ。どれだけ生き辛くとも、ここで生きるしかない。だが、こうして目の前に蜘蛛の糸が垂らされたなら、俺は。
「勝手にしろ」
後悔のない様に。ただ、引き上げられようと、そう思う。