5話
彼が去った浴場でこの館の主人である古明地さとりは湯気に包まれながら思考を回していた。机上で解決できない問題が発生した時、彼女は湯に浸かる。これは彼女にとっては貴重な気分転換のタイミングでもあり、同時に休憩時間でもあった。
地底の管理を任されるようになってからというもの、彼女にこれと言った休息は無くなった。大量にくる山のような依頼、申請の対応、客人への応対。案内はペットに任せているものの、家事以外の地霊殿の仕事の全てを古明地さとりが単独で対応していた。凄まじい労働量、だた人間ではない彼女にとって不可能ではない。
ペットたちが心配してくれている事も読心ができる彼女は当然理解しているが、それでも減らす事も、彼らに任せることはできない。もう2度とあんなことを起こさないために。
「私がしっかりとしないと」
一方浴場を後にしたこよみは、自室に戻り、寝台に腰掛ける。脱いだ服に関しては出待ちしていたゴールデンレトリバーが有無を言わさずに回収していった。
ゆっくりと身体を倒すと寝台も高価なもののようで、まるですでに深い仲だったかのように彼の身体を受け入れた。そのまま微睡に身を任せようとした時、視界の端に灰色が映る。相変わらず病人のような服装の少女は愉快そうにこよみに笑いかける。
「お兄さん」
「なんだ。こいしか」
「すごいね。お姉ちゃんに私と会ったこと、バレてないんだ」
「どうだか。気づいていたかもしれない」
「それはないね。だって、気づいてたら絶対リアクションするもん」
「そうか。で、なんか用か?」
こよみは足を振り上げ、下ろす勢いで身体を起こし、こいしを見つめる。こいしはしばらく部屋を物色した後、彼の部屋の椅子に腰掛けた。
「私ね。お姉ちゃんが心配なの」
「まぁ、家族なら当然だな。ただ疑問がある。燐も、お前もだが、なぜ俺に頼る?俺とさとりは確かに似た能力はあるかもしれないが、他人だ。家族から休めと言った方が高価的だと思うが」
「それはね。ダメなの。お姉ちゃんは、私たちのために動いてる。そんな私たちに口に出して心配してるって言われたらどうなる?きっと今度は隠す」
「なるほどな。だが、さとりの行動原理はなんなんだ。家族のために頑張ろうってだけなら心配されたら止まるだろ」
こいしはその問いに答えない。ただ、身体を捻って椅子を回す。カタカタと部品が擦れる音がメトロノームのように響いている。
「自分で聞けと」
「うーん。聞かなくてもいいよ。ただ、それを知るにはお兄さんが自分の能力をしっかりと理解しないとダメだね」
「能力の把握ねぇ」
こよみはため息を吐き、再度寝台に倒れ込み目を瞑る。
「能力を理解なんて言われても俺は能力なんてない世界からきたんだ。時間がかかるぞ」
「それでいいよ。もう裸の付き合いしたんでしょ。すぐだと思うよ」
「言い方が悪すぎる。あれはただの事故だ」
「でもお姉ちゃんの裸見たんでしょ」
こよみは何も言えない。実際にさとりの裸体を見てしまったのは事実だ。そう言った感情はないとは言え、少なからず罪悪感は感じていた。
気付けば椅子を降りて移動していたこいしが寝台に倒れるこよみを覗き込む。近くで見るとやはり姉妹、髪色は異なるが顔のパーツが似ている。ただ、何よりも気になったのはこいしのサードアイだった。瞳がただ閉じているのだと思っていたが、よく見るとホッチキスの様な金具で閉じられている。すでに流血はないが、痛々しい。
「でも獣にならなくてよかったよ。お姉ちゃん可愛いからね」
「整った顔立ちなのは認めるが、襲ったりしない。俺は紳士だし、ロリコンではないんでな」
「ふーん。まるで女性的魅力がないって言われているようでムカつくけどまぁいいや。お姉ちゃんをお願いね」
「少なくとも今は俺のご主人サマでもある。できる限りは頑張るさ」
こよみのその言葉に満足そうに笑うとこいしは踵を返し、扉を開いて廊下へ出ていった。ご丁寧に扉も閉めていく。本当に1人になった自室の寝台のうえで、大きくため息を吐く。
にしても能力、異世界、妖怪。わからない事が多い上に、俺にはさとりを助けるなんて目標が追加された。誰も彼もが期待をし過ぎだ。俺はただの一般人。願いを叶えられる確証もなければ、覚悟もない。まるで都合のいい物語の主人公にでもなった気分だ。
だが、俺はここに住まわせてもらっているというのも事実。どうせ他にやることはない。可能か不可能か、それはさておき、なんとかできないか模索するというのも悪くはない。そのためにも、まず自分の能力について理解を深める必要があるだろう。
こよみは寝台から身体を起こすと先ほどこいしが回していた椅子に腰をかけ机に向かい、ペンと紙を手に取る。
まずは現状の整理から始めよう。前提として俺の能力は察する能力と仮定する。正確には異なる可能性もあるが、ここを一度仮定しておかなければ後続の処理ができない。異なった場合はまた策を練り直そう。
まず、察するという能力でどこまでできるのかを考える。
先ほどの食事の際にさとりの心が読めたため、読心紛いのことはできるのかもしれない。これは察するという言葉に概念からも逸脱はしていないので違和感はない。だが、そうであるならずっと読めていてもおかしくはない。俺が読めたのは一部だけだ、あの瞬間以外には読心という形では読めなかった。なんとなく、こう言いたいんだろうなというのが察せる程度。
となると考えられるのは、特定条件で能力が強化される、または何か別の効果がある。この2パターン。
どちらも可能性はあるが、後者については現状の情報量で推察しても時間の無駄だ。となれば、特定条件があると仮定されている方を考えた方が良い。ではあの瞬間、俺は何を考えていたのか。話題は嘘についてだったはず。その分野でさとりの考えを言い当てた。
そこまで書いて筆が止まる。実のところこちらも情報が少ない。何せ、件数が少なすぎる。せめてあと2.3回もあれば比較して確認もできるが。
こよみは首を傾げながらペンを回すが、いい案は出てこない。情報を簡単に示した紙を睨んでいると扉が叩かれる。
時計はないので時間はわからないが、もう夜も更けているはず。ただ、別に拒む必要もないのでどうぞと一声、迎え入れる。ゆっくりと扉が開かれるとそこに立っていたのはさとりだった。
「さとりか。何かあったのか」
「起きていてよかったです。明日以降の仕事の話をしようと思いまして。まだ寝ないのであればですが」
「大丈夫だ。まだ寝るつもりはない」
さとりは少し笑うとそのまま部屋に入り、こちらに顔を向ける形で寝台に腰をかけた。
「では仕事の話です。明日ですが、酒の配達をしていただきたいと思います。案内として勇義さんという鬼に同行を依頼しています」
「そうか。流石に土地勘がないんでな。案内がいるというのは助かる。ただ、俺も土地勘は付けておきたい。あればだが、地図が欲しい」
「わかりました。明日お渡ししますね。あと、あなたお酒は強いですか?」
急な問いかけに疑問を感じるが、鬼と言えば暴れ者の他に酒豪というイメージも確かにある。おそらくは、歓迎と称して大量の酒を飲まされるのだろう。
「人並みだ」
「では大丈夫かと思いますが、無理はせず。危険を感じたら水橋パルスィさんという橋姫を頼って下さい。きっと近くにいます」
橋姫。聞いたことはあるが、あまり詳しくない。確か橋の守護神的な立ち位置だったはずだが、まぁ、勇儀と呼ばれた鬼と友好関係でもあるのだろう。
「わかった。にしても会うもの会うもの人外でやはり異世界に来たんだと再認識するな」
「実際異世界ですからね。でも、別に後悔も恐怖もなくてよかったです」
「恐れたところで意味はないしな。死ぬ時はそこでおしまいってだけだ」
「嘘でもなくそんなことを言っているあなたが私は怖いですよ」
「事実だからな。生き物はいつ死ぬかわからない。だから俺は後悔のない様にいきるのさ」
さとりは少し驚いた様で目を丸くし、こよみはそれを見て驚くことかと苦笑する。
「俺の考えだが、人生を評価するのは自分自身。他人がどう思うかなんてクソ喰らえだ。その時に、ああしておけばなんて思ったら気分が悪いだろう。だから俺は自分が良いと思ったことはするし、言っておきたいと思ったことは言っておくことにしている」
「ふふ。いい考えです。でも、今私に言おうか迷っていることがありますよね」
こよみは諦めた様に苦笑い。こちらを見つめるサードアイを見つめ返す。
「聞くことで俺が満足できても相手を傷つけることもあるかならな。何でもかんでも言いたかったら言うわけではない。状況次第でそこは柔軟にな」
さとりはこよみを見据え、何かを決めた様に悲しそうに笑う。
「ペットや妹が心配してくれていることには気付いています。心が読めますからね。ただ、それでも私がしっかりとしないといけないんです」
こよみは一泊置き、サードアイではなくさとりの瞳を見つめる。
「なんでそんなに追い詰められてる」
回答は静寂。さとりは相変わらず悲しそうに笑っている。それは拒否だ。まだ話すつもりはない。その回答がこの静寂に含まれていることをこよみは察した。
「まぁ、今日会った俺に話してくれるとは思っていないさ。ただ、部外者の俺だから相談に乗れると言うこともある。それにこれは予想だが、俺はいつか話されずともそれを知ることになる」
それは歪な確信だった。先の結論は何も出ておらず自身の能力は何もわからない。ただ、能力に関わらず、いつかそれを知ることになると言う確信だけが何故かある。
「そうですね。私もそう思います。でも、もう少し時間をください」
「わかった。まぁ、時間は沢山あるが
「はい。後悔はしない様にします」
「あぁ、頼む」
「では、今日は失礼しますね。しっかりと寝てください」
「お前もな」
立ち上がり、一つお辞儀をして部屋を後にしたさとり。再度1人になった自室で、目の前に置かれた紙に何かを書こうとして、ペンを置く。大きく背伸びをすると背中から骨の鳴る音が聞こえた。再度ペンを取ろうとして、首を振り、寝台に倒れ込む。少しベッドが軋む音がするがほぼの衝撃は吸収されて消えた。
「1日で色々起こりすぎだ。俺はただ、平穏に暮らしたいだけだったんだがな」
そのまま、瞳を閉じる。こうして、孤独を選んだ奇人の幻想郷での執事としての生活の初日は終幕を迎えた。