姑蘇にていい湯が湧きました   作:六花─りっか─

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第3話

4.紫電一閃、闇を割る

 

 ぽとん、ぽとん。

 冷たい水滴が頬を打つ感覚で、江澄は微かに眉をひそめた。

 重い瞼を持ち上げると、視界に飛び込んできたのは、苔の生い茂る仄暗い岩肌だった。

 じめっとした湿気と、鼻をつく腐肉のような匂い――。

 先ほどの仙境のような温泉地とはまったく別物の世界だった。

 その隣では藍曦臣の白い身体が横たわっている。

 彼の四肢は太い蔦の茎で雑に括られ、自由を奪われていた。

 助け起こそうと身体を動かし、江澄も自分の手足が縛られていることにようやく気がついた。

「……くそっ、藍曦臣、起きろ」

 江澄の声に彼が身動ぎ、そして江澄同様、縛られた自身の四肢に気が付く。

「これは失態をお見せしてしまいましたね」

「悠長に気取ってる場合か! 魏無羨と藍忘機はどうした」

 辺りを見渡すが、彼らの他に囚われた者の姿は見えない。

 あの二人が無事ならばきっと江澄たちがいないことに気付いて、彼らなりに動いてくれていることだろう。

 勿論江澄たちものんびりとここで救出を待つ気などさらさらなかった。

「藍曦臣、身体を起こすのを手伝ってくれ」

「わかりました。身体をこちらへ」

 彼の指示通り、江澄は芋虫の様に地面を這い、藍曦臣の横へ移動すると、彼の助けを借りて半身を起こした。

 藍曦臣の手首に食い込む太い蔦に指をかけ、力任せに引き千切ろうと圧力をかける。

 だが、蔦はびくともせず、かえって江澄の指が痛くなっただけだった。

 まるで木の枝のような頑丈さだ。

 何か刃物がなければ容易に切れそうにない。

「どうする」

「そうですね」

 焦る江澄と違い、藍曦臣はこんな時も冷静さを失っていなかった。

 外の音に耳を澄ませ、どうやら見張りは居ないことを確認する。

 彼らを捕らえたにしては随分と無防備が過ぎるだろう。

「それとも俺たちが舐められてるのか」

 鼻でせせら笑う江澄に苦笑し、「そうかも知れませんね」と藍曦臣は軽く受け流す。

「阿澄、まずはきみの拘束を解きましょう」

「どうやって解くんだ。やってみたがかなり堅いぞ」

「何か……蔦を断ち切れるものがあれば良いのですが」

 藍曦臣の言葉に江澄はふと気付いてしまった。

 彼らの頭頂部には固く尖った簪が刺してあるじゃないかと。

「藍曦臣、あんたの簪を貸してくれないか」

「はい?」

 彼らの様な君子にとって、人前で髪を振り乱すのは素っ裸で人通りの多い路地を駆け抜けるぐらいの恥辱なのだが、今はそんなことを躊躇している場合ではない。

「仕方ありませんね……。後でこの埋め合わせはしていただかないと」

「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと頭を下げろ」

 年長者の藍曦臣に対して随分な言い草だが、彼ら二人だけの時の江澄はいつもこんな調子だ。

 何をしてもめったに怒らない藍曦臣に甘えている形になるのだが、それはそれで二人ともこの距離感を気に入っていた。

 江澄は背中を向け、手探りで頭を下げた藍曦臣の頭頂部から冠を外そうと試みる。

 藍曦臣も江澄の手許に頭部を寄せて、互いに試行錯誤してみるのだが、何分にも二人とも両手首を後ろ手に縛られ、自由が利かない為、なかなか上手くいかなかった。

「阿澄、それは抹額です。……あ…っ」

「どうした?」

「ゆ、指が目に刺さりました……」

「それは悪かったな。後ろは見えないんだ、仕方ないだろう」

「知っていますか? 我が藍氏では、抹額は親しい者にしか触れさせてはならない決まりがあるのです。例えば、将来を誓い合う伴侶とか」

「…………」

 本当に目潰しをしてやろうかと思ったが何とか堪え、簪を外すことに成功した。

「取ったぞ!」

と意気揚々と振り向いた江澄は、地面にはらりと落ちた藍曦臣の黒髪の美しさに目を奪われてしまう。

 抹額が乱れ、横になった為に襟元も開いて拘束された姿は、囚われの天女の様な艶やかさで、一目見た瞬間、思わず毒気を抜かれてしまった。

 しかし今はそんなことに惑わされてる場合ではない。

 藍曦臣の簪でまずは彼の蔦を削り取る。

 固くてなかなか歯が立たない為、紫電の放電で蔦の表面を焼き、ぎこぎことひたすら削った。

 幾度か藍曦臣の肌を傷つけてしまったようだが、彼は文句一つ言わず、堪え、そして蔦を自力で引き千切れる様になると、渾身の力を込め、断ち切った。

「阿澄、次はきみの番だ」

「ああ、急げよ。随分と手間取った」

「もちろんです」

 しかし不思議なことに洞穴内は本当にしんと静まり返っていた。

 藍曦臣の作業も滞りなく進み、二人の両腕に自由が戻ると、それぞれ両足を解きにかかる。

 あと少しと言うところなのに、洞穴内を歩く足音が聞こえて来た。

 江澄と藍曦臣の二人は耳を澄ませ、気配を殺して様子を窺うが、足音は真っ直ぐに彼らの元へと進んでいた。

 先ほどの奇天烈な鬼だろうか。

 それにしては静かで、かと言って攻撃的でもなく、とにかく油断のならない強さを感じさせる。

 強烈な負の気を纏っていた。

 さっきのあの頭の足りなそうな鬼とはまるで違う。

「阿澄、油断はなりませんよ」

 藍曦臣の気遣いが逆に江澄をイラッとさせる。

 そんなことは分かってると言い返したいところだったが、

「あんたもな」

と江澄が短く返したその直後、洞窟の奥の闇から、カツン……カツン……と、一定の軽やかな歩調が響き始めた。

 歩みに合わせて揺れる、小さく澄んだ銀鈴の音。

 不気味なほどの静けさの中に響くその音は、雅びでありながら、冷ややかな死の匂いを孕んでいた。

 身に迫る危機を感じた身体が本能的に唾液を分泌し、彼らの喉仏がゴクリと鳴る。

 底知れない、絶対的な力が近づいていた。

「どこの鼠が迷い込んだんだ。危うくあの小汚い鬼と間違えて殺すところだったぞ」

 朗らかで透き通った声だが、親しみやすいとは言いがたい。声を潜めてやり過ごそうとする江澄たちの周囲を銀色の蝶がひらひらと取り囲んだ。

 硝子細工の様に透き通る様は幻夢の美しさがあるが、羽ばたきで撒き散らされる鱗粉は蠱毒を思わせる妖しさがあった。

 彼らを「鼠」と呼んだ高慢な闖入者の全貌がようやく見えた。

 鮮やかな朱の衣に、雪のように白い肌。片方の目は黒の眼帯で覆われていてそれが男の個性に強烈な印象を与えていた。

 離れた位置からでさえ、計り知れない霊力の漲りを感じる。

 例えるなら、尽きずに湧き出る底なし沼のような不気味さだった。

 これほど高い修為を持つ相手とはさすがの二人も対峙したことがなかった。

「どうやら逃げたようだな。はっ、まったく逃げ足だけはいつも速い」

 逃げたと言うことは彼が追っているのは江澄たちではなさそうだ。

 嘲笑のような笑みが男の薄い唇に浮かんでいたが、微塵も愉快そうには見えなかった。

 ようやく片方だけの黒い瞳が床に座る江澄と藍曦臣に向けられる。

 相手の力量が測れない今、不用意に動くのは危ない。

 咄嗟に判断していた二人は彼が入って来る前に先ほど千切った蔦を手足に巻き付け、拘束された姿を装っていた。

 銀の靴飾りが軽い音を立てて近づいて来る。

 先ほどの戚容とは違い、彼は無味無臭。匂いは勿論、体熱さえ感じなかった。

「さて、どうしたものか」

 眼帯の男は首を傾げ、しばらく考えていたが、突然、にやりと笑い出す。

「せっかくだ。兄さんの為に余興を用意して待つとしよう。ついてこい」

「……」

 兄さんとは一体誰なのか。

 今度はまた別の鬼に囚われてしまうかも知れない。

 ついてこいと言われ、江澄たちは俯き、けっして目を合わせないようにした。

 空気が動き、江澄の目の前に隻眼の男がしゃがみ込む。

 間近で見れば非常に端整な顔立ちで、斜に構えたどこか陰鬱な雰囲気が近寄りがたい雰囲気を与えていた。

「どうやら子鼠の分際で、知恵だけは回るようだな」

 喉の奥でククッと笑うと男は指先を優雅に回し、江澄らの脚に巻き付いていた蔦をしゅるしゅると解いて地面に落としてしまった。

 彼の目を欺いて逃げるのは難しそうだ。

 藍曦臣が江澄の腕を取り、

「江宗主、行こう」

と静かに江澄を促す。

 だが掴んだ腕にひそかに力が込められた。

 隙を見て逃げようと言う合図だ。

 江澄も軽く頷き、同意した旨を伝えた。

 

 彼らがやむなく立ち上がろうとした時だ。

「この豚野郎! お前がでぶ君の方だったんだな! 今、喰らってやるからそこで大人しく待っていろ!」

 ふざけた罵声が洞穴に響き渡る。

 この下品さは他でもない。

 戚容が戻って来たのだ。

 江澄は紫電を構え、武器を持たない藍曦臣の前へ出て、待ち受ける。

 紫電から立ち上る紫の閃光を見た男が感心した様子を見せたが、それよりも今は戚容を片付ける方が先だ。

「おーい、豚!」

 吞気に洞穴へと乗り込んで来た戚容の顔色がスッと変わる。

 彼の目は紫電を構えた江澄ではなく、隻眼の男に向けられていた。

 まるで化け物でも見たかの様に見開かれ、わなわなと唇を震わせる姿は彼自身が両腕を失い、それこそ化け物じみていた為、実に滑稽だった。

 それを見た隻眼の男がひどくおかしいものを見たかの様に大笑する。

「貴様は、花城……っ! 俺の根城で何をしてやがる!」

 花城と呼ばれた男は笑いの発作が収まらない様でしばらく腹を抱えて笑っていた。

「黙れ、ゴミ虫。常日頃からお前のことは下等だと思ってはいたが、その腕はひょっとして人間の道士に斬られたのか?」

 笑い混じりの声で花城にそう嘲笑された戚容は真っ赤な顔で怒り出す。

「黙れ、このクソ狗、太子兄様のケツを舐める犬っころのくせに! お前ら、花城をぶっ殺せ! こいつを殺せばこの戚容様が絶境鬼王になる!」

 どうやら戚容は残っていた手下も引き連れてやって来たようだ。

 花城の姿を見、鬼たちは「ヒッ……!」と悲鳴をあげてすかさず逃げようとするが、戚容が鬼たちを蹴り飛ばして前へと押し出す。

「ですが大王様! あ、あ、あれは絶境鬼王の花城ですよ!」

「見りゃ分かる! あいつを殺して俺が絶の鬼になる!」

 やれやれと手のひらを天に向ける花城に怯えた鬼たちは、どうあっても勝てない彼ではなく、彼よりも弱そうな人間──、江澄たちへと牙を剥いた。

 慌てて戚容が止めるが、誰も彼の命令など聞いていない。

「その獲物は残しておけ! 俺様の食事だ! 特にでぶ君は俺のものだぞ」

 でぶ君、の一言で江澄は思わず藍曦臣を見てしまった。

 その視線に繊細な心が傷ついたのか、藍曦臣が駆け寄る鬼を足蹴にして一瞬で消し去る。

「阿澄、よそ見は禁物ですよ。あのふざけた鬼をまず片付けましょう」

「お、おう」

 ちょっと調子が狂ってしまったが、仕切り直してまずは江澄が動く。

「鬼界の鬼どもめ! 雲夢江氏、江晩吟を舐めるなよ!」

 一歩を踏み出し、片手を振り下ろす。

 降り注ぐ激しい雷光が赤紫色に輝き、花火の様に暗い洞穴を照らし出す。

 洞穴の苔の色と混ざり、藍紫となった稲光を纏った鞭先がしなやかに空間を裂き、迫る鬼たちの首から胴体を根こそぎ奪って行った。

 激しい衝撃波が洞窟内に吹き荒れ、どおおんと凄まじい音を立てて、岩壁も崩れそうな程、大きく揺れた。

「なかなかやるな」

 花城もこれには感心した様で、吞気にぱちぱちと拍手で江澄の活躍を褒め称えている。

 藍忘機に続き、江澄にまでこてんぱんにやられてしまった戚容は文字通り地団駄を踏み、

「殺せ、殺せ!」

と連呼した。

「ただの鼠たちではないようだ」

 花城にそう笑いかけられたが、二人はどう返せば良いのか。

 とりあえず目の前に屯す戚容が連れて来た鬼の大群を片付けねば逃げられない。

 花城の動向に一瞬、気を奪われた江澄に、

「阿澄、下がりなさい!」

と藍曦臣が声を掛け、彼に迫る鬼を華麗な足さばきで一網打尽に仕留める。

 一点の染みもない藍曦臣のまっさらな衣に青鬼たちの体液が降り注ぐが、彼は顧みることもなく、襲いかかる鬼に肘鉄を食らわせ、そして頭部へと振り落とす脚で頭を粉砕する。

 優雅な舞姿から生み出される凄まじい攻撃に花城は更に喜び、この一幕に大満足の様だった。

 江澄だって負けてはいられない。

「澤蕪君! 右方から逃げるぞ! あのふざけた鬼がいる方が出口だ」

「相わかった!」

 花城とは反対の壁に沿い、走る。

 前方を塞ぐ鬼は江澄が紫電で蹴散らし、漏れ落とした敵は藍曦臣が片付けた。

 逃げ道を確保した彼らは両腕を失い、突っ立ったままの戚容へと向かう。

 ことの成り行きを楽しげに見守っていた花城だがここでようやく彼が動いた。

 彼の愛刀、厄命がまるで生きているかの様に複雑な動きを見せて江澄に襲いかかり、危うく後方に跳躍して花城の攻撃を避ける。

「何を笑ってやがる! クソ狗花城め! お前なんぞに庇われても嬉しくともなんともないぞ!」

 戚容の薄汚い罵声が花城へ向けられたが、彼は「庇う?」と問い返し、そして一瞬で戚容の前に出ると、片手で彼の顔面を掴み、地面へと叩きつけた。

「俺が何故、お前みたいなゴミ虫を庇うと思うんだ?」

「く、……そ、いぬ……」

 しぶとく罵声をあげようとする顔面を花城は冷たい目で見下ろし、今一度地面へと叩きつける。

 鬼である彼らはこの程度で死ぬはずがない。

 それは花城も分かっているから、容赦なく何度も何度も、血飛沫が上がるほど地面に叩きつけた。

 江澄と藍曦臣の肌が粟立つほどの、圧倒的な力だ。

 この男は常軌を逸している。

 命がけで攻撃を仕掛けたところで彼らが敵う相手ではないと悟った。

「お前とかたをつけるのは俺じゃない。お前の様なゴミ虫でもそれが分からぬ程、愚かではあるまい」

「クソ…いぬ……、下劣な手でさ…わるな」

「誰が貴で、誰が賤なのか。俺は確かに貴くはないが、少なくともお前みたいなゴミ虫よりははるかにマシだ」

「花…っ!」

 戚容の叫びは途中で途絶えた。

 彼の身体が煙に包まれたかと思うと、なんと不倒翁の人形に変化していたのだ。

 花城はその不倒翁を嫌そうに指で摘まむとぽんと投げ捨て、宙へと消した。

「さて」

と江澄たちを振り返る。

 本来なら次は自分たちの番だと思うところだが、江澄は花城が発した言葉に母の記憶を呼び戻され、呆然としていた。

──誰が貴で、誰が賤なのか──

 おそらく花城が指したのは別の人物のことだろう。

 しかし虞紫鳶が発した言葉と重なり、江澄はたじろいでしまった。

「阿澄」

と藍曦臣に声を掛けられ、正気に立ち返る。

 今は感傷に浸っている場合じゃない。

 江澄は弱気になりそうな自身を心の内で励まし、頭を振った。

「無駄話はここまでだ」

 花城が彼らを振り返り、そう告げる。

「兄さんの客人をここで野垂れ死にさせるわけにもいかないからな。貴様ら、大人しくついて来い」

「兄さん?」

 さっきから彼が言っている「兄さん」とは誰のことなのか。

 そもそも二人を捕らえてどこへ連れて行くつもりなのか。

「……どこへ連れて行く気だ」

 江澄が紫電の尖った表面に指で触れ、鋭い視線を向ける。だが花城は鼻で嗤うばかりで、取り合う気すらないようだった。

「文句があるなら俺の根城で聞いてやる」

 花城がゆっくりと指を鳴らした瞬間、周囲の空間が一変した。

 銀色の蝶が無数に湧き立ち、彼らの身体を丸ごと飲み込んでいく。

 光と影が交錯し、一瞬の浮遊感のあと――、湿っぽい岩肌の匂いは消え去り、代わりに鼻を突くのは濃密な香の煙、酒の匂い、そして言い知れぬ熱気だった。

 耳をつんざくような狂騒と、妖魔たちの不気味な歓声。

 紅い提灯がどこまでも連なり、人間界のどんな都よりも絢爛で、同時に禍々しい異界。

「……ここは……」

 藍曦臣が警戒を露わにし、思わず声を漏らす。

「ようこそ、我が鬼市へ」

 花城は振り返ることもせず、赤い衣を翻して悠々と歩き出した。

「よそ見をせずに大人しくついてこい。大切な客人が来たら引き渡してやる」

 

 ✳ ✳ ✳

 

――同じ頃。

 先ほどまで花城たちがいたはずの洞窟の奥深くに、急ぎ足の靴音が響いていた。

「江澄! 澤蕪君! どこだ、返事をしてくれ!」

 静まり返った岩肌に、焦燥を含んだ魏無羨の声が反響する。

 失明した藍忘機を肩に背負い、蹌踉めきながら歩く彼らを守るように、先導する謝憐は始終、振り返り、周囲の安全を確かめていた。

 そこで藍忘機がとある気配に気が付く。

「魏嬰、待ってくれ。兄の気配がする」

 藍忘機の言うことなら確かだろう。

 目の見えない藍忘機を庇いながら三人は藍忘機が指す方角へと進み、そこで血塗れになって倒れる数人の鬼たちの死骸と打ち捨てられた二振りの剣を見つけた。

「江澄の三毒と澤蕪君の朔月だ!」

 修士にとって自身の剣は己の身同様に大切なものだ。

 これを置いて行ったと言うことは二人はまだ捕らえられたままなのだろう。

 そして至る所に飛び散る血、血、血。

 藍忘機の視力が奪われていて良かったと魏無羨は思う反面、何としても江澄たちを見つけないとと内心で焦る。

 その焦りを見抜いた様に謝憐が彼の肩に手を掛けた。

「魏公子、心配いらない。この鬼たちを殺した相手と私は面識がある。行き先は分かっているからこのまま進もう」

 半信半疑ながら魏無羨は頷く。

「藍湛、澤蕪君の朔月はお前に預ける。俺は江澄の剣を持って行くから」

 魏無羨の言葉に藍忘機も頷き、そして彼を気遣う様に頬にそっと触れた。

 そんな二人を微笑ましそうに眺めながら、謝憐は背中に掛けていた傘を深く被り直し、先を急ぐように先へと促す。

「三郎が彼らを連れて行ったのなら何の心配もいらない。さあ、鬼市へ向かおう」

 一体鬼市とはどんな場所なのか。

 果たして藍忘機の視力は取り戻せるのか。

 今は謝憐の言葉を信じて先へと進むだけだった。

 

続く

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