「おはよーございますっ!」
「はい、おはよう」
朝の校門前、桃色の髪の毛の、瞳の中に桜を閉じ込めた小柄な少女が、頭の上のウマ耳をピコピコさせながら手を上げて元気に挨拶をしてきた。
今日も元気だなぁ、と半分感心しながら返事したのがよくなかったのか。それとも、若いってすげ〜、とか考えていたのがバレたのか。こちらを下から覗き込んできていた少女の目が、心配そうに細められる。
「元気無い? 大丈ー夫?」
「大丈夫大丈夫、ウララはいい子だなぁ。うりうり〜」
「わーっ!」
頭を少し粗めに撫でてやると、両手を上げて無邪気に喜んで声を上げてくれた。歳の割に幼すぎる気がしないでもないけど、この子の純粋さには俺も含めて救われた人が多い。きっと親御さんの教育が良かったんだろうなぁ。
その姿にほっこりしながらも、髪が必要以上に乱れる前に手を止めると、何かを期待するかのように両手をこちらに向けて伸ばしてきた。
「んっ!」
「んっ! じゃないのよ……。はいはい、仰せのままに」
期待に瞳を輝かせながら伸ばしてきた脇の下に手を入れて、ひょいと持ち上げる。そのままいつも通り肩車しようとして──
(危ない危ない)
制服だし、スカートであることを思い出して、肩に乗せることにした。この学校に通う学生は女の子しかいないが、男性の職員は普通にいるし。それに、すぐ傍に立っているたづなさんの目線も一瞬鋭いものに変わった気がしたから。
「ほら、足は開かない。はしたないぞー」
「はーいっ! あ、キングちゃんっ。おーい!」
「あーあー、言った傍から」
こちらがバランスを崩して落っこちることなんて微塵も考えていないようで、どこかに捕まることもせずに両手で、遠目に見つけた友人に勢いよく手を振る。
その拍子に捲れそうになったスカートを、出来るだけ触らないように抑えて。ついでに機嫌良さげにブンブン振られている尻尾が頭に当たりそうになるのを、ひょいと避けた。
「ウララさん……。あんまりご迷惑をかけないようにするのよ?」
「はーいっ」
「待て待て」
普段よりも随分高いところにいるウララのことを見て、最初こそほんの少し驚いたような顔をしたものの、その後はさらりと流して校門を通り抜けようとするキングヘイローのことを慌てて引き留める。もう少しこう、あるだろと。
「悪いんだけど、おたくの娘さん、もう少し男性を警戒するよう言ってあげてくんない?」
「誰がお母さんよっ! ……仕方ないでしょう。ウララさんだって親元離れて来てるの。甘えさせてあげなさいよ」
「しかしなぁ……」
「それとも、変なことするの?」
「しないが???」
じゃあいいじゃない、と心底不思議そうな顔をされると、それ以上は何も言えない。遅刻する前に切り上げるのよ、と注意してから校舎に向かっていくその後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「ウララ、キングにはちゃんとお礼言うんだぞ……」
「? うん! 毎日言ってるよっ!」
何の話してたのー? と、不安定な場所に腰掛けているのにも関わらず、こちらを覗き込むように上体を屈めてくるウララが落ちないように、もう一度抱え直して。また一人、直進直進言いながら校門を突っ切っていった長髪の少女に、走るなよ、と声を掛けた。
「無理です! これが最速なので!」
振り向かないまでも律儀に返事はする。それはそれとして全く足は緩めない彼女が遠ざかるのはすぐだった。
校門の向かい側に立っているたづなさんがニコニコと笑いながら、彼女が駆けていった先を見つめている。
「ライトオさんは……、あれで誰にもぶつかった事が無いのが不思議ですねぇ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
凄いですよね、と深く頷いて。未だ肩の上に乗ったままで俺の髪の毛を弄り始めたウララに目線が向く。
「ハルウララさん? あんまり男性にそうやってくっついたらダメですよ?」
「? はーいっ、ゆーじせんせーだけにするねっ」
「ウララ……、俺の髪の毛を三つ編みにするのはやめなさい……」
ちょうど校門をくぐっていった、もふもふのツインテールの少女が俺の頭の状態を見て吹き出して、ツボに入ったのか体を震わせながらふらふらと歩いていった。どうなってんだ俺の頭。
「あ、ライスちゃんっ。おはよー!」
ご機嫌に鼻歌まで歌いながらいじくり回していた髪の毛を、ぱ、と放して手を大きく振る。その視線の先には、青の薔薇をあしらった帽子を被った黒髪の少女が居た。
「お、おに、虎杖さん……。お、おはようござい、ますっ」
「はい、おはようさん」
「ライスちゃん、ライスちゃんもどうっ? 高いよ!」
「ん? 乗るか?」
反対の肩をぐるりと回すと、えぇえっ!? と驚きながら頬を赤くする、ライスちゃんと呼ばれた黒髪の少女の頭の上にも、人のものではない耳が一対、動いていて。
「い、いいのっ……?」
ぴこぴこ、ブンブンと忙しなく動く耳と尻尾を微笑ましく思いながら眺める。どうにも年を重ねすぎた自分には眩しすぎる彼女らではあるけども。
それでも。
授業開始5分前を知らせるチャイムの音が響く。それを聞いた肩の上のウララが慌てたように振り向いて、目の前のライスの耳が校舎の方に大きく動いた。
「遅刻しちゃう! ゆーじせんせーっ、また後でー」
「あ、あの、失礼しますっ」
「またなー」
ぱたぱたと、そんな様子でも人よりもずっと速い速度で校舎に向かう2人の後ろ姿に手を振って。ついでに人差し指を一振した。
キンッ
微かなそんな音と共に、黒髪の少女が背後に背負っていた黒い靄が二つに分かたれて消える。
俺がここにいる理由も、確かにあった。
「また、なにかいましたか?」
「あー、はい。ライスはどうも引っ張ってきやすいみたいで。でもまぁ大丈夫ですよ、たづなさん」
「そうですか……」
虎杖さん以外にもそういう人材がいれば良いんですが、と何度悩んだか分からない問題で、また頭を悩ませ始めるたづなさん。
そんな彼女の様子を見ながら校門を閉めて、そのまま悩みながら理事長室に向かう様子を見送った。
「今日も皆元気だねぇ……。ん?」
視界の外で誰かが動く気配を感じ、そちらにばっ、と振り向くと、そぉっと抜き足差し足で背後を通り抜けようとする、派手な青髪をツインテールにした少女が一人。
「ぬあーっ、見つかったっ!」
「そりゃあ無理だろ」
なんでぇ!? と驚きながら降参したように両手を上げるツインターボを捕獲したところで、時間切れを知らせるチャイムが鳴り響く。それを聞いたターボの耳から、くた、と力が抜けた。
「遅刻だぁ……」
「遅刻だなぁ……。まぁ仕方ない、一緒に謝ってやるから。ほら、行くぞ?」
「ほんとっ!? やったーっ!」
一度は閉めた校門を、もう一度一人通れるくらいに開けて。元気を取り戻したターボとともに歩いて校舎へ向かう。
「で? 遅刻の原因は?」
「寝坊だ!」
「寝坊かぁ……」
諦め半分に、偉い偉い、と褒めると、これまた無邪気に喜んで見せる。そんな純粋さが何だか眩しくて。思わずこちらまで笑ってしまっていた。
「お、なに? なんか良いことあったっ?」
瞳を輝かせるターボはまだ気がついていない。下駄箱の前に随分ゆっくり歩いていたたづなさんの姿があることを。そして、もう彼女に気づかれていることを。
「はははっ」
「なーなー、ターボにも教えてよー」
すぐ分かるさ。そう答えた数秒後、自分の置かれた状況を理解したツインターボの断末魔がトレセン学園に響き渡ることとなった。
◯
「懇願ッ!」
それはもう見事なスライディング土下座だった。きっとこの先の人生でここまで綺麗な物を見ることは無いだろう。
心の中で学生服を着た伏黒と釘崎が無言で「10点」と書かれた札を上げている。そもそもスライディング土下座なんて見る機会がこの先あるかっつー話ではあるけども。
「お力を貸していただけないだろうかっ!」
「あー、えっと。秋川さん? ほんと、申し訳ないんだけど頭上げてくれない?」
頷いてくれるまで絶対にここを動かぬ、とでも言いたげに頑なに頭を上げないその様子を見て、まいったなと頭を掻く。
「そのー、周りの視線がですね。ほんと痛いんで」
端から見ると少女を土下座させている大人にしか見えないだろう。現にさっきから、何やっとんじゃお前、みたいな視線がビシバシ飛んできている。
「むっ、それはそうか……。話を聞いてもらえるということで良いか?」
「うん……、良いよ、それで……」
押し負けて肩を落とす俺に対して、少女の後であたふたしていた緑色のスーツに身を包んだ女性が、本当に申し訳なさそうに頭を下げていた。
「すみません、理事長が……」
「あー、気にしないで良いよ。……理事長?」
子どもにしか見えないんだけど、とようやく頭を上げてくれた少女を見ると、少女はどこからか取り出した“採用!!”と書かれた扇子を取り出してこちらに見せた。
「採用! うちで働いて生徒達を守ってはもらえぬかっ!」
「生徒? 学校かなんかやってる、みたいな?」
「肯定! 私は、日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称トレセン学園の理事長である!」
「おぉー、おぉ?」
トレセン学園ってなんだっけ、と首を捻った俺を見て、目の前の2人がずっこけるまで、あと2秒ほど。
こっちでも、あんまり強そうじゃないけど呪霊っぽいのが結構いるし、どうにも普通の人にも見えてしまう奴も、なんだか知らないけどいるっちゃいる。
運悪くそういう、普通の人にも見えてしまうやつに絡まれていた人たちを見かけたから助けた。そこまでは割とよくあることだったんだが。
「んー、でもなぁ」
「ああいう存在がいると知ってしまった以上、対策は急務! しかし私たちにはそういう伝手などない! どうかお願いだ!」
ふと横を見る。ショーケース内のテレビの中で、今まさに一つのレースが終わったところだ。ゴール板を一番に駆け抜けた少女は、両手を天に突き上げて何かしら叫んでおり、反対に届かなかった数人の少女の中には涙を流しているものもいる。
(眩しいなぁ)
「トレセン学園って、あの子達みたいなのが集まるとこなのか?」
「あ、あぁ! そうだ!」
自分の青春に悔いがあった訳じゃない。短かったけどオカ研で過ごした時間は楽しかったし、伏黒と釘崎の三人で過ごした時間だって。
あの時間は、五条先生が作ってくれたものだった。先生に守ってもらえて初めて、俺は皆と馬鹿笑いしながら日々を過ごせていた。
(若人から青春を取り上げるなんて許されていない、だったっけ)
五条先生、先生なら何ていうかな。まだ全然、右も左も分からないけど、今の俺にはきっと、眩しい青春を守れるだけの力があって。
「なぁ秋川さん、俺。教師になってみたかったんだ」
顔だけでなく、体ごとテレビの方向に向き直る。いつの間にか次のレースが始まっていて。知識のない自分には、今彼女たちが走っているそれがどれほど凄いものなのかは分からないけど。
誰も彼も、必死で前を見ていた。必死に腕を振って、足を上げて。荒い息を吐きながら、それでも前に。
そんな彼女たちの姿に、強烈な青を見た。
「俺に、やれることがあるかな」
「ッ歓迎! 我が校は君に門戸を開こう!」
「俺、多分戸籍とか無いけど大丈夫かな」
「な、何故っ!?」
「いやぁ、それが俺にもさっぱり」
書き始めといてなんだけど、コイツウマ娘界に起こるトラブル全部力付くで踏み潰しそうだな。困る。
続かない