一応世界的にはRTTT→新時代の扉あたりだと思ってください。
小僧、お前なら頂点への道を阻むことが出来るのか?
「もう二度とやらないで」
「はい……」
人気の無いトラックの芝の上。正座させられた俺の正面に立つアヤベが、溜息交じりにそう言った。
領域を発現して走り終わってすぐは、明らかに今までと違った自分の走りに驚いたのか、数秒間呆然と自分の手のひらを眺めていたけど、それからすぐに思い出したかのようにこちらにずんずんと歩いてきて、正座を要求してきたのだ。
かなりの迫力に逆らうことができなかったのと、走り終わって頭が冷えたことで冷静になり、戻ってきた理性がちゃんと反省しろ、と頭の中でうるさく騒いでいるのが原因だ。
日中に少し降った雨を含んで湿り気を帯びた芝が、動かしたことで少し熱を持った足を冷やしていく。
正座する俺の前に、一歩距離を詰めたアヤベが立つ。その後ろには、片手をあげてブーイングをしている妹の姿もある。
どうにもシンボリルドルフの放つ闘気に当てられて、思考が、己を呪いを祓う機械だと定めていた頃のものに寄ってしまっていたようだ。
この世界では、その思考を持つことなど、百害あって一利なしだというのに。
「やるなら、最初に言って。
……嫌われたかと、思った」
ゆっくりとしゃがみこんだアヤベと俺の視線が同じ高さになる。星灯りの下で煌めくそのアメジストの瞳は揺れていて。空の小さい光たちを映しながら揺らめいている。
じっとこちらを見るその瞳を逸らさないまま、アヤベはこちらにゆっくりと手を伸ばしてきた。
「気になってたの。あなたのその顔の傷。……さっきのと、関係、あるの?」
「……気持ちのいい話じゃないぞ」
口元の、そして目元に残る、もはや反転術式でも消えることのない傷跡に伸ばされた指先が、そっと触れる。自分で触れるのとはまた違う、こそばゆい感覚に自然と目が細められる。
なんてことはない。世にはびこる呪い呪われ、その因果の中に飛び込んだ一人の男が不格好に足掻いて、自分にできることを必死に探して。
結果的に沢山の物を守ることができずに手からこぼれ落ちていっただけの話だ。そもそも俺の手が、沢山の人を守れるほどに大きくなかっただけの話。
「……そう、あなたはそう言うわよね。だから、聞かない」
傷に触れていた手が離れていく。その代わりに今度は、膝に置いていた手を取られる。先ほどまで揺れていた彼女の瞳は、もうしっかりとこちらを真っすぐとらえていて。
強い意志が込められた視線に射抜かれる。じっとこちらの目を覗き込むように見てから、ふ、とその表情が緩められる。柔らかく吹いた風が芝を揺らしながらターフの上を駆け抜けていく。ふわりとアヤベの前髪が揺れる。
不思議と、細められたその瞳の中に満天の星空が見えた気がした。
「いつか、話してね」
「あぁ、いつかな」
わざわざ人に言うような話ではない。あの時の足りなかった過去も。自分が犯した罪も、世界が変われど変わらず自分の内をのぞいてみればそこにある。
弱かった俺は、誰かの犠牲の上にしか立つことができなかった。強くなって、できることが増えるたび。手の届く範囲が広くなるたびに、自分がどれだけ足りていなかったかを思い知らされるだけ。
そんな、面白みのない話だ。それでも、彼女が生徒ではなくなったとき。守るべき子供ではなくなったときに、まだ聞きたいと言ってくれるのなら。その時は。
話しても、良いのかもしれない。
「ねぇ、私、勝ったわよ」
「うん? そうだな」
「お願い、聞いてくれるんでしょ?」
膝についた芝を払いながら立ち上がる。湿ってしまい、払うだけではなかなか落ちないそれに苦戦していると、そんな俺をじっと見ていたアヤベが口を開いて、そんなことを言った。
確かに、走る前に勝ったら何でも一つお願いを聞いてやる、と言ったし。アヤベの領域が発現した後は、特に勝敗を追っていなかったので、俺の負けになるな。
正直、勝ち負けを全く考えずに走っていたから、頭からすっぽり抜けていた。すっかりと冷えた夜の空気が、濡れて張り付いたズボン越しに足から熱を奪っていく。そんな俺の足に、揺れているアヤベの尻尾がふわりと触れた。
「何がいい?」
「……菊花賞までの間、また一緒に走って」
朝も、夜も。そう付け加えて、こちらをじっと見ていた視線を逸らして下に向ける。足に触れた尻尾は離れていかずにそのままだ。別に、それくらいならわざわざお願いにしなくてもいいのに、と。そう口を開こうとしたとき、被せるように「それと」とアヤベが口を開いた。
「それと、それまでの間。……私以外の誰とも、走らないで」
「? わかった」
「分かってないっ。……あなたは、自分ができることがあれば。誰にでも手を差し伸べてしまうから」
一歩、距離が詰められる。触れていただけの尻尾は、するりと巻き付いて確かな熱を足に伝えてきていた。
「少しの間でいいから、私だけ見てて」
足に巻きつけられた尻尾に力が込められる。眼鏡をかけていないアヤベには見えていないが、背後では彼女の妹が口を両手で押さえながら、固唾をのんでこちらをじっと見ている。
上目遣いにこちらを見ていたアヤベの瞳が、言葉を言い切ってから一拍おいてわずかに見開かれ、頬には急速に朱がさした。
「ち、ちがうっ。そう、ではなくて。……えっと」
「よし、分かった。アヤベだけ見てるよ」
きっと教師としては、ただ一人の生徒だけに目をかけるなんて行為は正解ではなくて。それでも、大きな目標を目の前にして頼ってくれた生徒の手を払うことなどできようはずもなく。
しかもそれが、あまり人に寄りかかることをしてこなかった子供ならば、なおさらだ。頼ってくれて嬉しい、と手を伸ばすと、頭の上の大きな耳がこちらが撫でやすいようにぺたんと伏せる。それを本人が自覚しているのかいないのか。目を閉じて大人しく撫でられているその様子もなんだか嬉しくて。
菊花賞まではもう二週間ほど。元々、誰にもウマ娘と併走できることを話すつもりもなかったし。学園内の自分が処理しなければならない問題もあらかた片付いている。見回りは続けなければならないが、アヤベの為に割く時間が増えても問題ないだろう。
「終わったー?」
私とも走ろうよぅ、と近づいてきた妹の様子を笑って見て。アヤベに怒られるから駄目だ、と言って一つ笑った。
〇
「虎杖さんっ、プロ野球に興味はありませんのっ⁉ おありでしたら虎に是非っ!」
「俺は教師だぞ……?」
「おらマックイーン? 訳分かんないこと言ってないで行くぞー」
「あっ、待ってくださいましっ。ピースが、“アレ”するための最後のピースがあぁぁぁー」
首根っこをゴールドシップに掴まれて校舎の方へ引きずられていくメジロマックイーンに敬礼! そんな様子を校門の反対側に立つたづなさんが、なんとも言えない表情で見ていた。
プロのアスリート。特に野球やサッカーのような華やかな世界への興味が無いわけではないが、少なくとも今の自分がやりたいことは教師だ。
やめるつもりはない。そもそもプロのアスリートと言っても普通の人間なのだから、俺が中に混じるとただのずるになってしまう。
草野球は、趣味だからギリギリ許されていると信じたい。シーナに頼まれてしまった手前、断れなかったというのも多分にあるが。
「すまんなー、うちのが迷惑かけてるみたいで」
「沖野。遅刻ギリギリな出勤の方がどうかと思うが?」
「沖野さん? トレーナーの始業時刻は過ぎてるので、遅刻です~」
笑顔で威圧感を放ちながらそう言うたづなさんに向き直って、慌てて頭を下げる沖野トレーナー。トレーナーとしては有能らしく、率いるチームは学園の中でも間違いなくトップを争うレベルのものなのだが、いかんせん普段の振る舞いがどうにも締まらない男だ。
もう既に酒を奢らされた回数は数知れず。すべての金がウマ娘の為に消えていっていることを知っているから、強くも言えないのが困りどころだ。
「あー、領域の話だがな。あんまり言いふらす話でもない。広めないでくれよ?」
「分かってるよ」
アヤベからストップをかけられてしまったため、よっぽどのことがない限り同じことをすることはないだろう。そもそも自分の仮定の一つに置いた、“ある程度の実力”というのがどれほどのラインかわからない限り、おいそれと誰にでもできるものではなかったのだが。
「そんでな、一つ聞きたいんだが──」
「なんだ?」
「お前、ゴルシに蹴られても平気だったって本当か? どんな鍛え方してんだ?」
「全部そのまま返すなぁ……」
正確に言えば、ゴールドシップのドロップキックを受け止めて、そのままゆっくりと下に下ろした、が本当のところである。蹴りをまともに喰らったわけではない。別に喰らっても怪我はしないだろうが。
ただ、それは俺の生来の肉体の頑健さと呪力強化があってのこと。この男に関しては、生身でウマ娘からのドロップキックだったりハイキックだったり、果ては後ろ蹴りを顔面にもろに喰らっているのにもかかわらず、数分後にはぴんぴんしているのだ。意味が分からない。
「失礼な、俺はちゃんと怪我をしている」
「すぐに治ってるじゃないか」
こいつもデジタルと同じ不思議生物枠だ。最初に見たときは、この世界の人間はみな頑丈な上に傷の治りが早いのかと勘違いしかけたが、だんだんとこの男が異常なだけだと理解してからは、もう。色々と諦めた。
「沖野さ~ん? 遅刻してるの、忘れてないですか~?」
「やべっ、……じゃあな! また飲みに行こうなー」
慌てて校舎の方へ走っていく背中を見送った。飲みに誘ってくれるのはいいのだが、今回こそはちゃんと財布の中身を詰めてきてほしいものだ。
毎回のように誰かにたかるのは正直どうかと思う。金の使いどころなど他にない自分だからいいものの、トレーナーならお金などいくらあっても足りないのだから。
「……おはよう」
「おはよう、アヤベ」
「……ねぇ、ちょっと」
トレセン学園の制服に身を包み、バッグを肩にかけたアヤベの挨拶に言葉を返す。ちゃんと挨拶を返してくれるようになったな、と目を細めていると、いつものようにそのまま校舎の方へ歩いていくのではなく、立ち止まったアヤベがじっとこちらを見ている。
何かと思い首を傾げると、こちらに近づいて手を伸ばしてきた。
「ネクタイ、曲がってる。……朝走った後にあまり時間が無いのは分かるけど、先生なんだから。ちゃんとして」
「お、ありがとなぁ」
きゅ、とネクタイが締められて首に少しの圧迫感。妙にこなれた手つきで曲がっていたらしいそれを直したアヤベが、満足そうに笑ってから校舎の方へ歩いていく。その背後でこちらに手をふる妹へも手を振ってから、また正面に向き直ると、校門の反対側に立っているたづなさんが何故だかこちらをじっと見ていることに気が付いた。
「アドマイヤベガさんといつの間に仲良くなったんですか?」
「すこし前に夜のコースで練習してるときに話す機会がありまして」
「それだけですか? ……まぁ、いいでしょう。様子が変だったので、気になっていたんです。でも、さっきの様子を見ると大丈夫そうですね」
「えぇ。菊花賞も楽しみです」
そう言うと、たづなさんは口に手をあててひとしきり笑ってから、もう一度こちらを見た。
「アドマイヤベガさん、一皮むけたみたいですね」
「若者の成長は早いですからねぇ」
ははは、ふふふと笑い声が響く。この人、アヤベが領域に踏み入ったことに気が付いてない? どういうこと?
【悲報】わざマシン小僧、アヤベさんによりナーフ。
残念だったな小僧。領域持ちが相手を察知できるなら、ルドルフほどではないけど他にも数人には勘付かれているぞ。誰とは言わんけど。
ネイチャやキングの話も書きたいんだけど、アヤベさんの存在感がでかすぎて他の子が出てきてくれない。どうしましょ。