ルドルフ「えぇ…、なんかレースに出てもないのに唐突に領域覚醒してる奴いる、怖…」
「領域……?」
「そう、アドマイヤベガ。君は“時代を創るウマ娘”だけが足を踏み入れられる世界にいる。
……ところで、そのきっかけなどに心当たりはあるかい?」
レース以外で急に発現するものは珍しい。そう口にしたシンボリルドルフを前にしたアドマイヤベガは、顎に手を当ててほんの少し考え込む。
放課後のトラックコース。並走に励むもの、スタートの練習をする者。そして疲れ果てて息を切らしながら、背中から倒れ込む者。
太陽はもう傾きかけている。日の終わりを知らせる橙色が、トレーニングに励む彼女たちのことを照らしている。
「プレゼント、です」
「プレゼント……?」
領域を? と首を傾げる。頭脳明晰な彼女をして、意味不明だったのだろう。
いつも威風堂々としている生徒会長の、なかなか見られないそんな姿を前にして、それ以上は話す気はないとばかりにコースの方へと顔を向けたアドマイヤベガは、何かを思い出すようにくすり、と一つ笑った。
「領域は発現したてだと不安定なことも多い。望むのなら時間を取って、最低限の基礎を説明してもいいが……」
「いえ」
心当たりがありますので。そう言って頭を下げて。ざくざくと芝を踏みしめながら遠ざかっていくアドマイヤベガの後ろ姿を見送りながら、シンボリルドルフは呆れたように一つ息をついた。
「心当たり。……誰か彼女に力を貸しているのだろうか。……あまりそういう話は聞かないのだが」
ふと、彼女の頭の中によぎったのは、つい数日前、なんてことないハリボテのそれとはいえ、曲がりなりにも“皇帝”の領域をいとも簡単に、蟻でも踏み潰すかのように一瞬で押しつぶして見せた一人の教師の姿。
「……いや、まさか」
話をした時の、領域に関しての知識がほとんどなさそうだった彼の姿を思い出して、頭を振って否定する。
さすがに意図的に“領域を習得させる”など、あるはずもない。
プレゼントなどという言葉に惑わされて正常な判断を下せていなかったようだ、そう結論づけて、再びコースで走り出したアドマイヤベガの姿を視界に収める。
「羨ましいな……」
今年のクラシック戦線を彩る3人の実力者たち。アドマイヤベガ、テイエムオペラオー、そして、ナリタトップロード。
領域の片鱗が見えている、最初に覚醒するのはテイエムオペラオーだとばかり思っていたのだが。そう呟いて踵を返す。
クラシックロードに残る冠はたった一つ。既にこれまでの二つを2人で分け合っているため、今年は3つの冠を戴く王者は生まれようがない。
だがしかし、シンボリルドルフにとっては。実力の伯仲したライバルたちと競い合う彼女たちの背中が、無性に眩しく見えていた。
◯
「さて、領域についてはシンボリルドルフから聞いたこと以上のことはあまり言えないわけだが」
「……そうなの?」
人影のなくなった夜のトラックで、芝の上に座ったアヤベがそう言って首を傾げる。
本人的にはすぐにでも走りたかったようだが、無事にシンボリルドルフから話も聞けたようだし、まずはいろいろと整理しておきたかった。
「そもそも、俺の扱う領域は、知らん間に発動するものじゃなくて、掌印や呪詞など、いろいろな手順を踏んで使うものなんだ」
ウマ娘の領域と呪術師が扱う領域の絶対的な差はそこだ。
術師の領域は、術師ごとの決まった掌印、そして呪詞といった手順を踏んだうえで、結界術や呪力そのものの扱いなど、多くの要素が揃って初めて到達できるもの。
それに対してウマ娘が至る領域は、レースにおけるその効果の凄まじさに対して、どうにも簡単すぎる。
これについては、とりあえず、術式に最初から領域が付属する秤先輩や日車みたいなもので、異世界の競走馬の魂を受け継いだ時に、最初から至る可能性や素養というものをある程度持っている、として解釈することとして。
最初の発動のトリガーが感情の昂りとして、それ以降はどうなのか。シンボリルドルフの言葉を信じるのなら、何か特定の条件を満たせば再び発現することができる。
「一回こっきりで、それ以降使えませんでした、じゃ話にならないからな」
つまり、ある程度の条件付け、そして必殺必中ではなく己の強化に比重を置くことによって、発動難易度を下げていると判断した。
その条件が本人もあまり分かっていないということが、一番の問題なのだが。
「まずはその条件探しから始めようか」
「……分かった」
こくりと頷くアヤベ。発動条件は、3人の相手を抜くことだったり、中盤に半分より下の順位にいることだったり、最終直線で特定の順位にいることだったり。どうにもバリエーションが豊かなようで。
確かめるには、まぁレース形式で行うしかないわけだ。
「別に、俺はもう昼の人がいる時間でも構わないんだが。毎日遅くまでだとアヤベだって大変だろ?」
「いいの。……あなた、本当に分かってる? ウマ娘と互角に走れる男なんていないの。大騒ぎになるわよ」
「そうか?」
「そう。……私はいいから」
あんまり毎日遅くまで突き合わせるのも申し訳ないんだが。まぁ菊花賞まではあまり目立つわけにもいかない。仕方がないと思おう。
「そう言えば、アヤベのトレーナーはなんて言ってるんだ?」
「トレーナー? そんなのいないわ」
「いないの??」
いなかったら出走できないと聞いていたため、驚いて聞き返す。よくよく話を聞いてみれば、名義だけ借りてレースに出ているため、ちゃんとトレーニングをつけてくれている人はいない、とのことだった。
「珍しいことじゃないわ。トレーナーの数は足りていないもの」
「いやぁ、しかしなぁ……。君らはまだ子どもだし……」
取材対応などもあるのに、それはどうなのかと。首を傾げる俺を尻目に、服についた芝を払いながらコースに向けて歩き出したアヤベが、首だけこちらに振り返る。
「早く。走るわよ」
「はいはい」
放課後から軽くとはいえトレーニングをしていたアヤベには、準備運動は必要ない。実際のレースの際に使われるゲートはないものの、今回は菊花賞と同じ条件で走りつつ、領域の発動を目指すつもりだ。
「さて、走る前に言っておくが」
「……なに?」
「とりあえず、俺がナリタトップロードな」
そう言って、す、と取り出したビブスを上から着る。前と後ろには“ナリタトップロード”と書いてある。
「んで、コイツがテイエムオペラオー」
唐突に俺の横から立ち上がった黒い人影に、手に持ったビブスを被せる。それにも同じように“テイエムオペラオー”と書いてある。
「で、コイツが──」
「待って。ちょっと待って」
「なんだ?」
「なんだ? じゃないのよ……」
額に手を当てながら、所在なさげに俺の隣に佇む黒い人影を指さす。実際のテイエムオペラオーと同じくらいの身長に作ったそれは、アヤベの視線を受けると、それに応えるように手をあげた。
「なに、それ?」
「なにって……。並走相手?」
「そういうことじゃなくて……」
「あぁ、まあ式神みたいなもんだ」
「式神……?」
納得していないながらも足をほぐしながらスタートラインに立つ。その姿を見ながら、黒い人影を13人分。俺と合わせて菊花賞の出走が決まっている全員分を埋められる数、作り出す。
「全員分の走り方を一通り入れてきた。操作がマニュアルだから何回もは出来んが……。
本番だと思ってやれよ?」
「……分かった」
少し距離を開けて隣に並ぶ。発走の合図を待つまでのほんの少しの時間。顔を伏せたアヤベが、小さく「ありがとう」と呟いた。
「気にすんな」
合図の笛が鳴る。一斉に走り出した15の影による、本番さながらの3000mのレースが始まった。
◯
ナリタトップロードの走り方はどこまでも王道の先行抜け出し。レースの展開によらず、いつだって一定以上の実力を発揮してくる。
それに対して、アヤベの脚質は追込だ。最後方からの大まくりは見ごたえがあって派手だが、前を塞がれるなどの展開によっては。
「まぁ、こういうこともあるわな」
「はっ、はっ……。負け、た」
逃げのいないスローペース。ついでに人気ウマ娘はマークもされてきつい展開になることも多いと聞いていたから、数人に進路を塞ぐような動きをさせてみると、案の定届かなかったアヤベは6位に沈んだ。
「領域も、今回は失敗だな」
「そう、ね」
芝の上に背中から倒れたアヤベの隣に腰を下ろす。走っているうちになんとなく条件は分かったらしいのだが、それ以上に全く届かなかったことに動揺して、全く発動の気配すらなかったようだ。
動揺してるとなにも出来なくなるのは何に関しても同じだなぁ、と頷いていると、ぎゅ、と手の近くの芝を強く握り込んだアヤベが息を整えながら、口を開く。
「本当にトップロードさんを見てるみたいだった。……どうなってるの?」
「それは頑張ったとしか」
本当に、そうとしか表現できないのだ。ただ単純に、人よりも睡眠時間が短くて済む利点を活かして、資料として置いてあったレース映像を擦り切れるほどに見ただけ。
だから、能力値に関しては予想でしかないのが痛いところだ。初めての長距離戦なので、距離適性が合わない子だっているだろう。俺にトレーナーのような知識があれば、もっと違ったのかもしれないが。
「……もう一回っ」
「はいよ」
レースが終わって、走り終わった場所で静止していた黒い人影たちを動かしてスタート位置に戻る。負けたことで火がついたのか、先ほどよりも一段深い集中状態に入ったアヤベのことを横目で見て、少し笑ってから。
合図に合わせて、また一斉にスタートを切った。
「そう言えば、結局これはなにでできてるの?」
「あぁ、触らないほうがいいぞ」
テイエムオペラオーを模した人影に触ろうとしたアヤベを手で制する。あの後追加で2回ほど模擬レースを行い、大体の領域の条件は判明。アヤベもマークされることやスローペースにも慣れてきたのか、段々と追いすがられるようになってきた。
もう必要ない、ということで指を振ると、ぱしゃ、という音と共に全ての人影が溶けて消えていく。
呪力から変換していたそれは、残ってその場所を汚さないように、そのまま消してしまった。
「血で出来てるからな」
「ち、……血? あなたの?」
「まぁ、そうとも言う」
がし、と凄い勢いで手を掴まれる。そちらを向くと、青い顔をしたアヤベが震えながら俺の腕を握っていた。
「だめ、し、死んじゃう、あんな量」
「だ、大丈夫っ、俺、血ならいくらでも増やせるんだよ、ほら」
手のひらの上で突然出現した赤い球体を見せると、「そ、そうなの……?」と幾分か顔色がマシになったアヤベの手が離れていく。
そう言えば、人は血が足りないと死ぬんだったな。加茂先輩もその部分で苦しんでいた。長いこと血液不足には縁がなさすぎて、すっぽり頭から抜けていた。
「……ん?」
鼻から何かがたらりと垂れる感触。拭うと、こすれた赤が手に残る。
慣れていないからか、14人分の走りをトレースしながらのマニュアル操作は少しきついものがあったらしい。それでも反転術式があれば問題はないのだが。
「休んで」
「なんでだ? もう一本くらい行くだろ」
「いいからっ」
ぐい、と手を引かれてそのまま芝の上に強制的に座らされる。隣に座ったアヤベは絶対に離さない、とでも言いたげに俺の腕を両手で掴んだままだ。
「あなたに倒れられると困るの。……だから、休んで」
「大丈夫なんだが……」
「いいから、今日は終わり」
いい? と小首を傾げるアヤベに従うように頷いて。そのままごろりと芝の上に寝転がる。
雲一つ無い空には、見渡す限り輝く星が瞬いていた。
【速報】レースシミュレーター『ITADORI』解禁!
ライバルの情報をインプットすると本番さながらのレースを再現してくれるぞ!ただしアヤベさんによりナーフ済み。
小僧、部品メンタルこじらせるのはいいが自分に対して無関心なのはどうかと思うぞ。