小僧、本当にちゃんと競馬についても知識を持っておけばよかったなぁ?
「こんにちは。マーチャンです。先生さん、マーチャン人形、ちゃんと持っていてくれてますか?
もしかして忘れてしまいましたか? それでしたら、もう一つ差し上げますよ?」
ひょこ、と何処からか姿を見せた頭に王冠を被ったウマ娘が、そう言った。彼女のことはもちろん覚えていた。
少し前に、突然自分のデフォルメされたぬいぐるみを渡してきた娘だ。あの時に貰った二つの人形は、埃を被ることのないように手入れをしながら大切に飾ってある。
「先生さん、先生さん。写真を取ってほしいのです」
「あぁ、いいけど」
そう返事をすると、カメラを手渡される。携帯に内蔵されているそれではなく、ちゃんとした写真を撮ることだけを目的にしたそれは、確かな重みを手に伝えてくる。
「とっても綺麗な星空なのです。こんな空の下に、今日。マーチャンが確かにいたよって。残したいのです。ぶいぶい」
少し離れた場所で、振り返った彼女が屈んでVサインをつくる。前の校門のときにも思った。自分を忘れないで欲しい、という言葉は、なにか彼女にとっての特別なのだろうか。
合図と共に、シャッターをきる。満天の、何処か青さすら感じさせる星空の下で笑顔を浮かべるその写真が、何故か今も脳裏に焼き付いて離れないでいる。
「先生さん、あなたは。海から、戻ってきてしまったのですか?」
「……どういうこと?」
またある日。いつの間にか隣にいたアストンマーチャンが唐突にそんな事を言った。足取りと共にふわりと彼女の肩ほどまで伸ばされた癖毛が揺れる。
手の上に何処からか飛んできた白い鳩を乗せたアストンマーチャンは、こちらに目線を向けないままに小さく呟いた。
「人は、皆海に向かって川を下っているのです。荒波に飲まれることがあっても、隣にいた人がどこかに行ってしまっても。それは変わらないのです」
彼女の腕に止まっていた白い鳩が、一つ鳴いて飛び立っていく。ホワホワさん、またね。そう言って手を振ったアストンマーチャンは、ようやくこちらに目を向けた。
金色の目が瞬いて、こちらをじっと見つめている。
「あなたからは、ずっと波の音がしていました。とっても、とっても近かったのです。
──でも」
おかしいのです。そう呟いた彼女はその場に立ち止まった。
「見る度に小さくなるのです。段々と遠くなっているのです。
まるで、川を逆上っているよう、です。
おかしいです、そんなの」
ねぇ、先生さん。そういった彼女は顔を上げる。夕焼けで紅く照らされた彼女の瞳が細められる。高めに結ばれたサイドテールが、微かに首を傾げる動きに従って、少し揺れた。
「あなたは、海の向こうを知っているのですか?」
「海の、向こうか……」
彼女の言いたいことはなんとなく分かった。自分だって確かなことは覚えていない。
精々、俺の事を待ってくれていた誰かがいたような気がする程度のもの。俺はその人と、笑って手を打ち合わせたのかもしれないし、強く抱きしめられたかもしれない。
足を止める。視界を焼く西日に目を細めて、手でその光を遮る。まっすぐに正面から見たアストンマーチャンは、どこか迷っているように見えた。
おかしいです、ともう一度呟く。彼女は、きっとなんとなくでも気がついているのだろう。
「空港だったよ。気がついたらそこにいるんだ。そこで、選ぶ」
「選ぶ、ですか?」
一歩近づいたアストンマーチャンがこちらを見上げてくる。きっとこの会話の内容は、傍から見たら何を言っているのか全く分からないのだろう。
海も、空港も。感覚的な話でしか無い。本当はもっと違う姿で、俺達が勝手にそう捉えて、そう思い込んでいるだけかもしれない。
でも、俺にとってはそうだった。きっと、五条先生や皆にとっても。
「北か、南か。自分で選んで進むんだ。君も、その時が来るまでに存分に迷いな」
俺は北を選んだ。自分の生に後悔があったわけではない。正しい死を選ぶことが出来たとすら思っている。
ただ、空港で待っていてくれた誰かが、「お前は幸せになっていい」と背を押してくれたから。
「最後に、もう一つだけ。
先生さんは。あなたは、みんなの心に、跡をのこせましたか?」
「跡、跡かぁ」
残ってないだろうなぁ。心の中でそう呟く。俺は、俺のような者が必要無い世界を目指したから。
呪いなんて無い、誰も戦う必要のない世界がいいとそう望んで、自分は別に残らなくても良いと言ったから。
「部品は、要らなくなったら替えるだけ。残りゃしないさ。
……でも、マスコットは違う。そうだろ?」
俺の記憶にも残っている。じいちゃんが昔好きだったと熱弁していた一頭のウマのぬいぐるみのこと。
やれ勇気を貰った、やれ強敵たちをなぎ倒していくその姿が痛快だった。
ラストランは、なけなしの金を使って行った現地で声が枯れるほどに叫んだと、何度も聞かされた。
あのぬいぐるみには、“オグリキャップ”と、そう書かれていたな。
「……あなたは、それで満足だったのですか?」
「うん? まぁそりゃあ俺のことは何処にも残っていないかもしれないけど。
それでも、俺には待っててくれる人がいたから」
無駄じゃなかったさ。そう言うと、アストンマーチャンはそのまま口をつぐんで考え込んでしまった。
先程まで煌々と照っていた西日はもうほとんど隠れてしまって。今はもう遠くの空に半分以上が隠れたその赤を見せるのみ。
「君にも、そんな人がいるのか?」
「私には、……わかりません。なので、私のことをずっと映してくれるレンズさんを募集中なのです。報酬はマーチャンのことを特等席で見れることです」
「そりゃいいなぁ」
「はい。きっと誰かが、手をあげてくれると信じているのです」
そう言って、アストンマーチャンはふわりと笑った。
「変わった先生さん、ありがとうございます。私も帰らなくちゃいけません。きっと、スカーレットが困ってしまいます。
マーチャンがいなくなると、いつも心配して探してくれるのです」
「うん、行ってあげな」
それでは、と頭を下げたアストンマーチャンの背中が遠くなっていく。
どこかから、波の音が聞こえた気がした。
◯
「クラフト、起きて? お昼寝おしまいだよ?」
「うぅ〜ん、もうちょっとぉ……」
とある休日の昼下がり。日差しの気持ちいい日だった。秋の寒すぎず、暑すぎないそんな気候を堪能しようとしていたのか、日当たりのいい草むらで寝転がるトレセン学園のジャージを着た少女を見かけた。
河原の傍の、少し坂になっている草原だった。ここは学園内ではないし、周りに他の生徒の姿も見えない。こちらにきてから、明確に悪人といった人間は見たことが無いが、万が一もある。
一応なにかあった時に備えて視界に入る場所に自分も座っていたのだが、そんな心配も杞憂だったようだ。
青髪の、額の部分に流星がある友人らしきウマ娘がやってきてその子を起こす姿をみて、安堵の息を一つ着いた。
「そんな事言わないで。キングさんも心配してたよ?」
「でもぉ、あと5分……」
特徴的な形のアホ毛が立ったその子は、寝起きが悪いのかそんな駄々をこねて起きようとしない。しょうがないな、とでも言うように目を細めた青髪の子が、その傍にしゃがみ込む。
「ほーら、起きて?」
「うぅ……。あっ、あの人っ。あの人が立ち上がるまで、だめ?」
「だめに決まってるでしょうっ! ……何してるの、クラフトさんも、気持ちいい日差しなのは分かるけど、あんまり外で昼寝はしないの」
「あ、キングさん」
いろいろなところを探していたのか、涼しいと言える気温にも関わらず額に汗したキングヘイローが2人の姿を見て安心したように目を細める。
そして、その後にやっと気がついた様にこちらを見て声をあげた。
「虎杖先生? ……もしかして、クラフトさんのこと見ててくれたんですか?」
「結局いらなかったけどな。……君も、昼寝はちゃんと他に人がいる時にやるんだぞー?」
「あわわ、すみませんっ」
「いいって」
ようやく起き上がったクラフトと呼ばれたウマ娘が、こちらをむいて頭を下げる。左耳に星の耳飾りを着けて、目の中にも星を閉じ込めた明るい少女だった。
隣にいる青髪の娘が、それを見てよく出来ました、と微笑んだ。
「ご迷惑をおかけしました」
「いいよ、俺が勝手にやったことだし。前言ってた君の後輩か? キング」
「えぇ、自慢の後輩たちです」
キングヘイローの所属するチーム“アスケラ”そこに最近入ったという後輩の話は、ウララを通してそれなりの交流を持つことになったキングヘイローから何度か聞いていた。
「自分の走りを見て入ってきてくれたんだよな? そりゃ可愛いだろ」
「本当に。そのとおりです」
目をこすりながら眠気を覚ましているラインクラフトと、その背中に着いた芝を払ってあげているシーザリオ。2人の様子をじっと見ていたキングヘイローは、ふとその表情をゆるめた。
「私の走る時代は終わったけれど、あの子達が私のことを繋いでくれてる。こんな嬉しいことは無いわ」
「つなぐ、ね」
後の世代につなぐこと。俺がやろうとして、盛大に間違えたこと。
“老兵は死なず、ただ消え去るのみ”とうそぶいて、色んなことから目を背けていた俺と、自分の時代は終わったと何処か誇らしげに言うことが出来る彼女と、何が違うのだろう。
「俺は……」
キングヘイローに手を引かれて学園への道を走っていくラインクラフトと、その横で笑っているシーザリオ。三人の後ろ姿を見ながら呟く。
「俺は、誰かに。つなげることが、出来たのかな」
答えは返ってこなかった。
当然だ、ここには、俺の事を知るものなんて、誰もいないのだから。
絶対に書きたいと思っていたこの二組。書こうと思ったらどう考えても長くなるけどちゃんと書きたいところ。
小僧、怪我以外の運命に対して、お前に何が出来る?