さぁ、魅せてみろ、小僧!
「勝つのはこの、ボクだ!」
マントをはためかせ、まだ未熟ながらも大器の片鱗を見せる、後に“世紀末覇王”と呼ばれるウマ娘が笑う。
そんな彼女に釣られるように、一歩前に出たナリタトップロード。2度のクラシックレース、そのどちらも好走しながらもライバルに譲った彼女もまた、闘志をその瞳にたぎらせる。
「いいえ、今度こそ。私が勝ちます!」
そんな2人の様子を見て、少し離れた場所に立つアドマイヤベガが微笑む。レース前に暑苦しい、そんな言葉も頭の中に浮かんできてはいたものの、何かを期待するような2人の目線に負けて、頭を振って。口元に笑みを湛えながらこう言った。
「今回も、勝つのは私」
想いはひとつ。勝利の栄冠を被るのもたった一人。地下馬道を歩く3人の歩みが並ぶ。
クラシックロード最後の一戦、京都芝3000mの長距離戦。
“もっとも強いウマ娘が勝つ”そう言われているレースが、始まろうとしていた。
◯
『耳をつんざく大歓声の中、菊花賞、ゲートインです』
実況の声が会場に響く。
目線の先で、この大舞台にたどり着いたウマ娘たちが一人、また一人とゲートの中に吸い込まれていく。彼女たちは皆、G1の舞台でのみ身につけることを許される各々の“勝負服”に身を包んでいた。
秋晴れの空の下、少し低い場所にある太陽に照らされたレース場が、どこか郷愁を煽るような彩りを見せる。
青を基調にしたアヤベがゲートに入る前に、こちらをちらりと見やる。その目線に応えるように手を振って。隣にいる彼女の妹も、見えてはいないだろうが彼女にできる限りの声を張り上げて声援を送っている。
「頑張れーっ!お姉ちゃーんっ」
その声が聞こえたのか、それとも他のことが理由なのか。微かに微笑んだ彼女が胸元で小さく手を振って、そのままゲートに入っていく。
今までファンに対するサービスなどを、最低限しかやってこなかったアヤベのそんな姿に少し周りがざわめいた。
俺のいる位置は観衆の最前列。後から響いてくる大歓声が背中を叩く。ウマ娘のレースは国民的エンターテイメントだと話には聞いていたが、これほどとは思っていなかった。
“がんばれ!”と書かれた一枚の小さな紙を見やる。向こうの世界では賭け事だった競馬も、ここでは老若男女すべてが楽しめるエンターテイメントだ。
どうやって人気順を決めているのかと思えば、レース後のウイニングライブが、勝った馬券が当たるといい感じのところに入れるようになるらしい。よく分からん。
そもそも走った後にライブするって何だ……?
そう言って首を傾げたことがある。そのときは、アヤベに信じられないものを見るような目で見られてしまった。
この世界でおかしいのは俺のようだった。ウイニングライブ必要、絶対。
『枠入り完了しました』
全員がゲートの中に収まった。テイエムオペラオーが不敵に笑い、ナリタトップロードが心を落ち着かせるために深呼吸を一つ。
アヤベは、目を瞑って胸の前で腕を組んで。息を一つ吐いてから、前を見据えて構えを取った。
『さぁ行こう、頂点への道!』
一拍置いて、ゲートが開かれる。全員見事な反応速度で飛び出して、各々が目指すポジションを探りながら芝の上を駆けていく。
菊花賞の始まりは、静かなものだった。
俺が京都で行われる菊花賞をわざわざ見に来たのには、幾つか理由がある。アヤベに見に来てほしいと頼まれたのも一つ。
少し離れた場所で真剣な顔でレースを見守るライスシャワーやウララ達、レースを見ることを希望した生徒たちの引率の仕事を頼まれたのも一つ。
もう一つは、アヤベの妹の言う“運命”について、まだ思うところがあったからだ。
確かにアヤベがずっと引きずっていたという足の痛み。病院で検査しても、何の異常もなかったというそれは、反転術式によって痛みは消え、完治したと思っている。
ただ、運命を超えるとはそんな簡単なものなのか。仮にアヤベの背負っている運命が、“このレース中に故障する”といったものだったら。
見ておく必要がある。生徒の前で「なんとかしてやる」と言ったのだから。
「がんばれーっ、トップロードちゃーんっ」
両手をあげたウララが声をあげる。どうやら彼女が応援しているのはナリタトップロードのようだ。その横に立つライスシャワーは、小さく「少し、ペースが遅い……」と呟く。
時計を見ると、確かに例年よりは少しスローペース気味に進んでいるようだ。まぁそれもそのはず。逃げウマがいないこのレースが遅めの時計になることは分かっていた。
俺が分かっているということは、すなわちアヤベも分かっているということ。中団に位置した彼女の顔に焦りはなかった。
『第四コーナーを回って、一周目の正面スタンド前に入ってきました。ナリタトップロードは3番手の位置。内を突いています』
運命と聞いて、俺の脳内に最初に思い浮かんだのは五条先生だった。正確には、五条先生が持つ六眼だった。
星漿体、六眼、天元様。この3つの存在が絡む因果では、最後には絶対に星漿体が天元様と同化することになるという、ある種の運命。
そして、若かりし頃の五条先生を破って、その運命を捻じ曲げた一人の男の話。
観客席の前を、比較的まとまった馬群を形成したウマ娘たちが走り抜けていく。
誰も彼もが前を見てひた走っている。自分の持てる全てを振り絞って、前へ前へと進んでいる。
『各ウマ娘、ゆっくりとしたペースで第二コーナーから向正面へと入っていきます』
「アヤベさん……」
ライトグレーの髪の毛を外はね気味のセミショートにしたウマ娘が、顔の前で両手を握ってそう呟く。
アヤベの同室のカレンチャンだ。随分と心配をかけてしまったと、悪いことをしたと何度も言っていた。
今もまた、心配そうに中団からじわりと前に進出しだしたアヤベのことを見つめている。彼女なりに、なにか感じることがあるのだろうか。
『さぁいよいよ第四コーナーのカーブを曲がって直線コース!』
「おいおい……」
『ナリタトップロードが動いたっ!!』
完璧なタイミングだった。自分が何回も彼女の代わりとして3000mを走ったから分かる。想定していた中でも、他にはないと思われていたタイミングでナリタトップロードの脚に力が入る。
『ナリタトップロードが中団を飛び出して一気に前へ!ナリタトップロード先頭っ!』
完璧な抜け出し、完璧な位置取り。まさに理想の先行抜け出しと言えるだろう。固まっていた馬群からぽんと一人抜け出した彼女が声をあげてスパートに入る。
上手くやられた、普通ならもう届かないだろう。そう、普通なら。
それも、想定内だ。アヤベは届く。遠くの位置に既にいる。
彼女に、何も起こらなければ。
極限に集中した視界の中で、まるで周囲がスローモーションになったかのように動きが遅くなる。
全てが遅くなった視界の中で、一歩踏み出したアヤベの脚が、まるで急に痛みが走ったかのように少し力が抜け始めているのが分かる。
「龍鱗、反発」
考えていた。自分がこの世界にいる意味は何なのかと。はじめは、秋川理事長に生徒たちを守ってほしいと頼まれた時。
自分にしかできないことだと思った。彼女たちが気兼ねなく自分の走りに集中する環境を整えることが、それを守り続けることが自分がこの世界にいる意味だと勝手に思っていた。
でも、それは違った。自分ほどではないにせよ、同じことをできる人はいる。例えばマンハッタンカフェ。例えばマチカネフクキタル。彼女たちのような、“この世ならざるもの”に対抗する術を持つ者はこの世界にも確かにいた。
自分が選ばれたのは、ただひとえに秋川理事長にその手の伝手がなかっただけ。それも、時間をかければ見つけることはできただろう。
だから、これは自分にしかできないことではなかった。
これは、自分がここにいる意味ではなかった。
「番の流星ーーー」
引き伸ばされた世界の中、俺の声だけが響く。目の前では一歩踏み出したアヤベの脚の力が徐々に抜けていっている。
あのままでは、きっと先頭に追いつくことはできない。それどころか、レースの続行すら。
星漿体、六眼、天元様の関わる因果を捻じ曲げたのは天与の暴君だった。天与呪縛によって完全に呪力から脱却したイレギュラー。
彼が因果を捻じ曲げることができた理由は、彼が因果の外にいたから。呪いによって紡がれる因果は彼には関係のないものだった。
なればこそ、因果の破壊などという本来ありえない事態が起きた。そういうことだ。
そして、この世界では。明らかにこの世界では異物である俺も。
俺も、きっと因果の外にいる。
「“解”」
理解した瞬間、急に視認できるようになったアヤベの脚に絡まる黒い糸が、呪詞と同時に断ち切られる。
次の瞬間、世界は通常の速度に戻り、アヤベの脚にも力が再び戻っていた。
「行け」
「はあぁあぁあっ!」
ディオスクロイの流星
流星を背中に背負ったアヤベが急加速する。あたりを包む領域に反応したのか、前を走る数人の視線が驚愕したように後ろへ向けられた。
先頭を走るナリタトップロードのそれを除いて。
『先頭はナリタトップロード!ナリタトップロードがついに来たっ!……しかし、外からアドマイヤ、一番外からアドマイヤベガっ!』
テイエムオペラオーは領域の片鱗を見せた。最終直線、しかも土壇場でそこまでいけたのなら大したものなのだろう。
だがしかし、領域の押し合いを既に何度も経験しているアヤベのそれに、すぐに押しつぶされて横に並ばれる。
あと、一人。
ナリタトップロードは、動揺はしているようだった。唐突に広がった星空を視線だけ動かして見て、その後に前だけ見据える。
その後に、笑みすら浮かべてみせた。アヤベと競えるこの時間が、楽しくて仕方がないとでも言うように。
『長いクラシックロードの果てにたどり着くのは、一体誰だっ!』
「駆け抜けろっ!頂点への道をぉっ!!」
「あ゛あぁあぁぁあッ!!」
帽子を被った男性が身を乗り出して叫ぶ。あれは、ナリタトップロードのトレーナーだったか。そんな声に応えるように、ナリタトップロードが一際大きく吠えた。
暗闇でもがくナリタトップロードの前に虹に輝く道が現れる。様々な色に光り輝くそれに一歩踏み込んだ彼女の体が、一歩、“俺の知らない豪脚”で前に出る。
きっと、あの道の名前が。頂点への道。
Road To Glory
彼女がたどり着いたその道は、少しずつその形を失いながらも、確かにその役割を果たしてみせた。
完全に道が崩壊する前に、星に照らされた空の下から、ナリタトップロードの姿が抜け出る。
『さぁどっちだ!ナリタトップロードか、アドマイヤベガか、頂点への道か、一等星の輝きか!両者並んで、ゴールイン!』
たった3分間の短い全力勝負。ゴール板の前をひとかたまりになった2人が通り過ぎた瞬間、それは終わってしまう。
「ふぅ……」
息をつく。きっと超えられた。
これがきっと、俺がここにいる意味なんだろう。そう考えると、胸の奥にずっと詰まっていた石が急になくなったように軽くなる。
掲示板には、「写真」という文字が光り輝いていた。
アプリトレが、我々であるからこそ運命を超えられるなら、彼もまた然りということですね。
しかし小僧、この後アヤベさんとはどうするつもりだ。まさかこれで終わりだから関係が薄くなるなとか思ってないだろうな。