小僧、それはそれとしてアヤベさんと連絡先は交換したのか?
生まれ落ちたその時から強者であった。物心ついた後も、常に他者の上に立ち続けてきた。
幼い時分であっても、年上にすら負けることのなかった自分が世代の頂点に座すことになったのは半ば当然のことで。
だからこそ、強く生まれてきた己が、その能力を他者の為に惜しげなく使うことこそが正しいことである。
“すべてのウマ娘の幸福”。容易な道ではないことは分かっているが、それでも自分ならば不可能ではないと思っている。ただ、一人では無理だ。いかに自分の手が大きかろうと、必ず取りこぼすものが出てきてしまう。自分は“すべて”と願ったのだから。
杖がいる。自分と同じ視座を持った聡い杖が。己の歩みを助け、共に先へと進んでくれるそんな杖が。
しかし、他より優れて生まれてきてしまった自分と同じ視座を持つものなどそう簡単に見つけられはしない。東条トレーナーは優秀なトレーナーではあったが、彼女の視線は自分の担当するウマ娘を勝たせることに向いている。
彼女に、それ以外のウマ娘の為に時間を割いてほしいとは言えなかった。ならばと他のウマ娘たちに目を向けてみた。
最初に目にとまったのはマルゼンスキーだ。自分と同じく生来のスペックが非常に高い彼女であれば、と考えてそれとなく話を振ってみた。しかし、彼女は走ることを純粋に楽しんでいるだけだった。
だからこそ、走れば走るほどに周りから向けられる目線が変わっていくことが悲しかったと、自分の隣で走ってくれる存在が居たらどれだけ嬉しかったかと嘆いていた。
少し、分かるような気がした。勝利を積み重ねていくほどに周囲からの扱いが変わっていく。本気で挑んできてくれる者が段々と減っていく。どちらにせよ勝つのだ、一人で先を進むことに変わりはなかった。
次に、目を向けたのはシービーだ。私の前の3冠ウマ娘。強さは推し量るまでも無かった。だが私が勝った。バ群を操り外を回らせ、彼女に十全な加速を与えないままの勝利だった。
自由を愛する彼女のことを“ターフの演出家”と称する者がいる。型にはまらない彼女の生き方に憧れてその後を追おうとする者も多くいた。結局、彼女はその自由なまま、彼女らしくいてくれた方が結果的に多くの助けとなるだろうという結論となった。彼女も、私と同じ道を歩いてくれるものではなかった。
ほかにも、ターフの上をこよなく愛する者がいた。怪物と呼ばれるすべてをねじ伏せるような荒々しい走りを見せる者もいた。しかし、彼女たちはその走りをもって誰かの先を行くことは出来ても、行く道は私とは違った。私の様になりたいと慕ってくれる者もいた。才気あふれる走りを見せる彼女はしかし、まだ青すぎた。
先を走るものを追いかけて精進するという経験がない自分だ。私の後ろを歩く者はあれど、私の隣を歩いてくれるものなどいないのかもしれない。そう思い始めた時。一人の教師が目についた。
最初は勘違いかと思った。ウマ娘しか持ち得ないであろう領域の気配が人からするはずがなかったから。しかし、何度見ても消えないその感覚は、結果的に間違いではなかった。
「なんという僥倖……」
簡易的とはいえ私の領域をたやすく塗りつぶして見せたその練度。そして何より、彼と大なり小なり関わりを持ったウマ娘たちがみな程度の差はあれど走り、学業における成績その他が向上しているという事実。
それに加えて、今年のクラシックの主役の一人でありながら常に危うい様子を伴っていたアドマイヤベガの唐突な領域の発現および精神状態の良化。穏やかに笑う彼女の隣で、特に変わった様子もなく自然体でいるその教師の姿を見て。
もしかしたら、と。そう期待してしまっている。
〇
「あまり人に見られたくはないのかと思い夜にしたのですが……。いらぬ世話だったでしょうか」
「いや、助かるよ。まぁもうそこまで隠すつもりもないんだけどな」
「……あなた、まだそんなこと言ってるの?」
制服姿ではなく、ジャージ姿のシンボリルドルフを見るのは初めてなので少し新鮮だ。すっかり日の落ちた秋の夜。日の光がないこの時間は随分と冷え込んでいる。隣にいるアヤベは今日はトレーニングの予定ではないのかジャージではなく制服の上に一枚羽織って体を冷やさないようにしている。
「アヤベは別に部屋に戻っててもいいんだぞ?」
「あなた自身の走り方をするんでしょう? 興味があるもの」
「あぁ、なるほど……」
そういえば彼女と走るときは、常に他の誰かの走り方を模倣したやり方で走っていた。
別に俺はウマ娘の様に走ることを目的として鍛えていたわけではないので特別なものではないのだが、それはそれとして見てみたいと思うのも納得は出来た。
「さて、それじゃ。やろうか」
「えぇ……。胸をお借りします」
シンボリルドルフ。この子のことを一言で表すならば、優れた人間性を持った五条先生、だろうか。
人よりも優れて生まれて、常に強者であり続けた故の正しい驕りというものがその丁寧な物腰と彼女自身の崇高な目標によって上手く緩和されている。
きっと胸を借りる、とは思っていないのだろう。彼女は自身が強者であり、勝者であることを常に疑っていない。
悪いことではない。強者が強者として振る舞うのは当然のことだ。謙遜も過ぎれば皮肉になってしまう。彼女自身が強者であることは間違いないのだから。
ただ、俺は知っている。隣に並べる唯一の友を失ってしまった五条先生のことを。そして、いつの間にか隣にいる者は誰もいなくなっていた自分自身のことを。
驕るのはいい。ただ、それを理由に自分の生に意味をつけるには、彼女はまだ若すぎる。
ちらりと隣に立ち静かに開始の合図を待つシンボリルドルフの姿を見る。前に生徒会室で見た時よりも濃密な闘気が体から立ち上っているようだった。
五条先生は自分一人だけ強くても意味はないと言った。そのために強く聡い仲間を育てるために教師という道を選んでいた。彼女は聡い、自分一人では駄目だととうに分かっているのだろう。
だからこその生徒会長という現在地。きっと彼女には現実的に見えているのだろう、“すべてのウマ娘の幸福”という夢物語と言われかねないそんな未来が。
ただ、少しやり方が良くないな。
合図と共に弾かれたように体が前に出る。スタートは同時だった。
するりと後ろに下がったシンボリルドルフの気配を感じつつ、そのまま前に出る。都合が良かった。もともと前を走ろうと決めていたから。
呪物を多く取り込んで、いつの間にか年を取ることがなくなってしまってから。最初は良かった。老いることなく、衰えることもない。
でも、周りが段々と年を取っていく中で自分一人だけが何も変わらない。そんなことが続く度に、だんだんと置いていかれているような感覚に陥ることが増えた。
釘崎なんかは笑って何を言ってるのか、と背中を叩いてくれたけど。そんな彼女の所作からも、彼女が年を取って前に進んでいることを察してしまったあの時の自分は、どんな顔をしていただろう。
俺は、何も変われていないのに。
時間をかけて強くなった。強くなって、手の届く範囲が増えれば、呪術師の死亡率を下げることが出来る。
目に見える数字は、自分も前に進んでいると思うことが出来たから。だからこそ、寝る時間も削って全国を飛び回って。
「もう、あの人一人でいいんじゃないですか?」
助けた一人の術師がそんなことを言っている声が聞こえてくる。ガツンと頭をぶん殴られたような気持ちだった。その時初めて、自分一人だけ強くてもダメだと言っていた五条先生のことを理解することが出来たような気がした。
俺は結局五条先生から学ぶべきことを学べていなかったことに気が付き、久しぶりに五条先生のお墓に手を合わせて謝罪をしたことを覚えている。
ならばと後進を育てようと奮起した。知る中で一番教え方の上手い東堂に協力してもらい、何人もの呪術師が俺の教えを受けて一人前になっていく。彼らの実力が伸びていくのを見るのは楽しかった。段々と上がっていく呪術師全体のレベルを見守ることも。
ただ、それでも。自分の中のどこかに彼らに対して生物としての線引きが出来ていることに心のどこかで気が付いていた。強くなってほしい、俺に並ぶくらいに。そう冗談めかして言葉にすると、教え子の一人が絶対に無理だと言って笑っていた。
「ふッ!!」
汝、皇帝の神威を見よ
幾重にも瞬いた雷が俺の身体を貫いていく。関係ない、それによって起こるであろう体への影響をねじ伏せて前に進む。
先に行くわ、と笑って逝った秤先輩の葬式。最後まで体に悪い酒やら煙草やらを手放すことが出来なかった先輩が最初に逝くのは特段驚くことではなくて。ただ、それでもあの時が一つの契機だったと思う。喪服で静かに棺の前に並ぶ同級生の二人に、先輩たち。
俺だけが、あの頃のままだった。
一人だと、一番強く感じたのはきっとあの時。
俺は強くなった。代わりに並んで歩いてくれる人は居なくなっていた。
俺は老けなくなった。衰えることなく皆を守れるようになった。その代わりにいつの間にか俺は一人だった。
領域は使わない。神々しさすら感じる宮殿の内で降る雷の雨の中、ただ無言でターフを踏みしめて、足に力を込める。
ドン、という音が周囲に響いてそのままえぐり飛ばされた芝が後ろへと飛んで行った。領域内で、自分に有利な空間の中でこちらへと猛然と迫るシンボリルドルフとの距離は縮まらない、縮ませない。
「あ゛ぁあぁあぁぁッ!」
なあ、皇帝。立派だよ、強い者の義務だと思っているんだろ?
でも、隣を歩いてくれる存在を諦めるのは早いよ。まだまだ、君の周りには君を強さ以外で見てくれる人が沢山いるだろう。君に追いすがれるものも、きっと。
だから、なぁ。一人になるなよ。
前なら、まだ俺が走ってやるから
一つの歓声もなく、ゴール板の前を一つの影が通過する。シンボリルドルフが同じ場所を通ったのは、それから少し遅れてのことだった。3バ身差、最初から一切変わらぬその距離のままだった。
〇
「おい、……なんだ。なんなんだいあれはっ!」
暗い理科準備室の中で、白衣が閃いて月明かりを受けてかすかに光る。興奮して身をひるがえしたそれに引っかかった試験管が一つ、倒れて割れた音が静かなそこに響いた。
「知らないぞあんなの。あれが、あれは
───私の望む、果てなのか?」
プリティどこ?ウララを…、ウララを出さなきゃ…。
小僧、お前は挑戦者の気持ちも王者の気持ちも分かるんだよな。ルドルフの先を走るお前の隣には誰がいてくれるんだ?