小僧、随分とその娘に甘いようだな
行きよりも随分ゆっくり歩いていたため、トレセン学園へと帰り着く頃には日は既に傾いていた。
あれから、お腹を鳴らしたウララがお腹いっぱいになるまで昼ごはんをご馳走して。
少女にしか見えないその身体のどこにそんなに入っているんだという食べっぷりに内心驚いたりしながら、食べ終わったところでようやく、ここが全く知らない場所であり、自分が迷子であることに気が付いたウララの手を引いて。
途中からはお腹が満たされて眠くなったのか船をこぎ始めた彼女を背中に乗せて歩くことしばらく。
背中からは規則的な寝息と、時折零される寝言が聞こえてくる。今も、「もう食べられないよ……」という幸せそうな言葉が聞こえてきた。少し前にお腹いっぱい食べたというのに、もう夢の中で何かしらを食べているらしい。
涎が垂れているのか、少し冷たくなってきた背中の一部から意識を戻す。もちろん走ればもっと早く戻ってくることもできたが、それではどうしても多少は激しく揺れるし、その手間を惜しんで気持ちよさそうに眠っているこの子を起こしたくはなかったから。
それにしても、トレセン学園に近づけば近づくほど、ウララが随分と顔が広いことがよくわかる。背中にいる彼女を見て声をかけてきてくれる人が増えたから。皆、微笑ましいものを見たような顔をした後、声を潜めて二言三言言葉を交わしてから手を振ってくれる。普段の彼女の周りとのかかわり方が見えるというものだ。
今のんきに寝言を言っているウララを背負う俺の腕には、起きたらご馳走してやってくれ、と無理矢理押し付けられたニンジンが詰まった袋がぶら下がっている。
人一人背負っていると、普通なら重さでつぶれるレベルだ。商店街で何度かものを運ぶのを手伝った影響がここにきて出ている。持ちにくくて仕方ないんだ、これが。
「むにゃ……」
しかし学園まで帰ってきたのはいいが、この眠りこけている子供はどうすればいいのか。生徒たちの寮には俺は入ることが出来ないし、それはそれとしてどこかに置いて帰ることも出来ない。キングヘイローあたりがそこらへんにいてくれたらありがたいんだが。
「あ……。虎杖さん、少し、こちらに……」
「マンハッタンカフェ? どうしたんだ急に」
預けられそうな生徒を探しに一旦校舎に入ろうとしたとき、横から手招きされる。見ると、腰ほどもあろうかという黒髪の少女の、金色の目がこちらをじっと見ていた。ゆっくりとした落ち着いた声の彼女のそばには、彼女のおともだちもいつも通りふよふよ浮いている。
「今は……、そちらに向かわれない方が、良いと思います」
「そうなのか?」
「はい。……タキオンさんが、探してますから……」
捕まると厄介なことになりますよ、と言ってこちらの手を引く。おともだちは背中で寝ているウララに興味を持ったのか、その頬をつつこうとして指を伸ばしたが、触れなかったことにすねたのか、こちらの肩に軽めのパンチを一発喰らわせてからまた定位置に戻る。そんな彼女の落ち着きのない振る舞いをマンハッタンカフェは少し呆れながら眺めていた。
「あんまり、はしゃいでは、いけませんよ」
分かってる、とでもいうように頷いたおともだちをしらっ、とした目線で見つめて。それから、ようやく彼女も俺の背中に誰がいるのか気が付いたようで、少し驚いたように目を見開いた。
「ハルウララさん、ですか? どうして……」
「迷子の保護だな」
「あぁ……」
ウララはそれなりの頻度で蝶やら鳥やらを追いかけて迷子になることがある。その度に彼女のことを知っているその町の人がそれとなく学園に連絡してくれるので、いつも事なきを得ているのだが。
今回は偶々彼女の方から俺のことを見付けてくれたおかげで早めに帰ってくることが出来たわけだ。普通に歩いたなら3時間はかかる距離の場所だったため、迷子になったままだともしかしたら帰る頃には寮の門限を過ぎていたかもしれない。
「わーいっ、ニンジンハンバーグ……」
「あ、こら」
寝言なのか、それとも寝ぼけているのか。急に口を開いてそう言ったウララは、目の前にあったであろう俺の服をもぐもぐと口に含み始めた。おかげで元々冷たかった部分が更に、だ。なんともいえない表情をしていたであろう俺の顔を見て、マンハッタンカフェは口に手を当てて小さく笑った。
「そうしていると、まるで、親子のようですね……」
「親子、ね……」
起こしてしまわないようにどうにか彼女の口から自分の服を引っこ抜く。段々と橙色の混ざり始めた日差しに照らされて機嫌よさげにむにゃむにゃ言っている彼女の頭を一撫でして、目を細めた。
長く生きた割に子供の一人もいなかった自分には過ぎた評価だ。もちろん、子供が欲しくなかったわけではないが。そんな相手もいなかったし、そもそも色々なものが混ざりすぎた自分が子供を残せるかも定かではなかったから。
体はそもそも両面宿儺の器となるように調整されたもの、今や呪物が混ざりすぎて呪いの塊。血は猛毒、何故か老いない。ほとんど劇物だ。根本的に人と一定以上関わっていい生物ではなさすぎる。それでもここにいるのはただの我儘だ。
「俺の子にしては素直すぎるかなぁ」
「そう、でしょうか」
「そうさ」
自分が人間であると自信をもって言い切ることが出来ない。ましてや、そんな自分の子供など。脹相の背中を見ていた俺にとって、人を人たらしめるのがその心のあり方だということは嫌というほどわかっているけど。
自分の子供が、呪いとならない自信がない。そもそも、自分自身がもはや呪いそのものなのかもしれないのに。
「で? タキオンだっけ。その子が探してるならなんでいかない方がいいんだ?」
「そういう時は……、基本的にろくなことをしないときなので……」
「酷い言われようだな……」
なにを思い出しているのか、基本的にあまり表情の動かないマンハッタンカフェが額に皺を寄せてなんとも言えない顔をする。
どうにもこの子にこんな顔をさせるような相手が俺のことを探しているらしい。全く身に覚えはないのだが、何かしただろうか。
「タキオンさんは……、私と旧理科準備室を半分ずつ使っている人です……。前に見たことが、おありですよね?」
「あぁ……」
不思議な空間となっているマンハッタンカフェの私物が置かれている旧理科準備室の空間の半分。
もう半分にはなんだか怪しく光る液体の入った試験管が並んでいたが、あの空間の主が。そもそも光っている液体を見る機会というものがなかなかないものだから、随分と印象に残っている。
それに、あの部屋からは偶に爆発音らしきものが聞こえてくるという噂も聞いたことがある。その真偽を確かめると、マンハッタンカフェは憮然とした表情を浮かべながらこくりと頷いた。
「はい……、事実です。一度、私のところに飛び火したことがありましたが、その時はおともだちがタキオンさんの使っていた書類を全部燃やしました……」
「全部」
「はい……、全部」
いえーい、ぴーすぴーす、とでも言いたげなジェスチャーをするおともだちを横目で見やる。口を開かないくせに相変わらず騒がしい奴だ。
こんなのだが、どうにもこの世界で見た中では最上位と言える力を感じるのだから不思議なものだ。具体的に言えば少年院の特級程度のもの。今となっては脅威に思うほどのものではないが、そこらにぽんといていいような強さでもないのだが。
「お忙しいでしょうから、虎杖さんの手を煩わせるのも申し訳ないです……。顔を合わせないようにするのがよろしいかと……。
ところで」
「ん?」
「タキオンさんは、今日になって急にあなたのことを探し始めました……。目の下に隈があったので、どうも寝ていないようです。昨日の夜、何か、ありましたか?」
「あー……」
それは心当たりしかないなぁと天を仰ぐ。背中のウララが寝返りを打ったことで、手にぶら下げているニンジンの入った袋ががさりと音を立てた。
どう考えても昨日の夜シンボリルドルフと走ったことを見られていたのだろう。ターフの周囲に人影はないと思っていたが、どうもターフが見える箇所の校舎の中にいたのだろう。
よく考えてみればあの旧理科準備室は、窓を開ければ外のターフの様子を見ることが出来る位置にあったな、と今更ながら思い出した。
そんなこちらの様子を見たマンハッタンカフェが、あったんですね、と溜息をつく。一度目を伏せてからこちらを見上げて、人差し指を上に立てて、反対の手を腰に当てた。
「いいですか……、タキオンさんに何かを渡されても、食べたり飲んだりしては、いけませんよ……」
「お? おう……」
「それから、何か言われてもついていってはダメです……。あの部屋に来るときも、私がいるときにしてくださいね……」
「危険人物なのかな?」
「危険人物です。なにかあれば私に言ってください……」
「うーん……」
随分と心配してくれるな、と言うと、当然です、と返ってきた。元々この学園の怪奇現象に対するカウンターのような役割を果たしていた彼女にとっては、俺の存在はありがたいものなのだろう。
俺としても彼女の部屋でコーヒーを頂く静かな時間は好きなので、あそこに行くな、と言われなかっただけで良しとしようか。
ただ、タキオン、たしかアグネスタキオンだったか。その子のことを避け続けるというのも気が引ける。彼女も生徒の一人であるし、何より彼女が作って偶に人に飲ませているというよくわからん薬も、多分俺には効かないから。
毒に対して人よりもかなり高い耐性を持つ俺には基本的に毒は通らない。俺の身体を調べるのは心底やめて欲しいところではあるが。
「むにゃ……」
背中の上のウララが少し動く。思えば長くこの体勢のままだ。あまり体にもよくないだろうし、そろそろベッドに寝かせてやりたい。そう思って、そちらに顔を向けないまま近くの草むらに手を突っ込んだ。
「ウララのこと、頼めるか? デジタル」
「ひょえッ! わわわ私がウマ娘ちゃんに触れるなんてそんなおこがましい……ッ!」
「そうか……、このままだとウララの身体ががちがちに固まって起きた時大変だと思ったんだが……。そうか……」
「や、やらせていただきますぅっ! ァッ、顔がいい……」
2秒に一度魂が抜けそうになりながらも、ウララを落とすわけにはいかないと踏ん張って遠ざかっていくデジタルに手を振っていると、その様子をじっと見ていたマンハッタンカフェが呆れたように息を吐いた。
「いつから……、あそこにいたんですか……?」
「ん? 最初から」
「えぇ……」
「ふむ、そうだねぇ。デジタル君は神出鬼没だからねぇ」
いつの間にか会話に入ってきていた一人のウマ娘に、全く気が付いていなかったマンハッタンカフェの尻尾が上にぴんと伸びて、その後警戒するように彼女からの視線を遮るように俺の前に移動した。随分と扱いがひどいな、と内心笑いながらその白衣を上に着た少女のことを見る。
「やぁやぁ先生。初めまして。
──君は、果てを知っているかい?」
ウララセラピー継続!
小僧、お前は生き方を変えるつもりは無いのか?