小僧、釣りは好きか?
アグネスタキオンの摩訶不思議な薬品によって全身が七色に光るようになってしまった後。
少し工夫すれば反転術式で薬品の成分を分解して元の状態に戻ることはできそうだったが、せっかくだからと戻さずにそのままに。
一晩経って、それでもなおぺかぺか光り続ける己の身体を見て、それを何かに使えないかと色々と試行錯誤した結果。
自分の意思である程度、光らせる場所やその光量を調節できるということを発見。ちょうどいいところに歩いてきたシンボリルドルフに対して、その特性を使った灯台ギャグをお見舞いした結果、皇帝が笑い死にしかけるという珍事が発生。
慌てて体内の薬品成分を分解して素の状態に戻ったので、今は体が七色に輝く不思議人間ではない。
しかし、シンボリルドルフがあんな感じでダジャレ好きなのには驚いた。本人は基本的に近寄りがたい己に親しみやすさを持たせたいという考えから会話に混ぜ込んでいるみたいだが、どうにも逆効果にしかならなそうだと思うのは俺だけなんだろうか。
「……あ、良かった、いた。虎杖さん」
「ん? シュヴァルか」
「はい。……あれ? 光ってるって聞いてたんですけど……」
休日とはいえ、トレセン学園職員のための寮に一人でいたとしても特にやることはない。普通に学園にスーツ姿で出て、最近学園を覆うように張った結界の様子を確かめていると、背後から遠慮がちに声がかけられる。
見ると、大きな黒いキャップを被った一人のウマ娘がおずおずと伏し目がちにこちらを見ていた。休日だからか、いつもはトレセン学園の制服かジャージに身を包んでいる彼女も、今日は私服だ。
深緑色のパーカーを着込んだ彼女は、シーナの妹なので頻繁に顔を合わせる機会があった。具体的には、最初にシーナに草野球の試合に引っ張っていかれた時に初めてちゃんと話したのだが。
走るのが基本的に第一なこの学園の生徒にしては珍しく、野球も時たま楽しんでいる彼女たち。現役のウマ娘であり、身体能力のピークを迎えつつある彼女たちの投げる球を受けられるのが自分くらいしかいないという理由で、度々駆り出されているのだ。
正直、野球にはあまり詳しいわけではなかったのだが、ここ数ヶ月で随分とルールに関しては知識が増えた。
シュヴァルは、ヴィブロスやシーナと比べると口数は多くないが、最近は朝挨拶してもちゃんと返してくれるようになったし、学園内で見かけると寄ってきて話をしてくれるようになった。
「アグネスタキオンの薬でなぁ、さっきようやく元に戻ったところだ」
「タキオンさんの薬……。どうせ詳しく聞く前に、飲んだんですよね?」
「ばれたか」
「もう、よく分からないものは口に入れたら、だめなんですよ?」
耳が痛いな、と後頭部を掻く。宿儺の指を躊躇なく口に入れたのは、後から伏黒にドン引きされたことを覚えているんだが、もしかしてアグネスタキオンの薬はそっち方面の括りなんだろうか。
「わざわざ探してくれたのか?」
「えっ、……は、はい。大変だと、思って」
「お、そうかぁ。ありがとな」
「わっ」
ぽん、と頭に軽く掌を置くと、元々深く被っていた帽子のつばをさらに深くして、俯いてしまう。嫌だったかなと少し心配になってしまったが、尻尾はゆるく左右に振られているので、そういうわけではないようだ。
しかし、俺を探してくれていたにしては、今からどこかに出かけますよ、というような荷物を抱えている。
何か急用でもあったのだろうか。そう思って聞くと、慌てたように抱えていた荷物を背中側に隠すように回して。それから色々と考えるように視線をあちこちに彷徨わせる。
「あの……」
「うん」
「えっと……」
きっと急かさないほうがいいんだろうな、と口ごもる彼女を、立っていた渡り廊下からちょうど見える位置にあったベンチに誘う。
屋根の下から出ると、朝の眩しい日差しが目を灼いてくる。今日は冬間近にしては随分と暖かい日だった。
「光ってるって聞いて、大変だって。それで、えっと。人がいないところにいたほうがいいかなって思って、釣りに誘おうと、思ってたん、ですけど……」
別にもう、人がいるところにいても問題ないですよね、とにへらと笑う。顔が下を向いたのに従って、彼女の長めの前髪がその空色の瞳を半分以上隠してしまっていた。
「楽しそうだな、行こう行こう」
「えっ。……いいん、ですか?」
「シュヴァルが自分から誘ってくれるなんて初めてだからなぁ、俺は嬉しいよ……」
冗談めかしてそう言う。正直、学園内で話しかけてくれることは増えたが、それ以外にこういう誘いをされることはまるでなかったので、嬉しいのは本当だ。
まあ、教員に対して休日に度々予定を入れてくる彼女の姉がおかしいと言えばそうなのだが。
「じゃあ持ってたのは釣り道具か」
「は、はい。一応、2人分……」
「重かったろ、ありがとな」
「いえ! そんな。ウマ娘ですから」
むん、と力こぶを強調するようなポーズを見せる。彼女たちは外見は普通の女の子なのに、出力は成人男性を優に上回るのだから不思議だ。
しかし、力持ちだからと言っても重い荷物を持って歩き回って疲れないわけではないだろうに。
「よし。海行くのか?」
「は、はい、あんまり人が来ない穴場、知ってて。
わっ、ぼ、僕が持ちますっ」
「俺は先生だからな〜」
「関係ないですっ」
ひょい、と彼女から取り上げた荷物を取り返そうと手を伸ばして跳ねる彼女の手をすり抜けるようにかわして。
校門の方に足を向ける。
「俺が人より随分力が強いのは知ってるだろ?」
「……はい」
「なら、女の子に沢山持たせるわけにはいかないよな」
「あ、ありがとうござい、ます……」
しゅん、と小さくなってしまった彼女の姿に少し笑って。先導してもらって彼女の言う人の来ない穴場に向かうこととした。
基本的に休日にも仕事以外やることがない人間だ。向こうにいた頃でも、呪術師として活動していた頃は日夜問わず色んなところを飛び回ってたし、表舞台に立っていなかった頃は基本的に渋谷に入り浸って呪霊を狩っていたから。
彼女たち姉妹が向こう側から歩み寄ってくれるのは、とても嬉しい。
「今は秋だけど、釣れるのか?」
「は、はい! アジとか、よく釣れるんですよ」
「お、いいな」
術式を大っぴらに使っても良いなら調理道具いらずですぐに食べられるようにできるんだけどな、と考えて、流石にそれは、と首を振った。
◯
「しかし、この荷物持ったまま探し回ってくれたのか?」
「はい。……姉さんがいたら、すぐに見つけてくれるんですけど」
「シーナはなぁ、なんかレーダーかなんか付いてるのかなぁ」
そうかもです、と静かに笑う。2人分の釣り竿から伸びた糸につながる浮きが、穏やかな波に揺られて上下に動く。
相変わらずシーナは俺が学園内のどこにいてもすぐに見つけられるという謎の特技を変わらず所持しているらしい。
何を聞いても「お姉ちゃんだから!」の一点張りで押し通されてしまうため、原理は全くわかっていない。何か特徴的な臭いでも発してるんだろうか、俺は。
「そんなこと、ないですよ?」
こちらに少し顔を近づけてすん、と臭いを嗅いだシュヴァルが首を傾げる。彼女にとっても姉のよく分からない特殊能力は理解を超えたものらしい。
「姉さんはいつもそうなんです。僕に対しても……」
「嫌か?」
「そんなことない。姉さんもヴィブロスも、かっこよくて、華があって。すごいです」
僕とは、違う。そう呟いたシュヴァルの浮きが一瞬水中に沈んで、またすぐに戻る。魚が食いついたわけではなかったらしい。
「あ、ごめんなさい。……僕なんかの愚痴聞いたって、楽しく、ないですよね……」
その浮きの動きに反応して糸を巻きかけて、すぐに水面に戻ってきたそれを見て手を止めながら、シュヴァルが目線を落とした。
「えっと、虎杖さんも、凄いですよね。あんなにホームラン打つ人、初めて見ました。僕たちの投げる球を捕れる人だって。
……お父さんも、褒めてましたよ?」
「本当か?」
凄いです、と笑う。自分はそんな褒められた人間ではないんだけどな、と一向に動く気配のない自分の釣り竿につながる浮きをじっと見た。
穏やかな海面に日差しが反射してキラキラ光っている。目を凝らせば、垂らした糸の先に群がる魚影まで見える。
「俺な、釣り、したことがなかったんだ」
「え、そう、なんですか?」
「だから、今楽しいよ」
釣れてないけどな、と自分の横に置かれたバケツを親指で指さす。水が張られたその中には、何の影もなく静かなままだ。隣に座るシュヴァルのそれの中には、いくつかの影が忙しなく泳いでいる。
「シュヴァルのお陰だな。ついでに、釣り方のコツも教えてくれると俺は嬉しいよ」
「は、はい!」
先程よりも近くに寄ったシュヴァルが、こちらに身を寄せながら浮きのある水面を指さす。魚のいる場所、投げ込んだらいい場所。ゆっくりとそれらを説明してくれながら、最後に不安そうにこちらを見上げた。
「あの、長くない、ですか?」
「知らないことばっかりで面白いなぁ」
「本当ですかっ!?」
微かにはにかんで、また前を向く。彼女のアドバイスに従って浮きの場所を変えてから数分、初めて俺の浮きが水面に沈んだ。
釣れたのは彼女が釣ったものと比べると随分と小さな魚だった。ビギナーズラックというものは俺には適用されなかったらしい。
それでも、自分のことのように喜んで手を叩いてくれる彼女の姿を見て目を細めた。
「……自分の出来ないことばっかり目につくよな、分かるよ」
足りないものばかりだった、出来ないことばかりだったあの頃。焦燥感ばかりが胸の中を占めていて。
ずっと落ち着かなかった。何かをしていなければ。前に進んでいると少しでも思えなければ、耐えられなかった。
そんな一番辛い時に、ずっと傍にいてくれた兄がいた。
「シュヴァル、君はさ。人の良いところを見つけるのが上手いよな」
「え、……え?」
「でも、自分の良いところを見つけるのが下手だなぁ」
「え、えっと。だって、僕なんか」
何を言ってるのか。彼女はシーナから散々自慢された通りの女の子だったのに。自信がなくて、自分を卑下しがちで。
でも、決して努力をやめたりしない。自分の目標に背を向けたりしない。ひたむきに進み続けることができる、強い子だ。
俺にとっては、とても眩しい娘だよ。
「だから、今から沢山褒めます」
「えっ!? えっと、そんなにない、ですよ……?」
「いーや、あるね」
そもそも今日俺のことを心配して探してくれたことからも、彼女の心根の優しさが透けて見えるだろうに。シーナが彼女のことを自慢したくなるのも分かる。
そこまで長い付き合いではない自分でも、いくつもいくつも引き出してくることができるのだから。
「本当は何にもないはずだった日が君のお陰で初めてのことばっかりだよ、ありがとう。
それに、授業中もいつも──」
「えと、あの。も、もういい、ですからっ」
ぽす、と肩口に力のない拳が当たる。帽子を目深におろして、顔を隠したシュヴァルがもうやめてほしい、というようにこちらの服を掴んで揺らす。
見ると、いつのまにか彼女の頬が真っ赤になってしまっていた。
「虎杖さんは、僕のこと。そんな風に見えてるん、ですか?」
「そうだぞ?」
ぎゅ、と俺の服を握っていた手に力がこもる。その後に、意を決したように顔をあげた彼女の紅潮して潤んだままの瞳と、目が合った。
「ぼ、僕はっ。虎杖さんの言ってくれるような凄い娘じゃないけどっ。絶対、追いついてみせますからっ!
そのときまた、言って、くれますか……?」
「もちろん。また釣りに誘ってくれたらな」
「……はいっ!」
「なぁ、また兄さんとは呼んでくれないのか?」
「え、えと。兄さん……?か、からかいましたねっ」
「ごめんごめん」
「ゆ、許しません」
帰り道。目を伏せて、手に持ったスマホを握りしめたシュヴァルが言う。毎回探し回るのも大変だから、と言い訳のように付け加えて。
「連絡先、くださいっ」
この話書く為に見返したら、お姉ちゃんでたの結構前なのね。びっくりした。
小僧、お前…。ほんとそういうとこだぞ…