小僧、自分でやったことの責任はちゃんと取らないとな
「今、タキオンさんに会うことは……。あまり、お勧めしません……」
「しかしだな……」
頑なにそう言って譲らないマンハッタンカフェを前にして、困ったように後頭部を掻く。いつものように彼女の隣にいるおともだちも、そうだそうだとでもいうように何度か頷いている。アグネスタキオンともう一度話さなければならない、そう言うと、彼女は手に持っていたコップを口に運ぶのを途中で止めて、表情を硬くして。それからずっとこうだ。
「彼女が俺のせいで走るのをやめるかもしれない。現に研究室に籠ってトレーニングもしてないんだろ?」
「いつもの……、ことです……。研究室に籠るのも、あまり走らないのも……」
そう言ってコップを傾ける。そういう時はよく何かを爆発させるので、私もあまり近づきたくありません、と付け加えるようにそう言って、かすかに微笑んだ。今座っているこの場所は、彼女の私物が置いてあるあの旧理科準備室ではなく、カフェテリアの端にある一席である。
放課後であっても、今日のこの場所にはそれなりの数の生徒が集まって思い思いに過ごしていて、がやがやというそれなりの喧騒が絶え間なく耳に届いてきている。そのなかで、一つ。明瞭に「あれっ?」という声が耳に届いてきた。
視線だけ動かすと、そこにはふわりと浮いているアドマイヤベガの妹の姿があった。アヤベが眼鏡をかけているときは殆ど彼女の傍にいるが、そうでないときは彼女の傍を離れて好き勝手にいろんなところを見て回っている彼女。小さく手を振ると、少し慌てた様子でどこかに行ってしまった。
「今のは……、アドマイヤベガさんの……?」
「あぁ、そうか。君も見えるのか」
出来れば仲良くしてやってくれ、と言うと、マンハッタンカフェは隣のおともだちをちらりと見てから、おともだちを怖がらないのなら、と小さく頷いた。随分と力ある存在の彼女のおともだちは、アヤベの妹のような者からは結構な確率で怖がられてしまうらしい。
「それでいいさ。……で、だ」
ウマ娘が走る理由をいくつも知った。彼女たちを応援する者の理屈も。我儘でもいいから、もう一度走ってほしいなどと恥ずかしげもなく叫ぶことが出来る、その力の源を。彼女たちにとって、“走る”ということがどれほど重いものであるか。そのことも知った。
「俺は、大人として間違えたなら謝らないといけない。彼女の話を先生として、もう一度聞かないといけないんだよ」
「それは……、あなたである必要は、ありますか……?」
こと、と音を立ててコップがテーブルに置かれる。あまり大きくはない筈のその音は、不思議と喧騒の中でもよく響いた。
「私は……、あなたが間違えたことを言ったとは……、思いません。タキオンさんは……。多少思い通りにいかなかったから拗ねているだけで、また、すぐに元に戻るでしょう……。必要なら私がそれまで傍で見ています……」
それに、デジタルさんもいますし。そう言ってマンハッタンカフェはこちらを真っすぐに見つめた。そういえば、アグネスタキオンの同室はデジタルだったか。彼女であれば少なくとも自分のように対応を間違えることもないだろう。誰よりもウマ娘たちのことを尊重する彼女であれば。
「それじゃ君に押し付けてるみたいじゃないか」
「いえ……、そんな、ことは。それに、タキオンさんが頼るべき大人は、あなたの他にも、います。トレーナーさんであったり、教官であったり……。そこまで、あなたが心を砕く、必要は……」
「カフェ」
彼女の言っていることは確かに正しい。きっと自分でなくてもいいのだろう。アグネスタキオンにはちゃんとした女性のトレーナーが付いている。少し話したが、アグネスタキオンのあまり自分のことを話したがらないところや、頻繁に問題を起こすところなど、すべてをひっくるめたうえで彼女を受け入れて、その才能を伸ばしたいと言う、ちゃんとした大人だった。
アグネスタキオンが過干渉を嫌うため、そこまで頻繁に干渉しているわけではないようだが、そのトレーナーが今の状態を良しとしているのならば、俺は何もやるべきではないのかもしれない。新参者の自分以外にも、アグネスタキオンが頼れる大人が、このトレセン学園にいないわけではないのかもしれない。
それでも、これは。自分がやらなければいけないと思っているこれは、俺の我儘だ。
「心配してくれてるんだろ? ありがとな」
「っ私、は……」
やけに引き留めるな、とは思っていた。彼女が言っていることは正しくても、わざわざそこまでして俺がアグネスタキオンに会うのを止める理由は彼女にはない筈だから。
最初、俺がアグネスタキオンに会うのを止めようとしたときの理由は、アグネスタキオンが作っている薬だったり、会ったらろくなことをしないだろうという彼女の経験則からだった。
今回は、そのどちらでもない。薬に関しては俺はどんなものであっても最悪分解してしまえば問題ないし、何より今日の彼女は理由も何も言わずに引き留めようとするから。
詳しくは分からなくても、俺に対して言えない理由があるんだろうな、と。察することくらい出来る。
「何か理由があるんだろ? それもアグネスタキオンじゃなく、俺の方に」
俺が言ったことで何かアグネスタキオンに対して悪い影響が出るなら、そう言ってくれる。マンハッタンカフェはそういう子だ。それが無いということは、問題があるのは俺の方ということ。
耳を絞って顔を伏せてしまったカフェの姿を見る。俺について、きっとこの学園の誰よりも知っていて、分かっている彼女だからこその理由なのだろう。言いたくない、そんな言葉が聞こえてくるようだった。でも、その様子を見れば俺にも分かる。
「虎杖さんは、悪くありません……。これは、私の……」
「カフェ、気にしないでいい。あれは俺が悪いんだ」
顔を上げた彼女の金色の瞳が俺の姿を映して揺れている。優しいこの子は、初対面で俺に対して言ってしまった言葉をずっと気に病んでいるのだ。そんな必要なんてないのに。
そもそもが間違っていないし、彼女のような見えている子がいることを想定せずに何の対策も講じていなかった俺の方に落ち度がある。彼女が謝る必要も、気に病む必要も一欠片もないのだ。
「何にも間違ってない、俺は半分以上呪いだよ」
「そんな、こと……」
言わないでください。そう言って伸ばされた手が、俺の袖口をぎゅうと掴む。シムリア星人にも気配が呪霊に近いと言われたし、それ以降も世界から呪力をなくすにあたって障害になりそうな呪物を取り込んだ俺は、もう人間でないと言って差し支えない。
だからこそ、俺は感謝しているんだ。俺のことを知ったうえでちゃんと向き合ってくれる彼女に。俺のことを友人と呼んでくれる彼女に。
「大丈夫。事実を言われても傷つきゃしないさ」
「私はっ! ……私は、感謝、しているんです。同じ世界を、見てくれて。当たり前のように……、おともだちを肯定してくれる、あなたに。
だから、あなたは平気でも、私が。……私が、嫌です」
目を瞬かせる。言葉が出なかった、と言ってもいい。俺が何か言われることで俺自身が傷つくことなどないから問題ないと思っていた。長く生きてきたおかげで、大抵の言葉はかけられ慣れているから。
それでも、一人でいる時間が多かったからだろうか。俺が何か言われることに対して怒ってくれる人や、傷つく人がいるということに、考えが全く及んでいなかった。
そうだ。そういえば釘崎は。幾つになっても、俺が呪いだなんだと言われるたびに、その相手の顔面に拳を叩き込んで笑っていた。「あんたがやったら相手の顔が吹っ飛ぶから代わりに私がやった」だなんて言いながら。
彼女は、その度に怒ってくれていたのだろうか。今となっては分からない、けど。鼻を鳴らして得意げにこちらを振り返る彼女の顔を見ると、いつだって愉快な気持ちがこみ上げてきたことを覚えている。
「もっと……、自分を、大事にしてくれないと。怒り、ます」
「……肝に銘じるよ」
おともだちが俺の背中を気持ち強めに叩く。しっかりしろ、とでも言いたいのだろうか。きっと俺以外が喰らっていたら、しばらく背中に赤い手形が残っただろう。何もないところから、ぱん、と何かを叩いたような音が聞こえたため、少し周りの注意を集めてしまった。俺の袖を握ったままだったカフェの白い頬に朱がさして。それでもその手を離すことは無かった。
「虎杖さんは……、優しい人。でも……、その優しさが人にばかり向いて、あなた自身に向くことが……、少なすぎます……」
優しくしなくても俺は強いからな、と言葉にすることは出来なかった。本音ではあっても、言うべきではないと思ったから。そして、それ以上に俺のことを自分の事のように心配して、怒ってくれるこの小さな友人の優しさが嬉しかったから。自分たちより、よっぽど彼女の方が優しさに溢れているのに。何か言おうと口を開いたが、何も言葉は出てこなかった。ちょうどその時、テーブルの空いていた椅子が引かれて、一人そこに座った影があったから。
「……そのとおりね。あなた、いつも人の事ばかり」
ちゃんと寝てるの? と首を傾げたのは、トレーニング後なのかジャージ姿で霊視のための眼鏡をかけたアヤベだ。その後ろでは彼女の妹が呑気にこちらに手を振ってから、カフェのおともだちを興味深そうにしげしげと眺めている。
「アドマイヤベガさん……、と妹さん……、でしょうか……?」
「そう、あなたも見えるの」
『よろしくおねがいします!』と元気よく挨拶して頭を下げる妹に、そこまで生きている人間と変わらない様子の霊が珍しいのか、目を丸くするカフェ。そして、こちらも物珍しげに妹の周りをぐるぐる回りながら観察し始めたおともだち。見る人が見れば困惑することは間違いないだろう。
「……仲がいいのね」
視線の先には、未だ俺の袖を握ったままのカフェの手があった。少し赤かった頬を更に赤くさせてカフェがその手を離す。それと入れ替わるように、対面というよりも、隣に座ったアヤベの尻尾が俺の足にふわりと絡む。
「あなたはきっと、何があっても誰かを助けることをやめないから。……だから、待っててあげる」
そう言って、あなたは? とカフェに向かって首を傾げる。少し悩むように時間を置いて、ようやくカフェは小さく口を開く。
「私は……、ついていきます。あなたの代わりに、怒り、ますから」
それなら、と。ようやくカフェからの許可が下りる。ありがとう、と一つ頭を下げて。自分が今、いかに恵まれているのかを改めて噛み締めた。
小僧、お前は…。うん、頑張れ。