小僧。強さなんて一つの個性に過ぎないさ
アグネスタキオンは今までよりも頻繁に元気にトラックを走るようになった。そんなことをカフェから聞いた。
彼女が“果て”に至るかはさておき、きっとこの学園にいる限り、彼女が一人になることは無いんだろう。上を目指して止まらないものが沢山いる。頂点との差を実感しても尚、面白いと笑える挑戦者が多くいる。きっと、誰かが抜け出したとしても、彼女たちがその一人を孤独にはしないんだろう。
「少し、羨ましいな……」
追って追われて、競い合って。そんな健全な関係が自然と生まれる場所。命がかかっていたあの世界と比べるのはまた違うかもしれないが、それでも眩しいと思わずにはいられなかった。
アグネスタキオンは、元々彼女の足が壊れないように細心の注意を払いながらこれまで生活してきたこともあり、全力を出してのレースならまだしもトレーニングならそうそう壊れることは無いそうだ。興奮気味にとりあえずどれくらいまで走れるかやってみたいとガン決まった目で言っていたが、それはカフェのおともだちが力づくで止めてベッドに放り投げていた。
当然だ。怪我について心配はいらないとは暗に言ったが、怪我を前提にした走り方やトレーニングをしてほしいわけではない。俺がいつでもそばに居るわけでもないので、そんな自傷行為のようなことをされては困ってしまう。
ウマ娘のレースには怪我が付き物。そんな中で、簡単にその怪我を治すことができてしまう反転術式というものは劇薬だ。一見すると良いことしかないように思えるが、それが普遍的な技術ではないとなると話は変わってくる。
少なくとも、この世界でそんなことが出来るのは俺一人だけだろうし、その技術を後世に伝える手段もない。俺が永遠に生きられるわけではない以上、ウマ娘のレースというものの根幹にかかわるこれは公にするべきではないという考えは今も変わらない。
怪我によって夢を絶たれる子供の数を減らしたいという気持ちはある。それでも、アグネスタキオンについても懸念したように、反転術式によって怪我が治ることが前提になってしまってはまずい、ということだ。
俺の手の届く範囲はあまり広くない。一人でやれることなどたかが知れている。
幸いにも、カフェもアグネスタキオンも周りに広める意図は無い様で、今も俺は変わらずこれまで通りの生活を送ることが出来ている。それでも、今の平穏が薄氷の上にあるものだと改めて思い知らされることとなった。
後悔は無い。あの時、アグネスタキオンは俺の手の届くところにいて、俺は彼女の抱える問題を解決できる能力を持っていた。それだけだ。何度やり直したとしても、俺は同じ択を選ぶだろう。
『お前は強いから、人を助けろ』
今でも鮮明に思い出すことの出来る祖父の遺言。心に残り続けるその言葉は、俺の芯に近いものだ。助けることが出来るから、助ける。それは間違っていないと、思っている。けど。
呪術師になった時、正しい死を選びたいと思った。両面宿儺を封じる器として、出来る限り多くの指を取り込んでから死ぬ。そうすることで救われる人が多くいるなら、それは正しい死だと思ったから。結局それは叶わなかったし、馬鹿な俺が結んだ縛りのせいで、俺が宿儺を抑えきれなかったせいで多くの人が亡くなった。
『後は頼みます』
ナナミンに言われた言葉。ちゃんと受け取った。全部全部背負って、ちゃんと苦しむ。折れずに自分の役割を全うし続ける。あちらでは、俺は呪術師だったから。呪いを祓うこと、人を助けること。散っていった仲間たちの意思を継ぐこと。自分の罪を決して忘れないこと。全てが俺の役割だった。
じゃあ、こちらでは? 今はもう、俺は呪術師ではない。若人を導くための教師という役割を得ている。
アヤベに会って、運命という理不尽なものに行く末を縛られている子たちの道を開くのが俺の役目だと思った。でも、この世界について知れば知るほど、迷いが生まれてくる。
苦しんでいる子供は、運命なんて大それたものに道を阻まれる子たちだけではない。偶発的な事故、生来持つ体質。他の誰に出来なくても、俺になら出来ることが沢山ある。分からなくなってしまっていた。俺がここにいる意味を。
トレセン学園内の“この世ならざる者”への対策はほとんど終わったと言ってもいい。構築した結界は定期的に呪力を注いでやる必要があるとはいえ、それも頻繁に行う必要はない。最初に俺がこの学園に来る理由になった問題は、既に解決されたも同然だ。
分からない、俺がこれ以上ここにいてもいいものか。
多少なりとも俺の過去に触れたカフェは、色々と言いたいこともあっただろうにそんな言葉を飲み込んで「また明日」と言ってくれた。アヤベは、「待っててあげる」と言った。彼女が俺の夢を乗せて走ってくれると言ったから。俺の過去も分かりたいと言ってくれているから。
何もかも投げ出すような真似は出来ないと分かっている。それでも、考えれば考えるほどに厄介ごとに足が生えて歩いているような存在の俺がこんな平和な場所に長居していいものかという疑問が後から後から湧いてくるのだ。
数か月前に比べると、随分と色合いが寂しくなった河川敷の芝原に上体を倒す。視界に映った夕焼け空に、冬の冷たい風に乗って枯れ葉が一枚くるくると回りながら飛んで行った。
〇
「わ、わ、わ、わ──っ」
川のせせらぎすら聞こえてきそうな静かなその場所に、賑やかな声とどたばたした足音が響く。虎杖がそちらに顔を向けると、そこには大半が枯れて殺風景になった草原の斜面を、両手を前に出して上体を泳がせながら下っていくハルウララの姿があった。
要するに、転ぶ一歩手前の姿勢である。春の青々と雑草や花が生い茂っている時ならばともかく、今では下の土すら見えてしまいそうなこの場所で、しかも斜面の中ほどで前のめりに転んでしまってはどうなるかなど想像に難くない。
直前まで色々と考えてしまっていた彼の身体は、今度は何かを考える前に跳ね起きて動いていた。
「わーっ。……あれ?」
「危ないぞ、……何やってるんだ、ウララ」
倒れる寸前にぎゅ、と目を瞑って。しかしいつまでたっても転んだ時の衝撃がこなかったことが疑問だったのか、小首をかしげてから目を開けたハルウララの瞳が、倒れそうになっていた自分を支えている人影を捉えて輝く。ぱ、と腕から抜け出して満開の笑顔を浮かべた。
「ゆーじせんせーだ!」
「おう、先生だぞ。危ないから斜面は走らないようにな」
「うん! えっとね、すごぉく綺麗なちょうちょがいたの! 追いかけてたんだけど、……あれー?」
「蝶……? こんな時期に?」
虎杖が疑問を覚えるのも当然だろう。時はすでに年末近く、立派に冬真っ只中である。そんな時期に蝶など飛んでいるものなのか、と首を捻って。次いで視線を落として、ハルウララの足に幾つかの擦り傷や切り傷があって、そこから血が滲んでいることに気がついた。きっと今のように道ではないところを走ったり、転びかけたりしてできたものなんだろうな、と困ったような笑みを浮かべて、とりあえず止血を、としゃがもうとしたとき。
「あ、あれだ! まてーっ」
「あ、こら」
何かしらお目当てのものを見付けたらしいハルウララが踵を返して走り出す。当然傷の手当てをしようとかがんでいた虎杖を一人その場に残して、だ。その時彼がとった行動は、普段ならばきっと取らないものだっただろう。
それでも、悩んで悩んで、頭の中がぐちゃぐちゃになって。判断力が著しく低下している今だからこそ取ってしまったものだった。
すなわち、走り出してしまったハルウララを、同じく走って追いかける、という行動を。
「ウララ、まず血が出てる傷の手当から──」
「あれっ? ──すごいすごいっ! せんせー足速いっ!」
「……あ」
気が付いた時には時すでに遅し、並んで走るハルウララは止まる気配を見せず、むしろすごいすごいと言って嬉しそうに笑っている。やってしまった、と少しの後悔をする虎杖に出来たことは、「俺は人より少し強く生まれたからなぁ」と誤魔化すことくらいだった。
「そーなの?」
「そうさ」
宿儺の器として生を受けた彼は、確かに人よりも強く生まれた。呪力を知らぬままでも、ウマ娘と並んで走ることも出来ただろう。ただ、廻る呪いと彼に課せられた運命がそれを許さなかったのだが。
そんなことを露とも知らぬ桜の少女は、少し前まで追いかけていたもののことも忘れて、今自分たちが走っている夕日に照らされた道を見て、それから、人生で初めて自分の隣を走る男性のことを見て、嬉しそうに笑顔を咲かせた。
「じゃあ、せんせーは、私と一緒に走るためにつよく生まれてくれたんだ!」
ハルウララの横に並んで同じ速度で走っていた虎杖の足がだんだんと緩んで、最後には止まる。立ち止まった彼は、顔を上げないまま小さな声で「……そっか」と呟いた。
「そっ、か……」
「どうしたの? せんせー。……泣いてるの?」
急に足を止めた彼のことを不思議に思ったハルウララが下を向いた彼の顔を覗き込む。ぽたりと地面に落ちて跡を残した雫に驚いて、「えっと、えっと」と慌てながら何かないかと自分の懐を探して。結局何も見つからなかった彼女は、目の前にある虎杖の頭に手を伸ばした。
「よしよし」
背伸びして、普段は自分よりもずぅっと高いところにある頭に掌を置いて、ゆっくりと動かす。普段彼に自分がそうしてもらっているように。そうしてもらうと、
安心して心が温かくなるから、彼もそうだろうと一生懸命考えて。
いつもならその行動に穏やかに何かしらの言葉を返す彼は、今日は何の言葉を発することもなく。ただただ静かに、自分の頭に触れた小さな手を受け入れ続けている。
また一つ、二つと地面に跡が増える。その黒い染みが増えることを止めるまで、乾いてそのすべてが消えるまで。彼女の手が止まることは決してなかった。
これが書きたかったからこの章ずっと曇らせとウララセラピーを反復横跳びしてたみたいなところありますからね、はい。
誰かの心を救うのに、飾り立てた千の言葉も、ドラマチックな出来事もきっと必要ないんでしょう。
強さの果てに至った孤独の彼を救ったのは、同じような孤独な強者でも、同じく果てに至ろうとする若き才能でもなく、誰よりも弱い一人の少女の何気ない一言だったというお話でした。
これにて第二章も終わりとさせてください。第三章は…、まだ何も思いついていないのでいつになるかわかりません。待っていていただけると幸いです。
また、ノリと勢いだけで書いていたものを楽しんでいただけたなら嬉しいです。
最初の方の日常のような閑話で良いならば、ぽつぽつと更新するかもしれません。出すだけ出して触れていない子も、ストーリーに組み込める気が全くしていない子もかなりの数いるので。
それでは、またお会いしましょう。
※挿絵はAI生成です