小僧、野球は好きか?
何故、こうなったのか。
「かっ飛ばせー、ゆ、う、じーっ」
休日の川沿いに設けられている野球用のグラウンドに、両チームの声援が届く。その中で特に目立つ声は、ベンチから声援を送ってくる今の自分と同じユニフォームを着たヴィルシーナのものと、何故か観戦に来ているメジロマックイーンの声。本当に何故。
「プレイボーッ」
そもそも野球初心者の自分が何故チームの中で一番最初にバッターボックスに入る羽目になっているのか、とか。まず何故自分は休日の朝っぱらから見慣れぬユニフォームを着て草野球をやっているのか、とか疑問はもう既に白目をむきたくなるレベルで積み上がっていて。
それでも、手抜きなんて許さんぞとばかりにベンチから飛んでくる殺気交じりの視線と、ただ純粋にこちらを応援してくるヴィルシーナの声援を背に受けて。やらなきゃいかんか、と内心で溜息をついた。
キャッチャーの出したサインにようやく首を縦に振ったピッチャーがモーションに入る。サイドスロー気味のその右手から放たれたその球が、自分から逃げるように曲がっていくのをじっと眺めて。
多分ボール球なんだろうなぁ、などと思いながら、容赦なくそのボールの中心を伸ばしたバットでしばき上げる。
銃声かと間違えるほどの快音が鳴り響き、高々と上がった白球が綺麗な放物線を描く。その行方を目で追いながら、バットをおいてゆっくりと一塁側へ歩き出した。
〇
「お願いっ、今度の日曜、一緒に野球の試合に出てくれない?」
ぱん、と両手を合わせたヴィルシーナがこちらに軽く頭を下げる。それに対する自分の顔は、どんなものになっているのだろうか。少なくとも嬉しそうな顔はしてなかったかもしれない。何故かというと、その野球の試合というのは、十中八九前に口にしていた父親がいる草野球チームであるとその時点で察していたからだ。
「そ、そんな顔しないでちょうだい。お父さんがあなたに会いたいって言ってるの」
「えぇ……」
とうとう声に出てしまった。だが仕方がないと思うんだ。こういうのは大抵ろくなことにならないと相場が決まっている。俺は詳しいんだ。
「ちなみに俺のこと、お父さんになんて話したんだ?」
「え? 『知ってると思うけれど、悠仁が──』って話したけれど。どうしたの?」
「ガッデムッ!!」
想定し得る中の最悪だった。思わず心の中の夜蛾先生が出てきてしまうほどに。これで確定した。自分は今現在、彼女の父親にとって、娘に謎に弟呼ばわりされている不審者である。ますます行きたくなくなってしまった。
彼女が自分のことを家族として扱ってくれることは疑いの余地はなく嬉しいことだ。しかし、問題が一つある。彼女は学園では優等生で通っており、基本的に変なことは言い出さない少女である、というイメージが固まっている。
何を言っても「まぁ東堂だし……」で流される東堂とは違うんだ。彼女が俺に対していつもと違う言動を繰り返すことはそれすなわち、周りから見ると彼女ではなく俺が何かおかしい、変なことをしたのではとみられる可能性が大きいということで。
(たづなさんなんかは全然気にしていないみたいなんだけどなぁ……)
多分ばれているとは思うのだが、たづなさんや秋川理事長の俺のことを見る目は全く変わっていない。まるでそんなことは良くあることだ、とでも言いたげな顔で笑っていた。さすがにこのレベルの奇行はそうないと思うんだが。
「なんで、そんな、言い方を?」
「え? だって私の弟なのだから知ってるはずでしょう?」
「違うが??」
どうして普段は常識人なのに、その一点に限りブレーキがぶっ壊れた暴走機関車のような挙動で斜め上にかっ飛んでしまうのか。なんだか痛みを訴え始めたこめかみを抑えて、思案する。
「あなたも久しぶりにお父さんに会いたいでしょう?」
「最初の発言と致命的に矛盾するのやめてね?」
はて、と首を傾げるヴィルシーナ。どうやらその部分の記憶は無い様だ、存在しない記憶がかなりの量、頭の中に詰まっている気配がするけども。
「嫌、かしら。出来たら私の妹たちとも、仲良くなってくれたら嬉しいのだけれど」
「……そういうのを先に言ってくれ」
眉尻を下げて、こちらを見上げてくるヴィルシーナを前にして、眉間に寄った皺に手を当てて揉み解す。
彼女の二人の妹たちのことは、頻繁に目を輝かせながら語ってくれるので話したことはないもののなんだかんだそれなりに詳しくなってしまっている。ヴィブロスと、シュヴァルグランの二人。
ヴィルシーナの彼女たちの事を語る姿があまりに楽しそうで、輝いていたから。そんな魅力的な彼女の妹たちと話してみたいという気持ちが無いわけではない。
それはそれとして、彼女の父親の自分に対する印象が今現在恐らく地べたを舐めていることは全く改善していないのだが。
娘を前にした父親というのは恐ろしいものがある。俺はそれを乙骨先輩から学んでいるのだ。あれは娘ではなく孫だったが。
「……実はね、隣町のチームとの試合なんだけど、チームに怪我人が出ちゃって。お父さん、楽しみにしてたから中止にはしたくないの。お願い、出来ないかしら」
「ほんっっと、先に言って?」
しゅん、と心なしか小さくなって頭を下げようとするヴィルシーナのことを、慌てて止める。蓋を開けてみればなんてこと無い。家族を大事にする彼女らしい理由だった。
それなら否やは、否やは……。うん、無いな。あったとしてもその日の自分に任せるとしよう。教師としてはきっと生徒のお願いに答えるのが正解なんだ。
「分かった、やるよ」
「ほんとうっ!?」
不安そうに揺れていた瞳がぱ、と輝く。そのままの勢いで一歩詰められて、こちらの右手を両手で握られた。
「それじゃあ、キャッチャーをお願いね。私が投げるから」
「……シーナ。それが狙いか?」
そんな俺の質問を正面から受けたヴィルシーナは、少し笑ったあとに片目を瞑って、人差し指を唇にそっとあててみせた。
「さぁ、どうかしら?」
追求を続ける気にもなれなかった。ただ、楽しみだわ、と言って年相応にぴょん、と飛び跳ねて喜ぶ彼女の姿が見れただけよしとしようか。
やられたなぁ、と。心底そう思わずにはいられない。随分年を重ねているのに、まだまだだ。戒めの意味も込めて静かに仰いだ空は、随分と青かった。
◯
「君が、娘の言っていた虎杖君かい?」
「はい、娘さんにはお世話になっています」
「嫌だな、随分と硬いじゃないか」
第一声は、予想を裏切って随分と和やかだった。差し出された手を取って、ばん、と背中を叩かれる。使い込まれた、随分と硬い手のひらだった。
様子が変わったのはその後。握った手を一向に離そうとせずに、それどころか更に力を込めて握ってきているのだ。
「本当に、随分と、うちの娘と仲良くしてくれているようで」
なんとも、言葉の一つ一つの後に殺意が見え隠れしている。この握ったまま離してくれない手も、絶対に殺すという意思表示だろうか。
「えぇ、私のような未熟な新人を気にかけてくださって、優しい娘さんですね」
万力の力で握られていた手からするりと抜け出る。予想外だったのか、一瞬目を見開くも、その後すぐに目線が剣呑なものに戻る。
「あぁ、そうだろう。出来た娘すぎて釣り合う男がいるのか今から不安になっているところなんだ」
「娘さんが選んだ人が、きっと正解になるんでしょうねぇ」
ははは、と笑い合う。相手も表面上は笑顔を作ってはいるが、どうにも殺気が抑えられていない。やっぱりなにがしかの誤解を受けているな、とその殺気を受け流しながら内心溜め息をつく。
「二人とも、何してるの? もう練習始まる時間よ?」
ヴィルシーナの声が聞こえた瞬間、その表情が瞬時に優しい父親のそれに変わる。今行く、と手を振ってから、またこちらに顔を向けた。
「……君には、感謝しているところもあるんだ。娘が折れそうな時に傍にいてくれたと聞いた」
「いえ、自分は──」
「“妹たちの前を歩き続けるから、私は強い”だったか。嬉しそうに言ってたよ。君が言ったんだろう?」
「……私も、受け売りですが」
「言葉なんて大抵そうさ」
そう言いながら、妹のシュヴァルグランとキャッチボールをしながら楽しそうに笑っている様子を見て、目を細める。その口元には穏やかな笑みが浮かんでいて。
「──だが、それとこれとは話が別だ」
「……あぁ、はい」
また元の顔に戻ってしまった。せっかくこのまま穏やかに終わるかな、と淡い期待を抱いていたのに。それなら最初から一旦あげないでくれ。
「ただまぁ、恩があるのも事実。
──だから、この試合で私を満足させる活躍をしたら、認めてやろうっ!」
……何をだ。ぎりぎりのところで踏みとどまって口には出さなかったものの、顔には出ていないと断言出来る自信が無い。
答えが返ってこないのでこちらに指を差したそのままの姿勢で止まっている父親と俺の間に微妙な空気が流れる。そこに、いつの間に傍に来ていたのか俺の後からヴィルシーナがひょこ、と顔を出した。
「認めるって、何を?」
「え、えぇっとだな……」
困ってこっちを見ないで欲しい。言い出したのはそちらなんだから。まぁ、こういうのは娘にはあまり聞かれたくない会話なんだったか。乙骨先輩も似たような事をしていた。
「俺が活躍したら、元プロ野球選手からお墨付きをいただけるらしい」
「ほんとうっ!? 悠仁ならホームランも簡単よね?」
シーナが俺の名前を呼んだところで、父親の眉がぴく、と動いて、ホームランが簡単、と聞いたところで更にぴくぴく、と動く。
あぁ、これは完全に火に油を注いだな、と内心天を仰いでいると、そんな当人を置いて勝手に話は転がっていく。
「……よろしい、じゃあ2本だ。2本以上打てたら認めてやろう」
「父さん、舐めないで。3本よ」
あぁ、もう勝手にしてくれ。勝手に条件を厳しくするシーナの機嫌良さげに振られる尻尾を見て、諦めたように溜め息をついた。
◯
「……あの、姉さんの投げる球受けられるって、本当ですか?」
おずおずと、視線を下に向けたままこちらに話しかけてきたのは大きな白いマリンキャップを被ったシュヴァルグランだ。その後では、小さな声で末の妹のヴィブロスががんばれー、と声援を送っている。
「君の球も、受けてみようか?」
「ッ本当ですかっ?」
ぱ、と表情が輝く。どうやら正解だったようだ。嬉しそうにいそいそと距離を取ってグローブを嵌め直す。人見知りで、あまり人と話すのが得意でないと聞いている。
怖がられていないようでよかった、と息をついて、球を取るために腰を落とした。
「すごい、ですっ。僕たちの投げる球を取ったら皆怪我しちゃうからって、試合で投げられるなんて思ってみなかったですっ」
「まぁ、普通はそうだろうな。……君も今日投げるのか?」
「ね、姉さんに頼んでみます……っ」
そう言ってベンチのシーナのもとに駆けていってしまった。手を振ってその後ろ姿を見送っていると、今度は背後から背中をつんつん、と突かれる。
「ねぇ、お兄ちゃん?」
「……お兄ちゃん?」
「そっ! お姉ちゃんの弟だから、お兄ちゃん! ねぇねぇ、お姉ちゃんといつもお話してるところ、今度私も行ってもいい? おねが〜い」
そう言ってこちらを上目遣いで見つめてくるのは、末の妹のヴィブロスだ。随分と甘え上手な子だな、と少し笑いながら口を開く。
「待ってるよ、いつでも来な」
やったーっ、と飛び跳ねて喜んでから、こちらにとと、と近づいて手を取ってくる。これまで見せていた幼い頃の所作ではなく、随分と大人びた表情を浮かべて、彼女はこう言った。
「お姉ちゃんが最近すっごくキラキラしてるの。ありがとね?」
ばいばーい、と手を振りながら離れていくその時にはもうそんな大人びた表情は何処にもなくて。ただ無邪気で甘え上手な末の妹がそこにいた。
「あ、あの」
くい、と服の裾を引かれる。そちらを振り返ると、少し戸惑ったような表情をしたシュヴァルグランがそこに立っていて。
「……僕も、兄さんって呼んだほうが、いいですか?」
「……もう、好きにしてくれ」
そう返すのと、少し離れたベンチから「4本だっっ!」という大声が聞こえてきたのはほとんど同時のことだった。
◯ヴィルシーナのヒミツ①
実は、部屋に誰かのホームランボールが6つ程飾ってある
こ、コイツアウトローのボールゾーンに逃げてくスライダーを引っ張って場外に持っていきやがった……。
小僧、相手のピッチャーがベンチで冷たくなっているぞ。少しは手加減してやったらどうだ。
何処かでレース場にも行ってほしいな。やっぱりアヤベさんの菊花賞かな。それとも有馬かな。