みんな、先生の漫画を知っている。
結構な人気を保ったまま長期連載しているから、少女漫画に詳しくなくても、名前くらいは分かるはず。
もしかしたら先生の名前も聞いたことがあるかもしれない。
半年先まで原稿を上げ、長期連載を一度も落としたことの無い漫画の超人。
とはいえ、本人の名誉のために、一応名前は伏せておこう。
その先生が、踊っていた。
漫画を書く神聖な仕事部屋で、そんなことをする人ではない。
大事な原稿に何かあったらどうするの、と怒るのが先生だ。
思わずドアを閉め、一息入れてから、改めてドアを開ける。
「先生!おはようございます!!」
やり直しても、まだ先生は踊っていた。
いつもなら「おはよう、アシ五号」とかなんとか返ってくるのに。
この様子だと、こちらを認識しているかすら怪しい。
古株のアシスタントでも「漫画を描けない」と判断した相手には厳しい先生だけど、これは無視とかではなさそうだ。
「ちょっとね、困った連絡がね。
いえね、良い事なんだけどね。」
いつもより困った顔をしているチーフが、おろおろとしながら教えてくれる。
「ほら、王子様とすれ違うのに、弟の難病を使ったじゃない?
アレがね、治りそうなの。」
様々な障害に翻弄されながら運命の人と結ばれるのは少女漫画の王道。
先生の長期連載も仕事漫画の立て付けで、ラブコメが繰り広げられていた。
容易に解決されてはいけない、複雑に絡まり合った悲劇のスタート地点として設定されているのが、ヒロインの弟の難病である。
病弱な弟の健気な様子は、読者からの人気も高い。
それが、治る?
「現実の病人ならともかく、漫画の病人が勝手に治る訳ないじゃないですか。」
この人は何を言っているのか。
フィクションである以上、愛や友情で奇跡は起きる。
でも、物語的なコストを払わなければ奇跡なんて起きないのもフィクションだ。
現実なら「良く分からないけど治った」もあるだろう。
だからって長期連載の起点が、勝手に治ってたまるものか。
「勝手にはね、治らないわね。
お医者さんがね、治療法を見付けたのね。」
差し出されたプリントアウトには、確かにヒロインの弟が罹っているとされる難病の治療法が見つかったというニュースが載っていた。
とはいえ、その名前が・・・
「質の悪い二次創作じゃないですか、これ。」
二次創作で良く見掛ける、ヒロイン弟と王子様とのちょっと腐ったカップリング。
その呼び方をそのまんま治療法の名前にするのは、わかりやすいジョークニュースの手法だろう。
著名なニュースサイトのレイアウトそっくりだけど、こんなのに騙される方が悪い。
とはいえ、腐女子を拗らせてこんなページまで作って。
なんとご苦労な事だ。
「ほら、そっち系のまとめサイトから飛べるようになってます。
本物そっくりですけど、よくこんなの作りましたね。」
「私もね、信じたくないの。
だけどね、なんだかうまく、出来ちゃったのね。」
・・・
ファンサイトで見付けたリンクは、確かに国内大手のニュースサイトに飛んだ。
有名大学の研究チームが開発した手法。
外部からの寄付金に感謝して・・・
共同研究者の名前を取って・・・
「本物よ、これ。」
いつの間にか復帰した先生が、いつもの声で語る。
漫画ばっかり描いていて運動不足の先生は、さっきの謎の踊りで滝のような汗をかいているけれど、その疲労を感じさせない冷ややかな声。
「連絡を頂いたわ。
ここの研究室には時々取材に行くから。」
チーフから受け取ったタオルで汗を拭きながら、少し困った顔で、先生は告知ページを見る。
「昔はね、馬鹿にされたものでしたけどね。
最近はもうね、至れり尽くせりというんでしょうね。
先生の漫画の御陰でね、知名度とかね、そういうのがね。」
完璧主義の先生は漫画に出て来るその病気の為に、大学の研究室にまで話を聞きに行ったとは聞いていた。
その縁で、単行本の巻末には、スペシャルサンクスとしてその研究室の名前が毎回載っている。
でもそんなに親しくしているとは。
「熱心なファンの皆様がイベントを開くでしょう?
売れた同人誌の収益は寄付する習慣らしいの。」
「ちりつもでね、結構な金額になってましたものね。」
チーフが少し遠い目になる。
在りし日の研究室を思い出しているのだろう。
実を言うと私も、ここでアシスタントをする前に見学に行った事がある。
結構しっかりとした研究所に見えたのは、外部からの資金が入ったからだったか。
「半年に一度教えて下さるの。
幾ら寄付があって、どんな事に使ったか。
・・・何をやって効果が無かったかも教えて頂いたわ。」
「まだまだね、無理そうでしたもんね。」
それなのに、ちょっと寄付金を使った試みが偶然上手くいって、研究が急に進んでしまったらしく。
喜んだ教授の感謝の気持ちが、腐女子御用達カップリング名の治療法になったそうだ。
脳内で教授の顔を殴りつけようとして思いとどまる。
漫画のネタに出来る位の難病を、実際に治療可能にした偉人の頭部に打撃なんてとんでもない。
イメージとは言え腹を殴る程度にしておこう。
寄付したみんなへの配慮が行き届いていて、社会人として相応しい!えらい!!
でもちょっとその配慮は止めて欲しかった。
「これはもう、知らないふりは出来ませんよ。」
先生の漫画はそれなりに人気と知名度がある。
難病の治療法発見だけならニュースとしての価値は微妙だけど、「あの漫画が現実の病気を”治した”」であればニュースの見出しには十分だ。
針小棒大に脚色されて、ネットの玩具になりつつ拡散されるに違いない。
そして、病気についてもしっかりと取材した先生は、治る病気を治らないと描くことを許さない。
完璧主義の先生が用意している数ヶ月先までの原稿も、それから先のネームも、弟くんの病気が治ると全てご破算だ。
勿論、発見された治療法が正式に認可されるまでには、きっと時間が掛かるだろう。
でも、主人公の運命の人は所謂スパダリである。
治療法の無い病気を治せるような神様では無いけれど、それなりの金と影響力を持ち合わせた白馬の王子様。
彼も主人公も、行動力も決断力も十分に持ち合わせていて、それでも尚運命に翻弄されるからこそ人気を博している。
治せる病気があるのに、そのスパダリがぐだぐだしながら待つなんてありえない。
今までだって、もっと面白くなるからと用意した原稿を全て捨てて書き直した事は何度かある。
でも、これはそういうのとは訳が違う。
このスパダリがここで最善の一手を打てない無能なら、今までの話はなんだったのか。
「治るわ。
治らないと駄目。」
何の迷いも無く、先生は断言する。
「フィクションは、辛い現実なんかに負けたら駄目なの。
それと同じくらい、素晴らしい現実の勝利を身勝手な敗北に変えてはいけない。
ファンの皆様に応援されて、お医者様が病気に勝った。
だから病気は治る。
当然だわ。」
先生のこういう所が私は好きなのだけれど、だからといって漫画の締め切りという現実は待ってくれないし、そもそもどういう話にするのか。
「とりあえず今回は・・・今回は・・・きゅ、きゅう・・・」
休載と口にしたくない先生の動きがあやしくなる。
これを放っておいた結果が、さっきの謎の踊りだろう。
「落ち着いて下さい、先生。
今から新しく描いていたら、今月分の原稿は間に合いません。
無理矢理上げたら、先生が嫌いな手抜き状態になります。」
「手抜き・・・駄目よ、手抜きなんて、それは駄目。」
先生の手首をぐっと掴み、壁ドンの要領で顔を覗き込む。
「手抜きも休載も嫌なら、載せられる原稿は一つしかありません。
今ある原稿を載せましょう。」
「駄目よ、治療法があるのをもう皆知ってしまった。
治せる病気を前にして、辛いとか先が見えないとか、単なる茶番じゃない。」
「無視しなければ良いんです。読者に告知を出しましょう。
今月から少しだけIFの話です。
急に治る病気になったから仕方が無いんです。
数話分無かった事になるのも事前に告知しておけば、読者を裏切ったことにはなりませんよ。」
「・・・」
「ファンだって先生の漫画の続きを読みたいに決まってます。
寄付をした子だって、漫画を壊したかったんじゃない、より良い結末の為に何かしなくてはいられなかったんです。
載せないのも、手抜きも、読者を裏切ることになります。」
いつもはそれっぽい台詞を捻り出すのに使う脳の部位をフルに回しながら、どうしようかと考える。
「描き溜めてある原稿も、何処かで載せましょうよ。
私だって読みたいです。
その上で、こうならなくて済んだのだと書き添えましょう。」
呆けていた先生の目に光が戻る。
「そうか・・・そうね、踊ってる場合じゃ無いわね。
新しいプロットで、続きを描かないと。
・・・いえ、その前に告知だわ。」
踊ってる自覚はあったんですね、とはなんとか口にせずに済んだ。
「ええ、病気が治るようになったと、それが読者の努力の成果だと、大々的に告知しましょう。
これは先生の漫画の勝利なんです。」
「編集さんにね、ページをね、貰いましょうね。」
「ん-、ただページ寄越せと言っても無理そう。
これを載せるからと叩き付ける原稿が要るわ。」
さっきまでとは違う漫画のベテランとしての先生の目が冷徹に私を見た。
「描きなさい。アシ五号。
この顛末を漫画にして、読者に知らせるの。
さっきの啖呵は気に入った。
出来が良ければ漫画家として名前を覚えても良い。」
ごくりと唾を呑んだ。
この告知は、当たり前だけどこの連載を読んでいるファンが全員読む。
そして、事件の顛末の話題性は、先生の漫画を読まない層にさえ読ませることが出来るだろう。
先生がくれたのは、名前を売り出す凄まじいチャンスだ。
だから私はこう言うしかない。
「ありがとうございますっ!!
早速描いていくので協力お願いしますっ!!」
先ずは・・・そう、資料写真からだ。
とりあえずは先生の奇妙な踊りから始めよう!!
この先生、将棋で大活躍する中学生棋士とか大リーグで二刀流で活躍する野球選手とかの話を描き始めて、また踊る羽目になりそう。