鋼鉄の胸に咲く温もり 作:匿名希望
無機質な研究所の白い光が、臨床室を冷たく満たしていた。
部屋の中央に鎮座するオペレーションチェアの硬い合成皮革に腰掛け、蓮(10歳)は小さく身を縮めていた。
着古した緑のパーカーの袖をぎゅっと握りしめる指先が、微かに震えている。
「……本当に、これで僕の体が治るの?」
問いかけは、防音ガラスの向こうに立つ研究員たちには届かない。
応えるように、正面の大型透過モニターが淡い青い光を放ちながら、解読不能なコードの列を猛烈な速度で流し始めた。
ピッ……ピッ……ピッ……
壁の端末が発する一定周期の生体バイタル音が、沈黙の室内へ不穏に響き渡る。
心拍数112、血圧正常。
しかしその電子音は、蓮の幼い肉体が二度と元には戻れない領域へと踏み出す、不可逆なカウントダウンの鐘のように聴こえた。
「被験体H-1004、バイタル安定。適応プログラム、フェーズ1を全開(フルオープン)にします」
頭上のスピーカーから響く無機質な合図とともに、チェアの拘束アームが静かに作動し、蓮の手首と足首を固定した。
冷徹な機械音に呼応するように、オペレーションチェアの背もたれが滑らかな軌道を描いて後方へ倒れていく。
視界が急速に天井の無影灯へと切り替わり、蓮の小さな喉からかすかな拒絶の息が漏れた。
「やだ……やっぱり、怖いよ……お母さん……」
震える声は、厳重に密閉された強化ガラスと分厚い防音壁の向こうへは一筋も届かない。
ガラスの向こうで白衣を着た研究員たちは、表情ひとつ変えることなく手元のホログラム端末を操作し、次々と複雑な波形データを宙に描き出していた。
彼らにとって、目の前の10歳の少年は愛しい我が子ではなく、完成を急ぐ次世代生体インターフェースの「不確定要素」でしかなかった。
――警告。同期率(シンクロレート)上昇中。許容閾値 35% 突破。
頭上のスピーカーから、システムのアラートが乾いた電子音とともに告げられる。
その瞬間、チェアの深部から微弱な電磁パルスが放射され、蓮の全身を駆け巡った。緑のパーカーの繊維を透過して、背骨に沿うように埋め込まれた神経接続ポートが青白く発光する。
それはまるで、冷たい金属の蔦が体内の神経回路を這いずり回るかのような、形容しがたい異物感と激痛をもたらした。
「ぐっ……ううっ……!」
反射的に身悶えしようとする肉体を、拘束アームが容赦なく押さえつける。
皮膚の表面が熱を帯び、血管の浮き出たこめかみに冷たい汗が伝う。
しかし、本当の恐怖は痛覚そのものではない。
脳内の意識の境界線が曖昧になり、自らの自我が冷たいデジタルデータの海へと溶け出していくような、底知れぬ消失感だった。
『被験体 H-1004。意識の混濁を確認。ですが、神経結合の密度は想定を上回っています。フェーズ2への移行準備を完了してください』
ヘッドセット越しに、冷ややかな女性の声が響く。
視界の端で、透過モニターのコードの列が緑色から深紅へと変化した。
それは生体適応の限界領域――「フレーム換装」の本番が、まさに今、開始されようとしているサインだった。
幼い少年の意識が完全に飲み込まれる暗闇のなかで、新たな機械の心臓部が、ドクン、と最初の不気味な鼓動を打った。