2話 - ブラックマーケットの異邦人
ブラックマーケットにある建物の事務所。入り口の前で待機していた部下の一人が彼らの姿を認め、事務所のドアを開けて中へと通した。中では、黒い熊の獣人が二人を待っていた。目に傷のあるその黒熊こそがカンダに違いないと考えたスオウは、思いがけない形での初対面に、息を呑んだ。
「この人が……」
彼にまつわる物騒な噂は、数え切れないほどあった。裏切り者をアビドスの砂漠のど真ん中に放り捨てたという目撃談は、ブラックマーケット内でも有名だった。実際に見たことはないが、ヨシカよりも大きな体躯に魔改造されたショットガン、そして右目の傷は、何とも言えない説得力を帯びていた。
「あ、来たか? こっちに座れ。」
二人は椅子に座った。
「こんな夜に呼び出してごめんね。もしかして、夕飯の途中で来たわけじゃないよね? 口元にラーメンのスープがついているみたいだけど。」
「あ……」
ヨシカは慌てて口元を拭った。
「すみません!」
「構わない。こんな時間に呼び出す羽目にした奴が悪いんだ。宝を盗んだ奴のことだ。」
「宝……ですか?」
スオウが聞いた。
「ああ、宝物だ。ある会社の令嬢が、うちの製品を買おうとしていたんだ。限定版の『ペロロ手帳』さ。」
「えっ?」
スオウは呆気にとられた。こんな夜に、食事の時間まで割いて呼び出された理由が、たかが手帳泥棒を探すためだったなんて。それまで深刻に考えていた自分が、馬鹿みたいに思えた。
「どこのどいつか知らねえが、俺たちの連中を片っ端から叩きのめして逃げやがったんだ。まったく、ダイヤのガントレットや銀の蛙ならまだしも、よりによって『ペロロの手帳』だなんてな。ハハハハハ!」
彼の笑い声がオフィス全体に響き渡った。
「ハハハハハ! 本当におっしゃる通りです!」
「いい加減な連中に保管を任せたからですよ。ハハハ!」
続いて、熊の獣人の部下たちも一緒に笑い出した。
パンッ!
「げっ!」
カンダがリボルバーを抜いて撃つと、部下の一人が後ろに倒れ込んだ。
「あいつらに任せたのは俺だ、この野郎。」
「うぅ、ごめんなさい。」
彼は頭をかきながら、再び立ち上がった。銃声と、弾丸が身体に当たった音からして、ヘルメットを被った人間が直撃を受けていれば、一時間は気絶していただろう。しかし、部下はそれを食らってすぐに立ち上がっただけでなく、慣れた様子で再び持ち場に戻った。スオウには、この状況がまるで別世界で起きている出来事のように感じられた。
「ああ、失礼。うちの部下たちは馬鹿な連中でね。時々、頭に刺激を与えてやらなきゃならないんだ。」
「ああ、そうだったんですね。」
ヨシカは何気なく相槌を打った。
「本題に入ろう。盗難後、監視カメラで調べた結果、犯人がバイクに乗ってお前たちの縄張りへ向かったことが確認された。」
「私たちが24時間その区域を監視しているわけではありませんし、単に通りかかっただけかもしれません。何より、もしバイクが映っていたのなら、ナンバープレートを照会すれば解決するのではないでしょうか?」
「そうか、スオウ。ヨシカから聞いていた通り、頭がいいな。悪くない反論だ。」
カンダは頭をかいた。
「だが、ナンバープレートは偽物だった。お前らの縄張りの外で監視カメラを調べた結果、問題のバイクは映っていなかったんだ。それに……証拠も残さず、俺たちの傘下組織をたった一人で潰せるような奴なんて、『ヘルメット団』の中にはお前とヨシカ以外にいないからな。」
「くっ!」
カンダが指を鳴らすと、部下二人がスオウの肩を押さえつけた。突然の行動にヨシカは驚き、カンダに尋ねた。
「カ、カンダ様! いきなり何をなさるんですか!?」
「朝霧スオウ! 事件当時、ヨシカは俺と個人的な用事で通話していたんだ。消去法で考えれば、犯人は自明なんじゃないか?」
「な……何だと?」
スオウの視線は、カンダとヨシカの間を行き来した。問題の手帳を盗んでいないことは、当然分かっていた。となれば、残る可能性は二つ。カンダが嘘をついているか、あるいはヨシカが自分の知らないところで何かを隠しているかだ。だが、彼女を問い詰めることは、自らの胸に釘を打ち込むのと何ら変わらない行為のように思えた。ヨシカとの関係さえ守れるなら、毎日手入れしていた狙撃銃だって捨てられた。それゆえ、今の敵はカンダただ一人だった。
「まともな証拠もなく、こんな……ことを!」
スオウは押しつぶされた状態で、声を絞り出した。
「そう、証拠はない。でもな、ここはブラックマーケットだ。犯人じゃなくても、責任を取る相手さえ見つければすべて解決する場所なんだよ。お前がヨシカに罪をなすりつけたって、何ら不思議じゃない。」
罵声を浴びせる代わりに、手のひらから血が出るほど拳を固く握りしめた。
「ヘルメット団の面汚しだな。ヨシカの代わりに、俺が手を汚してやるよ。朝霧スオウ、お前はもうヘルメット団のサブリーダーどころか、団員としても追放だ。」
カンダの極端な措置を聞いて、驚いたヨシカが彼のもとへ駆け寄った。
「えっ? ちょっと待ってください! 何かの間違いです!」
「はあ、ヨシカは純粋すぎて困るな。……まあ、その点は嫌いじゃないけど。厄介者が一人増えて、少し面倒になっただけだ。連れて行け。」
「……そういうことだったのか。」
部下が彼女の腕をつかみ、引き立てようとした瞬間、身を引いて隙を作った。
「こいつ!」
「武器を先に片付けておくべきだったな。」
彼が再び制圧しようと近づいてきたため、背負っていた狙撃銃を握り直し、正面から殴りつけた。その後、片手だけで支える不安定な姿勢のまま、もう一人を撃った。
「ぐっ!」
「ぐはっ!」
二人の部下は首を振り、焦点が定まらなくなった。星が見えるほど、意識をはっきりさせるのが難しい状態なのだ。
「ハハハ! お前の友達がこんな奴だったとはな。」
「カンダ……」
「カンダ様!」
ヨシカはスオウの前に立ち、カンダを遮った。彼は顔をしかめ、大声で怒鳴りつけた。
「お前は出るな! こいつはただの逃亡者だ。お前が守るべきサブリーダーなんかじゃない。まさか、こいつ一人のためにヘルメット団を危険にさらすような、愚かな真似はしないだろうな?」
「それは……」
ヨシカが奥歯を噛みしめて銃を向けた瞬間、スオウが手を伸ばして彼女を制止した。
「もういい。」
「スー坊?」
スオウは狙撃銃を構え直した。彼女の瞳には、並の不良相手との喧嘩では見られなかったような、殺気にも似た毒気が宿り始めていた。
「こんな夜にここへ来た理由が、ようやくわかった。私はお前の敵だ、カンダ。黒鳥会副組長の皮を被った、間抜けな熊野郎。」
スオウはヨシカを通り過ぎた。もはや彼女の前に立つ者は、カンダしかいなかった。
「は、ははは! ガキにそんなことを言われても、これといって何とも思わないな。」
大胆な挑発にカッとなって首筋に青筋を立てたが、やがて彼は豪快に笑いながらショットガンをしまい、リボルバーを手に取った。つい先ほど部下を撃った、あのリボルバーだった。
「自慢のショットガンは必要ないのか?」
「ノミ一匹仕留めるのに、わざわざ狙撃銃を使うのか?」
カンダがリボルバーを構えた瞬間、スオウはテーブルを蹴り上げ、盾のように立てた。違法改造された銃であり、まともに食らえば相当な衝撃を受けるのは明白だったため、正面から戦うつもりなど毛頭なかった。オフィスに出入りできるドアは一つだけ。スオウはそこに向かって全力で駆けた。スオウの席がドアに近かっただけに、勝算のある動きだった。
「どこへ行く気だ!」
熊の猛々しい咆哮がオフィスに響き渡った。彼は再び引き金を引いてスオウに向けて撃った。スオウの目の前を銃弾が通り過ぎると、その足が一瞬止まった。
「ははっ! 惜しかったな。」
カンダは身を躍らせ、脱出口の前に立ちはだかった。その巨体は、扉を覆い隠すのに十分だった。スオウはもちろん、口元を覆いながら見守っていたヨシカさえも、言葉を失った。
「この野郎!」
「甘いぞ!」
二人は同時に銃を構え、互いに撃ち合った。一発はカンダの肩に当たったが、もう一発はスオウの腹部に命中した。それだけで死んだり生死の境をさまよったりすることはないだろうが、ボクサーの重い拳で殴られたかのように、彼女の体が揺れた。
「ふっ、古臭いリボルバーってわけじゃなさそうだな。」
スオウが懸命に強がる一方で、カンダは負傷した肩を押さえながら、ふっと笑った。
「まともに動きもできないくせに、口だけは達者だな。ヘルメット団でも傭兵でもない、何者でもない分際で。さあ、遊びは終わりだ。」
再びリボルバーを構えた瞬間、スオウはポケットに手を入れ、かすかな笑みを浮かべた。
「お前の言う通りだ。私は、何者でもないんだ。」
彼女は後ろを向いた。
「ごめん、ヨシカ!」
普段からヨシカの持ち物を預かっていたため、彼女のバイクの鍵はスオウのポケットに入っていた。スオウはその鍵を握りしめ、そのまま窓へと身を投げた。
ガシャーン!
「クソッ!」
割れた窓の破片と共に、地面へと転げ落ちた。それでも駐車場へ駆け出し、ヨシカのバイクに飛び乗った。外にいた部下たちを振り切り、彼女はバイクでその場から逃走した。オフィスにいた二人は、割れた窓越しに、バイクに乗って去っていく彼女をただ見つめていた。
「スー坊……」
「厄介なことになったな。」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、カンダ様。私が……」
「いや、構わん。それに、厄介なことになったのは別の理由だ。」
「はい?」
「あいつが通るルートなら、だいたい見当がつく。そこならブラックマーケットを抜けられるかもしれない。だが、警備が手薄なのには理由があるんだ。何だか分かるか?」
「……アビドス砂漠。」
「正解。さすがはバキバキヘルメット団のリーダーだな。万が一、奇跡的に逃げられたとしても、『捜索隊』を雇って捕まえ直せばいい。俺のツテはブラックマーケットだけじゃなく、アビドスにまで及んでいる。砂漠でヘイローが壊れなきゃいいがな。ハハ!」
彼は事件の後始末のために事務所を離れた。
「……」
ヨシカは壊れた窓枠に手をかけ、スオウが無事に砂漠を通り抜けるよう心の中で祈った。