国を追われた首無し王女……神になるってどういうこと!? 作:haku728
――十字の誓い――
エルサイムでこの言葉を聞いた時、戦慄しない者はいない。
この国で最も古く、最も苛烈な儀式。
それは一体いかなるものか。
百年前にエルサイムを訪れた吟遊詩人ロパスがこう書き残している。
――この国の貴人や武人が重き罪に問われた時、剣を以て自らの腹を十字に刻み、神への忠誠を形にして首を打たれる――
つまり身分の高いものにのみ許された壮絶な割腹自殺なのである。
元々はダイオス教の信徒が他国の異教徒にとらわれ改宗を迫られた時、それに対する抵抗の意思表示で自らの腹を十文字に切り裂き殉教した故事に始まっている。
これが次第に自殺の様式美として定着していく。
そして腹を切り裂くだけではなかなか死に至らず、壮絶な苦痛が長引くことになるため、斬首が併せられるようになっていった。
だが、実際には完遂が非常に困難な儀であり、近年ではほとんど行われなくなっていた。
フィリップはこの残酷な儀式を、敵軍の前でソフィーナに行わせようとしているのである。
「何の意味がおありなのか!」
ディルクは複数の衛兵に押さえつけられながら絶叫した。
「我が娘の命と引き換えに撤退してもらう。一国の王女が生贄となるのだ。それも十字に腹を切って。奴らとて無下には出来まい」
「なぜ!なぜソフィーナ様なのですか!?」
「尊い王家の者でなければ奴らも納得すまい」
「何ですと!ならば陛下御自身がお行きなされ!」
「何だと!」
これを聞いてフィリップは激昂した。
「貴様……言葉が過ぎるぞ!わしの死はエルサイムの死だ。よし分かった……お前に介錯を命じる!」
「な!できるわけがなかろう!」
「出来ぬとな……。ならばディルク……お前があの軍勢を退けてみせよ」
「なに!」
「お前はあの蛮族に対して何かできるのか!答えてみよ!」
「ぐ、ぐ……」
「何も出来ぬくせに減らず口を叩くでないわ!これは王命であるぞ!」
「ゆ、許せん……」
後ろ手に縛られているディルクの手が赤く光り始めた。
その時であった。
ソフィ―ナがフィリップの前に進み出た。
「命に従います……」
「おお!行ってくれるか!」
激昂していたフィリップが喜悦の表情に変わった。
「なりませぬ!殿下!」
「ディルク……」
「殿下一人が犠牲になったとて、奴らが引くとは限りませぬ!」
「でも……何もしなくても国は滅びます。儚い確率かも知れない……でも……わたくしの出来る事をしたいのです」
「しかし!殿下!」
「それに……」
ソフィーナは頬を微かに赤らめ、その頬を涙が伝った。
「?」
「あなたでなければ……嫌……」
「え!」
「わたくしは……貴方に……首を打たれたい」
「で、殿下ぁ!う……うあぁぁ!!!」
それを聞いたディルクの両目から涙が溢れ出た。
そして床に崩れ落ちてしまうのであった。
「オルドス!なぜ一気に行かん?あんな城をおとすなど数刻もいらんぞ!」
若者は白馬の手綱を操りながら、黒馬の老将に向かって苛立たしげに呟いた。
「若!待つのです。大王様の命をお忘れですか?」
「忘れてなどおらん!でも、なぜこんなまどろっこしい真似をするんだ?」
「この国は歴史が古い。民と王家の結び付きは深うございます。いたずらに攻め落とせば王は悲劇の象徴となり、反抗する者も増えましょう。降伏させて鎮撫に利用するのが上策なのです」
「ふん!逆らう奴はすり潰していけば良い」
「またそのようなことをおっしゃる……若はもっと統治の大略を学ばなければなりませんな」
「ぬかせ!オルドス!もう待てん……ゆくぞ!」
大軍でありながら水を打ったように静けさを保っているモランゴ―ルの兵。
二人の声は響き渡っている。
彼が総攻撃の合図をしようとしたその時、軍の彼方から威厳に満ちた大音声が響いた。
「オルダイ!待たんか!」
その声と同時に軍がさっと割れた。
その真ん中を、黄金色の馬にまたがった雄大な体躯の武人が悠然と進み来る。
モランゴ―ル帝国の王、オルグン・ハーンであった。
そして彼に制止された若者は、帝国の第一王子、オルダイ・ハーンである。
「親父!最後の一国だ!早くやっちまおうぜ!」
オルグンは逸る王子に応えず、磨きぬかれた黒曜石のような瞳を城壁に向けた。
「十字の下を見よ……」
「十字?」
オルダイは怪訝そうに城を見て目をしばだたいた。
城壁上にフィリップが姿を現したのである。
彼は十字架のたもとに立ち、両手を広げて語り始めた。
その声は静寂を守る軍に朗々と響き渡った。
「モランゴ―ルの王よ!そなた達の武は充分に堪能した!この大陸随一の軍と認めよう!その勇武を讃えて我王女ソフィ―ナの《十字の誓い》をお捧げ致す!それを以てお引き取りを願いたい!」
「はぁ!あいつ何言ってんだ……《十字の誓い》って何だ?」
「若。それは十文字に自ら腹を切りさく、この国の自決の儀式です」
「何だって!あいつ…… そんなこと王女にやらすつもりか?」
顔をしかめる王子をよそに、オルドスは王に進言した。
「大王。あのような戯言にとりあってはなりませんぞ!」
オルグンはフィリップの姿を黙して見つめていたが、その切れ長の目をさらに細めた。
そして数歩馬を進め、雷音のような声を発した。
「よかろう!」
「そ、そんな!なりませぬ!」
それを聞いてオルドスは血相をかえた。
フィリップの口角が上がる。
だが次のオルグンの言葉を聞いて、彼の表情は凍りついた。
「だがエルサイムの王よ!その《十字》の誓いとやらが完遂できなかったら、この国の生きとし生きる物はすべて撫で斬りにし、地中の肥やしとする。形有る者はすべて砕いて平らにし、この国の歴史は無かったものとする」